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『美山の子守唄 【阿】 』
蒼月・支倉1653)&賈・花霞(1651)


 兄の指の上でくるくると回るバスケットボールを、妹が笑顔で見つめている。
 顔形や雰囲気はあまり似ていない兄妹であったが、はたから見ても、ふたりが兄妹であることを想像するのは難くない。
 血は繋がっていないし、姓も違う。だが、蒼月支倉と賈花霞は兄妹だ。
 それは夕暮れ。
「3点シュートかっこよかったよー」
「2回外したじゃんか。恥ずかしかったよ」
「そんなの、みんなわすれてるよ。花霞もわすれてるもん。それに勝ったんだし、いいじゃない。パパさんもよろこんでたよー。夕ごはんはごちそうだね!」
「肉がいいなあ」
「あ! 花霞、東坡肉たべたいかも」
「いいなあ、トンポーロー。僕も食べたいな」
「コトコト青梗菜といっしょににこんだやつ」
「うん、最高」
 こうして夕飯について話しながら帰ると、大概食卓には、話していた料理が並ぶのだ。しかしこの夕暮れのこの会話は、それを狙ったものではなかった。いつでも、ふたりはこの会話に期待など見出していないのだ。
 支倉は指の上で回らせていたボールを放り投げ、受け止めて、慣れた手つきで突きながら、花霞の歩調を合わせて歩いていた。花霞も、ボールを突きながら歩く支倉に合わせて歩いていた。ボールが地面で跳ね返る、独特の音とリズムを聞きながら。
 今は黄昏。
 日は沈み、空は紺色だ。程なくこの色は藍に変わり、ゆくゆくは漆黒のものとなる。
 支倉が生み出すリズムに、不意に乱れが――加わった。

 四つ足の獣のように、足を止めた支倉は耳をそばだてた。
 花霞の瞳に、刃のような光が灯る。

「きこえた?」
「唄だね」
「どこからだろ」
「まだ遠いみたいだ」
 ただの唄に、ふたりはこうもするどく反応はしない。
 それはただの唄ではないと、ふたりは感じ取ったのだ。
 バスケットボールのリズムを崩しながら、割り込んできたその唄――
 ふたりは自然と黙りこみ、足早に歩き始めた。


   …………ないたのせて 青菜切るよにざくざくと……


「哥々!」
「しっ!」
 花霞と支倉が、唄の出所を知ったのは同時だった。
 いつも通る歩道橋の上からだ。行き交う車の唸りや、風を切る音すらもくぐり抜け、唄はふたりの耳に届いていた。

   切って刻んで油で揚げて 道の四辻に灯し置く
   人が通れば南無阿弥陀仏 親が通れば血の涙

 透き通った声と、ゆったりとした調べ。
 子供を寝かしつける親が唄っているかのよう。
 いや、ひょっとすると、これは……子守唄なのか。

   面の醜い子は俎板に乗せて 青菜を切るよにざくざくと
   切って刻んで油で揚げて 道の四辻に灯し置く
   人が通れば南無阿弥陀仏 親が通れば血の涙

 ひどい歌詞だ。
 これが子守唄であるものか。なぜ、そう考えてしまったのだろう。こんな唄を聞かされたら余計に目が冴えてしまう。ざくざく切られて、油で揚げられるなど!

 そうして、兄妹と唄うものの視線とは、かちりと合った。

 優しいが空恐ろしい歌声は、若い女のものだった。
 女はどうやら、その子守唄で子供を寝かしつけようとしていたらしい。少なくとも、支倉と花霞はそう思った。女は、赤ん坊を抱いていたのだ。
 あッ、
 支倉と花霞は同時に声を上げた。
 だが、その声を待たずに、女はくるりと踵を返すと――

   面の醜い子は俎板に乗せて 青菜を切るよにざくざくと……

 唄いながら、歩道橋を渡っていったのだ。
「哥々、ねえ、あの人……」
「うん、間違いないよ。でも……結婚したなんて聞いたことないな……」
「花霞も。でも哥々、結こんしなくても赤ちゃんはできるよ」
「ばっ、そんなこと知ってるよ!」
 ふたりは知っている。
 赤ん坊を抱いて子守唄を唄っていたのは、支倉の友人の、姉だった。
 美人で評判の上、ふたりは何度か会ったこともあるし、話をしたこともある。声はあの静かで恐ろしい歌声そのままだ。
 だが、子供はいなかったはずだ。少なくとも、恋人がいるという話も聞いていない。
「明日、聞いてみるよ」
「うん……」
 探りたい気分になるのも、不思議なことではなかった。
 そう思えるほどに、異様な歌声と、唄であったから。


 翌日のことだ。支倉は昨日の夕飯がトンポーローだったことなど忘れていて、夕飯の前に見たものはしっかりと覚えていた。
 唄もだ。
 子守唄。
 唄っていた女。
 支倉は早速友人を捕まえて、尋ねた。
「ねえ、お姉ちゃんいたよね」
「あ……ああ」
 友人の態度は、どこかよそよそしかった。まるで、姉を話題にしてほしくないような素振りであった。支倉はそれに気がついて少し後ろめたい気分になったが、質問を途中で止めることも出来なかった。
「いつ、赤ちゃんできたの?」
「……は?」
「昨日見かけたんだ。赤ちゃん抱いてた――」
 唄も唄っていた。
 だが、それを付け加えるのは何故かはばかられ――そもそも、付け加える余地はなかった。友人が、『見かけた』という言葉を聞いた途端、様相を一変させて、支倉に掴みかかってきたのだ。
「どこ、どこで見たんだ!」
 周囲の視線が、さっと集まる。今は休み時間で、ここは廊下だ。だが、支倉には「何でもないんだ」と乾いた笑いを周囲に見せる余裕はなかった。友人の表情には鬼気迫るものがあった。
「遠山通りの……5丁目の、歩道橋だよ」
「嘘つけ! この町になんか居るもんか! もう散々探し回ってるんだぞ!」
「本当だよ、妹も一緒に見たんだ! 探してるって……どういうことさ?!」
 支倉も思わず声を荒げた。
 友人はそこで、少しばかり正気を取り戻したようだった。支倉の襟首から手を離すと、青い顔で呟いた。
「いなくなっちまったんだ。連絡もつかなくて」
「い、いつから?」
「だいぶ前かな。いや、ちょっと前なのかも。家が大騒ぎで、もう、よくわからないんだ」
「……いなくなった理由に、心当たり、あるの?」
 支倉がそう尋ねたのは、心当たりがありそうだったからだ。この表情の翳りは只事ではない。
 だが、友人はその質問に答えてはくれなかった。
 授業開始のチャイムが鳴り、ふたりは教室に入った。
 その友人はそれ以降の休み時間、支倉を避けるようになったのか――ふたりが相見えることはなく、退屈な5時間目が始まった。


 支倉が退屈な授業に襲われている間、小学生の花霞はすでに下校中だった。彼女は昨日の夕飯がトンポーロー(一緒にコトコトとチンゲンツァイも煮込まれていたのだ)だったことなど忘れていて、夕飯の前に見たものはしっかりと覚えていた。
 唄もだ。
 子守唄。
 唄っていた女。
 花霞は車が行き交う本通りの端で友人と別れ、足を止め――歩道橋を見上げた。風が彼女に伝えてくれたのだ。見上げろと、聞けと、思い出せと。

   ……が通れば南無阿弥陀仏 親が通れば血の涙……

「あ!」
 また、あの女。
 しかしその様子は、どこかが昨日と違っていた。
 昨日とは違い、まだ明るい周囲が、花霞の目を欺いたのか。花霞は声をかけようと歩道橋の階段を駆け上がった。
 だが、唄は消え――
 女の姿は消えていた。
 赤ん坊を抱いていたかどうかも、はっきりとはわからなかった。


 そして、事故があったらしい。


 支倉が退屈な授業から解放されて、今日はバスケの練習が休みだということを幸運に思いながら、自宅まで駆け戻ったとき――花霞はすでに家にいて、広い玄関で兄を待ち構えていた。
 玄関に飛び込むなり視界に飛び込んできた青い妹の姿に、支倉は驚いた。
「何だよ、びっくりしたじゃないか」
「ごめん。で、哥々、おともだちに聞いた?」
「聞いたよ。びっくりしたさ」
「……死んでたとか?」
「そこまで行ってない。でも、行方がわからなくなってるみたい」
「いつから?」
「少なくとも、昨日より前から」
 ふたりは口をつぐみ、僅かな間に見つめあった。
 脳裏をかすめるのは子守唄。
「……あのね、音がくの先生にきいたよ。あのうた……『美山の子守唄』じゃないか、って」
「子守唄? やっぱりそうだったんだ」
「京都のうただって」
 あの、末恐ろしい詞は、調べの通りに、子供をあやすためのものであったのか。
 包丁でざくざくと刻まれて、油でからりと揚げられた、目玉と指とやわらかい臓物。誰もいない四辻に、知らぬ間に据え置かれて――人が通れば、手を合わせ……親が通れば……。
「でも……かしが少しちがうみたい。子守うただからかもしれないけど、先生が知ってたのは『ねんねせん子はまないたにのせて』なの。花霞たち聞いたの、かおがみにくい子は、まないたにのせて……だったよね?」
 花霞が言葉を切って、支倉は黙り込んだ。
 ふたりの沈黙に、賑やかな音が紛れ込んでくる。居間のテレビの音だろう。明るいCMを流しているのだ。
「花、テレビつけっぱなしで待ってたの?」
「あっ……消しわすれちゃった」
「中に入ろう。ここは寒いよ」
「うん」
 テレビの音は近づいた。
 CMが開けて、スタイリッシュ且つ洒落た音楽が流れ――夕刻のニュースが始まった。今日のニュースのハイライトが、目まぐるしく、てきぱきと流される。フラッシュを浴びながら警察に連行されていく疑惑の政治家、北海道の熊騒動、住宅3棟を舐めた不審火、痛ましい事故。
 そして、手始めとばかりに流された、都会の片隅のちいさな事故を報せるニュースに、またしても兄妹は言葉を失った。

 映し出されたのは、この屋敷の近所だ。
 兄妹が見慣れている街並みだ。
 多くのひとが、見た端から忘れてしまうようなちいさな事件だった。見知らぬ男が死んだのだ。ただそれだけのことなのだ。
 だが、支倉と花霞にとっては、死んだ男は見知らぬ男ではなく――事件は事件であり、対岸の火事ではなかったのである。
 死んだ男は、支倉の友人の姉と付き合っていたはずだった。支倉は、友人の家にその男が出入りしているのを何度か見たことがある。花霞でさえも、見た記憶があるのだ。それほど、頻繁に会う仲だったということだ。恐らくは両親も公認で、しかも上手くいっている関係だったのだろう。
 その男が死んで――
 女は、消えた。
 キャスターは至って冷静に、交際相手の女性が現在行方不明であることを告げていた。しかし、キャスターは知らないだけで、テレビカメラを持っていた現場のクルーたちも、知らなかっただけなのだ。
 カメラが確かに、一瞬現場で捕らえた、赤ん坊を抱いた女が……その、『交際相手』であることを。
 聞こえた気がするのは錯覚か。
 ああ、聞こえるとも。

 肌寒さを呼び起こす、うつくしい歌声とおそろしい歌詞。

   面の醜い子は俎板に乗せて 青菜を切るよにざくざくと
   切って刻んで油で揚げて 道の四辻に灯し置く
   人が通れば南無阿弥陀仏 親が通れば血の涙




<続>

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年11月25日

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