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『【ゆりかご・かんさつきろく】 』
海原・みあお1415


 姉の通う中学校が原因不明の火災で半壊したのは、今日から数えてきっちり2週間前の出来事。
 焼け焦げた校舎と瓦礫の下からは、個人識別が難しいほどに損壊した死体の他に、明らかにヒトの形を逸脱した異形のカタマリが混ざり込んでいた。
 そして。
 普段ほとんど会うことのない父親から、海原みあお宛に1通の手紙が添えられた手のひらサイズの小包が届いたのは、今から数えてきっちり5時間前の出来事だった。

 小包の中身は、明らかに異界の力によって歪められた仔蜘蛛の標本――――



 お気に入りのリュックを背中に装備して、みあおは真夜中の校庭に立っていた。
「みあお、はりきっちゃうもんね!おとーさんの依頼だ!おー!」
 決意表明を声に出し、それにあわせて拳を突き上げる。
 13歳という実年齢では不適当だが、身体の行動と精神面では間違いなく小学一年生であるみあおに課せられた『本日の任務』は、ずばり『仔蜘蛛殲滅』である。
 学校に巣食い、はびこっていた子蜘蛛の生き残りを全てこの世界から排除すること。

 何故、父親がこんなことを頼むのか。
 何故、わざわざこの日を指定したのか。
 何故、自分なのか。

 疑問はどこまでも果てしなく続く。
 だが、みあおは、本来ならば質問攻めにしても良いはずのこれら一切を、『おとーさんがみあおにお願いしてくれたんだからいいや』で済ませてしまった。
 自分は何も知らなくていい。
 父親が『任せる』といったその言葉が何よりも自分にとって重要なことだったから。
「まずは……」
 両手で小箱を包み込み、精神集中。
 そこから発せられる絹糸よりも細い妖の気配が、みあおの手の中から長く伸びていく。
 手繰り寄せれば用意に辿り着くことが出来るほどに特異な波長。
 紫がかった糸の先で潜んでいる歪みが、目の前にイメージとして浮かぶ。
「さあ、しゅっぱーつ!」
 再度、冷え冷えとした夜空のもとで突き上げられた小さな拳。
 瞬間。
 ふわりと全身に青白い燐光が纏わりつき、それはまたたくまに『みあお』のカタチを解いて一羽の青い小鳥へと変貌させる。
 絹糸程度にしか感じなかった力の波動が、一気に鮮明さを増し、進むべき道を照らす道標となる。
 流れを辿るように、闇の中を青い小鳥はつい…っとなめらかに飛行する。


 校庭に並ぶ植樹の陰。中庭の端。体育館裏。
 公園の隅に置かれたベンチの足元。
 見知らぬ人間の庭先の窪み。
 あらゆる暗がりに仔蜘蛛は潜み、巣を張り、獲物を待ち構えている。
 そのひとつひとつを、仄明るい光を纏った霊羽が消滅させていく。
 時には何枚もの羽根がみあおの翼から放たれ、空を舞い、一瞬の光を閃かせた。


「あれ?」
 最後のひとつを手繰り寄せ、追い求め、僅かな扉の隙間から入り込んだのは、ごくごく見慣れた和室だった。
 壁にはセーラー服が掛けられ、天井に下がる蛍光灯からは魚のアクセサリーがついたコードがのびている。
 ヒトの姿に戻り、降り立った場所はみあおの家。
 そして、みあおの姉の部屋。
 だが、床に敷かれた布団の上に横たわる姉の周囲は、けして見慣れた光景ではなかった。
「姉さま?」
「いや……ッ」
 苦しげに震える声を洩らす、反り返った白い喉。
 添えられた手が、何かを引き剥がすように首筋を掻き毟っている。
「………あ」
 彼女の耳元で蠢く仔蜘蛛が、細く冷たく可聴域ギリギリの高音を発しながら、姉の身体を、そして姉を取り巻く部屋全体を蜘蛛の糸で侵していく。
 巨大な揺籠が形成されようとしているまさにその瞬間がみあおの前に展開されていた。
「わぁっ!」
 瞬く間に、視界が白い糸で埋め尽くされる。
 不快感や恐怖ではなく、純然たる感動で声を上げ、思わずパンっと手を打ち合わせるみあお。
「すごい!変身するんぁ!」
 手足を絡め取られ、蹲るようにして繭玉へと変化していく異様な姉の姿を目の当たりにして、最初に口をついて出た言葉がこれだった。
 そして、
「えっと、たしか前に買ったカメラがあったよね。カメラ、カメラ!」
 次の言葉がこれだった。
 家族に訪れた突然の変化を前に、知的好奇心は加速度を増して膨れ上がった。
みあおの瞳が、先程までとは比べものにならない輝きを放つ。

 ごそごそと、まずはフィルム残数が残っている使い捨てカメラを家宅捜索の末になんとか発見する。だが残念ながら枚数は残り3枚だ。記録を撮るには少なすぎる。
 さらに棚の奥を探るとデジカメを発見。これなら大丈夫と、安心して装備した。
 次に、詳細な記録を文字によって残すべく、夏休みの間で買った絵日記の発掘作業に取り掛かる。
 机の奥を引っ掻き回し、同じ場所からボールペンも一緒に発掘してこれも装備。
 思いのほか、記録媒体の調達に時間が掛かってしまった。
 開け放たれたふすまの向こう側を振り返る。
「あ!もう変わり始めてる!いそがなくちゃ!!」
 慌てて、最も観察しやすい地点へ移動。
いそいそとデジカメを構える。
 無邪気で純真でまっすぐな子供の心は、時にまるで悪意を含まぬままに残酷なことを平気で為してしまえるものだ。
 子供は天使などではない。
 そして、天使はけして人間の味方ではない。
 あの者たちの背中にある一対の翼が猛禽類を模しているのだと言えば、より理解は容易いだろうか。
「あ、お腹がふくれた」
 銀の透明な色彩を持つ小鳥少女は、これから起きることへの期待に瞳を輝かせ、昂る想いを全身に溢れさせながら、ひたすらシャッターを切り続ける。

「パジャマ、はじけてる。ん〜と……あ、生地が中にのまれちゃった」
 ジー…カシャン。
「ズボンも全部メチャクチャだ」
 ジー…カシャンカシャンカシャン――――
「うわ〜トゲが生えてギザギザになっちゃった。色も変わった!」
 ジー………
「ええと、関節関節……あちこち折れて数えられないや」
 カシャンカシャン。
「よし!あとで写真で確かめよっと」
 
 融けていく。膨れ、捏ねられ、換わりゆく肉体。
 まるで性質の悪い粘土細工のように、少女の身体は確実にヒトから異形へと作り変えられていくのだ。
 克明に記録されていく、蜘蛛の変態。
 自身に訪れる変化に抗い、呻き続けたいた姉の声が、次第に柔らかくうっとりとした含みを持ち始める。
 
「足ふえた!」
 ジー…カシャン
「いち、にぃ、さぁん……4本!」
 カシャンカシャンカシャンカシャン――――
「ん〜まだフヨフヨしてそう。触ったらムニョってするかな?ネチョ、かな?」

 姉の身体から滴り落ちる粘液は、人であったカタチを崩すためのものだろうか。
 溢れ出たそれは布団を僅かに汚したが、ただ汚しただけでそれ以上何も起こらない。
 好奇心がまた湧き上がる。
 繭玉の隙間からこぼれたそれに、そぉっと手を伸ばして、指先でおそるおそるすくい取ってみる。
「…………あ、みあおは融けないや」
 幸いと言うべきだろうか。みあおの指も、やはり布団と同様何の変化も訪れない。
 指を鼻先へ持っていく。すんっと軽く空気をひと吸い。
 ほんの少し生臭い気がした。だが異臭と呼べるほどのものじゃない。
「やっぱり見てさわって確かめるのは観察の基本だよね」
 指についたものを布団の端で拭い取り、それから今のを観察ノートにボールペンで記録する。
 しばし蜘蛛の繭から目を離す。
 そこで唐突に変化は訪れた。
「わっ」
 それまで、皮膚が膨れ上がり、無数の棘のような体毛が表面を埋め尽くし、足が増え、関節が増えながらも、繭の中で蹲ったまま僅かな痙攣を繰り返すのみだった彼女の身体が、急にごそりと動き出す。
 いつの間にか、あの高い子守唄のような音は止んでいた。

―――――オカア…サン…………

 繭の中からずるりと這い出、眼前に迫るおぞましい濡れた女郎蜘蛛を前にしても、みあおの強靭な好奇心はびくともしなかった。
 姉の虚ろな視線が闇の中をさまよい、恍惚とした笑みをそこに浮かべていても、8本の歪な手足が不規則に蠢いて何かを求めるように空を掻いても、みあおの子供らしいドキドキは止まらなかった。
「はい、チーズ☆」
 完全に蜘蛛と化した姉と共に仲良く記念撮影。
 ご機嫌な1枚の出来上がりだ。
「じゃあ、最後のお仕事〜」
 みあおの青い羽根が振り下ろされた。
 えいっ。
 ぷちっ。
「任務完了!」
 写真もばっちり。父親のお願いもばっちり。
「姉さまももとどおり、かな?」
 完全なる異形になったはずの姉の身体は、仔蜘蛛の死と共に緩やかにヒトの姿を取り戻していく。
「うん、大丈夫みたい」
 掛け布団が繭を作る時になくなってしまったことや、姉の着ていたパジャマがずたずたに引き裂かれてしまったことなど、明らかに尋常ではない状況は残ってしまっているが、とりあえず知らない振りを決め込もうと決意。
 姉の枕元には、潰れた蜘蛛の仔が一匹取り残される。
 
「おやすみなさ〜い」
 
 ステキな写真を収めたデジカメとステキな観察記録ノートと一緒に、みあおは自分の布団にもぐりこむ。
 そろそろ長い夜が明ける。
 すっかり明るくなったら、このデジカメに収めたものを母親にお願いして現像に出してもらおう。
 最後の一枚はきっと写真盾に入れたくなる出来栄えのはずだ。
 出来てくる写真が楽しみでならない。
 ドキドキと胸を高鳴らせながら、一晩動き回ってくたくたのはずのみあおは、なかなか寝付けないままにいつもどおりの朝が来るのを待ちわびた。

 もうまもなく、みあおは姉の悲鳴じみた声を壁越しに聞くことになる。
 天使でも悪魔でもなく、ただどこまでも好奇心旺盛で無邪気な子供は、その瞬間を観察記録たちと一緒に迎えるのだ。




END
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高槻ひかる クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月25日

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