▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『おでん屋台【蛸忠】 』
本郷・源1108

暮れ六つ時。
私鉄沿線から裏手の山に向かって徒歩15分ほど進んだ辺鄙な場所の巨大アパートが見えるすぐ側の古い木造街灯の下。
そこにぽつんとある屋台はおでん屋【蛸忠】。
周囲には東京なのかと目を疑うほど木々が生茂り、舗装されたアスファルトの道と街灯、それに内側になにがあるか分からない塀が少なくともここは人の手が届くところだという安心感を与えている。
だが、こんな辺鄙な場所にある屋台に果たして人は来るのか?
そんな疑問が浮かびつつも、どうやら客が来たようだ。
「らっしゃいなのじゃ」
暖簾をくぐって現われたのは屋台とかおでんとか言う言葉が似つかわしくない美女だった。
閉じられた目にすっと伸びた眉。赤い唇に胸元が大きく開かれた肌も露わな黒いドレスを纏った神秘的で妖艶かつ、物静かな印象を与える女性は黒猫を抱いていた。
「そろそろ来る頃じゃと思っておったのじゃ。言わなくてもわかっておる……出汁とおでんの狭間……魅惑の世界。その中を覗くのが……食すのが好きなんじゃろう?貴殿もおでんの世界に魅入られてしまった人なのじゃな。ここには、誰かが考……食したおでんの全ての食材が、そしておでんの世界に魅入られた料理人の思いが集められているのじゃ。もちろん、貴殿の思いもここに……もってあげるのじゃ。貴殿の食べたいおでんとお酒を……」
そう言い高峰沙耶を迎え入れた【蛸忠】の主、本郷源はすっと目を閉じた。
そんな源の格好もまた屋台のもつ雰囲気とはまったく異なり、しかも六歳の子供が着るには数十年早い。
源は高峰沙耶と同じ肌も露な黒いドレスを身に纏い、こちらは茶虎猫を抱いて顔が見えるように立ち台の上に立っている。
見る人が見たら、ある意味鼻血ものだろうが、まだまだ色気というもののないお子様が着ると、あまりにも滑稽である。
「面白い子ね……私の求むもの……貴方はどこまで私を満たしてくれるのかしら?」
高峰沙耶は静かに微笑みながらそう言った。
「貴殿の望むままに……なのじゃ。さぁ、座るのじゃ」
源は座るように促すと、にゃんこ丸を下ろし、すでに良い具合につゆに漬かったおでんをゆっくりお玉で一回かき回した。
「さて、初めは何を所望するのじゃ?」
「そうね……貴方のもっとも拠り所とするものを……」
真っ直ぐ前を向き、柔らかな笑みを浮かべてそう言われた源は、左目を閉じて少し考えると、手を打った。
「うむ。わしの自慢の一品で良いのじゃな?それならまずはこれじゃ」
源は白磁の取り皿にお玉でおでん鍋から琥珀色のだしを掬い、高峰沙耶の前に置いた。
「これは?」
目を閉じたまま、皿に顔を向けまた源に戻して訊ねた彼女に小さな屋台の主は胸を張って答えた。
「おでんはだしが命じゃ。このだしにはわしの思いがこもっている……具の良さを生かすも殺すもだし汁次第。さぁ、たんと味わうのじゃ」
高峰沙耶は源に顔を向けたまま、皿を手に取ると汁を零す事無く口元へと運び、一口でのどの奥へ落とした。
「……良い、お味ね。次は……白く瑞々しい身に染み込み、その身を琥珀色の透き通る色に変えるもの……それを頂こうかしら」
高峰沙耶が指差したのはだし汁から少しばかり顔を出している大根。
「承知したのじゃ。わしの大根は煮崩れしにくい上に柔らかな肉質と甘味のある一級品じゃ」
おでん鍋をかき混ぜ、鍋の底にあったすっかり煮込まれ柔らかくしなっている大根を掬い上げ、高峰沙耶の皿へと入れた。
「酒はいらんかの?」
「そうね……お勧めは何かしら?」
「うむ、そうじゃの……」
おでん鍋の下にいろいろ仕舞っているらしく、しゃがんで見えなくなった源が取り出したのは、黒龍。
「これなんぞどうじゃ?香りは高く、スッキリした中にも口中に広がる甘さと奥深さ……わしのおでんと合うはずじゃ」
きゅぽん、と栓を取り、ぐらすに並々と注いだ源はついでに自分の分も注ぐ。
「さぁ、今宵の出会いに乾杯しようではないか」
「えぇ……今宵の、魅入られた出会いに……乾杯」
微かにグラスを合わせ、持っている指を濡らす酒を気にせず、二人は一気に黒龍を飲み干す。
「くっはぁ〜流石は黒龍。旨いのぉ」
美味しそうな溜息を付く源。
高峰沙耶の腕の中の黒猫は源の顔を見ていたが、視線を湯気を立ち昇らせている大根に向けぺろりと舌なめずりをした。
わり箸を取り、高峰沙耶は柔らかくなった大根を一口の大きさに切り分けると、口へ運んだ。
口に広がる薄味のさっぱりとした昆布だしに、大根の持つ優しい甘味。
高峰沙耶は口の中に残る匂いまで味わおうとするように、ゆっくり息を吸い込んだ。
「何と言う上品な味……」
「ふふ……次は、つるりと白い肌は断ち切られた生命の環。しかし我らに新たな感動と活力を与えてくれる。キミまでしっかり染みているのじゃ」
ころんと皿の上で揺れるタマゴに黒猫の耳がぴくっと動いた。
そのまま高峰沙耶は箸を通すと、二つにタマゴを割る。
中までだしが染みとおっているタマゴに息を吹きかけ、少し冷ましてから一気に半分頬張る。
「ほぅ……これも、とても素晴らしいわ。さぁ、次の世界にふれましょう……」
次、と促す高峰沙耶に気を良くしている源はお玉と菜箸を使い、楽しそうにおでん鍋の中をあさぐる。
「そうか、そうか。まぁ、そう急くでない。時間はまだたくさんあるのじゃからな」
顔を見合い、ふふふと笑む源と高峰沙耶。
そこへ一人のサラリーマンが飛び込んできた。
「おー寒い、寒い。悪い、まずは熱燗を……」
寒い冬の風に体を縮ませ、屋台の中の暖かさに体を緩めた男は台詞の途中で固まる。
「おーらっしゃいなのじゃ」
「……いらっしゃい」
いらっしゃいと言われても、まだ男の視線は屋台の中で対峙する妖しく豊満な美女と美女と同じドレスを着た幼い少女に釘付けとなっている。
二度、三度と瞬きをした男は口元をひくつかせ笑おうとしながら、口を開いた。
「あ、の……ここは……」
「ん?見ての通りおでん屋なのじゃ」
「そ、そうです……よね?」
目の前の事実と頭の中が追いついて来ていないらしい男はしきりに首を傾げている。
「それより……貴方も魅惑の世界に触れに来たのでしょう?さぁ、お掛けなさい」
「そうじゃ。おでんと出汁の狭間……魅惑の世界に魅入られてしまった者達の思いがここには集められておる……そう。貴殿の思いもまたここに」
「し……っ失礼致しました〜!!」
逃げ出していった男が揺らした暖簾を見つめ、源は眉を寄せ口を尖らせた。
「一体なんじゃと言うのだ?」
「まぁ、良いではないの……私たちには次の世界が待っているのだから……」
高峰沙耶の言葉に源は笑みを深くした。
「それもそうじゃな。さて、では次はどの世界に触れたいのじゃ?」

あやかし荘近くの、電柱街灯下の小さな屋台。
そこに行けば貴方も魅惑の……おでんの世界に触れることができるでしょう。



PCシチュエーションノベル(シングル) -
壬生ナギサ クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月15日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.