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『恵みの雨の休日 』
守崎・北斗0568)&石和・夏菜(0921)

 屋根から滴り落ちる雨がコンクリートの窪みに水溜りを作っていく。壁もない東屋の下ではコンクリートの乾いている部分は徐々に濡れている部分に侵食されていく。
 少しづつ色の変わっていくコンクリートをじっと見つめていた石和・夏菜(いさわ・かな)は、ぶつっと何かが切れたように叫んだ。
「北ちゃんの……北ちゃんのばかああああああっ!!!!!」

『北ちゃんの……北ちゃんのばかああああああっ!!!!!』
 その叫びは勿論その『北ちゃん』が目の前に居ないからこそのものだったが、しかしてしっかり聞いていたりする。『北ちゃん』こと守崎・北斗(もりさき・ほくと)はぽりぽりと頭を書きながら、夏菜の絶叫を聞いていた。
「……見捨てて帰っちまおうかなチクショウ」
 心にもない呟きが口から漏れる。勿論北斗はそんなことはしない、と言うより出来ない。そんな情無しではないし、ついでにそこまでの度胸はない。
 いくら喧嘩に発展してしまったとはいえ『初デート』で相手の女の子を置いて帰るような真似は北斗には出来ない。
 個人的な性格云々もあろうが、それと同時に外的要因も加味している。
「……んなコトしたらあの鬼どもに何されるかわかんねーし」
 鬼どもとは己の兄と夏菜の義兄だ。まあ命までは取られなくとも、多分あんまり無事ではすまない。
 だから見捨ててなど帰れない。
 喧嘩していようとなんだろうと、ほっといて帰れないのは、鬼が怖いから。
 鬼が怖いから、喧嘩していようとなんだろうと見捨てて帰れない。
 つまるところ北斗はそういう少年だった。
 ――素直になるのに、少しばかり自分の中にいいわけが必要な。
「あー……ったくなんでこんなことンなってんだか」
 ぶつくさといいながら北斗は天を見上げた。
 雨が降っていた。



「あ、あのえとね、北ちゃん」
「あー……その、な」
 体と体の距離15センチ。付かず離れずの微妙な距離を保ったまま、夏菜と北斗は歩いていた。
 二人で出歩く事など珍しくもないが、そのおでかけにちょっとした名前が付いていたり、関係に新たに名前が付いていたりすると流石に勝手が違う。寧ろそれまで近くにいた分、その名前を持て余す。
 恋人、だとか。デート、だとか。
 夏菜にどう接していいのかはわかっても、恋人にどう接していいのかは分からない。
 北斗に何を言えばいいのかなど意識した事はなくとも、恋人にいうべき言葉は見つからない。
 夏菜の希望に従って遊園地での初デートなど決行してみたが、その実状たるや家でお茶でも飲んでいるほうがまだ近しいという中々愛らしくも滑稽なものとなっていた。
 踊るきぐるみや回るメリーゴーランド、喧騒も風船も全部意識にはない。あるのは15センチ先の互いの体温だけだ。
「あ」
 夏菜が小さく声を上げた。
「あん?」
 その声に夏菜を見下ろすと、その瞬間ポツリと地面に染みが出来る。
「雨……」
 夏菜の声に被さるように、ざっと、視界は冷たい水滴にけぶった。



「……北ちゃんのばか」
 もう一度夏菜は呟いた。
 それから慌てて二人で軒先に入った。どんどん黒く変色して行くアスファルトを眺めている内に浮かれていた気持ちもドキドキしていた気持ちもふしゅんと風船のようにしぼんでいくのがわかった。
 折角デートだったのに、会話もろくに出来なくておまけに雨に降られて。
 もっと、もっと楽しい筈だったのに。
 そう思うと切なくて、夏菜は『ごめんなさい』と北斗に謝ったのだ。自分が遊園地なんかに行きたいといわなければ、雨にも降られなかったし、もしかしたらもっと楽しい事があったかもしれない。
 それがどうして喧嘩に発展したのかは、夏菜にはもうさっぱりわからない。
「えーと……」
 顎に指を当てて考えてみる、見るがしかし、
「あれ?」
 結局思い出せない。思い出せるのは『北ちゃんのばかーっ!!!』と叫んでランチバスケットを北斗に投げつけて逃走した場面のみだ。
「……なんでこんなことになっちゃったのかな?」
「そりゃこっちの台詞だ阿呆」
 突然頭上から響いた声に、夏菜ははっと顔を上げる。その声の主を確かめるより早く、夏菜の視界は黒いジャケットに遮られた。
 夏菜にばさっとジャケットをかけてやった北斗はやれやれと肩を竦める。
「ほら、風邪引くぞ」
「……引かないもん」
 むうっと頬を膨らまし、夏菜はジャケットからもそもそと顔をだした。それでも北斗と視線は合わせない。夏菜の着ているざっくりとしたセーターは水を吸ってしぼんでしまっているし、その髪からは水滴が落ちている。
 今から風邪引きますと言わんばかりの有様だ。北斗はやれやれと肩を竦める。
「引くって。ほら、行くぞ?」
「……馬鹿は風邪ひかないんだもん」
 ふいっと夏菜は覗き込んでくる北斗から顔を背けた。
 馬鹿だと思う。理由も思い出せないような喧嘩をして、雨にも降られて。折角夕べから下ごしらえをして早起きして作ったランチバスケットも台無しにして。
 楽しい筈だったのにと思うと涙が出てくるほど悔しい。
 夏菜は嗚咽を堪えて、真っ赤な顔で沈黙した。



 あーチクショウどうしてコイツはこう……
 かわいいんでしょうか、神様?
 思った時にはもう腕は伸びていた。雨で冷えた夏菜の体を北斗はぎゅっと抱きしめる。
「北ちゃん!?」
 驚愕に見開かれる目を見つめて、すいません止まりません神様と、被害者ではないものに謝る。



 それが重なったのは一瞬。



 口元を抑えて夏菜は硬直する。
「え、えとえとえと……」
「あ、いや……つい」
「……うー……」
 夏菜は真っ赤になって俯く。衝動に流された北斗はそれをどうしていいのか分からない。
 勿論後悔はしてません神様ありがとう。
 そんなことは心の片隅で思っていても声には出せない。
「あー……な、夏菜?」
「…………」
 視線が合わせられずに、それでもその小さな体を離せずに、北斗は明後日の方向を向いたまま言った。
「雨の遊園地も悪くねーし。思い出になっていーんじゃねー?」
 一瞬夏菜はきょとんと目を瞬いた。そして降り続く雨に反して、夏菜の顔はにこっと晴天と変わる。
「うん。……北ちゃん大好きっ!」
 ただ抱きしめられていた夏菜がひしっと抱きついてくる。
 嗚呼神様恵みの雨をありがとう。
 そう北斗が思ったかは定かではない。



 が、
 はっと北斗が我に帰ったのは次の瞬間の事だった。周囲からのクスクスと言う笑いに気付いたからである。
 トコロ遊園地東屋。つまりそこは公衆の面前。
 微笑ましい少年少女に周囲の視線が集まっている。幸せも感謝も全部北斗の頭からはふっとんだ。
「って見世物じゃねえー!!!!!」
 名残惜しさよりも照れが勝つ。抱きしめていた夏菜を離すと、北斗は真っ赤な顔でその場を逃げ出す。
「あ、ああ、北ちゃん待ってなのー!!!!」
 やはり真っ赤な顔のまま夏菜もそれを追う。小さくなっていく後姿に、クスクスという周囲の笑い声が届いていたのかいないのか。



 そのまま家まで逃げ帰った二人は、二人で少し崩れたランチバスケットを空にして。
 少し照れくさい雨の休日を終えた。
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東京怪談
2003年11月27日

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