▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『神舞 』
大神・総一郎2236)&御影・涼(1831)

【御影涼の憂鬱】

 御影本家筋においても、純血にあたる御影涼は、はっきり言って、多忙な身だ。
 大学生といえば暇と相場が決まっている昨今、彼が通うのは、その数少ない例外である、医学部。
 まだ学年が低いため、本格的な現場医療はさほど学んではいないものの、授業は悪夢のように詰まっているし、その進み具合もかなり早い。参考書の類は全部背負ったら肩が抜けるという膨大な量で、大学生にもかかわらず普通に宿題が出されるのだから、全く持って、始末に負えない学部である。
 それに加えて、探偵の手伝い!
 あの迷惑な探偵、人様を扱き使うことにいささかの良心の呵責もない。しかも、どうやら、探偵にとって涼は物事を頼みやすい人間らしく、あれやこれやと難事に駆り出してくれるのだ。
 おかしな化け物と戦わされたのも一度や二度の話ではないし、とても声を大にして言えないようなトラブルに見舞われたことも、数多ある。そのトラブルの数々にはあえて目を瞑るとしても、よく自分は五体満足で生きているな、と、最近、特にしみじみと考えてしまう涼なのであった。
 ちなみに、この人の良すぎる御影の主様、ここで別に腹も立てず、まぁ、あの人も色々と大変だし、と慈悲深く解釈してしまうから、余計な仕事を押っつけられることになっているという事実に、まるで気づいていなかったりもする。

 忙しい時間を縫って、魔法のように暇を作っては、涼は、ちょくちょく分家の大神家に顔を出す。
 どこかの推理小説のように、本家と分家の仲が悪いということは、御影の場合、当てはまらない。
 涼は二人の従兄弟が好きだった。従兄弟ではなく、本物の同母兄弟のようにも感じている。弟の方は、同い年だから、さながら親友のように。兄の方は、六歳も離れているから、まるで尊師のように。
 大神家は、涼にとっては、すこぶる居心地の良い場所だった。それは、今までも、これからも、決して変わることがないと、確信している。

「俺も鬼龍の里に行きたかった」
 総一郎の話を聞いた途端、涼の口から発せられた言葉が、それだった。
 ほんの少し膨れっ面にも見えるのは、拗ねているせいだろう。
 日本各地に祭りは多いが、あれほど神が間近にあるものも珍しい。その力は、はっきりと目に見える形で、里を覆う。里を守る。
 里から帰ってきてから此方、未だ、総一郎の中に、神の残滓が残っていた。耳を澄ませば、遠くに聞こえる。目を瞑れば、鮮やかに蘇る。
 鬼の声。龍の姿。彼らを呼ぶ唄。彼らが愛でる、幻の光景。
 
「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」

「俺も、鬼龍の里に行きたかった」
 総一郎にあたっても仕方ないのは、わかっている。だが、どうしても、兄代わりの青年の顔を見ていると、ついつい不満が口をついて出てしまうのだ。
 涼にとって、総一郎は、ただ一人、安心して我が儘を言える人間だった。御影の直系として、常に自覚と緊張を強いられる涼には、芯から心休まる場所は、数えるほどしか存在しない。
「俺だって、古武術は学んでいるし、やれと言われれば、たぶん出来るよ。神を降ろすことは無理だけど……舞は出来る。俺を呼んでくれれば良かったのに」
「では舞うか?」
 事も無げにさらりと言って、総一郎がソファから立ち上がる。居間を横切り座敷に行くと、床の間の片隅に置いてある小さな鈴を、手に取った。
「これは、鬼龍の里で、実際に我々が身につけた鈴だ。鬼龍に捧げた、無音の神舞。お前も、舞ってみるといい」
 涼が驚いた顔をする。
「ここで?」
「そう。ここで」
「でも、ここには、鬼も龍もいない」
「居ると信じれば、そこに居る。在れと望めば、そこに在る。神とはそういう存在だ。鬼と龍の声は、この世の何処にいても、届かぬことはないだろう」
「俺にも……聞こえる?」
 聞こえるはずだ、という返答こそを、涼は、期待していた。だが、総一郎は、虚言や世辞を何よりも嫌う。彼はいつも真実しか口にしないのだ。常に穏やかな立ち振る舞いを顕しつつも、その根底には、容易には覆しがたい一本の芯が通っている。

「お前次第だ。涼。それは、俺が答えるべきことではない」





【神舞】

 能の大家、大神家の本宅には、能舞台が複数用意されている。
 ほとんどが、主に弟子たちが使用する、練習のための場だ。誰でも自由に出入り出来る代わりに、大した設備もなく、特に目に付く造りをしている訳でもない。
 その中で、今回、普段は封印されている離れの舞台を、総一郎は演舞の場として選んだ。涼でさえも、そこには数えるほどしか足を踏み入れたことはない。
 舞台は総檜造りで、建てられてから、少なくとも五百年は経過していた。改築増築を繰り返す大神邸でも、一、二を争う古さであり、国宝級と言っても過言ではない、それ自体が素晴らしい文化財である。
 磨き抜かれた家具のような、飴色の床の上に、素足で立つ。
 白袴を身に纏い、霊刀を召喚する。鈴を、その柄に結びつけた。わずかに動いただけでも、りん、と涼しい音色が堂内に響く。
「神舞……。俺に、出来るだろうか」
 剣術の練習を怠ったことはない。だが、舞は久しぶりだった。幼い頃の記憶を呼び起こしながら、動く。また、鈴が、鳴った。
「…………っ!」
 自分が望まないときに、鈴が鳴る。耳障りな音を立てる。鈴の音を立てまいとして、演技がぎこちなくなっていた。太刀を握る掌も汗ばんで、ともすると刃を振り落としそうになる。
「違う。こんなんじゃない。これは、神舞なんかじゃない」
 どこがどう違うのか、正直、涼には正確なところはわからない。だが、鏡に映った自分を見なくとも、それが神舞などではないという事実だけは、嫌と言うほど、よくわかった。
 頭で思い描いているように、体が動かない。鈴の音が、邪魔をする。鈴の音が、恐ろしくさえ、感じる。焦らせるように。急き立てるように。

「お前は、昔から、実践の中でこそ、その真価を発揮したな」

 涼一人の神舞に、不意に、総一郎が加わった。
 合図としての鈴が鳴る。閃いた太刀が、涼の眉間を叩き割る寸前で、ぴたりと止まる。ゆるやかに風が流れた。衣擦れの音と、鈴の音が、それに続く。古い舞台の上を歩く軋み音は、決して立てない。総一郎が、涼の目には、一瞬、人ならぬもののように、見えた。
「自らが人であることを、忘れよ」
 神舞は無心より生まれ、無音に続く。何かの執着を見せている限り、醜怪な人の気配は捨てきれるものではない。
 考えるな、と、涼は自らに言い聞かせた。
 何も考える必要などないのだ。ただ、総一郎に従えばいい。ついて行けばいい。影のように、木霊のように、追いかける。
 
「冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉つをば 取りてそ偲ふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし」

 唄が聞こえた。今まで、一度も聞いたことがないのに、確かな現実の重みを伴って、涼の心の中に入り込んでくる。
 素足に触れる、春秋の草。鼻孔をくすぐる、匂い立つ土の香。鬼龍の里の景色が見える。人が、いつかどこかで思い描くという、懐かしい幻想風景。
「体が……軽い」
 肉体という、重苦しい入れ物を捨て去って、剥き出しの魂のみになった感覚。何もかもが研ぎ澄まされて、あらゆるものを知覚できる。狭い箱庭に過ぎない現実世界を、遥か眼下に眺めやる。

 ああ……………そうだ。間違いない。
 きっと、これこそが、鬼と龍の見ている風景。



 神の眼。



 しゃん、と、鈴が鳴った。一際高く。一際強く。
 その音に、はっと涼が正気づく。彼岸の向こうを覗いたような、不思議な気配が消えうせると、途端、凄まじいまでの疲労感が押し寄せてきた。滞っていた血の流れが、一気に逆流するような、その苦痛。
 太刀を消して、膝を付く。息をすることさえも、止めてしまっていたのだろうか。酸素が怒涛のように肺に押し寄せてきて、涼は激しく咳き込んだ。頭を振り、まだ霞かかっている自らを、叱咤する。
 自分が人であるという感覚が、長い長い時間を経て、ようやく戻ってきた。足に、腕に、力が満ちる。
「……見えたのか?」
 兄代わりの青年が、問いかける。
 涼は、思わず掌で口を覆った。
「わからない……でも」
「でも?」
「何か、感じた……」
「何を?」
「俺自身が、何かに、同化した……何かに、なった」
「神に?」
「わからない」
 いいや、そんなはずはない。涼は首を振った。神になる? そんな事が、起こりえるはずがない。涼は神官でも巫女でもないのだ。神降ろしの力など、彼には、そもそも存在しない。
「気のせい……だ」
 不快な塊を、無理やりに飲み込もうとしているような表情の涼に、総一郎が、諭すように言い渡した。
「自らの見たものを、感じたものを、否定するな。涼」
「……総兄?」
 差し出された手に、掴まった。のろのろと起き上がる。涼は慎重に辺りを見回した。そこには、当然、春の香も秋の色も無い。
「俺……」
 鬼の招喚。龍の降臨。そのいずれも、舞台上の何処にも、名残はない。神舞は失敗したのだろうと、涼は考えた。あるいは、無意識のうちに発現しかけていた己の力の大きさに、恐怖を覚えたのかもしれない。
 神とは、律。神とは、法則。森羅万象を司るもの。
 涼は、大きな宿命を自ら望んだことは、一度も無い。平凡こそが、至高の宝だと思っている。有り触れた日常が好きで、穏やかな会話に安堵する。
 彼は、呆れるほどに、普通の人間だったのだ。神の力の体現など、彼にとっては、迷惑事か、厄介物の、何れかでしかなかった。



「涼。お前は……………お前こそが、御影だ。お前は、あらゆる事象をその身に取り込む。それは、神ですらも、例外ではないはずだ」



 総一郎が、ある一点を、指し示す。
 そこに視線を動かして、涼は息を呑んだ。



「花が」



 真冬の景色に同化して、ひっそりと花開くのは、白梅。
 剥き出しの土の地面には、緑の新芽が散っている。春の香気が、檜の舞台の上までも、漂ってきた。雪の中にあってもなお艶やかな白色が、真昼の陽光を浴びて、燦然と存在を主張する。
 春を愛でる龍神の声が、一瞬、確かに、聞こえたような気がした。

「我を召すは、天剣の使い手か」

 遠く、遠く、呼び声に応じて、遥か幻の地より、来てくれたのか。
 二度目に問いかける涼の声に、だが、答えてくれる声は、無かった。





【守りたいもの】

「なぁ。総兄。俺、来年こそは、鬼龍の里に、行ってみたいな」
「そうだな。来年は、三人で行くとしようか」
「来年こそは、総兄たちが二人で舞っているところを、見てみたい」
「弟に、伝えておこう。来年は、きっと、さらに素晴らしい神舞を、演じてくれるだろう」
「二人が舞った後でいいよ。俺も……それに加えてもらっても、いいかな」
「涼。これまでにも、何度も言ってきたが……。大神の兄弟に対し、遠慮は必要ない。俺には、弟が二人いると、そう思っている」
「総兄……」
 正確には、涼は、総一郎の上座だ。御影本家の、生粋。仕えるべき対象であり、敬うべき主人なのだ。
 むろん、そのことを、総一郎は忘れたことはない。全力を持って守ると、自らの霊剣に誓った覚えもある。
 だが、一方で、総一郎には、涼の望むものが、痛いほどによくわかった。
 彼が欲しいのは、従順な家来などではなく、信頼できる家族だ。温かい手を差し出してくれる人、厳しくも優しい言葉をかけてくれる人なのだ。その役目を担うことが出来るのは、今のところ、総一郎をおいて他にはない。
「俺、まだまだ総兄にはかなわないけど……。俺こそが御影だから、いつかは、総兄を、越えて見せるよ」
 超えなければならないのだ。御影が、大神より劣っているなどということは、あってはならない。
「御影だから……か」
 御影だから、涼を守りたかったわけではない。正直、そんな盲目的な随従は、総一郎には、無い。
 涼が涼だから守るのだ。それ以外に、理由など存在しない。「涼」という人間が初めにいて、その後に「御影」の名が続く。彼ならばと信じた人間が、たまたま御影だったのだ。その幸運に、心から感謝せずにはいられない。

「お前はお前だ。涼。お前が御影の血筋であるや否やは、正直、俺には、さほどの価値も無いことだ」

 だから大神の家は居心地が良いのだろうと、涼は思う。
 御影の中にありながら、ここでは、御影であることを、強要されない。
 お前はお前だと、認めてくれる友がいる。

「来年は、三人で、演じて見せよう。神舞を……」

 白梅が、待っているとでも言いたげに、凪の中に揺れたことに、涼と総一郎は、気付いたのか、気付かなかったのか……。





PCシチュエーションノベル(ツイン) -
ソラノ クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月19日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.