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『薔薇色吐息 』
藤咲・愛0830

 早朝4時。まだ辺りは暗いままだ。夜を知らない歌舞伎町にあるSMクラブ『DRAGO』の店先に、燃えるような赤い髪を靡かせながら藤咲・愛(ふじさき あい)が立っていた。店の中から、漸く片付けを終えたスタッフ達が出てくる。
「愛さん、お疲れ様です」
 声をかけてくるスタッフに、愛はにっこりと笑って会釈した。それから軽やかに手をすっと伸ばし、タクシーを止めた。
「今日はもう帰られるんです?」
 尋ねてくるスタッフの一人に、愛はタクシーに乗り込みながら燃えるような赤の目を向け、妖艶に微笑む。
「また、今晩ね」
 バタン、とタクシーのドアが閉まり、愛を乗せたまま去っていってしまった。スタッフはそれをぼうっとしながら、ただただ見つめるのだった。


「ただいま……と」
 愛は自宅のマンションに戻り、声をかけながらふと気付く。今日は確か一人なのだ。一緒に暮らしている弟は、サッカーの合宿に行くのだと言っていた。
「そっか。じゃあ、お弁当はいらないのよねぇ」
 ふあ、と小さく欠伸をしてから愛は伸びをした。別に弟にお弁当を作るのは苦痛ではないが、作らなくても良いと思うと妙に楽になる。これがずっと作らなくてもよくなってしまうと、寂しくなってしまうのだろうが。
「所謂、あれよね。店の定休日みたいなものよ」
 店の仕事が嫌な訳では決して無いのに、定休日になると妙に嬉しくなる。それと、同じ原理だ。愛は「うん」と人知れず頷いてから、浴室に向かった。
「そうだ!」
 浴槽にお湯を為ながら、愛はごそごそと鞄を探った。客から「愛様にはこれが良くお似合いです」と快楽に悶えながら献上された、薔薇のオイルだ。見た事の無いメーカーのものだったが、蓋を開けると途端に薔薇の上品な香りが広がったせいでそんな事はどうでも良くなってしまった。
「まあ、いい香り!今度、お礼も兼ねてたっぷりと可愛がってあげなくっちゃね」
 愛はそう言って妖艶な笑みを浮かべた。オイルを取り出した鞄には、愛用の鞭も入っている。それを握り締め、快楽を与える。……何とも素晴らしい事だろうか。
「あ」
 愛ははっとして蛇口を捻った。いつの間にか、浴槽はお湯で埋め尽くされてしまっていた。愛は小さく笑ってから、オイルを垂らす。目を閉じると、まるで薔薇園にいるかのような錯覚を覚える。
「いいわぁ」
 愛はうっとりと呟き、脱衣所に移動する。
「やっぱり、疲れはお風呂でとらないとね」
 労働の後はお風呂よね、と心の中で愛は付け加える。尤も、労働というのは相手に痛みの快楽を与え、自らも高揚を得るものなのだが。それでも、肉体的に疲労を覚えているのは確かだ。
「わあい」
 浴槽の方に移動すると、湯気がほわほわと立ち昇り、薔薇の香りが一杯に充満していた。愛は自然と顔を綻ばせながらそっと体を静めた。
「ううーん」
 大きく伸びをし、ついでに鼻歌まで歌い始めた。心の奥底にまで染み渡るような、心地よさ。自分が先ほどまで与えつづけていた快楽とは、また違った快楽がここにはある。
「薔薇の匂いも最高、温度も最高……気分も最高!」
(癒されるわぁ)
 にこにこと微笑みながら、愛は風呂を堪能する。だんだん湯の温もりで体が火照ってくるのを感じた。
「この後、お酒でも飲もうかしら?こう、パーッとね!」
 愛の気分は最高潮だ!……と、その時だった。
 ガタ。
 家の何処かで物音が響いた。愛ははっとして口を噤み、耳を澄ました。が、何も聞こえない。
「気のせいかしらね?」
(もしかしたら、あたしの置いた服かなんかが落ちただけかもしれないし)
 愛は気を取り直し、湯船につかる。だが、先ほどまでの鼻歌は出てこない。何となく、気になってしまう。
(弟……じゃないわよね。合宿に行くって言ってたんだし……具合が悪くなって帰ってきたとか?)
 そう考え、愛は頭を降る。
(こんな早朝にはありえないわね。帰ってくるなら、電話の一本でも寄越すでしょうし)
 気になり始めると、のんびりとお風呂に入っている場合ではなくなってきた。愛は意を決し、浴槽から立ち上がった。バスタオルを巻き、鞄の中の鞭をそっと掴む。
「泥棒だったらどうしてやりましょうか」
 ぼそり、と呟く。口元には妖艶な笑み。
「このあたしの極楽時間を邪魔してくれたんだもの……それ相応のお仕置きは必要よねぇ?」
 ぎゅっと鞭を引っ張る。ギリギリ、と皮の引っ張られる音が響き、それが愛を高揚させていく。高まる気持ち、早くなる鼓動、溢れんばかりの興奮。
(もしも誰もいなくても……もしも気のせいでも)
 この高まっている気持ちは、お風呂で再び消化すれば良いだけの事だ。愛は口元に笑みを携えた。
「さて……狩りましょうか」

 愛はぽたぽたと床に雫を垂らしながら慎重に家の中を探索していく。動くたびに、自分の体から薔薇の香りが飛んでゆくのを感じた。
(やっぱり良い匂いだわ)
 ふふ、と笑む。勿論、目線は辺りを慎重に探っているままだが。
 ガタ。
 再び、物音が響いた。愛は鞭を握り締め、音のした方にそっと近付いた。
「まあ」
 愛は思わず呆然とした。音のしたのは、確かに自分の部屋の中だったのだ。音を立てぬよう、そっとドアを開ける。すると、クローゼットの方に人影があるではないか。
(嫌だ、泥棒?)
 愛は唇をきゅっと結び、思い切って電気をつけた。突如明るくなった事に驚いた人影は、小さく「ぎゃっ」と声を漏らして勢い良く振り返った。
「一体、何を……って、あんた!」
 振り向いた顔に愛は驚き、思わず鞭を強く握り締めた。それは、今日店の方にやって来て、愛にあの薔薇のオイルを献上した客の男だったのだ。
「すいませんすいません!愛様、つい!」
「ついって……」
「お風呂に入っていらっしゃるから、大丈夫かなって」
「お風呂にって……ちょっと待って。どうしてあんたあたしがお風呂に入っているのを」
 知っているのよ、と問い正そうとしてはっとする。今日献上された薔薇のオイル。メーカーの分からなかった薔薇のオイル。
「まさか、あのオイルに盗聴機か何かを……?」
 愛の言葉に、男はびくりと体を震わせてから、土下座をした。
「すいませんすいません!つい、出来心で!」
「……つい?」
 ぎゅっと握られる、鞭のグリップ。
「で、あんたは今何をしているのかしら?」
 男ははっとして手にしていたものを後ろに隠そうとした。愛は鞭をひゅっと唸らせ、それを阻む。男の手からはらりと落ちる、愛が一番お気に入りの下着。
「……つい」
 男は決まりが悪そうに呟く。何故か足は正座になっている。
「つい、で済む事なのかしら?」
 愛は鞭をびん、と張った。
「どうやら、お仕置きが必要みたいねぇ?」
「お、お仕置きですか?」
 妙に顔が綻ぶ。無理も無い、彼は愛の店の常連なのだから。
「でもねぇ、いつものお仕置きじゃああんたもちゃんとしたお仕置きとは思えないでしょう?」
 バスタオルからはみ出す綺麗な足をスラリと伸ばし、愛は男の額を踏みつける。「ぐお」という情けない声を出し、男は土下座をしているかのような態勢になってしまった。愛はそのまま頭を足で踏みつけたまま、ぐりぐりと踏み躙る。
「だからねぇ、いつものように快楽はあげないわぁ……ちゃんとした痛みとして、受け取って貰うわよぉ?」
 ふふふ、と愛は笑う。何処までも妖艶な笑みだ。男は恐れつつも、こくこくと頷いた。今こうしてあることが、幸せだと言わんばかりに。
「さあさあ……思う存分跪きなさい!」
 ピシッ!鞭が部屋一杯に唸り、男の体を痛めつける。快楽ではなく、純粋な痛みとして男には与えられる。だが、男はそれすらも喜びであるかのように恍惚の顔をしている。愛は何度も鞭を唸らせた後、男の手を鞭で締め上げ、ドアまで半ば引きずるようにして歩かせ、ドアの外に蹴りだした。そして、浴室に置いていた薔薇のオイルを男の頭から浴びさせる。途端、男の体中から薔薇の香りが溢れた。
「そのままイイコして帰んなさい?それとも……」
 愛はそう言って、鞭を舐めながら妖艶に笑む。
「まだまだオイタが欲しいのかしら?」
「ははは、はい!」
 物足りなさそうな男に、愛はにっこりと笑って手を振る。
「残念……おあずけよ?子猫ちゃん」
 バタン。愛は男に吐き捨てるように言い放ち、ドアを閉めて鍵まできっちりとかけた。ドアの外では、薔薇の匂いをぷんぷんさせた男が、体のあちらこちらに蚯蚓腫れを作られたまま、呆然としているのである。そして、そのままとぼとぼと帰っていくのだ。考えただけで自然と笑いがこみ上げてくる。
「あら」
 愛はふと気付き、窓のカーテンを開けた。いつの間にか、外は朝日を迎えていた。
「朝風呂っていうのも、いいわよねぇ」
 愛はそう呟き、大きく伸びをしてから再び浴室に向かっていった。疲れを取るのは、お風呂が一番だと思いながら。

<未だ浴室は薔薇の匂いで溢れ・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月01日

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