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『BOOZER 』
真柴・尚道2158


 ある日の草間興信所。
 のほほんとした時間が流れていた。
 ………………閑古鳥が鳴いているとも言う。
 そして本日も何も無いまま一日終わりそうだ。そろそろ日も落ちかかっている。
 …怪奇事件なら幾つかあるが…やはり普通の依頼は来ない。
 はぁ、と興信所所長、草間武彦は本日何度目になるかわからない溜息を吐いた。

 そんな中、来訪したのは真柴尚道。
 百九十にもなる長身に、足許までもあるウェーブのかかった長い長い黒髪、そして切れ長の黒い瞳。
 そしてその…服に、バンダナ。
 他の誰ともそうそう間違いようの無い外見。
「…今日も仕事無かったんすか、草間さん」
「…まぁな。他の連中に頼んである――他の連中にじゃなきゃ頼めない類の仕事なら幾つかあるんだがな…」
 つまり、真っ当な事件では無く怪奇事件。
 現在、草間興信所では調査中の仕事が二件程。
 …ちなみに今尚道が届けに来た報告書で、依頼の一件だけは完了した事になる。
「…一度イイ結果が出ちまえば次が来るのは仕方無いんじゃないっすかね。どうやら昨今の東京、怪奇事件が多いようですし。こちら、先鞭を付けたようなところがあるって聞きましたけど?」
 一般の方が頼るのにいきなり『その筋』の専門家のところへは行き難いし伝手も無い、だが門構えは『単なる興信所』となればまだ声を掛け易い、と。
 即ち、『その筋』への体の良い繋ぎ役になっている部分がある。
 …そしてそんな一般社会から考えれば胡散臭い役割を平気で果たし始めるようになったのは――当然の如く他の仕事がロクに無かったからである。
 自分の営業の仕方がまずいのだろうか…。
 草間は思わずそこまで考え、嘆息。
 そしてふと、何かを思い付いたように尚道を見上げる。
 で、おもむろに。
「…なぁ、真柴、これから空いてるか?」
「ええまあ。今の報告書で今日の仕事は終わりですが」
「だったら付き合え」
「…はい?」


■■■


 と、殆ど問答無用で唐突に草間に連れて来られたのは酒場。
 何やらあまり目立たない店である。
 確か看板には『暁闇』とあった。
 …中にはあまり客は居ない。ボックス席の方にふたり居る程度のよう。
 カウンターの中にもふたり――こちらは店員。
 いらっしゃいませと声を掛けられる。
 が、何故か――特に草間の姿を確認するなり、カウンターの中に入る片方――年嵩のマスターらしい男の方がその時点で何やら作り始めた。
 そして、もうひとりの雇われバーテンダーらしい男の方が、当然の如くカウンターのスツールに陣取ったふたりにオーダーを取りに来る。
 草間は何も言わない様子。
 なので尚道が先にオーダーを入れた。
「もしあったらズブロッカ貰いたいんだけど。無かったら何でも良いから強めのをストレートで」
「…ズブロッカ、ですか」
 尚道のオーダーにバーテンダーは暫し考え込む。そして少々お待ち下さい、と告げ、奥へ引っ込んだ。が、程無く戻って来る。…その手には細く伸びた野草の茎がそのまま中に封入されている、ズブロッカのボトルがあった。
「奥の冷凍庫に置いてました」
「お、あるのか。嬉しいね」
「…あまり頼む方もいらっしゃらないもので、少し記憶が遠くなっていました。申し訳無い」
 苦笑しつつ告げながら冷やしたグラスを取り出し置くと、バーテンダーはボトルの中身を静かにグラスに注ぐ。
 と、同じ頃、マスターの方から草間の前に無言のままグラスが差し出されていた。
「有難う」
「…って何も言わなくても出て来るんすか」
 ちょっと吃驚したような尚道の顔と声に、草間は自分の前に置かれたグラス――ギムレットを少し持ち上げ、小さく笑う。
 と、尚道のズブロッカのグラスも差し出されていた。
「まぁな。…ところでお前のそれって確か…ウォッカの類、だったか?」
「ま、そうですね。えぇっと…バイソングラス、と言うより素直にズブロッカ草って言った方が通りが良いですか…ま、そんな野草で味と薫りを付けてあるだけのウォッカ…っつやそうですんで。でもこの薫り自体が癖強いんで結構好みは分かれると」
 名前だけは結構有名だと思いますが。
「…どうも酒飲みの酒って印象が強いんだがな」
「安上がりで度数は強いっすからね」
 草間の科白に、にや、と笑いつつ、尚道は自分の前に置かれたズブロッカのグラスを引き寄せる。
「でも俺はこの味も好きなんですが。…取り敢えず水割りにされるのだけは勘弁ですがね」
「ああ…そう言えば酒の水割りは『人の道を外れている』、って言われる場合もあったな、何処ぞの国の酒飲みなんかの間では」
「…それちょっと同感かもしれません」
「日本じゃ水割りは多いがな」
「だからさすがにそこまでは言いませんけどね」
 苦笑しつつ、尚道。
 そして無造作にグラスを傾ける。
 …傾ける。
 ………………静かに、さりげなく飲んでいるように見えるが――ピッチが、早い。
「…」
 無言で尚道の飲みっぷりを見る草間。
 グラスを傾けている途中で気付き、尚道は、ん? と草間を見返した。
「どうかしました?」
「いや、…さすがに強いなと思ってな」
「ま、強いこた強いっすよ…でも」
 ………………実は初めて酒飲んだのって一年くらい前なだけなんっすよね。
 ついでのように吐かれた尚道のその科白に、草間は何? と自分の耳が信じられなかったのか問い返した。
 それは尚道は二十一歳、日本の法律を守るなら飲酒は一年前からで当然である。
 が、それもまた尚道の容姿からしてなのか…自分を顧たり未成年の飲酒事情を考えた故でなのか、それ以前に酒を飲んだ事が無い、とは草間でも思わなかった模様。
 けれど、実際に嘘ではない。
 尚道の飲酒歴は本当に、そのくらいなのだ。
 しかも――成り行きで飲み比べになったんすよね、と続く。
 草間は正直、呆れた。
「………………何がどうして酒を飲んだ事の無い人間が酒の飲み比べをする羽目になるんだ?」
「…えーと」
 それには少々複雑な理由がある。
 …ってか簡単に言うなら、実際に酒飲ませてみたら俺が異様に強い事が判明して飲ませた方が意地になってたってだけなんだけど。
 ぼやきつつ、あ、とカウンターの中に居るバーテンダーを見上げた。
「…おかわり貰えるかな」
「かしこまりました」
 静かに目礼すると、カウンターの内に居るバーテンダーは再びグラスを出し、今度は手前のフリーザーに入れ直してあったズブロッカを出して注ぐ。
 流れるように尚道の前に滑らされた。
 草間は自分のグラスを傾けている。
 尚道は再び冷たいグラスを受け取りつつ、ぽつりぽつりと話し出した。
「あれは…ボディーガードの仕事の後だったんだよなぁ…」


■■■


 それは一年程前の事。


「よくやってくれたな、御苦労さん」
 と、労いの言葉を掛けてきたのはその時の、ボディーガードの仕事の依頼人。
 …予想通りと言うか何と言うか、結果的には少々荒事になって終わった仕事であった。
 とは言え、肝心の護衛対象は完全に無傷で済ませてある。
 故の労いの言葉だ。
「くぅっ…酒でも飲んでぱーっとやりたい気分だねえ…そうだ、どうだいあんちゃん、ひとつ飲みに行かねえか」
「え?」
「見たとこ、行けるクチなんだろ?」
 にや、と笑いつつ依頼人の旦那。
 が、尚道は目を瞬かせるのみ。
「…俺…酒飲んだ事無いんっすけど」
「ほぉ。だったら余計だ。いっちょ飲んでみようじゃねえか」
「…はい?」
「礼だ。奢るぜ」
「…あの?」
「酒だ酒。一度潰れるまで飲ってみろって」
 尚道の背を豪快にばんばんと叩くその依頼人の旦那は…かっかっかっと豪快に笑っていた。

 そしてほぼ問答無用で酒場に連行。
 いつものを、とだけ店に声を掛けると、無色透明の液体が入れられたグラスがふたりの前に出されている。
 ほらほら、と煽られる。
 確かに酒と言うものへの興味も元々ある事はあったので、尚道は煽られるままグラスに口を付けた。
 …面白そうな顔をしている依頼人の旦那が見守る中で。
 味わう。
 冷たいけど熱い、と言うか…何かパンチの効いた味がする――これがアルコールか。
 で、何処か草っぽい?
 少し口に含んで考えてから、次に尚道はいきなりグラスの中身を呷った。
 そして、ぷはー、と幸せそうに息を吐く。
 と、依頼人の旦那は目を丸くしていた。
「…おいおい…大丈夫か?」
「? …はい大丈夫っすけど?」
 尚道はよく意味がわからず要領を得ないまま返答。
 そして暫くグラスを見詰めた後、おずおずと切り出した。
「あの…」
「ん?」
「おかわり貰ってもいいっすか?」
「…」
 依頼人の旦那は複雑そうな顔で尚道を見た。

 そんなこんなで暫し後。
 尚道が頼むと同時に依頼人の旦那も同様の酒を頼み、いつの間にやら飲み比べ。
 …とは言え、尚道の方にはその時点では…その自覚は無い。

 干されたグラスが、がんっ、と乱暴にテーブル上に置かれる。
「てめぇ…なんっでそこまで…」
 じろっ、と睨めつけてくる依頼人の旦那の視線を知りつつも、尚道はきょとんとした顔で空のグラスを見下ろしている。…ちなみに――何杯目だか最早言いたくないと言うかその場に居なかった人には具体的な数は内緒。ただ、空いたグラスを考えると…取り敢えず依頼人の旦那の優に倍は、尚道は酒を飲んでいる――と見て間違いない。
「酒って美味いもんだったんっすねー…」
 酒ってこーいうものなのか、と尚道はしみじみ感動。
 その態度に依頼人の旦那は、今度はその自分の手で、ばん、と派手にテーブルの上を叩いた。
 …その音で旦那の顔を見返すと、据わった瞳が尚道をじーっと見ている。
 今更気付いたが――この旦那、目許がほんのり…どころでなく赤い。
「…」
 尚道、一時停止。
「…今日初めて酒飲んだようなガキにこの俺様が負けられっかぁあああぁ!!!」
 旦那が叫ぶ。

 …困った。


 ちなみに後で知ったのだが…その時飲まされた無色透明の何処か草っぽい酒が、ズブロッカだったりする。


■■■


「…てな訳だったんすよ」
「…」
 複雑そうな顔をしつつ、尚道を見る草間。
「初めて酒飲んだ奴の態度じゃないな…」
 しかも初めての飲酒でズブロッカ勧められるって何…。
「…今になってみると俺もそー思います…」
 はぁ、と息を吐きつつ、尚道。
「…自覚あり…か。ま、気にせず今は飲むか」
「ところで草間さん」
「…どうした?」
「なんで俺をここに引っ張ってきたんです?」
「…居たからだ」
「はい?」
「たまたま酒に強そうなお前が興信所に居たからだ」
「…」
 それだけかい。
 尚道は思うがズブロッカにありつけたのはある意味幸運でもあるのであまり突付く気もしない。
 …この酒、癖が強く使い難い故か…置いてない店も多いのだ。
 二杯目をちびりちびりと傾けつつ、尚道は草間の様子を窺う。
 と、今度は草間がぽつりぽつりと呟くよう、話し出した。

 色々嫌になるとここに来る…。
 怪奇探偵の異名に悩む時…。
 …贅沢は言わん。ただ…せめて、もう少し普通の仕事をくれ…とな。
 ふ、と唇を歪めつつ、草間。
 酒は色々洗い流してくれるからな…。
 たまには吐かないと…やってられんよ…。
 言って、こちらはまだ一杯目の、ギムレットを傾けた。

「…ところで、俺の場合は…酒の席に付き合わせておきながら悪いが…奢る…とは言えん…」
 ふ、と遠い目になる草間。
「…色んな意味で無理しない方が良いっすよ。草間さん」
 尚道はそんな草間を見、苦笑した。
 ………………金銭面は言うまでも無く、その上に…どうやら、少々酔いが回って来ている様子なので。


【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
深海残月 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月16日

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