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『たった1つの 花 』
氷川・笑也2268

 愚かであった頃の自分を、10年以上経過した今ですら、鮮明に思い出すことができる。
 頭を撫でてくれた父の手の温かさ。
 羨望と嫉妬をたたえた兄の瞳。
 そしていつも、心配そうに私を眺めていた母の顔。たしなめの声。
(そのすべてを思い出す時)
 私は5つへと返る――



 その頃の私は、既に退魔師としての舞を覚えていて、小さな瘴気程度ならば十分に浄化できるようになっていた。
 父の指定した場所へ出かけては、持ち前の度胸と力で瘴気を退け、得意顔で帰宅する日々だった。
「よくやったなぁ、笑也」
 自分の才能を色濃く受け継いだ私を、父はいつも手放しに褒め。膝の上に乗せては、嬉しそうに私の頭を撫でてくれた。それを遠くから見守る、10も歳の離れた兄と比べながら。
(兄は――凡人だった)
 当時の私から見ても、そう思う。
 そんな兄でも、母は私と同じように接し、増長した私にはそれが不満でならなかった。
(ぼくをもっとほめてよ)
 1人でやっつけて来たんだよ?
 けれど母の口から出る言葉は。
「まだ早いわ、笑也。実践をこなす前に、もっと基礎力をつけなさい」
「いい気になってはダメよ。相手だってあなたのように小さいのだから」
「お兄ちゃんみたいに、もう少し慎重になりなさい」
 私の力を認めようとしない、たしなめの言葉ばかりだった。
(今なら、わかる)
 母は私の力を認めていなかったのではなく、認めているからこそしっかりと地に足をつけて育って欲しかったのだろう。もっと強くなれる力があるのだから、努力を怠らずにいて欲しかったのだろう。
 しかし当時の私には届かなかった。天狗になり、父の言葉に舞い上がったまま。
(兄に味方する母)
 勝手にそんな図式を作り上げ、本当に私を心配してくれていた母を遠ざけていた。

     ★

 ある日のことだった。
 父は頼まれて、地方へと仕事に出かけていた。
 私は父がいない時、あまり舞いたいとは思わなかった。何故ならその頃の私はまだ、褒められることが嬉しくて舞っていたからだ。
(子供らしい感情)
 それにより人を助けられるからではなく、ただ褒められたい一心で。
 だから兄に誘われた時も、初めは行こうとは思わなかった。
「裏に封印されてる奴、やっつけてみないか?」
 封印されているのは、昔々に開いた穴だと聞いている。その穴からは瘴気が溢れ出し、魔物があちらの世界との通り道として使っていたのだと。そこでそれを石で封印し、その封印を守るために、ここに神社が建てられたのだ。そしてそこに住みそれを見守る役目を負っているのが、私たち退魔師の家系だった。
「ぼくは……やらない」
(お父さんもいないし)
 断った私に、兄が嘲りの言葉を投げる。
「なんだ、怖いのか? いつもはいい気になってるくせに」
「……なに?」
「それともよしよしと頭を撫でてくれる父さんがいないからか? いざとなったら助けてもらえるって保証がなきゃ、何もできないのかお前は」
「! そんなことないもん……っ」
 そうして私たちは、裏にある封印石の所へと向かった。
 その時の兄が、一体何を考えていたのか。私はその心を、今でも正確に知ることができないでいる。
(ただ困らせたかった?)
 それとも――私がいなくなることを、望んでいたのだろうか。
 兄と2人で封印石を囲むと、ゆっくりと手を伸ばした。1人なら到底破ることのできない封印も、2人ならば――
(この穴消せたら、きっとお父さんよろこんでくれるよね?)
 帰ったら笑顔で、褒めてくれるよね?
 少しの罪悪感をそんな気持ちで抑えこんで、手の平に意識を集中した。



(なんで……?!)
 穴からは次々に、瘴気が流れ込んでくる。普通瘴気は目に見えないはずなのに、それはどす黒い色をしていた。それだけ強いのだ。
 舞っても舞っても、一向に収まる気配がない。それどころか強くなる一方だった。
(どうしよう……)
 このままじゃ、魔物たちが強い瘴気につられて集まってきてしまう。それにこの穴からも、出てくる可能性があるのだ。
(……もうどうしようも、ない)
 ガクンと、私は膝を折ってその場に座りこんだ。恐怖に立っていられなかったのだ。
(――お兄ちゃん……お兄ちゃんは?!)
 硬直した身体をなんとか動かして、辺りを見回す。兄は少し離れた位置にいて――チラリと、僕を振り返った。
「お兄ちゃんッ!」
 兄はそのまま逃げていった。立つこともできない私を置いて。
「……お兄…ちゃん……」
 こうしている間にも、どんどん瘴気が強まってくる。その篤さに息苦しくなるほど。
(ぼく、このまま死ぬんだろうか?)
 優しい笑顔の父の顔を思い浮かべた。
 しかし目に映っているのは――母の顔だ。
「――也、笑也! しっかりしなさいっ」
「……お母さん?」
 いつの間に来たのだろう。目の前には母がいた。
「あなたには才能がある。けれどそれに溺れてはダメ。奢れてはダメ」
「お母さんっ、瘴気が消えないんだ!」
「聞きなさい笑也。あなたの舞はまだ完全ではない。だってお父さんの真似でしかないんだもの」
「え……?」
「自分の舞を探しなさい。世界にたった1つの舞は、何よりも心を打つのです。――こんなふうに!」
 私から離れると、母は舞い始めた。あまり目にすることのなかった母の舞から、私は目をそらすことができない。
(なんて……)
 なんて力強く、それでいて優しい舞だろうか――。
 それは真の、浄化の舞であった。
 私は思わず近寄ろうとした。しかしそれを阻んだのは――ついに現れた魔物だ。
「?!」
 振り下ろされた鋭い爪を間一髪でよけたが、頬に鋭い痛みが走る。
 母が、私と魔物との間に割って入った。この世ならざるものに、この世ならざるような舞を見せながら。
「お母さんっ」
 しっかりと地に足をつけ、滑らかな足取りで魔物の攻撃をかわしながらも、母の舞は続いていた。辺りの瘴気は大分収まっていて、魔物も徐々に苦しそうな様子を見せ始める。
(もう少しだ……)
 もう少しで、美しい”花”が咲く。この世にたった1つの、母だけの”花”。
 ――しかし。
「お母さんッ?!」
 咲いたと同時に、その”花”はもぎ取られた。魔物の最後のあがきが、母の心臓を捉えたのだ。
 身体が崩れる。
 駆け寄り受け止めた身体は重く、私もそのまま崩れた。
 意識は既に、ない。
 瘴気も。
「――――っ」
 その時私は、どんな声もあげることができなかった。声だけじゃない。どんな表情も、つくることができなかった。
 裏切った兄。
 横たわる母。
(たった5つの私には)
 それはあまりに辛すぎる現実だった。



 それからの私は、あの瞬間から時が止まっているかのように、表情を出せなくなってしまった。
(出さないのではない)
 出せないのだ。
 感情はしっかりとここにあるのに、それが表に出ないためうまく人に伝わらなかった。
(心を閉ざした)
 他人との折り合いがうまくいかないのも、当然の結果だった。
(私の声は、まだ、届かない)
 きっと私がいつか。
 たった1つの”花”を、咲かせるまで――。





(終)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
伊塚和水 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月15日

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