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『時の流れのささやかなる心移り 』
伍宮・春華1892

「で、お前、最近一体、何があったんだ? 春華(はるか)にもついに、春が来たってか?」
 一言目が、それであった。ちょっと話があるからと、友人に呼び出されてグラウンドまで来て見れば。
 ――突然、それかよ……。
 鉄棒の上に腰掛け、自分を見下ろしているサッカー部の大柄な青年――実際は春華の同級生であり、中身の精神年齢の方も容姿とは違い、とても青年などとは言い難いのだが――の言葉に、小柄な少年、伍宮(いつみや) 春華は、彼の黒い瞳を見返し、きょとん、と事を問い返す事もできずにいた。
 ちなみに、この学校の新入生にして赤い瞳の特徴的な春華は、この青年と共に、学校のトラブルメーカーとしても少々名が知れていた。更についでにもう一つ付け加えるなれば、この場所にはもう一人、二人と仲の良い腰の低い少年がいても良いはずなのだが、
「……ん、アイツか? 図書委員だよ、図書委員。ま、とりあえず隣に座れよ。春の悩みは、それから俺がじっくり聞いて差し上げよう」
 もう一人の友人の姿を探す春華の様子に気が付いたのか、青年が、彼の所在を軽く述べてくれる。その一言に納得し、春華は自分の身長と同じほどの所にある鉄棒に、軽く手をかけた。
「ちょっとマテ、いつ俺に春が来たって? しかもハルって、」
「勿論、好きな人ができたんじゃないか? って言ってるんだからな? いやいや、照れることはないって、このおにーさんに、全部話してご覧なさい? 彼女のどこが好きだとか、どう告白したいだとか。ああ、その前に是非相手の学年とか名前とか……」
「誰もそんな事言ってないだろ……ってゆーか、お前、何様のつもりだよ……」
 鉄棒にかけた手に力を込め、身も軽くその上に腰掛けた。随分と偉そうな態度の大きな友人に、じっと批難染みた視線を送りながら。
 ――その視界に。
 唐突に、サッカーボールが、空高く舞い上がるのが映り込んだ。
 青に輝くボールの光に、春華の口元が、無意識の内に綻んでしまう。
 ……サッカーなんてそう言えば、あの時代には、無かった遊びだからなぁ。
 その昔、ずっと昔、それこそ教科書に書かれている程昔の話を懐かしみ、春華は吹っ切って来たはずの過去の幻影に、笑顔のままで向かい合っていた。
 少し前までとは、異なった笑顔で。
「……そらみろ、やっぱり春か」
「何でそういう話になるんだよ?」
 横顔を盗み見られているのに気が付き、慌てて春華は緩んでいた表情を引き締める。いつもの無愛想を装い、青年を睨みつけるものの、
「お前、そうやって最近、随分と嬉しそうにしてるだろ? 好きな人ができると、自然とそーなるものだし。で、そうなんだろ? 実際」
「まさか。俺、そういうのに興味ねーし」
「ほおおおおう……そうかそうか、」
「言っとくけど、好きな人はいないんだから答えようがないからな」
「それじゃあ、何で最近そんなに嬉しそうなんだよ?」
「――嬉しそう、なのか?」
「ああ、何かすっごく、すっきりとした顔、してるだろ?」
 問われてみて、心当たりを思い返す。自覚はなかったのだが、この鈍感な友人が言う以上、多分それに間違いはないのだろう。
 ……俺が、嬉しそう、か?
 そのまま空を見上げ、小首を捻る。
 そうして、暫く。
 ようやく思い当たる節に、辿り着いた。
「……ああ、ん?――ああ、なるほど、」
 多分??あれ?≠ェあったからだろうと、春華はまず、心の中で自分を納得させる。
 ――春華は、平安の時代から、時を超えて平成の時代に生きていた。例え今の時代の者には信じてもらえなくとも、春華の正体は間違いなく、平安時代に封印された天狗であるのだから。
 嬉しそうだ、と言われる理由は、だからこそ、の理由。考えるに、それにしか思い当たる事ができなかった。
 即ち、
 数日前に、その平安の時代にふっきりをつけてきた、あの時の話にしか。
 しかし、
「……いや、好きな人では、ないんだ」
 ようやく出てきた答えに、珍しく春華は口ごもってしまっていた。そのまま俯き、苦笑しながら頬を掻く。
 ……言えないと、
 不意にその時、初めて友人に??言えない?≠ニいう壁に、ぶつかってしまったのだから。


『自分の正体が天狗だ! などとそんな事、絶対に言って歩くなよ! 相手はともかくとしても、もしかするとお前も傷つく事になるかも知れん』
 珍しく、普段は情け無い保護者代わりの現代陰陽師の端くれが、真面目な顔で言っていた言葉を思い出す。あの時は、誰がそんな事をして歩くか!――と、逆切れもしそうになったのだが、
「もしかして、言えない事情でもあったりとか?」
 今考えてみるに、あの言葉は、春華が考えていたよりもずっと重く、深い言葉であったのかも知れない。今後春華が平成の世で生きていく上で当たっていかねばならない問題の内の一つを、あの日保護者は、適確に指摘してくれていたのかも知れない。
 ……ふと、
「いやまぁ……そーいうわけでも、」
 ないんだけど。
 言いかけて、春華はそれ以上、言葉が出て来ない事に気が付かざるを得なかった。いつもの調子で笑い飛ばす事もできず、妙な気分に、自分自身が一番戸惑ってしまう。
 ――いや、俺、実は天狗でさ――
 常人には到底信じられないであろう話を、もし今ここで始めてしまったら。そう言えば春華の立場は、どうなると言うのだろう。
 ……考えた事もなかったな……。
 そう言えば、友人に正体をばらしてしまったら、などと、今までに一度も考えた事のない話であった。
 世界には、春華にとってはどうでも良い人間も溢れかえっている。しかしその一角には、心の底から慕っている、唯一無二の存在があるのだ。
 その辺の人間など、極端な話どうなってしまおうが、春華の知った話ではない。
 しかし、
 ――けれど、だからこそ、
「……春華?」
 こうして名前を呼んでくれる存在が、或いはある日、目の前から姿を消してしまったら。例えばそれが、正体をばらす事によって起こり得てしまうのなれば。
 怖い、と。
 一瞬頭の中に過ぎった単語を、首を横に振り、慌てて掻き消した。
 そんなわけは、ないのだと。
 怖いなどと、
 そんな事――、
 と、
「……いや、実はさ、『春華がヘンだぁ! 絶対ヘンだよぅ! 僕は空を見上げて微笑む春華なんて初めて見たんだから! 何か不気味だから、問いただしてきてよ!』――ってなぁ、実はアイツに、泣き付かれたんだ」
 やおら、だからお前をここに呼んだんだよ、と、さり気なく友人が、話題転化の機会を与えてくれた事に、春華はきちんと気が付いていた。
 しかしそれでも、ただ甘えるように、すがりつくようにして、無意識の内に、春華はその機会に便乗してしまっていた。なぜそうしたのかもわからぬまま、必死に慌ての色を隠しながら。
「……お前等……」
 俺の居ない所で、何言い合ってるんだ?
 言葉にはせずに、苦笑する。何となく、そのまま背中側へと身を倒した――鉄棒をぎゅっと掴んだまま、くるりと一回転する。
 くるりと世界が、表情を変える。
 青空の世界に、グラウンドの茶の色が溶け込んだ。
 三百六十度の風を受け、春華の制服がふわりと遊ばれる。
 円はぐるりと、三百六十度。三角形の内角の和は、百八十度。直角三角形の角の一つは、九十度。面積の公式は? 体積の公式は?
 ――この世には、
 あの頃には、知らなかった事だらけだ。
「ナニ、って、普通のお話」
「それのどこが普通なんだよ……おもいっきり俺のコト馬鹿にしてるだろうがっ?!」
「気のせいだって。馬鹿にしてるんじゃなくて、心配してんの」
「うわっ、何か言ってるよ、コイツ」
「真実を言ってるだけなの。なぁ春華――でも最近のお前は、本当に嬉しそうだし、楽しそうだったからな、」
 冗談気味に怒った春華との会話の果てに、青年がふわり、と微笑を浮かべた。ゆらりふらりと、棒の上で体を揺らしながら、
「春華のそういう顔、久しぶりに見たような気がするな……確かに。最近少し、浮かない顔してただろ?」
「そ、そうか?」
「ああ。お前が浮かない顔をしてたのは、アイツ曰く、丁度理科が電気の話に入って、歴史の授業が平安に入った頃からだ、って言ってたけどな。随分とアイツらしい、勤勉な時期の覚え方で」
 赤い瞳に、おどけて見せる。青年はそのまま、その友人がいるであろう校舎の方へと視線を投げ、押し黙っていた。
 その横顔と、もう一人の友人の言葉に、
「……そう、なのか、」
 自覚させられて、と言うよりはむしろ、驚きに呟きが漏れてしまう。
 ――俺が、
 浮かない顔をしていたって?
 確かにここの所、『時の巫女』に出会う少し前までは、社会の授業に平安の時を思い出し、懐かしさにも似た感情に襲われる事もしばしばあった。
 帰りたいと願ったわけではなくとも、??良き時代?≠?懐かしんでいた事は、事実であった。
 否。しかしやはり、
 懐かしんでいただけでは、ないのかも知れない。
「ばーか、そんなんにも気がつけなくて、どーやって友達やってろってーんだ」
 それよりも強い、望郷の感情。帰りたいと思わなかったわけではなく、或いは、帰る事ができないからこそ、帰りたいと望まなかっただけなのではないか――。
 春華がそこまで考えた頃、ふ、と、友人と視線が合わさった。
 友人は、悪戯な笑みを春華へと向けると、
「それにお前は、強がりだから」
「つ、強がりぃ?!」
 再び飛んで来た意外な言葉に、今度こそ春華は素っ頓狂な声を上げざるを得なかった。初めての評価に、あんぐりと口が開く。
「おおおお、俺が、強がりだって?!」
「って言っても、アイツからの受け売りでしかないけどな。アイツは俺と違って、どーも他人の心に敏感なんだよなぁ、うん、多分」
 俺にはお前を強がりだなんて評価するアイツの気持ちが良くわからんと、鉄棒の上に器用に座ったまま、青年は腕を組み、一人でこくこくと納得の頷きを繰り返す。
 そうして、暫く。
 遠くの方で、サッカーボールの蹴飛ばされる音が、空に高く吸い込まれていった頃、
「なぁ、でも、」
 二人の視線はいつの間にか、少しその先でサッカーを楽しんでいる同級生達の方へと向けられていた。制服を着崩し、腕を捲り上げ。彼らの喝采と共に蹴り上げられるボールも、もう既に泥にまみれて傷だらけとなっていた。
 ……風が、広い台地を吹きぬける。
 ふとその音色に、時間の移り変わりを示すチャイムの音が、ひっそりと重なった。
「――もう、終わりかぁ」
 遠くからの時の知らせに、春華は大きく伸びをしてから鉄棒の上から飛び降りた。軽い身のこなしで、くるりと背後を振り返る。
「なぁ、次ぎの授業は数学だったっけか? お前そう言えば、朝宿題がヤバイ、って言ってなかったか?」
「ああ、言ってたなぁ〜。言ってたが、実はアイツに全部写させてもらったんだよ」
「……写させて、くれたのか?」
 珍しい話であった。ケチで宿題を見せてくれないのではなく、自分の為にはなりませんよ――と気を使ってくれるからこそ、宿題を見せてくれないようなあの少年が、青年に宿題を見せてくれるなどと。
 視線だけでの春華の問いに、青年は片手に力を込め、
「まさか。写させてくれないもんだから、こっそり三時間目にノートを??お借り?≠オて、四時間目に写してた」
 鉄棒から、ゆるりと降りた。春華の時とは違い、砂埃もたてぬままに。
「だからお前、家庭の時間なのに起きてたのか……珍しいと思ったら……!」
 たんっ、と鉄棒を離れ、地面に足を付けた大柄な青年の方を見上げながら、春華は油断も隙もあったものではないと、わざと大袈裟に溜息を付いて見せる。
 そんな小さな友人の姿に、青年は更に笑顔を深めると、
「まぁ、さ、」
 その歩みを促すかのようにして、春華の肩に手を回した。驚く春華と肩を組みながら、ゆっくりと青年は、グラウンドの真ん中を歩き抜ける。
 ――サッカーは、何時の間にか終わってしまっていた。
 ボール一つを、校庭の隅に残して。
 青年の視線が、ふ、とそのボールに止まる。
 ……やおら、
「でもさ、春華。俺も、アイツも。言えない事を無理に言え、とは言わないさ。言いたくなかったら、言わなければ良い――ただそれだけの話だろ? 俺にだって正直、お前達には言えないコトの一つや二つ、あるんだからな」
 それでこそ友達じゃないのか? と、ふとそんな言葉が、想いと共に零れ落ちた。


 ――放課後。
 仲良しトラブルメーカー三人組みは、並んで歩道を歩いていた。
 いつもの話、いつもの笑い声。当たり前のように訪れる夕暮れ時に、また明日、と、友人と別れる時間がやがて訪れる。
「ぼっ、僕に好きな人なんているはずないじゃないっ?! 修道士が恋愛だなんて、そんな……!」
「その口はまだ言うかっ?! お前も将来は修道士になりたいだなんていい加減にしやがれ!」
「嫌だ! もうこれだけは心に決めたんだから!」
「生意気な……だからああやって上級生に虐められるんだ!」
「ち、違うよ! あれは春華が悪いんだって! ねぇ、春華っ?! この前上級生に絡まれたの、あれは春華の所為だよねっ?! 僕はただの被害者で――」
「おうおう、神に仕えたいヤツが良く言うよ。人に罪を擦り付けて良いのか? ん?」
「そ、それは……」
 しかし今日だけは、そんな会話も半ば聞き流しながら、春華はずっと空を見上げていた。時折正面や、友人の方へと視線を戻して適当に頷いてやる。
 ……ぐるり、ぐるりと、
 あれ以来、自分の中で交差している様々な想いに、知らず、足を止めている事にも気が付かずに。
 不意に、談笑する友人の制服姿が、少しずつ遠くなって行く。それを覆い隠すかのようにして、雑踏が、風のように流れていった。
 春華はそのまま、改めて空を、見上げた。
 あの頃とは違い、電線に黒く線を描かれた、空を。
「あんた達も、大変だよな……」
 人ごみの流れに向って呟いた。その忙しなさに、ふとそんな事が思われる。
 同時に、
 取り残されたかのような、幻影に、
 ――どうしてかこの瞬間から、認めてしまえ、と、聞こえる声がある。
 認めてしまえば良い。
 強がるためにも、認めてしまえば。
 ……強がる?
「……春華?」
 夕暮れ時。あの時代と変わらぬ朱の光が、世界を夜へと呼び寄せる合図が広がって行く。
 制服のポケットの中に手を入れ、春華は静かに首を横にふった。耳元の雑踏のざわめきに、??らしくもない?℃魔?考えながら。
「どうした? UFOでもいるのか?」
「ちはや人宇治川波を清みかも 旅ゆく人のたちがてにする――か、」
 このままの関係から、永遠に抜け出したくはない。甘やかな関係を、一体誰が好んで捨てるのだというのだろう。
 ――しかし、だからこそ、
「……いや、何でもない」
 どうした、俺らしくもない――。
 慌てて掻け戻って来た友人達に、春華は出来る限りの笑顔を向けた。
 いつか真実を話せる日が来れば良いと、今は心に願う事だけに止めながら。


Finis

18 dicembre 2003
Grazie per la vostra lettura.
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月19日

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