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『殿もメリークリスマス 』
賈・花霞1651


 12月も後半、歳も暮れて、風も身を切るように冷たい。
 賈花霞を切ることが出来るものは何もない。風など、何をか言わんや。
 しかし花霞は「ううう」と呻き、足取りもよろめいていた。彼女は冬の間、下校のときや友人の家から帰宅するときは、商店街の中を通って帰ることにしていた。賑やかな通りを歩けば、少しは寒さを忘れることが出来るというものだ。少し寄り道して店に入り、肉まんを買うのもいい。
 その冬の道が、いまの花霞にはつらくて、彼女は寒々とした通学路を素直に歩いているのだった。何故なら、正月にお年玉をもらうまでの間、彼女の財布は危機的な状況にあるからだった。1個88円の肉まんを買うことすらためらってしまうほど、彼女はいま貧乏だった。先日、予定外の買物をしてしまったためだ。4000円に翼がついて、そのまま戻ってこなかった。
 ――こうかいしてるわけじゃないんだよ、ほんとに。ほんとにこうかいしてるわけじゃ……。
 しと、しとしとしと……。
「う、う、ううううう」
 花霞は泣きたくなってきた。こういうとき、自分は本当についていないのだ。こんな、懐も身体も寒い日に、傘も持ってきていない日に、12月の雨に降られるとは。
「さいあくだよぉ……もう……」
 止む無く駆けこんだ先は、薄汚れた木造の家の軒先だった。トタンの屋根は錆びていて、壁は黒ずんでいた。だが、花霞は古いものが好きだ。彼女自身も、古いものであるためなのか――。
「このおうち……お店だったんだ。しらなかったぁ……」
 自分の不幸も忘れて、花霞は曇ったショーウインドウに手をかけた。ガラスはひんやりと冷たかったが、古き良き香りがした。中にあるものは、ほとんどガラクタと言って差し支えないものだった。古い柄のワンピース、小ぢんまりとした鍋、走るのかどうか怪しい自転車――
『これ、そこな姑娘!』
「わっ?!」
『儂を買え。買わんと首を刎ねるぞ!』
 白熊だ。
 薄汚れているように見えるのは、ガラスが曇っているからなのか、実際にその熊が汚れているからなのか。白熊のぬいぐるみは、でんとアンティーク調の椅子に座った。
『如何だ、この佇まい。天下に三つとおらぬであろう』
「あの、しろくまさん……」
『無礼者、殿と呼べ。おお、儂は湯に浸かりたいぞ。支度せい!』
「……」
 花霞は白熊のふてぶてしさに呆れるよりも先に、まず白熊の値札を見てしまった。
 1980円。
「……ごめんね、しろくまさん。花霞、いまお金ないの。ごめんね!」
『! あいや、待たんか!』
 走り出す花霞を見て、白熊が慌てて立ち上がり、追いかけようとして、ばいんとウインドウに阻まれた様子を――彼女は見ていない。
『ええい、猪口才な窓じゃ』
 ばふん、と白熊はショーウインドウを柔らかな拳で撲りつけた。それから、あるべき白熊のぬいぐるみの姿に戻った。でんと腰かけて、無言で窓の外を眺める――ぬいぐるみは、そうあるべき。
 花霞は寂しく降りしきる12月の雨の中、逃げるようにして走った。彼女はどこにも寄り道せずに、真っ直ぐ屋敷に帰ったのだった。


 花霞は風呂に入って身体を温め、乾いた服に着替えてから、いつもよりも早く帰宅していた兄に説明した。兄は冬の雨に打たれていた花霞を心配していて、電話をくれれば迎えをやったのにと、少し怒ってもいた。だが、花霞が話す事情を、真剣に聞いてくれた。
「でも、お金がないんじゃ……」
「そのぬいぐるみ、欲しいの?」
「よくわかんなくて……」
 花霞は、クリスマスツリーの下を見た。
 先日増えた仲間と、先日修繕に出した仲間がいる。茶色の熊と黒い熊の大柄なぬいぐるみだ。お揃いのサンタの服を着て、
「……あれ」
 正面を向いていたはずなのに、まるで動揺したかのように顔を見合わせているのだった。

 花霞ははじめ、夢を見ているのだと思った。
 だが、ぬいぐるみやらカボチャやらが喋りだして動き出す現象は彼女の周りでは至って珍しいことでもなく、自分をばふばふと叩き起こしたふたつの熊は、夢の中のものではないことをすぐに理解した。
「なあに? ……まだ4時だよぅ……」
『白い熊を見たそうじゃねえか』
 茶熊は高いテンションでまくし立てた。
『上背はどれくらいだった?』
 隻眼の黒熊がウーファーで凄んだ。
「茶いろのくまさんよりひとまわり小さかったよ。でも、たいどはすっごくおっきかった」
『『殿だ』』
 ふたつの熊は顔を見合わせ、呆然とした呟きを同時に漏らした。そして同時に身を乗り出してきた。
『その熊は我らの王、そして掛け替えのない従兄弟だ』
『綿を分けた従兄弟なんだよ。で、天下を取るお方だ』
「し、しんせき多いね……」
『まだいるんだぜ。青いのとか灰色のとか。人気があったのはこの俺たち三つだ』
『あんな態度だが殿は寂しがり屋でな』
『俺たちももう何年も会ってねえんだ。値段が手頃で、いちばん先に売れちまった』
 熊たちは漢としてみっともないと踏んでいるのか、あえて「引き取ってきてくれ」とは言わなかった。つぶらな瞳が物語っているだけだった。
 花霞は学習机の引き出しの奥から、小銭入れを取り出した。チャックを開けて、中から金を出す。小銭ばかりで2103円、それが今の彼女の全財産だった。
「1980円、しょうひぜい入れたら、ええと……」
『2079円だ』
『どうせ正月にはお年玉入るんだろ』
 それでも、熊たちは、「引き取ってきてくれ」とは言わなかった。目で語っていた。


 その日は晴れていて、薄い青の冬空が広がっていた。
 花霞の心の中には、雨が降っていた。雪よりもずっと冷たい雨だった。
 木造のリサイクルショップの入口には、『長い間ありがとう でも昨日で商売止めました』といった内容のお知らせが、達筆な手書きで張り紙にしたためられていた。
「ごめん」
 全財産が入った小銭入れを握りしめて、花霞は踵を返した。
「ごめんね、くまさん……」
 古いショーウインドウの向こうには、何もなかった。
 あの椅子も、鍋も、自転車も。


 サンタクロースは、日本の夜空を橇で馳せていった。
 12月25日の朝だ。
 24日はうんと騒いだ花霞も、目を覚ます。昨夜は楽しかった。クリスマスケーキの残りを食べて、学校に行かなければならない。皆で、クリスマスの夜のことを話すのだ。サンタクロースがくれたものについても話すだろう。
「む?」
 身体を起こした花霞が見たものは、靴下に片足を突っ込んでばふばふもがいているねずみ色の熊のぬいぐるみだった。
「あ!」
 否、ねずみ色ではなく、白い熊。汚れているのは、きっと煙突を通ってきたからだ。
「くまさん!」
 花霞は靴下にはまったままの白熊に抱きついた。煤でパジャマとシーツが汚れた。洗うこともそのときは考えなかった。
「きてくれたんだね!」
『ぐぬぅ、離せ……無礼者……』
「居間にいこ! いとこさんたち、きっとよろこぶよ!」
『従兄弟……ああ、そうか……やはりお主のもとに居ったのだな……』
「しってたの?」
『同じ綿を分けた一族。その気配を感ずるは容易いことよ』

「花! 花ー! おまえのプレゼント、居間に置いてあるよ!」

 靴下が白熊に占領されていたから、サンタクロースは居間に花霞へのプレゼントを置いていったらしいのだ。早起きの兄が見つけた。
 花霞は汚れた白い熊に微笑み、ご機嫌で抱き抱えた。
「いまいくー!」
『おお、出陣じゃ!』
 白い熊が、花霞の腕の中で、もあもあした拳を振り上げた。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月15日

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