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『黄昏はまだ遠く』
ウィン・ルクセンブルク1588)&酒上・めとき(2047)
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ウィン・ルクセンブルクが本来希望する飯田橋からは少し離れた、文京区小石川にその家はあった。
この家との出会いは、ウィンが家を探しているとどこかから聞いてきた友人がきっかけである。「いい物件探してるんだってね?」とビン底眼鏡を押し上げた友人は、嬉々としてその男の名前を教えてくれたのだ。
「酒上と申します」
と丁寧に頭を下げた男が差し出した名刺には、「○X不動産 酒上めとき」と印刷されている。
「あの小娘から……いえ、あなたのお知り合いの女性からのご紹介ということですが、私が扱う物件については何か聞いていらっしゃいますか?」
「ええ、まあ一応は」
「いわくつきの物件ばっかり扱う変わり者で、扱う物件もケッタイ」とは、その「小娘」の酒上評である。
「この家はヤツの扱う物件の中でも良品でね。居住者に合わせて間取りが変わるんだよ。まあ、オッサン(酒上のことらしい)はケッタイだけど、赦してやってよ」
先日電話で話した友人は、そういってケタケタ笑っていた。
まあ、確かに酒上は営業畑には向かない顔をしているかもしれない。友人の評価が間違っていない事は、酒上の営業にあるまじき愛想の少なさにも窺えた。
「とても楽しそうな家だって聞いてるわ。楽しみにしてきたのよ」
それはありがとうございます、と酒上は意外そうな顔を押し殺して頭を下げた。心中では「あの小娘、何か企んでいるんだろうか」との疑問が掠めたようだが、それはさすがに言葉にしない。
顔を上げた時には、酒上はすでに営業の顔に戻っていた。といっても、もともと表情の少ない男だから、その変化は微々たるものだったが。
「では、ご案内させていただきます」
ウィンと青年を誘って、酒上は目的地に向かって歩き出した。

「特殊能力を用いて建設されたため、ランダムに間取りが変わるケッタイな家」というのが、ウィンの友人が解説した家の概要である。
外見もやはり「ケッタイ」なのではないかと想像していたウィンは、家を前にしてぽかんと口を開けた。
ごく普通だ。
青い空に白い壁が映え、洋風の木の窓枠がアクセントを添えている。
「一階は自動開閉が可能なガレージで、二階三階が居住区になっています」
「かわいらしいお家ね」
賃貸料金は相場よりやや高かったが、この作りにこの広さなら、それも頷けた。なにしろ、外から見る限り手入れもよく行き届いていて、新築同様の外見なのだ。
普通すぎて、思わず周囲に風変わりな家がないか、探してしまったほどである。

「……どうかしら」
「うん、いいんじゃない?」
居候している叔母の下から独立しようと、不動産屋を巡るようになって二週間。
通学に便利さを第一に優先するウィンと、安全第一とばかりにセキュリティに拘る彼は、互いに折れることも妥協も知らない。
普段はウィンの意見に「お前が言うなら」と鷹揚に構えている男は、彼女の身の安全に関しては苛立たしいほど頑固だった。
安全な地域と設備だと思えば大学から遠く、交通も便利で部屋も申し分ないと思えば、夜道が暗い。ここ数日、家探しは難航していた。
そんな二人が、初めて意見の一致を見た日である。

玄関は、ガレージの隣に位置していた。タイルを敷いた階段を上り、右手がガレージ、左手が庭へと続く小道になっている。覗いた庭は日当たりも良く、手入れもよく行き届いているようだ。
「家の鍵は特殊なセキュリティが施されていまして」
と玄関の扉に鍵を差し込みながら、酒上が説明した。
「『契約』によって持ち主と認定された人間しか、その鍵を使って家に入ることは出来ないようになっています」
「指紋照合や声紋照合を用いて施錠を行うのと、仕組みは同じね」
そういう意味では、最新鋭のセキュリティシステムを凌ぐ警備である。ちらりと隣を窺うと、「女の子は身の安全に気を配っていないと」とかなんとか、口うるさかった青年は大人しく酒上の話に耳を傾けていた。いい傾向だ。
「どうぞ、こちらが玄関になっています」
ドアを開けて、酒上が二人を中へ通した。
「あ、すごーい」
家に足を踏み入れるなり、ウィンは感嘆の声を上げた。室内に入ったというのに、視界が拓けたのである。
敷地面積は決して広大ではないはずなのに、家は実際よりもずっと広く感じる。白を基調にした内装と、二階まで吹き抜けになった天井のせいだ。
上を見上げれば、壁には大きな明かり取りの窓があり、柵のかわりにガラスを張った二階が覗ける。
「採光を考えて作られているので、日があるうちは殆ど照明も必要ありません」
「一階部分は殆どガレージだって聞いていたけど、かなりスペースに余裕があるのね」
靴を脱ぎながら家に上がり、ウィンはL字型に奥行きがある一階部分を覗き込んだ。階段はらせん状になっており、部屋の広さを損なわないようにとの建築者の意図が窺える。
「ガレージからもドアがあるので、車を駐車してから一旦外に出るような手間もありません」
ウィンたちと同じように家の中を見回して、酒上は流暢に解説した。何しろ、居住者に合わせて間取りが変わる家である。説明も、家の間取りに合わせて変えなくてはならない。それでも違和感を感じさせない酒上の喋りは、さすが、というところだろうか。
「次に私たちが来るまでにまた間取りが変わってるなんてことは……?」
ふと思いついてウィンは聞いてみた。いくらこの家が気に入って引越しの準備をしたとしても、家具を買い揃えてから間取りが変わってはたまらない。
聞かれた酒上は、それは心配いりません、とすぐに返事を返してきた。
「あなた方がこの家と間取りを気に入ったのなら、内装がそう変化することもありません。お気に召したのなら、この間取りをデフォルトとして設定しておきますので、ご心配なく」
コンピューターの設定のような家である。どうやら、デフォルトを設定しておくと、いつでも鍵一つで間取りを元に戻すことが出来るようなのである。
つくづく変わった家だった。
「二階は、居室とキッチンになっています」
階段は緩やかに曲がり、二階へと続いている。ガラス張りの向こうに一階の部屋が一望できることに感嘆の声を上げながら、ウィンと青年は階段を上りきった。
すぐに目に入るのは、バーカウンター付きのキッチンである。庭に面した部分には小さいながらもベランダが備え付けられてあり、そこからも太陽の光がまんべんなく降り注いでいた。
「吹き抜けになっていますので、一・三階と比べるとやや狭いですが」
「あら、これで十分よ。二人で住むには広すぎるくらいだわ!」
さりげなく答えてから、慌ててウィンは口を噤んだ。何しろ、同行してくれた青年には「一人暮らしをする」と言ってあるのだ。彼は、素直にウィンの言葉を信じている。
元々恋人と住むつもりで始めた部屋探しだったが、それはまだ、ウィン一人の胸のうちに留めてあったのだ。
さりげなく隣を窺うと、青年は青い瞳を輝かせて部屋の中をうろうろしている。どうやら、ウィンの失言には気づかなかったようだ。
代わりに酒上の方が彼女の言葉を聞きとがめ、意味ありげな沈黙の末に「なるほど」と言っただけである。
「キッチンにはパネトリーも備えています。ベランダにあるのもその一部ですが、室内から入れるので、雨の日なども安心です」
と、酒上の手はまるでそれ自身が意志を持っているかのように動いて設備を示した。
「床暖が入ってるのね」
靴下のむこうが暖かいので、ウィンは感心して呟いた。ドイツ生まれの彼女は寒さには耐性があるが、それでも冬は、やはり暖房が欲しいのである。
その言葉でウィンを振り返り、酒上は目を細めた。笑ったのかもしれない。
「この家もあなた方が気に入ったのでしょう。サービスですよ」
そのとおりだと言わんばかりに、静かな空調の音が静まり返った室内に響いていた。
二階も、存分に取られた窓のせいで、冬の弱い日差しだというのに部屋の中は明るかった。
「窓が広いと開放感があっていいわね。……でも、こんなに窓が大きかったかしら?」
外から見た時の印象を思い出して、ウィンは首を傾げた。たしかに、外から見たのと同じ位置に窓はある。だが、木の枠で格子仕切られた窓はもう少し小ぶりだったような……。
「内装が変わるたびに、外見が変化してはさすがに怪しまれますので」
というのが酒上の答えだった。まるでそれが普通だとでも言うような顔をしている。
「魔法使いの家よりすごいかも……」
とウィンの隣に戻ってきていた青年が呟いた。彼が言っているのは恐らく最近はやりの魔法使いの少年少女向け小説のことだろう。以前、うきうきと映画をレンタルしてきてはしゃいでいた。話の中で、主人公の少年が魔法使いの家を訪ねるシーンがあったのだ。
魔法使いの家はまるでおもちゃ箱のように不思議なものに溢れていたが、家のサイズまでは変わらなかった。
本の虫を自認するウィンにはこの会話が通じたが、酒上には意味がわからなかったらしい。僅かに首を傾けてから、
「では、寝室をご案内しましょう」
と二人を促した。
一階へと続いている階段はリビングに到達したところで途切れており、もう一つのらせん状の階段は、部屋の隅に備えてあった。リビングにあるバスルームの脇から上へと伸びている。
上りきった先はT字路で、左右の突き当たりに、それぞれ両開きの扉があった。
「左手側がマスタールームです」
といって始めに通された部屋は、扉を開けてもらって中に入るなり、家に足を踏み入れたときと同じような感覚を味わった。
天井が高いのである。しかも屋根の形をそのまま利用しているため、天井は家の中心に向かうにつれて高くなっている。
大きくとられた窓は、三階建てだけあって展望がいい。この部屋にも、冬の柔らかい日差しは眩しいほどに差し込んでいた。
「反対側には、この部屋とほぼ同じ広さの部屋があります。ただし、そちらにはバスルームはございませんが。そのほかの寝室の数は、住む人の生活習慣に応じて頻繁に変わりますので」
ウィンと青年が見た時には、廊下には三つのドアがあった。T字路の肩の部分に二つ、それに階段を上りきってすぐのところにもう一つ。後者は、部屋ではなくて浴室になっているらしい。
「つくりはマスタールームと殆ど変わらないと思いますが、反対側の部屋もご覧になりますか?」
白いタイルが丁寧に敷き詰められた浴室を案内してから、酒上が提案した。三階の間取りが一番頻繁に変わるという彼の言葉は本当らしい。
せっかくだから、と彼の言葉に頷いて、二人は観音開きの扉を開けて中に入った。
マスタールームと同じ感覚を予想していたウィンの予測は見事に外れた。部屋の広さは、変わらないはずなのだが……。
「あっ、上!上みて!」
青年がウィンの肩を叩いて彼女の注意を促した。
「あら……!」
彼の指が示す先を目で追って、ウィンも驚きの声を上げる。マスタールームでは三角形に尖って空間を広く取っていたところに、木の枠と同じ色をした仕切りがあるのだ。丁度壁に傾斜がつくあたりから、板ばりのフロアが延びて、そこに小さな空間を作っている。
「屋根裏ね……!」
「すげーっ!」
「子ども部屋などにしたら、子どもたちには喜ばれそうですね」
感動している二人の後ろで、酒上が微笑んで口にした。分かっていてやっているのか、微妙に意地が悪い。
酒上に言われて、ウィンの視線は思わず青年へと向かう。
今回も案の定屋根裏に気を取られているのかと思った青年の、青い瞳と視線がかち合う。
「えっ、……と」
思いがけず合わせた視線を逸らせずに、何か言おうとウィンが口を開いた時……へへっ、とウィンの視線を捉えた青年は屈託のない顔で笑った。
「広いしさ、日当たりも良いし、キレイだし。いいんじゃない?ここ」
どぎまぎしているウィンをよそに、青年の声は落ち着いている。なんとなく調子を崩されながら、ウィンも「そうね」と返事をした。
青年から肯定の言葉を引き出せなかった事は、少しだけウィンの気持ちを落ち込ませる。そんな内心を押し隠して、ウィンは静かに佇んでいる酒上を振り返った。
「ぜひとも、このお家を借りたいわ。いつから入居可能なのかしら」
「なんでしたら、明日からでも結構ですよ。契約さえしていただければ、鍵をお渡しできます」
「どうする?」
酒上の視線をそのままリレーさせて、ウィンは青年を振り返った。
「学校も冬休みだろ?今から荷物を運び込んでも問題ないよ」
「そうね」
ウィンから返事を受け取った酒上は、やはり落ち着き払った表情で頷いた。まるで、彼らがこの家を借りることは、前から決まっていたことだとでも言うような反応である。
「かしこまりました。では、必要書類をお渡ししますので、署名をしていただけますか」
扉を広く開けて二人を外へと誘いながら、酒上は慣れた態度で話を進めた。
階段を下りながら、ちらりと一度、二人を振り返る。
「それと……、この家の鍵は、先ほど説明しましたとおり、鍵の持ち主と認識された者しか使用できません。その為に、鍵に持ち主を認識させるための特別な契約をしていただかなくてはならないのですが」
「ああ……なるほどね」
それでようやく、酒上がウィンに付き添ってやってきた青年に、意味ありげな視線を向けた理由が理解できた。
「保証人になってくれるお兄様はともかくとして……」
ちらりと、のんびりした顔の青年を振り返る。彼は屋根裏部屋があったあの一室を、今でも名残惜しそうに眺めていた。やはり先ほど、目が合ったのは単なる偶然だったのだろう。
(やっぱり、この人にも必要よね……)
青年は、これからも頻繁に……あるいは毎日、この家に出入りするかもしれない人物である。
やはり、鍵を持っていてもらわなくては具合が悪い。
しかしそれを、どうやって彼に告げたものか……。
「ねぇ」
思い切って、ウィンは彼の注意を引いた。
「ん?」
ストレートに言って、彼は素直に鍵を受け取ってくれるだろうか。少し不安だったが、他にいい言い方も思い浮かばない。ウィンは思い切って彼に言った。
「この家の鍵、あなたにも持ってもらいたいの。……ほら、これから何かとうちにくることもあるかもしれないでしょう?だから……」
「うん。いいよ」
さらに言い募ろうとしたウィンより早く、青年はあっさりと頷いた。これにはウィンのほうが驚いてしまう。
「……いいの?」
酒上がちらりと興味深げな視線を向けたのが分かったが、ウィンは確かめずにはいられなかった。
青年からは、
「え、ダメなの?」
と埒が明かない答えしか返ってこない。
「いいならいいのよ、勿論。あなたにも鍵を持っていて欲しいの」
口走ると、青年は笑った。
さっき目が合ったときに見せたのと同じような、屈託のない笑顔だ。
「家具とか、まだ全然買ってないね。忙しくなるよー」
いたずらっぽく笑った青年は、背中を屈めて落ちていたウィンの手を取った。
触れ合う指先は温かい。
それでようやく、さっき目が合ったのは偶然じゃないんだ、と思い当たった。
「明日も、私は働いておりますので。必要書類が整いましたら、いつでもご連絡ください。家の鍵を差し上げます」
二人の態度を気づいていないわけでもないだろうに、やはり今までと変わらない薄い笑み(彼なりの営業スマイル)を見せて、酒上は先に階段を下りていった。
「そうそう……」
下の階に消えかけていた頭がひょいと戻ってきたので、身体を寄せ合った二人は慌てて離れた。青年などは、階段を二つほど踏み外して蹲っている。
そんな二人の様子など気にもとめずに、酒上はウィンに向けて台詞を投げた。
「言い忘れておりましたが、私の扱う物件に関する取引は、紹介料を一切いただかないことをモットーにしております。あの小娘……いえ、あなたのご友人には、その旨を私からご説明いたしますので」
その時だけは、「いわくつきの物件ばかり扱う」というその言葉が凄みを増して聞こえる薄笑いを見せて、酒上はきっぱりと言い切った。
迫力負けして思わず頷いてしまった二人を確認すると、「では」と目礼して酒上は今度こそ階段を下りていく。
「うっかり紹介料を払ったら呪われそうだよあの人に」
笑えないことをあっけらかんと言って、青年はよろよろと立ち上がった。一瞬腰が抜けていたらしい。
「……眼鏡の人さ、すごい楽しみにしてたよね、紹介料」
「そうね。話すたびにどうだった?って聞かれるし」
かわいそうに、きっとこの物件を紹介してくれた友人に紹介料は支払われることはないだろう。
せめて美味しい料理でもおなかいっぱいご馳走しよう、と思いながら、ウィンと青年は顔を見合わせて吹き出した。


―「黄昏はまだ遠く」―
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
在原飛鳥 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月22日

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