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『You aren't hurt again 』
森村・俊介2104)&七瀬・雪(2144)

 魔術師の公演は、早くも伝説となった。
 もともと、森村俊介は、人気を出番の多さで稼ぐような、即興の芸能人ではない。舞台は一つ一つがいつも異なり、同じものは何一つ存在しないのだ。日本は欧州と比べると手品はさほどメジャーでもないが、それでも、森村の名を知っている者は、予想外に多かった。
 もしかして、あの森村俊介?
 噂が噂を呼び、老いも若きも惹きつける。そして、舞台に立った漆黒の魔術師の姿を見れば、黄色い歓声を上げる過激な女性ファンが急増するのも、無理らしからぬ話ではあった。
 マジシャンなどやらなくとも、役者だけで食べていけるのではないかというくらい、森村は整った顔立ちをしている。日本人らしくない長身で、手足のすらりと長い均整の取れた体躯は、どこか白色人種を彷彿とさせるものがあった。
 混血かしら?と、女たちは口さがなく言い合ったが、結局、確かなことは何もわからない。素性その他が一切伺い知れないことが、魔術師を、さらに神秘の対象として、手の届かぬ幻の存在へと引き上げるのだった。
 数は圧倒的に少ないが、森村は、きまぐれに近い形で、たまに日本での公演を引き受けるようになっていた。
 舞台が終了した後には、非常識な女性ファンたちが、必ずと言っていいほど、楽屋裏に押しかける。サインや握手をねだる程度なら可愛いが、中には強引抱きついてくる者もいるから、困りものだ。
 日雇いのアシスタントに後は任せて、森村は、最近はとことん逃げるようになっていた。こういう無粋な女たちとは、正直、話すだけでも疲れるのだ。加えて、ファンサービス、などというボランティア精神が、初めから、彼には存在しない。
 森村俊介は、マジシャンでありながら、決してマジックには依存し過ぎていなかった。要らないからと魔術師の肩書きを捨ててしまっても、きっと、後悔の一つもしないのだろう。
 
 今日は、逃げそびれた。
 戸口に押し寄せてきた女たちを見て、まずったな、と考える。
 彼女らのパワーは実に侮りがたい。あっという間に囲まれてしまった。
「森村さんだ〜! やっと本物を間近で見れた!!」
 高校生くらいの女の子が、いきなり飛びついてきた。まさか素気なく避けて、転ぶに任せるわけにもいかないので、仕方なく、片腕で抱きとめる。危ないですよと注意したが、話の半分も聞いていないだろう。高校生は、一方的に喋り続けていた。
 森村が、これは駄目かと溜息を付いたとき、ふと、扉が、開いた。
「あ……」
 そこに立っていたのは、七瀬雪。
 いつも送られてばかりなので、たまには逆もいいかなと、迎えに来たのだ。
「ご……ごめんなさい」
 謝る必要も無いのに、気が付けば、身を翻して逃げ出していた。
 大きな塊が喉につかえているような、不快な感情を無理やりに飲み下して、一刻も早くと祈るようにこの場から立ち去る。何に急かされているのか、自分自身でもわからなかった。
 雪は天使だった。人間ではなかった。負の感情は、彼女から、もっとも遠い存在であるはずだった。彼女はいつも穏やかに人の流れを見てきたのだ。テレビ画面を向こうから眺める、無関係の第三者のように。
 百年以上も生きてきて、彼女は、自分が当事者になったことが、ほとんど無かった。だからこそ、自らを襲った黒い感情が何なのか、理解できなかった。
 
「開けて…………私を入れて! 森よ!」
 
 雪の世界は、天界。この現し世は、仮住まいのようなもの。
 背中合わせに存在している幾つもの別の界の扉を、強引に呼び出した。もちろん、それは、普通の人間には立ち入れない場所だ。境目はねじれ、歪み、何一つ確かな形をとらない。
 森に足を踏み入れた途端、雪の背に翼が広がった。ここでは擬態を捨て去る必要があるのだ。あるいは、どれほど巧妙に虚飾で自らを飾っても、全てが白日の下に曝される。不可視の森は、真実の鏡のような目を持っていた。
 雪は、森の中を恐れる様子もなく、するすると進んで行く。
 巻きついた蔓草が独りでにほぐれ道を開け、絡まっていた枝葉が、自らその戒めを解いた。
 人の世にあるような緑の色はそこには無く、ただ磁器のごとき冷たい白が、全てを覆っていた。鳥の声も虫の音も、聞こえない。頭上は天蓋のように葉が生い茂るのに、ひどく中は明るかった。枝も、花も、草も、時の凍えた硝子で出来ていて、それが光を乱反射して、森を隅々まで煌々と照らし出しているのだ。
 雪が歩くたびに、翼が震えて、ひらひらと、幾つも幾つも羽が舞い落ちていた。
 雪は、しばらく、自分が泣いているという事実に、気付かなかった。
 頬を濡らす冷たい水が、涙というものであることは、知っていた。知識として、ただ、知っていた。
 映画や小説の中で、それを得意げに振りかざす、女たち。何がそんなに悲しいのだろうかと、首を捻っていた覚えもある。
 どうかしている、と、雪は笑った。
 自分は人間ではないのだ。人間ではないから、泣いてはいけないのだ。「涙」は、あの齢短き卑小なる人間という種族のみに許された、特権のようなものなのだから!
「私……私。どうして……。私……おかしい」
 遥か後ろで、ぱきりと、硝子の草を踏みつける音がした。
 雪が驚いて振り返る。
 彼女のような人外の存在でなければ決して立ち入れぬ凍った森に、森村が、何の抵抗もなく入り込んでいた。
 雪のように、森が、自ら迎え入れてくれているわけではない。ただ、彼を恐れて、その歩みを邪魔しないように、草が、左右に退き逃れているようだった。
「森村さん……どうして、ここが」
「貴女の羽根をたどってきたのですよ」
「私の羽根……? そんな。普通の人に、見えるはずが……」
「生憎と、僕は、『普通』の人間ではありませんので」
 確かに、界鏡の不可視の森に居ること自体、どう考えても、「普通」ではない。雪のように、人ならぬ身であるというならともかく、森村は、この聖域にいても、なお、いつもと変わった様子も無いのだ。二対の翼があるわけでも、ねじれた角があるわけでもない。
 彼は、やはり、どこをどう見ても、普通の人間だった。普通の人間であるはずなのに、森は、何かを警戒しているかのように、ひどく緊迫した空気を漂わせ、遠巻きに侵入者を眺めやっている。
「戻りましょう。雪さん。ここは、どうも、僕をあまり歓迎してくれてはいないようです」
 森村が、手を差し出す。
 雪が後ずさった。
「私……私、おかしいのです。貴方が、他の女の方と一緒にいるのを見た時、急に……」
 雪は胸を押さえた。あの時、不意に体の奥から沸き上がってきた黒い感情を思い起こすと、今でも体の震えが止まらない。頭の中が真っ白になり、景色も音も遠ざかるような、あの感覚。
 彼女は天使だから、人ならば、当たり前のように毎日晒されている負の気配に、あまりにも耐性が無かった。逃げ出すしか、我が身を守る術が思いつかなかったのだ。
 泣き方を、他の誰にも、教えてもらったことがなかった。我儘の言い方も、心の伝え方も、何ひとつ、教えてもらったことなどなかったのだ。
 生まれたての、子供のように……。

「戻りましょう。雪さん」

 森村が、一歩を進める。雪は彼に背を向けた。無言のままに、拒否したのだ。表に出るのが、怖かった。表に出たら、また、あの逞しい人間という種族の女たちに、森村が騒がれながら囲まれるのを、嫌でも視界に入れなければならなくなる。
「私……ああ、いや。こんなの……」
 幻の羽根が、震えた。ふわりと、何かが背中に触れてくる。躊躇いがちに回された、腕。抱き締める、というよりは、包み込む、という感覚に近かった。

「貴女が、泣き方を知らないように、僕も、昔から、謝り方が下手なんですよ」

 青年は、失敗というものを、経験したことがなかった。いつも、無難以上に、何でも簡単にこなしてしまうのが、森村だった。
 人と必要以上に深く関わったことも無い。淡々と、生きてきた。だからこそ、謝罪の言葉を、口にしたことがなかった。一言が、咄嗟には、出てこないのだ。
「貴女が、僕に、教えてください。こんな時、なんて言って、謝れば良いのか」
「森村さんは、悪くないです。何も……。謝らないでください」
「だけど、貴女が泣きそうな顔をしている限り、僕の中の罪悪感も、消えそうにないのですよ」
「そ、そんな言い方、ずるいです」
「そうですね。僕は、ずるい人間なのですよ」
 くすりと、森村が、笑う。何となく、つられて雪も笑った。
「戻りましょう。雪さん」
 魔術師の手を、今度は、天使も、拒まなかった。
 小さな子供たちがするように、遠慮がちに、手を繋ぐ。硝子の森の小道を歩く、硬質な足音にほとんど掻き消されるような小さな声で、ふと、森村が、呟いた。

 

「I am sorry. I don't hurt you again」



 笑っていてください。
 二度と、貴女を、傷つけたりはしませんから。





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東京怪談
2003年12月19日

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