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『とある日の冬色情景 』
セレスティ・カーニンガム1883

 秘書が、倒れた。
 原因は、風邪という名の流行り病。休日だと言うのにも関わらず、上司の屋敷にまで来て仕事をやっているような秘書の事だ。しきりに休養を進める上司の言葉から隠れ、真夜中まで仕事をしていたに違いないと、その秘書の雇い主は、妙な確信を持っていた。
 人を呼び、空き部屋へと青年を運ばせ、寝かしつけさせ。それから、暫く。
「それにしても――ただの風邪とは言え、この機にゆっくりとお休みなさい。こういう時は、遠慮する必要はありませんよ」
 ベッドの上に寝かしつけられ、自分の不甲斐無さにか、はたまた他の事情にか、無駄にそれを表情には見せまいとしつつも不機嫌さを隠し切れないでいる秘書の青年に、
「日本という国には、そういう風潮があるようですが……いけ好きませんね。私としては、社員の皆さんにはもっと、有給を活用していただきたいのですが」
 日本人は働きすぎなんですよ、と付け加え、ベッド横の車椅子に背を預けた銀髪の青年は――セレスティ・カーニンガムは、穏かな微笑を部下へと向けていた。
 殆ど全ての光を失った海色の瞳は、その秘書の表情を捉える事こそできなかったものの、
「しかし――、」
「しかしもでもも、何もありません」
 彼の焦りや苛立ちの感覚を、色濃く心の内に捉えてはいる。感覚という名の、研ぎ澄まされた視覚によって。
 だからこそ、なおも渋り続ける秘書の動揺に、セレスはやわらかく、しかし断固たる声音でぴしゃりと言い切って見せた。
 先ほど、秘書の食べ残した林檎の一片をフォークの先に、そろそろ色が変わってきましたね、と甘く味わいながら、
「少し寝ていらっしゃる事です。私の方も、折角の休みですし、少し書斎に篭もらせて頂く事と致しましょう……その前に、もう一つ林檎を剥いていきましょうか? いくら食欲がなくとも、そのくらいでしたら、もう少し食べられるでしょうから」
「と――とんでもございません!」
 セレスの発言に、うっかりいつもの勢いで否定して飛び起きた秘書は、しかし起き上がった途端の頭痛に、あえなくシーツの海へと撃沈されてしまった。叫んだつもりが、ろくな声にもならない。
 休日に、それでも溜まった仕事を少しでも片付けようと、わざわざ上司の屋敷まで押しかけて来たというのに。
 よもやこうして、迷惑をかけてしまう事になろうとは……。
「そんな事……、」
「キミは心配性なようですからね。私にとって視覚の無い世界というのは、キミが考えている程過酷なものではないのですよ――ああ、それから一つ、前々から言おう言おうと思っていたのですけれどもね。キミ、わざわざ自分からお仕事を発掘して、全て請け負う必要などないんですよ? お仕事だけが、人生の全てではありませんしね」
 一人きりで寝かしつけておいてくれれば良いものを、あろうことかこの上司は、文庫本を片手に、どうやら秘書が目を覚ますまで、ずっと付き添っていてくれたらしいのだ。更にご丁寧に、林檎まで剥いて。
『林檎を食べたいだけで、一々人を呼ぶのも難だと思いましてね。それでふと、覚えてみたんです。林檎剥きを』
 そう言って微笑んだ上司の言葉が思い出される。確かにそうかも知れないが、度々この上司の、上の者としての異端的な態度には、
 本当、吃驚しちゃいますよ……。
 考えれば考えるほど感じられる自分の不甲斐無さに、秘書は重く溜息を付かざるを得なかった。


 ヨーロッパでの休養旅行が終わってから、暫くの時が過ぎ去っていた。日本の首都・東京も、夏とは又違った佇まいで、人々の生活の営みを見つめ続けている。
 旅行から帰って来たばかりの頃は、随分と様変わりしてしまったのですね、と、軽く感傷に浸る事もできたのだが、
 ……それにしても、やはり寒いですね。
 ここ最近の冷え込みに、ついに先日、カーニンガム邸のエアコン暖房にも炎が灯った。
 急速に冬へと飲み込まれつつある、大都会の世界。
 書斎に入るなり、セレスはまず電気を点し、そのまま机の方へと車椅子を向わせた。そこから振り返り、光を反響させる硝子の方を、仰ぎ見る。
 その先には、寒空の色が広がっているはずであった。
 ふ、と聞えて来た風の音に、北界からの言葉が、重なるかのようで。
 ――雪の声、ですか。
 どこか懐かしいものです、と、ふと自然と、セレスの表情が綻びを見せる。現実には、セレスには必要のないであろう灯火が、しかしその心に、蝋燭の光のようなほんのりとした暖かさを与えていた。
 東京の初雪は、一体いつになると言うのだろうか。水の結晶の舞い降りる、あの瞬間は一体いつになると言うのだろうか――。
「まぁ、東京の雪ですからね。たかが知れては、いるのですけれど」
 それでもやはり、一年に一度程は、雪の世界を見ておきたい――否、感じておきたい。
 ふとそんな事を思いながら、セレスは再び、車椅子をくるりと回転させた。ランプから遠ざかり、闇の深くなれば深くなるほど、周囲を取り囲む書物の数が増えてゆく。
 書物は、黙するばかりで何かを教えてくれるものではない。むしろ書物は学ぶ為にあるものなのだとそう気が付いたのは、果して一体、今から何年前の話であっただろうか。
 気が遠くなるほどの歳月を振り返りながら、それでも尽きぬ規則正しい書物の山に、セレスは更に、ハンドリムを握るその手に力を込める。
 ゆっくりゆっくりと、自分を呼ぶ書物の声に、耳を傾けながら。

 ――ところが。
『おじさんのイジワル! いいもん! あの駄目秘書一号に遊んでもらうから!』
 セレスが目ぼしい本を見つけて暫く、書斎に通じる扉の前は、どうしてかやたらと姦しくなっていた。
 勿論、その原因は良くわかる。カーニンガム邸の蔵書管理を一手に引き受ける小さな少女――本の精霊にして居座り使用人の彼女が、遊び相手欲しさにぶーたれている事に、まず間違いは無いのだから。
 扉の向こうで、少女が覚えたばかりのあかんべーをしている事が良くわかる。セレスの方も決して無視をしている訳でもないのだが、実際の所間合いを見失い、出て生き辛くなっていたのだ。
 扉越しの少女は、とにかく良く喋る。しかも生まれが物語の世界だけあってか、彼女の話には興味深い部分も多く含まれていた。その内、返事も出来ずに聞き入る内に、
 ……いつの間にか、少女は怒り出してしまっていた。
 しかし今更どうにも出来ず――もう一つ付け加えるなれば、実は放っておくと後が楽しくなるであろう事を知っていただけなのだが――セレスはおとなしく、机に向って本を開き始めた。
 書物自身の意思を汲み取るかのようにして、その世界に、触れる。
 と――、
『オコモリおじさんぶーくぶくー♪』
 不意に、少女お得意の即興曲が聞えて来た。今にも寒外へと飛び出して行きそうなほどの明るい声音が、厚い扉ももろともせずに、セレスの耳へと良く聞えてくる。
 ……それから暫く、少女が次ぎの歌詞でも考えているのか、しん、と辺りに沈黙が舞い降りた。
 その間にセレスは、五、六、と次々とページを読み込んで行く。
 束の間の、静かな思考時間。
 しかしやはり、それも長くは許されなかった。
『た〜るのよーにごーろごろー♪ あるけないからヨコかいてんっ♪ くるくるくるりとまーわーるー♪』
 ようやく思いついた! と言わんばかりの滅茶苦茶な歌詞に、
 ……そろそろ、ですかね。
 また一ページ本を捲りながら、ふ、とセレスは活字から意識を離した。とある予想に、机に肘を付き、頬を載せる。
 時計を、見やった。
 一、二、三、四――、
 あと十一秒。
 五、六、七――……、
『ごろりごろりとメをまわして〜♪ さながらそのスガタはコロガるはむそーせーじー!』
 十三、十四、
 十五。
 セレスが心の中で呟いた途端、
『いーの?! おじさんっ! はむそーせーじなんて、そんなのになりたくないでしょ?! ねー、あそぼー……むぐっ?!』
 案の定どたばたと、扉の前に騒がしい足音が慌てて駆け寄ってきた。その足音が一番明瞭に響き渡った地点で立ち止まったと思うや否や、途端、今度は、少女の言葉がふっつりと打ち消される。
「……おやおや、」
 現れる間合いも、申し分ない。あまりにも予想通りな展開に、セレスは自然と微笑を浮かべてしまう。
 本にしおりを挟み、耳を澄ませる。
 大きな木の扉を通り越し、それでもはっきりと聞えてくるその声音の主は、
『しっ! 何を仰っているのですっ?! 総帥に何たるご無礼を!』
 間違いなく、風邪で寝込んでいるはずの――否、セレスに無理やり寝かしつけられたはずの、仕事熱心なあの秘書であった。
 ――少女曰くの、駄目秘書一号。セレスにしての、良くできる、しかし少々御節介な青年秘書。
 秘書が慌てて少女の口を塞いだのか、少女の言葉は不明瞭なうめき声へと変わっている。
『むぐー! むっ!』
『噛み付かないで下さいっ! あたっ?! 痛いじゃないですかっ!』
『つはっ! ナニよー駄目秘書っ! セッカクおじさんに、クリスマスプレゼントのお歌を歌ってたのにー!』
『何がクリスマスプレゼントですかっ! まだ早いじゃないですか! それに! 総帥は読書をなさっているんですよ! 貴女、少しは静かに――!』
『えぇっ?! だっておじさんいってたよー! たべてばっかでうんどーしないと、ぶーくぶくのぷくぷくりんりんになっちゃんだって!』
『そういう事を申し上げているのではございません!』
 静かにしろ、と諭しつつも、自分がそのうるささに加担している事には気がついてないのか、秘書は咳き込みながらもさらに声を張り上げる。
『とにかく! 向こうへ参りましょう! セレスティ様に迷惑です! それに……おじさんはいけないと、何度申し上げたら、』
『おじさんは、おじさんでいーっていってたもん!』
 勿論セレスには、そのような事を言った記憶などあるはずもない。逆を言えば、おじさんと呼ぶな、と言った記憶もないのだが。
『やだー! おじさん、遊ぼうよー! ヘンタイ秘書一号が可愛い美少女をさらう〜! きゃー、王子様〜、たーすーけーてー!』
『いけませんっ! 暴れないで下さいっ! と申しますか、いい加減にして下さりませんと風邪、うつしますよ?!』
『あたしは本の精霊さんだからカゼなんてうつんないもーんだ。べー。ふんっ! きゃー! たーすーけーてー!』
 そうこうしているうちに、あっという間に秘書の堰と少女の演技染みた叫び声とが遠ざかって行った。
 しおりに長い指先を添えたままで会話を聞いていたセレスは、ふぅ、とどこか呆れるような、同時にどこか暖かい溜息を付いていた。
 ――考えてみるに。
 最近のカーニンガム邸は、いつでもこうであるような気がする。
 ……少し変わった使用人を、増やしすぎてしまいましたかね?
 ここ数年で随分と賑やかになった周囲に、しかしどうしてか、悪い気はしなかった。
 それがどうしてなのかは、セレスにも良くわからない。わからないのだが――。
「もしかして、読書にももう、飽きてしまった――ですとか?」
 ありえるはずのない自問に、苦笑する。ほんの一瞬の出来事に、しかし色々と考えをめぐらせてから、やがてセレスは、再び先ほど読んでいた本へと手をかけるのだった。


 その夜。
 寝支度を始めたセレスの部屋に、どう使用人の目を掻い潜って来たのか、ドアノックの音が響き渡った。
 セレスは、車椅子からベッドの上へと乗り換えようとしたその手を止め、椅子の上へと座り直すと、ゆっくりと車を扉の方へと走らせる。
 悪い雰囲気を感じなかった事を理由に、無用心にも確認も取らず、扉の鍵を開ける。
 ――それとほぼ時を同じくして、扉が、音を立てて開いた。
「おじさんっ!」
「……おや、もうてっきり、眠っていらっしゃるのだとばっかり思っていましたよ」
 愛らしい少女の声音は、夕方即興曲をプレゼントしてくれた、あの少女のものであった。しかしその声が聞こえると同時に、不意に胸元に、暖かいものが飛び込んで来る。驚きのあまりに、セレスの薄い光の世界しか知らない瞳が、大きく見開かれた。
「どうしたのです?」
 突然抱きついてきた少女に、どうして良いのかもわからぬまま、セレスは少女の言葉の次ぎを待つ。
 やがて、震える少女が顔を上げた。
「……ゆうがたは、ごめんなさい」
「どうしたんです? オバケでも出ましたか?」
 勿論セレスは、この少女が素直に夕方の事を謝りに来るような子ではない事を、良く知っていた。その上この少女の場合は、セレスが夕方の事に対してこれっぽっちも怒りを覚えていない事など、良くわかっているはずなのだから。
 そうして、もう一つ。
 この子が眠れない時に、あの秘書がこの屋敷に居さえすれば、彼の所へと初中後転がり込んでいた事も、風の噂で良く知っていた。駄目秘書、などと呼びつつ、実は少女は兄のように、あの秘書の事を慕っていた。その彼が風邪で寝込んでいる以上、もしかするとこの少女も、彼に少しでも気を使ってあげようと考えたのかもしれない。
 たとえそうだとしても、絶対口には出さないであろうが。
 ――セレスの言葉が当たりだったのか、予想通り、少女がこくり、と一つ頷いた。
「でたの。しろいのが! ふわーって、とおりすぎて行ったのっ! ねーおじさん、こわくて眠れないの、あたし……!」
 精霊とは言え、見目より長生きしているとはいえ、この子の依り代は、あくまでも童話の本でしかない。
 想いは歳を取らないものだと、どこかで聞いた言葉がある。
 きっとそれに通じる部分も、あるのでしょうね。
 小さく、微笑み。
「……良いでしょう。何か本を、読んで差し上げますよ」
「本当っ?! おじさん、ありがとう!」
 少女はぎゅっとセレスに抱きついた後、早速後ろに隠し持っていた本を開いて渡してくる。
 セレスはそれを受取ると、まずは少女を自分のベッドの上へと寝かし付け、それから静かに、童話の世界へと意識を落としていった。
 ――終わったら、今宵は書斎で、久しぶりに徹夜でもしますか。
 ふとそんな事を、考えながら。


Finis

14 dicembre 2003
Grazie per la vostra lettura.
Lina Umizuki
PCシチュエーションノベル(シングル) -
海月 里奈 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月15日

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