▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『【白い乳房】 』
志賀・哲生2151



 手渡されたその鞄は、外観のわりにはずっしりと重く、不吉な密度を保っているように思えた。
 なめした黒い革張りのそれは僅かに角がこなれ始めているが、不愉快な摩耗ではない。小さなトランクケース、と言った形をしている。
 志賀哲生は取っ手を握る手に力を込め、その質量を確かめた。
「で、これを届けりゃ良いんだな?」
 頷いた――志賀の目の前でたおやかに笑む高峰沙耶がするりと、抱いた黒猫の背中を撫ぜる。猫は心地よさげに鼻をひくつかせ、大きく露出した沙耶の鎖骨にその頬を擦り寄せている。
 心霊学。
 そんな学問が存在することなど志賀は、沙耶に会いさえしなければ一生知る機会もなかったかもしれない…と、思う。今でさえ、この研究所――高峰心霊学研究所、というのが正式な名称らしい――では一体何を研究しているのか、そもそも研究などといったものがとりおこなわれているのかどうかすら志賀は知らない。
 ―――知るものと知らないものの境目が、非道く曖昧。
 ここに来るたび、志賀はそんな事を思う。
「疑り深い人…道すがらいきなり爆発したりしなくてよ。だからそんなに鼻をひくつかせないで頂戴」
 手のひらの中で転がした大振りの鈴のような、丸みを帯びた女の声が告げる。その言葉に、志賀は己がうさんくさげに顔をしかめながらトランクを凝視していたことに気づいた。
 幾許かの居心地の悪さに、志賀はふん、と鼻を鳴らしてトランクを持つ手をゆっくりと下げる。
「どうも、匂うモンで…何か隠しちゃいないのかい、『高峰所長』」
「どうして? …必要なことは、さっき全部あなたに申し上げてよ。そのトランクを、街外れにある屋敷に届けて欲しいの…それだけ」
 はぐらかす女。
 隠し事の有無には答えず、窓の外に広がる高層ビルのシルエットを見下ろしている。にゃあ、と黒猫が啼いて沙耶の腕から飛び降りた。
 志賀はしばらくじっと、沙耶が見せる伏し目の横顔を見つめていたが、やがてらちが開かないと思い直したのかゆっくりと踵を返した。
 右手にずっしりと確かな重みを伝えるトランクは沈黙を守り続けている。中に入っているのは金属か、生ものか。どちらにしろ不穏な秘密が隠されていることに変わりはなく、その緊張感がトランクを握る志賀の指先に僅かな力を込めさせる。
 その小さな闇の中に垂れ込めているであろう『死の息吹』を、志賀は知っている――
 知っている上で、彼はこの依頼を引き受けている。
「あなたを信用しているわ、…『志賀刑事』」
「今度そう呼んだらお前を犯す」
 犯られてから殺られるのと、殺られてから犯られるのと。
 そう続けようとして、やめた。
 知ってか知らずか、沙耶の笑い声が微かに空気を震わせる。黒猫が志賀の足に身体を擦りつけながら部屋の奥へと姿を消し、鈴の音は遠くなっていった。
「どう信用されてンのか俺ァ知らんが――とりあえず、またな」
 志賀は背中ごしにひらりと手を振ってから、高峰心霊学研究所を後にした。

††

 自分の足を使って調べ、自分の目で見たもの以外は信じない――そんなふうに豪語したかつての同僚を、今でも時折ふと思い出すことがある。
 それは決まって、志賀が1人、背中を丸めて街を歩いている時である。
 擦れ違いざま、ふ…と、鼻腔を擽る何がしかの、匂い。
 仕事帰りのサラリーマンが、電車の中で肩の擦れ合ったOLの香水の匂いを残していた時。
 集団下校の小学生たちが、理科の授業で触れ合ったカエルの粘液を匂わせた時。
 女たちが纏う外国産の高価な化粧品の匂い、幾度もの戦争で摩耗した土地からやってきた外国人就労者の大地の匂い、ビルの壁に塗り込められた男の汗の匂い。
 そんな中で、不意に志賀の脳の深くに波のように浸透してくる、静寂の匂い。
 死、を連想させる、無機質の匂い。
「・‥…――」
 志賀は思わず歩調を緩め、自分のすぐ横を掠めて擦れ違った小柄の中年を振り返った。
 その瞬間、ざわり――と、周囲の空気が歪むように震える。
 ―――室内に充満して篭った煙草の匂い。
 ―――内臓の悪い男の口臭と、肺に染みついた薬物の匂いの入り交じった不快な匂い。
 ―――湿ってざらついたコンクリートの匂い。
 ―――あの男は、どこのダムで人生を終えることになるのだろう。
 志賀はその時、現実に己の目の前に広がっている街並みの景色ではない、そう遠くない未来を垣間見る。
 擦れ違った、貧相な背中を必死に丸めて遠ざかっていく男の死期を大脳で直接に感知する。
 そしてそれを阻止する術を、志賀は持たない。
「・‥…来週…いや、今週末、ってトコかね…」
 志賀の呟きは雑踏にかき消されてしまい、誰の耳にも届くことはない。再びその足を目的の方角へと向けて歩き出す頃、志賀は男の最期をじっと深く大脳に探っていく。
 男は大きなドラム缶に両足を折って詰め込まれ、自分の力では立ち上がる事ができない。
 流し込まれるコンクリは膝を白く染め、尻を、下着を白く染め、腰まで漬かった頃に男は襲う寒気に身震いをするだろう。逃れようと必死に暴れるたびに、男の頬を叩く誰かが存在するかもしれない。
 やがてコンクリがなみなみと注がれて咽喉仏を冷やす頃、男はとうとう観念してぐったりと死んだ目で周囲を見回すのだろう。煙草の煙に白濁した狭い室内を、自分をコンクリートに詰めた誰かたちの顔を。
 いざ、どこかのダムに運ばれる車の中で―――
 舟のエンジン音を聞きながら―――
 見上げる水面に潤む誰かの顔を、目を瞠って食い入るように見つめながら―――
 自分の吐き出した二酸化炭素の泡が吸い込まれるように水面を打つのを見上げながら男は―――
 と。
 クラクションの音に、志賀は急速に現実の世界に引き戻されて行く。男の最期を夢想するあまり、志賀は赤信号の車道に速足を踏み入れていたのだ。
 鼻先を掠めたユーノスプレッソの窓から罵声が浴びせられる。トランクを握る右手の指をぎゅっと力を込めながら、志賀は慌てて歩道へと引き返した。
 足を運ばなくても、判る事実がある。
 自分の目で見なくても、知ることのできる真実がある。
 己の嗅覚――死に行く者を見極め、道理や理論ではなく、大脳へと直接流れ込んでくる静寂の匂いを思うたび、志賀は心の中でかつての同僚へと言葉を返す。
 右から左へ。
 左から右へ。
 通り過ぎていく車の群れが止み、信号が青に変わった時、再び志賀は足を踏みだした。
 トランクを届けるように沙耶から言われた屋敷は、その角を曲がればすぐだ。

†††

「――あの女」
 目当ての屋敷は、志賀が思っていたよりもずっと広大で、庭も広く――正門だと思われる鉄の門をくぐってからゆうに5分は歩いた場所に玄関があった。
 もとは手入れも行き届いていたのであろう、今は僅かに荒廃の片鱗を見せる庭はいばらの垣根で覆われており、中央には細かく皴の入った噴水がある。水は流れていない。
 緩やかなカーブを描いている小径には、秋口に拾う者のなかった落ち葉が降り積もっていて、志賀が踏み締めるたびにばりばりと乾いた音を立てた。
 そうしてようやく辿り着いた玄関で、重厚な扉に設置された鉄の呼び鈴を2度鳴らし、中からの返事を待つ。
 待っては再び鳴らし、また待っては三度鳴らす――そのあとで、志賀がぼそりと呟いたのが、沙耶への呪詛の言葉であった。
「話し通して無いンかよ…おい…‥・」
 志賀の右手に、トランクの虚しい重みがずっしりとのし掛かってくる。
 届けもの、と言うからには、先方にその旨を伝えてあるものであろうと志賀はたかをくくっていたのだが。
 待てど暮らせど、志賀の耳に届くのは吹きすさぶ風が枯れ葉を舞い散らせる音のみであり、扉の向こうからの応答は無い。
 諦めて帰ろうかと考え始めた時、志賀の心の中に沙耶への根拠無き怒りが込み上げてきた。
「…どうして俺が気に掛けなきゃ無ンねぇんだッつの」
 考えてみれば、屋敷の住人とコンタクトを取れずにいるのは、何も志賀の責任ではない。
 前もってコンタクトを取れるように便宜を図っておきなかった沙耶の責任であるのだ。
 ならば、判る場所にトランクを置いて、自分は早々に退散してしまえば良いのではないだろうか――形の良い漆黒の眉の片方をしかめながら、ふむ、と志賀は推考する。
「―――これだけでっかい屋敷だし…呼び鈴なんざ聞こえないわな…多分」
 さらに1度、けたたましく呼び鈴を鳴らしてから。
 考えようによっては、限りなく自己都合な理論を構築し、志賀は扉のノブに手を掛ける。
 キィ、と控えめな軋みの音を立ててから、扉はゆっくりと外側に開かれた。

「お邪魔…しますよ…‥・」
 細く開けた扉の隙間から、志賀は己の顔をそっと覗き込ませ――ぐるりと回りを見回しながら、小さな声で言った。意外にも、不必要に響き渡ったその声に肩を竦め、次いで身体を滑り込ませる。
 その景観は、圧巻――と言うより他になかった。
 まず、天井の高い大広間をあます所なく照らしている蝋燭のまばゆさに思わず目を細めた。高低さまざまな燭台全てに蝋燭が灯され、水面のように全ての壁をゆらゆらと不安定に揺らしている。
 玄関に立つ志賀の目の前に、2階へと続く広い階段がある。臙脂色の絨毯を弾かれたその階段は、1番上で左右に広がりを見せており、それぞれ壁に添って等間隔にいくつかの締まったままの扉があった。
 1階部分では、壁を覆うように沢山の骨董品が置かれており、そう言ったものにかなり無頓着な志賀でさえ記憶の片隅にこびりついている程の有名な画家の絵が掛けられている。それぞれが金縁の額に嵌められており、ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎に幽かに照らしだされていた。
「……………」
 ここまで来ると、圧巻と言うよりも、むしろ場違いな気すら志賀はしてきてしまう――これほどの文化財を誇る洋館がこんな場所に建てられていることも、己がここに白痴のようにただ佇んでいることも。
 全てがちぐはぐで、白昼夢のようだった。
「すげえな…こんな大層なモン、見たこと無ェぞ」
 呟きながら、志賀は何げない足取りを踏みだし、数ある骨董品の中でも比較的間近にあった中世の甲冑の横に立った。
 しげしげとそれを見上げ、左手を伸ばす。
 その瞬間。
「・‥…―――」
 甲冑の甲が向いている方向――1階部分の中央に、何かを『感じ』て、志賀が振り返る。
 燭台の光を避けるかのようにぽっかりと開いた闇の中へ、目を凝らすと微かにその輪郭を捉えることができる程の小さな鉄の扉を発見した。
 先ほどまでは、大きな階段の正面に立っていたために視界が届かなかったのだ。
 これほどまでに豪奢な炎の渦の中、そこだけがいびつに空気を歪めている。
 ―――匂う。
 鉄錆。
 黴。
 腐りかけた下水。
 蝋。
 小動物の糞。
 そして―――
「・‥…薔薇だ」
 いばらの垣根を添って歩いている時には感じられなかった、もっと違う――大振りの、香りを楽しむために改良された種類の、深紅の――薔薇。その匂い。
 錆びた鉄の扉の向こう、汚れた地下に、不自然な程に匂い立つ薔薇の花が、大量に…存在している。
 志賀の大脳が軋んだ。
 死だ。
 死の匂いだ。
 彼はその時、己の使命をすっかり忘れてしまっていた。
 右手に握っているトランクの理由すら忘れ、ふらりと…酩酊の老人のように、半歩を踏みだす。
 見たい、死が。
 死をこの手に掴み、叶うならば――握りつぶしてしまいたい。
 ふらつく志賀の靴音は、分厚い臙脂の絨毯に吸い込まれていく。
 気がつけば、志賀は鉄の扉の錆にその左手を汚し――細く暗い階段を、1歩ずつ下っていた。

††††

 煌々と灯されていた燭台の明かりに慣れていた目は、地下へと続く階段をひたすら降りていく志賀には全くもって役には立たなかった。
 しんと冷えた壁に手をつきながら、志賀はためらうことなく階段を踏む。
 やがて、緩やかにカーブした階段の果てに一筋の光を見たとき、志賀の歩調が僅かに早くなった。
「―――」
 ただ1つだけ、細く隙間の開けられたままになっていた扉に向かって志賀は足早に近づいていく。
 そしてとうとう、扉のノブを引き開いてしまった瞬間―――
 志賀の脳髄は、濃密な『死』の香りに満たされてしまっていた。

 一面の、深紅。
 薔薇である。
 その柩の真ん中で、あどけない少女が――眠っていた。

 志賀の両足は、まるで固い床に根差してしまったかのように、ぴくりとも動かなくなってしまった。
 緊張して乾いてしまった双眸を必死に瞬いて、柩の中で眠る少女を凝視する。
 一筋の朱すら差さない、透き通ってしまうのではないかと思われるほどに白い…白すぎるその肌。
 可憐な口唇は土気色を通り越して蒼白ですらあり、頬はひどくなめらかで白磁のようだ。つるりとしたなだらかな額の上には飴色の前髪が散り、大きなウエーヴの長いそれは腰の辺りまで彼女の輪郭を優しく包んでいる。
 幼いその顔立ちとはあまりに不釣り合いな豊満な乳房の上で、細く小さな両手指が重ね合わされていた。
 深紅の柩に眠る、白い少女の遺骸、である。

「―――ぁ…」
 やっとの思いで押しだした己の声が、非道くがさついているのを志賀は知った。
 大広間を満たしていた華美にすぎる燭台のまばゆさとは違う、たった1つの燭台に照らされる地下の小部屋。
 己の前に、『死』が眠っている。
 非道く冷酷で、非道く鋭利で、そして非道く――甘美な、『死』が。
 本能が激しく打ち鳴らす警鐘。
 少女に触れてはいけない。
 触れてしまえば、己は己の全てを失うことになるかもしれぬ――
 志賀は強ばる両足に力を込めて、たどたどしく1歩を踏みだした。視界が緩やかに移行する。乳房に阻まれていたもう片方の肘が僅かに視界に入り込んできて、さらに1歩を踏みだせば細い腰のカーブを見下ろすこととなる。
 志賀は、たっぷりと時間を掛けて少女に近づき――そして、真上からその姿をじっと凝視した。
「・‥…――」
 じっとりと、手のひらに汗を掻く。
 志賀の中でせめぎ合う、両極端の2つが彼に決断をさせない。
 握り締めていたトランクが僅かに滑ったので、志賀は手指に力を込め直した。
 既に、そのトランクをどうすれば良いのか、どうして自分がここにいるのか、それすら志賀の脳の範疇にはない。
 死、だ。
 志賀は胸の内で呟く。
 彼に取って、それほどまでに甘美で官能的な静寂はない。
 死は、彼を拒まない。
 死は、全ての者を優しく受け容れてくれる。
 死は―――
「……………」
 ぶるぶると震える左手が、ゆっくりと少女に向かって伸ばされた。端正な長い伏し睫毛が陰を落とす少女の頬に人差指の腹は触れて、弾力を確かめるかのようにそっ、と力が込められる。
 これは、死だ。
 志賀の指先は実感する。しっとりとした冷たさ、そして、強張り。
 これは、死だ。
 次いで、頬から口唇の脇へと、指を滑らせる。
(これは死だ)
(絶望的なまでの、そして唯一絶対の救済だ。死だ)
 肉感的な口唇に触れた。細かな縦じわの強張りをほぐすように、そっと横に指を滑らせた。柔らかな弾力と共に歪んだ口唇の間から、真っ白な歯が覗いた。
(死は終焉に繋がる苦悩の道ではない)
(最後の審判が訪れる日など来はしない)
 小さな丘のように盛り上がっている顎の先を擽る。細く長い首筋をなぞって、鎖骨へと到達する頃、志賀は指先と言わず、その左手の平を以て少女に触れ、その感触と冷たさを確かめていた。
 薔薇に包まれて眠る少女、濃密でねっとりとした花弁の香り、死の匂い。
 一本一本が、まるで何かの芸術のように重ね合わせられた少女の両手の爪に触れ、零れるほどに豊かな乳房に手の平が触れようとした、その時。
 少女の白濁した双眸が、不意に見開かれた。

†††††

「―――!?」
 天井の1点を見つめた少女の瞳孔は、失せてしまった血色のせいで蒼白に濁っていた。
 ざわり、と志賀が全身の毛をよだたせた刹那、少女の眼差しが乳房の上に手を置いた志賀の顔を見る。
 ニィ、と笑った口許だけが、官能的にめくれた粘膜だけが真っ赤な深紅に満たされており――その朱色に、思わず志賀が見蕩れてしまいそうになる。
 志賀の手の平の中で少女の指先がピクリと震えた時に、反射的に志賀は左手を引っ込めた。彼女の指に掴まれてはいけない――それだけを、本能的に察知した。
「………頂、戴…‥・?」
 強ばってなめらかには動かない少女の口唇が、志賀に向けてはっきりと動かされる。耳に届くその声は鼻にかかる甘い声音で、ただ掠れて隙間風のようながさつきを伴っていた。
「欲しい、の…頂戴…‥・あなた、の…」
 少女の上体が、乳房、両肩――そして頭部の順番にゆっくりと引き起され、がくん、と今度は前に首が落ちる。大きく飛び退いた志賀が目を瞠る前で、少女は上目遣いに志賀を見た。薄く紅い舌が――少女の身体の中で、ただ本当に口許だけが艶めかしい紅色をしていた――口唇を舐め、誘うように笑う。
「…血が…‥・」
 ぼう然とする志賀の足下で、鈍く重たい何かが弾ける音がした。
 始終握り締めていたトランクが、志賀の汗でとうとう滑って床に落ちたのだ。はっとして志賀が見下ろしたトランクは蓋が開いてしまっていたが―――
 その瞬間、全てを悟った志賀は、躊躇うことなくその中身を拾い上げた。
「ぁ…‥・」
 少女が哀しげな声を漏らす。が、志賀は己の行動を止めることはしなかった…決して。
「あばよ、お嬢ちゃん――ごめん、な」
 トランクの中身――リボルバータイプの小さな銃に、鈍い銀色の弾丸を充填し終った志賀が、その銃口を少女に向け、安全装置を外す。
 薔薇の花に下半身を埋めたまま、少女が高い悲鳴を挙げながら両手を真っすぐ前に延ばし銃口から胸を護ろうとした。
 が、志賀はトリガーを引く――この屋敷に住まう吸血鬼である、少女を滅ぼすために。
「・‥…―――!!!!!」
 薔薇の匂いで噎せ返る小さな地下室を、リボルバーの爆裂音が引き裂き―――
 銀の弾丸に手の平と胸を貫かれた少女の悲鳴がブツリと途絶えた。
 ザ―ァ…‥・――…
 悲鳴の形に歪んだ口唇のまま、少女の身体は一瞬のうちに濃い灰色に焼かれ、そして崩れ落ちる、薔薇の花びらを灰に染めながら。
「………っくしょ…」
 志賀は、己の胸を高く打つ鼓動に細くなった気道をぜえぜえと鳴らしながら小さく毒突く。
 がさり、と少女のみぞおちが薔薇の上に崩れたのを見届けてから、弛緩した膝を糸が切れてしまったかのように脱力させ、べたりと床に尻餅をついた。
 恐怖、高揚、そして、欲望。
 何が己の鼓動を強く打たせているのか、混濁してしまった意識では把握することもできぬままで。

††††††

 やっとの思いで辿り着いた1階部分は、先ほどまでのまばゆさが嘘のようにしんと静まり返っていた。
 少女が朽ちてしまった今となっては、全てが泡沫の幻であったという事実を晒すしかないのだろう。志賀が触れようとしていた甲冑も、節々が錆びつき、蜘蛛の巣をうっすらと纏っている有り様であった。
「あの女――この俺をはめやがったな」
 忌忌しげに志賀は悪態をつく。庭は、志賀が訪れた時よりも輪を掛けて荒廃しており、噴水の縁は大きく欠け崩れているほどだ。これほどまでに荒れ果ててしまった敷地内であったと知っていれば、屋敷の中に足を踏み入れるなどと言った酔狂な真似もせずに済んだだろう。
 要は沙耶に、安く妖怪退治をさせられた、と言うわけだ。
「死体じゃないのに欲情しちまったし。何かすげえ損した気分だわな」
 これはやはり、沙耶にその代償を払って貰わなくては、と。
 本気なのか否か、志賀は不穏な独り言に息を白く吐きだす。
 やれやれ、と溜息をつきながら、志賀はすっかり暗くなった帰路へとついた。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
森田桃子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月12日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.