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『現実よりの逃走(前夜編) 』
水城・司0922)&村上・涼(0381)

【酔っ払い発見】

 暮れの季節になると、どうしても飲み会の数が増加する。普段は飲まない人間までも、付き合いだからと夜の店に引っ張り出され、昨今不況の繁華街も軒並み大繁盛だ。
 経営から法律から建築から、あらゆる専門を幅広く網羅する水城司は、実は、この師走の月が好きではなかった。職業柄、駆り出される飲み会の頻度が半端ではないのだ。
 本気で肝臓を悪くしそうだ、と、しみじみ思う。だが、悲しいかな、そう思っているのは本人だけで、周りは、司を、そんな軟弱な目で見てはくれない。
 酒宴の席では、話題豊富、会話上手の人間が、とかく尊ばれる。居るだけで華のある司は、彼の知人友人たちにしてみれば、是非とも酒席に顔を出して欲しい貴重な人材なのだった。これが、某怪奇雑誌社のダメダメ編集員のような人間だったら、逆に金を払ってでも追い出したいに違いない。
「じゃあな。ちゃんと家に帰れよ」
 ほろ酔い気分の友人たちに、念のため釘を一つ刺して、司も帰宅するべく踝を返す。
 時刻は、深夜の一時半。当然、終電は無い。飲酒運転の馬鹿みたいに高い罰金を払う気も毛頭無かったので、車も置いてきた。とりあえず、タクシーを探す。
 運良く、空席の赤灯を付けているタクシーを、すぐに見つけることが出来た。手を上げて止めようとしたその瞬間に、近付いてくる車両の向こうに、司は、意外な人影を見た。
 村上涼。
「何やってんだ。あいつは……」
 ちっと思わず舌打ちする。遠目から見てもそうとわかるほど、涼は泥酔していた。足元はふらふらしているし、見知らぬ男に肩を抱かれ、実に嬉しそうに、いつもの五倍は殊勝に笑っている。
 判断力、完全皆無。
 近くの信号が青に変わるのを、悠長に待っていられる時間は無さそうだ。司はそのまま車道に飛び出した。深夜とはいえ通行量はそれなりに多いが、彼は、その気になれば、高速道路だって走って渡れるような度胸の持ち主である。難なく向こう側に着いた。
「涼!」
 試しに、名前を呼び捨てにしてみる。多少なりとも理性が残っている状態なら、気安く名前を呼ぶなとか何とか、悪態が戻ってくるはずだ。が、涼は、とろんとした目で司を見上げ、久しぶり〜、と、また朗らかに笑うばかりだった。
 ちなみに、彼女と最後に会ったのは、一昨日。全然、久しぶりではない。
「悪いが、俺の連れだ」
 司が、男を振り返る。引っ込んでいろ、と、無言の圧力をかけたのだ。男は明らかに怯んだが、かと言って、目の前の美人の女子大生を見逃すのは、あまりに惜しすぎた。
 この酩酊状態なら、ホテルでも裏路地でも、好きな場所に連れ込める。妄想は既に暴走状態。きつい仕置きが必要だと、一瞬のうちに、司は悟った。
「何だよ。てめぇは。この女は俺が最初に見つけたんだ。後からのこのこ出てきて獲物掻っ攫おうなんて……」
 殴る価値も無いこの男相手に、暴力沙汰など、御免被りたい。師走の繁華街は、警察の目があちこちで光っている。つまらない事で、署まで任意同行されるなど、司は絶対に避けたかった。何より、騒ぎになれば、ひどい酔っ払い状態の涼を、警官やら野次馬やらの目にさらすことになる。
 司が、無造作に、ナンパ男の首を掴んだ。そのまま、力任せに、壁に押し付ける。
 男は大声で喚き立てようとしたが、出来なかった。喉を押さえられているので、声が全く出ないのだ。そして、司自身、そうなることを計算した上で、指先に力を入れていた。
「俺が穏やかに言っているうちに、帰った方が、利口だぞ」
 脅し文句は、一言。
 一言で十分だった。司が手を離した途端、男は、転がるようにして逃げ出した。あるいは本気で殺されると思ったのかもしれない。
「さて……」
 涼の方を振り返る。立つ力も残っていないらしく、その場に座り込んでいた。
「送るよ。家は?」
「あっち」
「あっちって……」
 涼が指した方向には、ぽっかりと浮かぶ満月が。
 そうかそうか、おまえは月から来たのかと、思わず皮肉が口をついて出る。確かに、かぐや姫も迷惑な女だった。似ているといえば、似ていなくもない。
「仕方ない……」
 急性アル中の疑いのある涼を、まさか道端に放置するわけにもゆかず、司は、明日の朝は修羅場になるのを覚悟した上で、自宅マンションに連れ帰ったのだった。





【酩酊者の迷走】

「酒!!」
 マンションに入るなり、叫ぶ涼。まだ飲む気なのか。
「ほら」
 司は、酒の代わりに水を差し出す。涼はいやいやと首を振った。
「酒!!!」
「駄目だ」
「酒ぇ〜!!!」
「いいから飲め!」
 司の迫力に押されたのか、涼が、しぶしぶと水を飲む。あれほどいらないと言っていたのに、飲み始めたら止まらないらしく、瞬く間にコップの中身を空にした。
「んぅ〜。気持ち悪い……」
 いよいよ酔っ払いの真骨頂発揮か。司が、涼をトイレまで引きずって行く。吐くものが胃に残っているなら、少しでも出してしまった方がいいと思ったのだが、涼は気持ち悪いと訴えるだけで、結局何も戻さない。
 アルコールは既に完全に吸収されて、ついでに食べ物はほとんど取っていなかったのだろう。苦しげに咳き込む背中を、ずっと擦ってやっていると、ほんの少し、落ち着いてきた。
「ほら。水」
「うー……」
「少しでも薄めておけ。でないと、明日の朝、辛いぞ」
「うぅ……」
 水の中に、二日酔いの薬を溶かし込んでおいた。味は多少変になっているだろうが、どうせ涼は正体不明の一歩手前状態。水も薬も酒も同じだろう。
「気分は?」
「ちょっと苦しい……」
「苦しい?」
「ん〜。スカートきつい……」
 と、今度はごそごそと服を脱ぎ始める。
 さすがの司も慌てた。この行動は、不覚にも予想していなかった。散々飲み食いした後の洋服がきついのは、むしろ当然のはずなのに。
「ちょ、ちょっと待て!」
 苦しいのはわかる。わかるが、ここにはまだ俺がいるという事実を少しは考えろ!
 涼が脱いだジャケットを頭からすっぽり被せ、横ざまに抱えて、とりあえず、寝室へと運び込んだ。ベッドの上に彼女を横たえると、ワードローブから急いでシャツを引っ張り出す。
「着替え終わったら、一旦俺を呼べよ」
 そんな良識が今の涼にあるかどうか、甚だ疑問だが、そう言って、司は部屋を出て行った。
 涼の方は、酩酊者にとっては拘束着でしかない洋服と外套を、これ幸いと、部屋いっぱいに脱ぎ散らかす。素肌の上にシャツ一枚を羽織ると、嘘のような体の軽さに機嫌をますます良くして、ころりと寝転がった。
 何となく手元が寂しかったので、大きな枕を腕に抱え込む。それでも、何故だか物足りなくて、閉じたままの扉に呼びかけた。
「終わったわよぅ……」
 涼の声に応じて、司がドアを開ける。部屋に入ろうとすると、いきなり目の前に放り出されてあるセーターを、危うく踏みつけそうになった。
「おい……」
 寝室のありとあらゆる場所に、投げ出されている、洋服たち。
 司は頭痛を覚えつつ、それらを拾い集めると、折り畳んで、サイドテーブル代わりの椅子の上に置いた。
 まさか一緒にベッドに入るわけにもいかないので、自分は薄い毛布を一枚とると、居間に戻ろうとした。
 その彼の袖を、涼が、掴んだ。
「……どうした?」
 返事は無い。ただ、無言のまま、袖の布地をきつく握り締めている。
 何だか子供みたいだと、そう思った。酒が入ると、普段とは違う行動を起こす人間が、多々いるものだが……今夜の涼も、それに当てはまるのかもしれない。
 意地っ張りで大胆不敵な彼女の、もう一つの、顔。
 
「早く寝れよ」
「眠ぅ……」
「まったく。人の気も知らないで」
「知〜らない……」
「こら。枕放り投げるな。この酔っ払い……」
「だぁって」
 涼が、袖を握る指先に、一瞬、力を込めた。
「こっちの方が、いいからぁ……枕、いらない」





【優しいだけでは】

 三時半を回るころ、ようやく、涼が、眠った。
 意識が落ちる寸前、何事か言ってきたが、もともと呂律が回っていなかったため、聞き取ることは出来なかった。
「おやすみ」
 何だか必要以上に疲れたと、司も居間のソファに横になる。長身の彼が狭い長椅子に収まるはずもなく、恐ろしく寝心地は悪かったが、まぁいいかと、目を閉じた。
「それにしても、飲み会の度、あんな調子なのか……」
 大丈夫なのかと、不安が過ぎる。
 今夜は、たまたま彼が見つけたから、良かった。だが……世の中の男は、残念ながら、九割が紳士ではない。
「明日の朝」
 涼が起きたら、少し、苛めてやるか。二度と、前後不覚に陥るまでは飲まないと、懲りるくらいに。
「自分の身は、自分で護るしかないからな」
 さらに嫌われることになるだろう。極悪だの苛めっ子だの蛸足配線だの、次から次へと新しい悪口を考え付いてくれる涼だが、そこに、また新たな呼び名が加わることになるのは、間違いない。
 
「まぁ、いいさ」

 優しいだけの男になる気は、初めから、無いから。
 損な役回りも、悔しいとは思わない。

「おやすみ……」

 明日は、少々、辛いことになるかもしれないから。
 せめて、今夜は、ゆっくりと眠るといい。





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東京怪談
2003年12月10日

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