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『月光 』
梅田・メイカ2165

 メイカがドアを開けた時、暮れかけた太陽が空を鮮やかな茜に染め上げ、天頂はとうの昔にあおく静かな夜の帳を下ろし始めていた。
 ビルの形に切り取られた空を見上げてメイカは目を細めた。こんな空は形に残して起きたくなる。
「……あの?」
 空に目を細めるメイカに遠慮がちに声がかかる。はっと視線を戻してメイカは笑みを作った。
「ありがとう、どこにサインすればいいのでしょうか?」
 唇からこぼれたのは流暢な日本語だった。いくら日系だとはいえ、フィンランドの血を色濃く引くメイカから日本語が口にされるとは思わなかったのだろう、青年は僅かに目を瞬いた。
 示された場所にボールペンで名前を書き込む。青年の手から荷物が手渡された。薄くて軽いその包みは梱包用の素材で一包みしてあり、元のサイズより一回り大きくなっている。荷物の種類には極シンプルにCDの二文字が、そして送り先はあるCDメーカーであった。
 受け取って眺めるメイカに、ありがとうございました青年は頭を下げた。
「ご苦労様……」
 そっとエレベータホールに駆けて行く背に声をかけ、メイカはドアを閉めた。
「遂にお願いしていた物、届きましたね……」
 しげしげと裏表をひっくり返して見ながら部屋に戻る。
 フローリングの茶色と開け放たれた窓が切り取った夜の空の色がその部屋の中で大きく趣を異にしていた。
 無理もないソファもカーテンも机も白で揃えられていたのだから。白とまとめても様々だ。純白は勿論、生成りの白、灰色がかった白、淡く桜色に染まる白など、様々な白が部屋を彩っていた。もう一つの色彩はシルバーだ。それもメタリックな。メイカの外見のイメージから不似合いな程、その部屋は様々な機器に埋め尽くされていた。
 窓の側のL字コーナーには大きなテレビ。これから始まるデジタル放送に対応した液晶の薄いそれだ。その下にはDVD。最近出回りだしたTVの映像をDVDディスクに落とす事が出来るという品だ。そしてそれらを楽しむ為に設置されているスピーカーは五つ。これはMDコンポと共用にセットされた物で、MDコンポには他にCDやアナログ、ラジオの機能が付け加えられた一際大きな物だった。それらの並びの隣には大きなメタルラックにぎっしりと彼女のコレクションが並べられている。特に気に入ったものはラックの一番上から下げられたテント生地の白い布にセットされ、そのジャケットはメイカの目を楽しませた。
 L字コーナーの反対側に並ぶのは様々なゲーム機器だ。最新のゲーム機器は元より、最近製造中止になった現在の人気機種よりも性能の良い機器が整然と並びタップの切り替え一つでそれらを簡単に楽しむ事が出来るようになっている。
 ゲームのソフトは反対側の壁にやはりメタルラックに整然と並べられていた。その棚の二分の一を埋め尽くすのはゲーム機器ではなくパソコン用のソフトである。メタルラックの隣にはタワー型のパソコン。やはり色々と増設する為にはこれでないととメイカ自身がじっくりとカタログを見て選び出しその手で作り上げたパソコンである。その為メーカー品より余程愛着があるし、また自分の好みに合わせてカスタマイズされていた。パソコンに備え付けられる様々な機器もまた入念に選ばれた品ばかりだ。キーボード一つとっても適当には選んでいない。
 これらの機器のどれもが彼女の愛用の品であり、何度も足を運び選んだものだ。白と銀の部屋、その中に彼女が佇むとまるで部屋の一部のようにすら見えるかもしれない。
 メイカはソファに腰掛けると手元の明かりをつけた。梱包を解くとそこには大きな満月が輝くジャケットが現れる。ベートーヴェンの月光。それを様々にアレンジしたテーマCDが彼女の待ち焦がれていた品だ。
「満月はもう過ぎてしまいましたけれど……ね」
 メイカはCDをコンポにセットするとそのままカーテンも閉めずに手元の明かりを消して目を閉じた。――否、閉じようとして思い直して体を起こす。
「いけない。忘れる所でした……」
 キッチンに向かうと、一人用の小さなケトルでお湯を沸かす。その間に彼女はハーブティーの箱を取り出した。とある場所で見つけた月の名前を持つハーブティー。見つけた時からこのCDを聞く時に飲もうと決めていたのだ。
 ローズヒップ、アンジェリカ、セージ、ローズマリーをブレンドしたそれは、月の様に淡い黄色の茶色のお茶だ。医者要らずと言われる酸味の強いローズヒップ、天使がその効用を教えてくれたとされるアンジェリカ、背の低い多年草だが癒すという言葉に由来する名を持つセージ、少し刺激的な香りを持つ聖母マリアの薔薇と言う意味のローズマリー。どれもお気に入りのハーブばかりだ。
 ティーサーバにお湯を注ぐと残りの湯をティーカップに注ぎ、カップを温めながら待つ。十分に暖まったカップの湯を捨て、ハーブティーを注ぎいれる。ローズマリーの香りが心地いい。残りをポットに入れてティーコゼーを被せるとカップを手にメイカはソファに戻った。
「うん、完璧ですね」
 満足げに呟き、リモコンのスイッチを入れ、ハーブティーを一口。そして彼女は目を細める。
「美味しい」
 声が合図だったように音楽が流れ始めた。
 第一楽章――アダージョ。三連符の続くその静かで深い音は低く静かに始まっていく。
 アンビエント、それは空間に溶け込むように強い主張をせずに静かに静かに流れ行く音の流れ――。月光の第一楽章にそれはぴったりとはまっていた。
 まだ出でぬ月を待つように音は染み入る。
「とても良い曲……繊細な旋律を保ったままテクノの魅力が出てる」
 満足げにメイカは息を付く。
「この切なさが素敵です……」
 音に包まれてふんわりと漂っているような気分さえする。しかしその心地良さは唐突に終った。
 激しさを強く感じさせる第二楽章が始まった為だ。第一楽章を静とするならば、まさしくアグレットは動の音と言えよう。力強く高く高く上り詰めていく分散する和音達、それが月光のクライマックスだ。その力強さを表現するようにドラムがなり始めた。
 ひどく複雑なリズムで。
 存在を主張するように。
 聞いているだけで体にリズムが溢れてきて自然と動き出しそうだ。メイカの爪先がリズムを刻みだした。目を閉じたその面は柔らかい笑みが浮んでいた。
 いつの間にか出ていた月が部屋を照らしている。今宵の月は白く美しい。力強いリズムに励まされるようにゆっくりとメイカの部屋に音色と共に月光が染み込んできていた。
 その白い面を月光に照らされながら、メイカは月の明るさと優しい光を堪能する。プレスト・アジタートはそして静かに跳ねるような音で始まっていた。跳ねる音が高音まで上り詰めた後旋律を重視した始まる。決まりきったパターンに添った音でありながら、どこかドラマティックなそれは様式美をその最たる特徴とするユーロトランスにもっとも相応しいものであった。判っているからこその高みへ、音のトランスへそれはメイカを導く。
 メイカは逆らわずにその流れにのる。クライマックスを迎え収束に向かうその幕切れの最後の一音まで。音が途切れた後もメイカはしばし目を閉じていた。
「やっぱり……素敵ですね。待っていた甲斐が、ありました」
 開かれたその瑠璃の瞳が嬉しげな光を宿し、メイカは静かな彼女の自室で満足げに笑みを浮かべるのだった――。

fin.
PCシチュエーションノベル(シングル) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年12月01日

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