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『Schnee 』
ケーナズ・ルクセンブルク1481)&イヴ・ソマリア(1548)

 周囲の空気がぐらりと歪み、その彎曲が収まった時には、先程までは何も無かった空間に、イヴが当たり前のような顔をしてそこに立っていた。彼女の空間操作能力の事は分かってはいるが、その能力を目の当たりにする度にケーナズは感心してしまう。そんな様子はおくびにも出さず、片手で軽くスカートの跳ねを直しているイヴの傍へと歩み寄り、その手を掬い上げると甲に軽く唇を押し当てた。
 「ようこそ、我が家へ。イヴはここに来るのは初めてだったか?」
 「お招きありがとう、ケーナズ、そうよ、わたしは初めてよ?あなたが、他の女の子を招待した事と混同しているなら知らないけど」
 くすりと笑ってそんな意地悪を言うイヴに、ケーナズは大袈裟に肩を竦めて眉尻を下げた。
 「失礼な、そんな、誰彼構わず実家に他人を呼ぶような男だと思っていたのか、イヴは」
 尤も、そう言葉を返してはいても、ケーナズもイヴの言葉が本心だとは露とも思っていないので、その言葉も態度もどこか芝居掛かっている。互いに笑い声を響かせて、片手を受け皿にしてイヴの華奢な手に添えたまま、イヴが現われた玄関先から奥のホールへと、大事な恋人をエスコートしていった。

 ここはケーナズの実家、今は彼の母が古城ホテルを営んでいる、正真正銘・中世の城である。有名なノイシュバンシュタイン城に佇まいは似ているが、あちらは建設が始まったのは一八六九年、つまりは然程古い建物ではない。が、こちらは実際に中世の時代に建てられたもので、一説に寄るとノイシュバンシュタイン城のモデルはこの城だ、等と言う噂まであった。勿論、建てられてからホテルとして利用する為の最低限の改築を除けば殆ど手も加えられていないので、当時の面影をそのままに残している。室内の装飾も華美と言う訳ではないが、質実剛健と言うか、美しさの中にも機能性が溢れている、ドイツ人の好みらしいものである。そのうえ今夜は城の内部は至る所がクリスマスの為の飾りつけで眩いばかりで、初めて見る光景にイヴは、先程から心臓が高鳴ってばかりいたのであった。

 それは彼女の表情にも現われていたのだろう、頬を紅潮させて緑の瞳を輝かせ、いつにも増して美しく華やかなイヴはケーナズの自慢の恋人だ。人の多い城内で、客と挨拶を交わす度に、客達の羨望の眼差しが楽しくてならない。イヴはと言えば、そんな視線には職業柄慣れっこなのか、至って当たり前のように振る舞っていたが、実際はクリスマスの浮き立つような陽気に、そこまで気が回ってなかっただけのようでもあった。

 城内はとても広く、一人で見物に行ったら確実に迷子になる程であったが、ケーナズの案内のお陰でさすがにその心配もなく、イヴは初めて触れる中世の息吹に浮かれっ放しである。何しろ、某テーマパークの某シンデレラ城のモデルになった、ノイシュバンシュタイン城、その城のモデルになったとも噂される古城なのである、優美で美しく、ロマンティックな事は間違いがなく、大抵の女性ならまるで自分がお姫様になったかのような錯覚をしてしまうだろう。しかも、そんな自分の傍らに居るのは、そのまま王子様役も十二分にこなせるだろう、美貌の青年である。イヴ自体も目を引く美少女であるし、今夜はいつにも増してお似合いな二人は、静かな城内を歩き、イヴはケーナズの説明に耳を傾けた。

 そんなケーナズが案内したのは、薄暗い中に幾つもの樽が並べられている、この城専用のワイナリーである。とは言え、その規模は普通に経営をしているワイナリーに全く引けを取らないほどに広大で設備も整っている。専属の職人も居るし、専用のぶどう畑もあるのだ。今夜のパーティででも勿論、ここで仕込んだワインが振る舞われる予定だ。
 ドイツワインは白が有名だが、赤ワインも勿論美味い。城からこのワイナリーまで、外を歩いて来たイヴの手は少し冷えてしまったようだった。(それだけ距離を歩かねばならないぐらい、広い敷地だと言う証拠でもあるが)ケーナズは職人の一人に耳打ちをして、マグカップを一つ持って来させる。それをイヴに手渡した。
 「……なぁに、これ?」
 「いいから飲んでごらん。身体が温まる」
 言われてイヴは、中にある深い赤ぶどう色の液体を啜る。ほんのりと甘く、少しだけスパイシーで爽やかな香りのする飲み物だった。ケーナズが言う通り、血行が良くなって白い頬にも薔薇色が戻ってくる。視線をケーナズに移し、イヴが目許で微笑んだ。
 「美味しいわ、コレ。何?」
 「グリューワイン。赤ワインにハチミツやシナモン、クローブ、レモンの皮などを入れて作るホットワインだ。まぁ、日本で言う所の卵酒みたいなものでもあるな。…温まるだろう?」
 ケーナズの視線に、少しだけ照れてイヴは、目許を赤く…ワインの所為ではなく、赤く染めて頷く。もう一口、とワインを口に含むと、ゆっくりとそのアルコールを喉へと下した。

 グリューワインのお陰で身体も暖まったか、次への目的地へ歩く間も、イヴは然程寒さを感じなくても済んだ。再度城内へ戻ったケーナズが彼女を案内したのは、石造りの重厚な階段を階下へ降りていく、そこは何と地下牢であった。
 地下牢と言う施設の持つ性質の所為か、そこはどこか陰惨な雰囲気をも漂わせていた。実際、中世の頃にはそう言った目的の為に使用されたのかも知れないが、その後は設備もそれなりに整えられ、電気も通ってただ恐怖を与える為だけの場所ではなくなった。だが、大人になったイヴでも、ここの雰囲気には薄ら寒さを感じてしまう。だとすれば子供なら尚更だっただろう。それをケーナズに告げると、彼は少しだけ苦笑いをして、イヴの耳元に唇を寄せた。
 「実はな…子供の頃、悪戯をするとここにお仕置きで閉じ込められたりしたものさ。君の言う通り、子供の頃は今以上に、この場所は怖くて怖くて仕方がなかった。明かりは電気だから、滅多な事では消えない筈だが、何故か風が吹くと消えてしまいそうでビクビクしてたりしてな。罰としてはかなり有効だったのだろうな」
 「…それは分かるような気がするけど…それ以前にわたし、思ったのだけど」
 何かを言い掛けるイヴに、その先を促してケーナズが首を傾げる。くすり、と悪戯な笑みを浮べてイヴが舌先を覗かせる。
 「ケーナズが、そんな罰を受けるような悪戯っ子だった、って事の方が意外だわ」

 今のケーナズは、クールでハンサムで、シニカルだけどとても優しい。そんな彼の幼い頃なんて、あまり想像が付かないと言えば付かなかったのだ。どんな人にでも子供の時代はあるとは言え。
 「……カワイイ」
 ふと漏らした、イヴの正直な感想に、さすがのケーナズも照れ臭そうだ。
 先程のイヴの感想を踏まえて、ケーナズは自室に戻ってから昔のアルバムをイヴに見せたのだった。最初は照れからか、見せる事を躊躇していたようだったが、イヴの可愛いオネダリにあっさりと負け、古びてはいるが綺麗に整理保管されていたアルバムを引っ張り出して来たのだった。そこに写っていたのは、少年時代のケーナズ。今とは雰囲気もまるで違う、悪戯っけ満々で舌先を覗かせた、短髪で見るからに元気一杯の少年。その金色の髪と青い瞳は、さすがに今のケーナズの面影そのままであったが、そのにこやかな笑顔は今のケーナズからは想像も付かない程に無邪気だった。
 「勿論、今のあなたが昔と比べて捻くれているって言ってる訳じゃないのよ?」
 「フォローしてくれなくても結構だ、イヴ。自分の事は自分が一番良く分かっているさ。私も、今更、あの頃のように戻りたいとは思ってはいない」
 そう言って視線を逸らすケーナズだったが、その態度がどこか拗ねているようにも見え、イヴは思わず可愛い、と口の中で呟いてしまう。そして、彼がそんな様子を無防備に見せるのは紛れもなく、恋人である自分の前だからである事にも気付いて、イヴは嬉しそうな、そしてどこか誇らしげな笑みを浮べるのであった。

 この広く充実した城には、先程のワイナリーに続いて教会も付属されており、勿論それはワイナリーと同じく、それ単独でも充分、文化的な遺産として認められる程の歴史と美しさと大きさを兼ね備えていた。クリスマスのミサもここで行われる為、今は急ピッチでその準備が進められている。慌ただしく人々が動き回るその場ではゆっくり話をする事もできず、ケーナズとイヴは、ミサ用の蝋燭を一本貰って、そのまま中庭の方へと歩いていった。
 磨き抜かれた銀製の燭台に立てられた一本の大きな白い蝋燭、それに火を灯して明かりとし、二人は教会と城との間にある中庭へと向かう。そこには本物のモミの木があり、当然今はクリスマスの飾りつけがなされているのだ。数多の樹齢を経た、大きなそのモミの木は、太く丈夫な枝を充分に張り巡らせ、色とりどりの電飾や飾り物をしっかりとその腕に抱えている。風が吹くと飾りが揺れて微かな音を立てさせるが、落ちるような気配はない。まるで、飾られたサンタや天使の人形達が、モミの木の枝に自らの意志でしがみ付いているかのように。
 ぴぅ、と音を立てて吹き荒さぶ北風に、思わずイヴが肩を竦める。どうしてか分からないが、冬の風は、いつも誰かに意地悪して吹いているように思える。そうでなければ、照れ屋同士の恋人達をくっつけようと画策しているかのように。だから、恋人同士ではあるが、決して過度の照れ屋ではないイヴとケーナズにとっては、ただの寒く冷たい風に過ぎなかった。
 白いブーツの踵が、きしきしと枯れた芝生を踏み締めながら歩いて行く。蝋燭の明かりだけを頼りにしているので、足元も心許なく、イヴは自然と視線は下向きに、そして片手が拠り所を求めてケーナズの袖を掴んで歩いていた。時折ケーナズの袖に寄り掛かって重みが掛かるのは、イヴが躓いているせいで、その度にケーナズは振り返ってはイヴの無事を確認していた。
 「……うわぁ」
 イヴが、感嘆の声を漏らす。遠目から見ていても充分綺麗だったクリスマスツリーは、真下から見上げると更にその華やかさが際立っていた。ツリーの大きさ故か、対比して電飾の光はとても小さく見え、まるでラメか何かを撒き散らしたかのようだ。そのツリーの向こう側には満天の星達。冬の澄んだ空気の中、小さな六等星までもはっきりとその瞬きが見えた。イヴには、クリスマスツリーの枝にその星までも飾り付けられているかのように見え、もう一度感嘆の溜め息を漏らす。その吐息が、外気に触れて白く煙った。
 「イヴ」
 ふと、ケーナズが名前を呼んだ。低く、囁くようなその声はイヴの音感を擽り、その心地好さに思わず浮かんだ笑みと共に、緑の瞳をそちらに向ける。すると、ケーナズ越しにも眩い天空の星達が見え、彼の金髪に小さな星達が掴まっているように見えた。見上げた恋人の顔、その青い瞳の中にも星が見え、いつの間に、あの空の星をこんな所に掴まえていたのかしら、そんな事をぼんやりと考えているイヴの視界が薄ぼんやりと暗くなった。
 「………」
 唇に触れた、雲よりも柔らかい感触。それがすっとさり気無く離れた直後、空から舞い降りた雪の欠け片がイヴの赤い唇の上にも降ってきた。それは触れた瞬間に一瞬にして溶け、消えて行く。きっとイヴの唇が、いつも以上に熱く火照っていたからであろう。

 クリスマスは凍てつく真冬のイベント、だけど他の何よりも、心を暖かくするイベントでもあった。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
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2003年12月15日

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