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『土曜日のタマネギ 』
ヴィヴィアン・マッカラン1402)&セレスティ・カーニンガム(1883)

 発端は、セレスティは本格的なアイリッシュシチューを食べた事がない、と何かの折りにそんな話を小耳に挟んだ事であった。

 本格的な、と言ってもアイリッシュシチューはアイルランドの郷土料理、家庭料理であるから、それぞれの家庭で独自の工夫などがあり、これと言うレシピがある訳ではない。ので、ここはある意味チャンスだとばかりにヴィヴィアンは意気込んでいるのである。
 「何でかって言うとー、ここであたしんちの味を、アイルランドの味としてセレ様が認識してくれればー……やーん、それってある意味、あたしとセレ様、一心同体って感じ〜♪」
 …若干発想が飛躍し過ぎている感もあるが、ようはヴィヴィアンは自分の所謂『おふくろの味』を、セレスティに認めて貰いたいのである。とは言え、セレスティもアイルランドの出身なのだから、彼の『おふくろの味』もアイルランドの味、なのだろうが…恐らく、彼が本格的なアイリッシュシチューを食した事がないと言うのも、ただ単に、セレスティの普段の食生活がハイレベル過ぎて、家庭料理には縁が無かっただけのような気がする。
 だが、そんな事はヴィヴィアンの思考の中には存在する事なく、万が一に思い付いたとしても、速攻で銀河の彼方へと追いやっていた事であろう。自分ちの台所で、ジャガイモの皮を剥くヴィヴィアンは、鼻歌など歌いながら如何にも楽しそうな雰囲気である。
 「やっぱ、ジャガイモは大きめがいいわよね〜。勿論ッ、あたしのセレ様へのキモチを現わすのなら、こんなジャガイモ丸ごと一個じゃ済まないけどっ」
 そう自分で言っておいて、嫌だっ、恥ずかしい☆と恥じらうヴィヴィアン。両手を頬に当てて身をくねらす様は可愛らしいが、片手に包丁を持ったままと言うのがやや危険か。ヴィヴィンは、皮を剥いたジャガイモを水に晒して灰汁抜きをする。その間に、次はタマネギの皮を剥いていく。
 「タマネギの皮は、剥いても剥いても中身が出て来ないのよねー。そんな謎めいた所は、うふふ、神秘的なセレ様にぴったり〜♪」
 タマネギと一緒にされてはセレスティも若干不幸だが、ヴィヴィアンには一欠けらも悪意が無いから、寧ろその様子は微笑ましげな笑みを誘ってしまう。何を見ても、セレスティ絡みに思考を変換させてしまう辺り、まさに恋する乙女の一般的症状なのだろう。鼻歌を歌いながらかの人を想い、タマネギを皮を剥くヴィヴィアンだったが、思考が遥か彼方に飛んで行ってしまっている所為か、手にしているタマネギを、食べられない茶色の皮だけでなく、白い部分をも全部剥いてしまった事には、さっぱり気付いていなかった。

 アイリッシュシチューは、日本人が思い描く『シチュー』とは少し趣が違うかもしれない。ラム肉の澄んだ塩味スープ煮込み、と言った感じで、ポトフ等に近い印象があるだろう。それだけに素材そのものの味が、シチュー自体の味を左右する重要なポイントになっており、ヴィヴィアンはわざわざこの為に、市場を長い時間をかけて検分し、最高級の材料を集めてきていたのであった。その作業は、確かにこの寒空ではなかなか難儀な事ではあったが、それもこれも全て愛しい人に美味しい手料理を食べさせてあげたい、そんな一途な想いは、ヴィヴィアンの回りにだけ暖かい空気で寒空からバリアを張っていたようであった。
 タマネギを剥き終わり(妄想は一個めの所で終わりを告げたので、他のタマネギは普通に処理出来たようである)、次はとニンジンを手に取る。ニンジンはお約束、輪切りにした物をハート型でくり貫いていく。オレンジ色のハートが幾つも皿に折り重なって行く様子を見ていると、自然とヴィヴィアンの顔が綻んだ。
 女の子であれば、大なり小なり、ハートモチーフなどの可愛いアイテムは好きなのだろうが、特に今のヴィヴィアンのよう、恋愛の魔法に掛かっている時の女性と言うのは、目にするもの全てが、自分と彼の恋愛模様を祝福しているように見えたりするものである。それは勿論、両想いでも片想いでも同じ事で。今のヴィヴィアンでいうならば、皿の上に折り重なったハート全てが、自分とセレスティの恋を応援してくれているような、そしてその恋は、強く想っていればいつかは必ず叶うのだと信じ込ませてくれそうな、そんな風に思えるのだ。街を流れるラブソングを耳にすれば、それは自分と彼の事を語っているように思え、幸せな恋愛ドラマを見れば自分達の恋の行く末に重ねてみたり。逆に悲恋のドラマでは、そんな悲しみが自分達の身の上にも降り掛かる可能性がある事など、夢にも思っていなかったり。今のヴィヴィアンは、まさにその状況で、自分とセレスティとの恋は、あの映画のようにハッピーエンドの結末を迎えるに違いない、そう、何の根拠もなく思い込んでいた。尤も、思い込んでいると言っても、その気持ちをセレスティに押し付けている訳でなく、そう言う、恋に恋しているような乙女モード満載の自分を、どこかでもう一人の自分が見下ろし、『あたしってばカッワイイ〜☆』とばかりに楽しんでいる、そんな、どこか少女らしくイイ意味で醒めた部分も持ち合わせてはいた。

 そんな想いを空の彼方に馳せている間に、とろ火でじっくり煮込んでいたシチューも粗方完成したようだ。ラム肉はほろほろと崩れる程に柔らかく、野菜もとろりと蕩ける美味さだが、スープは綺麗に澄んでいる。そこには肉と野菜の旨味がぎっしりと詰まって溶け込み、その出来は味見をしたヴィヴィアンの表情をも蕩けさせる程の美味さであった。後は、セレスティの家でもう一度温め直しがてら最後の調節をするだけだ。
 「んじゃ、早速、美味しいうちにセレ様のうちへGO!………って」
 ふと、ここでヴィヴィアンは気付く。…どうやってこのシチューを、セレスティの家まで運べばいいのか……。


 結局ヴィヴィアンは、大きな寸胴鍋を両手に抱えて、えっちらおっちらと歩いていた。ただでさえデカイ鍋、その上中身には煮込み立ての熱いシチューが溢れんばかりに入っている。ついうっかり勢いに任せて、大量に作ってしまったせいだ。(作業中に、何かと妄想している事が多かったので、ついたくさんの材料を下ごしらえしてしまった事が敗因なのだろう)かと言って、それを分割する事はヴィヴィアンの頭の中には最初から無い。これはあくまでセレスティの為に作った料理なのだから、それこそスープの最後の一滴までも、セレスティのものなのである。とは言え、中身を零さぬように歩くのはなかなか難儀な事でもあり。また、ゴスロリファッションの美少女が、デカイ寸胴鍋を身体の前に抱えて歩く姿と言うのも、また目立つもので…ヴィヴィアンは、思った以上の時間をかけて、ついでに大勢の人の視線にも晒されつつ、ようやくセレスティのお屋敷に辿り着いたのであった。
 「おや、ヴィヴィ。お久し振り。…何か疲れたような顔をしていますね」
 リビングで来客を出迎えたセレスティは、いつも通りの優しい笑顔でヴィヴィアンを迎えた。彼女の、眦にこっそり浮かんだ疲労を目敏く見付けてそう尋ね掛ける。こっそりと心の中だけで額に浮かんだ汗を手の甲で拭き取り、ヴィヴィアンは何でもないと言うように、首を左右に振って笑みを向けた。
 「何でもないんですぅ、ただセレ様に逢いたかっただけですから☆ …と言うかね、今日はあたし、セレ様にご馳走したいものがあるのよ」
 えへへ、と照れ笑いを浮べてヴィヴィアンが両手の指先を自分の両頬に宛う。ちなみに苦労して運んだ寸胴鍋は、セレスティの目につく前にこっそりキッチンに運んで隠してあった。ヴィヴィアンの言葉を聞いて、セレスティは目を細めて微笑んだ。
 「おや、ヴィヴィが私に、ですか?それは楽しみですね。それで、何をご馳走してくださるのですか?」
 「はい♪ あたしんち特製のアイリッシュシチューですっ。セレ様、前にどっかで本格的な物を食べた事がないって言ってたでしょう?あたしんちのが本格的なアイリッシュシチューかどうかは分かんないけど、本場のものである事には違いませんもん、だからゼヒ食べて貰いたいの〜」
 嬉しげに、だがはにかむように笑みを浮べながらヴィヴィアンがそう言っては、また両手を自分の頬に宛う。そんな様子を見詰めながら、セレスティは優しげに目許で微笑んだ。
 「アイリッシュシチューですか、いいですね…確かに、本格的なものは食べた事がないんですよ。アイリッシュシチューって言うとあれですよね?アイリッシュセッターを煮込んだ料理」
 「……セレ様、違います。と言うか、アイリッシュセッターって犬じゃないのっ!?」
 「ああ、違いましたか。では、アイリッシュウィスキーを……」
 「それも違う〜!」
 セレスティが最後まで言い終わる前に、鋭くヴィヴィアンが突っ込んだ。その様子に微笑ましげな笑みを浮べながら、セレスティが視線を向ける。
 「冗談ですよ。ちゃんと分かってますからご安心を」
 「ひ、ヒドイ〜、セレ様ったら…あたし、真剣に悩んじゃいましたよ」
 セレ様がそう信じているのなら、本当に何処かでアイリッシュセッターのお肉を調達して来なきゃ、って…と、さすがにこれは口に出しては言わなかったが。ほっと胸を撫で下ろしてヴィヴィアンが溜め息を零すと、セレスティは眉の端に僅かの謝罪を浮べて笑み掛ける。
 「すみません、ヴィヴィがあんまり可愛い反応をするから、つい、ね」
 「やだッ☆ セレ様ったら、可愛いだなんて〜♪あたし、照れちゃう〜」
 乙女モードは便利なものである。自分の都合のいい部分だけを、左脳へと伝える機能があるらしい。セレスティの言葉自体は真実なのであるが、今のヴィヴィアンなら、もしセレスティが厭味や皮肉で可愛いと言ったとしても、その言葉だけをピックアップしていたに違いない。
 勿論、セレスティの言う可愛い反応と言うのは、ヴィヴィアンのそんな部分の事なのであったが。
 「ま、まぁそんなオチャメなセレ様もス・テ・キ♪…と言う訳で…あたし、準備して来るわ。待っててね、セレ様!」
 そう言うとヴィヴィアンは、スカートの裾を翻してキッチンの方へと駆けて行く。そんな彼女の後ろ姿を、セレスティは目を細めて見送るのであった。

 豪奢なダイニングには重厚で質の良い長テーブル、それに真っ白のクロスを掛けてお皿を二組、向かい合わせてセッティングする。お皿には勿論、ヴィヴィアン快心の作のアイリッシュシチュー。ヴィヴィアン宅からここまでの道のりで、彼女自身が味見をした時から皿にまろやかに煮込まれたらしい。お約束のソーダブレッドを添えて、ヴィヴィアンは満面の笑みでシチューを勧めた。
 「セレ様、黒胡椒は平気?少しスパイシーに、と思って大目に入れちゃったから…」
 「大丈夫ですよ。私も多少は刺激的な方が好きですから」
 「やだ〜んッ、そんなセレ様に好きって言われたら、あたし参っちゃう〜」
 好きなのはあくまで胡椒の事なのだが、まぁいいだろう。セレスティも、敢えて訂正はしないようだ。
 セレスティがスプーンを手にし、シチューを掬って口へと運ぶ。その様子を、ヴィヴィアンはスプーンを握り締めたままでじっと見詰めていた。セレスティがシチューを流し込み、咀嚼する。ふと、ヴィヴィアンの食い入るような視線に気付いて、ほんわりと笑ってみせる。
 「とても美味しいですよ。ヴィヴィ」
 「本当?」
 恐る恐る、ヴィヴィアンが問い直すとセレスティは力強く頷く。それを見たヴィヴィアンは、内心では万歳三唱をしたくなるぐらい嬉しかったのだが、それが実行に移せないぐらい、嬉しくて身体が震えて堪らなかったのだ。自分も、シチューをスプーンで掬って口に運ぶ。それは、家で味見をした時よりも数段美味しく感じた。

 ヴィヴィアンにとっての最高の調味料、何よりもそれはセレスティの笑顔と美味しいの一言だったのだろう。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月24日

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