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『雪と橘 』
紅蓮の鬼姫・雷歌1428

 雪が深かった。
 岩屋に舞い込んでくるのはそればかりでもなかったが、一際身に染みて、そして己でも触れる事が叶うのは雪ばかりだった。
 風は吹き込んでは来るが頬を通り過ぎてもその手で掴む事は叶わない。
 この葉は何故かこの岩屋を避けるように落ちていく。
 ただ吹き込む雪だけが、その岩屋を訪れるものだった。
 けれどそれは嬉しいものではなかった。その客人が訪れる都度、その冷たさに指が触れる都度に、分かってしまうからだ。
 また季節が巡ってきた事が。
 無為にただ眺めているだけの日々に、それは降り積もる。
 白く、触れるだけで消え去ってしまうその客人は、彼女の中では決して解け去りはしない。
 しんしんと、冷たく静かに。季節を巡る都度降り積もる。
 それが幾度目かはもう、数えても居ない。ただ新たに積み重なる時だけを感じる。
 暦のかわりに。時計のかわりに。
 身の内に季節が巡る都度にそれは降り積もり続けた。
 雪が。雪だけが。
 紅蓮の鬼姫・雷歌(ぐれんのおにひめ・らいか)の客人であり、友であり。
 ――忌むべき永遠の道連れだった。

「……また面妖な場所に面妖なものがおるのう」
 岩屋の中でぼんやりと苔の数を数えていた雷歌は暫くその声に気付くことが出来なかった。
 身の内に雪を溜め込み出してから、この岩屋に閉じ込められてから、それは初めて自分に対して向けられた言葉だった。反応が遅れたのも道理である。
「……なに?」
 緩慢に顔を上げた雷歌の瞳は驚愕に見開かれていた。それに声をかけた老人――僧衣の老人だ――は、それこそ驚いたように肩を竦める。
「お主のようなものに驚かれるほど化け物じみておるかの、わしは?」
「ある意味では、そうね」
 こんな場所までやってきて、私に声をかけるなんて。
 そう掠れた声で――何しろどれだけの間声を発していなかったのか覚えがない――雷歌が告げると、からからと老人は笑う。
「それは道理じゃのう」
 こんな場所。崖壁を抉り取って作られた牢屋だ。一頃は人の行き来もあり雷歌を奇異の目で眺めて行く人間も多かったが、噂がうわさを呼び今ではすっかり人が寄り付かなくなっている。
 ――そこに、鬼が居ると。
 真実雷歌は鬼だった。そう呼ばれる少なくとも人ではない存在だった。それが理由で能力の総てを封じられ、この岩屋に閉じ込められている。
 その力を使って何をしたわけでもなかった。ただ鬼であると、それだけが理由だった。
 はじめの頃は何故と問い嘆いた。だが雪が重なる都度、そんな思いは忘れていった。理由を考えてそれが見つかってなんになる。どれほど考えようとも答えなど見つからず、またもし見つかったとてその答えが自分をこの岩屋から解放してくれる訳ではない。
 くっくと含み笑いを落とした老人は岩屋の入口に顔を寄せ、まじまじと雷歌を眺めた。
「なに鬼がおると聞いたものでな。確かに鬼のようじゃがまた随分と愛らしい鬼もおったものじゃ」
「愛らしい?」
「そんな幼い女子の風情の鬼など聞いたこともないわい。鬼といえば体は真っ赤か真っ黒かで、頭に角を生やして、耳まで裂けた口に牙を覗かせておらねばならんじゃろうに」
 明らかにからかっている声音だ。
 雷雨は怒る事も忘れ、ぽかんと老人を見た。
 この老人は雷歌を鬼と知りつつ、恐れの一つも見せない。
「――怖くは、ないの?」
「封印されとる鬼を怖がるほど老いぼれちゃおらん」
 それに、と老人はまた笑う。
「お前さんは鬼じゃが、だからと言って特に武勇伝があるわけではないようじゃしな」
「武勇伝?」
「人を食っただの、地を割っただのじゃ」
 ん、なかろうが?
 促されて雷歌は頷く。殆どそれは反射的なものだった。ただ呆れていた。
 何もしていないと。雷歌を鬼と知りつつ、鬼に人ならざる力があると知りつつ、あっさりとそれを認める人間など居るとは思わなかった。はっきり言って阿呆ではないかとまで思った。
「さて、お前さんに一つ問いたい事がある」
「え?」
「そこから、出たいかの?」
「それは……」
 頷きかけた雷歌を押し留めるように、老人は言葉を重ねる。
「そこから出るということは、生まれると言う事で――生きるということじゃ」
 差別を受け、忌み嫌われた世界にもう一度生まれるという事。そこで生きるという事。

 暦のかわりに。時計のかわりに。
 身の内に季節が巡る都度にそれは降り積もり続けた。
 雪が。雪だけが。

 雪だけを――暦に、時計に。その岩屋に、雷歌はいた。



 それ言うてみいと覗き込んでくる老人に、雷歌は力強く頷いた。
 明日を夢見ないものが、刻まれる時を覚えてなどいるはずが、なかった。



「ほれ」
 どれほどぶりかで己の両の足で立った雷歌に、老人は緑の葉のついた枝を差し出す。雪の季節でありながらそれは艶やかな緑の葉と橙の実をつけていた。
「……なに?」
 問い掛ける雷歌に、老人は『橘じゃよ』と答える。
「我が宿の、花橘は、いたづらに、散りか過(す)ぐらむ、見る人なしに――とか申すものもあってなあ」
「???」
「ま、それは恋唄じゃが、なにも咲きもせず見せもせず散らずともよかろうよ、お主もの」
「ねえ?」
「うん?」
「これのどこが咲いているの?」
 渡された枝を示して雷歌が眉を顰めると、老人はこれは失敬と、からからと笑った。



 我が宿の、花橘は、いたづらに、散りか過(す)ぐらむ、見る人なしに〜中臣宅守
 私の家の庭の花橘は、ただむなしく散ってしまったことでしょう。だれも見る人がいなくて。


 けれど花の散った後には橙の実がつくのだ。
 老人のその気使いを雷歌は知らない。そして橘の実に尊い生命力が宿ると言われていることも、雷歌はその時知らなかった。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
里子 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月28日

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