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『 祝彩日 』
湖影・虎之助0689)&七星・真王(1994)


 それは、まだ少し夏の熱が残る、9月下旬の出来事。


■side:M■

 枕元で、かすかな音色が上がった。驚きもせず、体を横たえたままその音色に導かれるように手を伸ばし――指先に当たる固い物を掌中に納めて引き寄せる。
 携帯電話、だ。
 やや眠そうな顔で、彼は二つ折りのそれを手の中で開く。
 メールが一件、届いていた。
 誰からだろうと思いながらも、名前を確認しないままにメールを開く。

 ――真王くん、デートしない?

 いきなり現れたその文字に、彼は眠そうに半分閉じていた目をぱっちりと開いた。そして2・3度素早く瞬きした後、布団に横たえていた体をゆっくりと起こし、手に持ったままだった携帯電話のスクロールボタンを押す。
 文章は続いていた。
 ――9月27日、時間空いてるならでいいんだけど。折り返し連絡くれるかな?
 誰だろう。
 緩く首を傾げて、彼はさらに画面をスクロールさせ、あ、と口の中で小さく呟く。
 綴られていたのは、覚えのある名前だった。

 ――それじゃ、連絡待ってるよ。  湖影・虎


■side:T■

 その時、撮影が終わった湖影虎之助(こかげ・とらのすけ)は帰り支度をしていた。
 撮影の疲れからか、シャツの袖に腕を通しながら浅い吐息を漏らしたその時。
 ブブブ、と化粧台の上で何かが振動し始めた。
「……?」
 怪訝な眼差しを音のほうへ向ける。
 そこにあるのは携帯電話だった。どうやら着信中らしい。
 片手でフリップを開き、届いているメールを開く。差出人は「M」。携帯に登録してある名前がソレなのだが……どうやら今朝、仕事に入る前にデートのお誘いメールを送った相手から返事が来たようである。
 ――お返事、遅くなりました。すみません。その日は特に予定はありません。何かご用でしたら指定の時間に指定の場所までお伺いしますので、お手数お掛けしますが折り返しご連絡いただけますか? よろしくお願いします。
「えらい違いだなーアイツと」
 呟いて、虎之助はふっと笑みをこぼす。
 丁寧に、かつ真面目に返されたそのメールの内容。いつもいつも、同じ「M」から送られてくるメールとはかなり言葉遣いから何から違っているのが面白いというかなんと言うか。
 いつもなら「虎ちゃん、今何してた?」「虎ちゃん、いつケーキバイキングに付き合ってやればいいんだ?」「虎ちゃん、こないだジーンズの広告ポスターに起用されていたな。首にかけていたアレ、俺がお前にくれてやった物だろう?」などなど、「虎ちゃん」「虎ちゃん」と……思わず「やめんかい」と怒鳴りたくなるようなメールばかりが飛び込んでくるのだが。
 今日のメールは、静かな気分で見ることができた。
 いつもがアレだから、そのギャップのせいだろうか。
 にしても。
「何かご用でしたら……か」
 口許に苦笑を浮かべて虎之助はメール閲覧を終了し、スクロールボタンを親指で操って、メモリー検索を始める。
「だからデートだって言ってるのに」
 探し当てた番号に回線を繋ぐ。コール三つ目、通話が繋がった。
「ああ、すみません。先日、9月27日に予約を入れた湖影ですが……ええ、時間はそれでコースはそれで。あと、帰りにケーキ用意してもらえます? ……そうです、そうなんです。あと、ワインですけど、今からそちらに持って行きますのでそれを出していただけますか。ええ、それじゃよろしくお願いします、失礼します」
 丁寧に述べ通話を人差し指で切ると、ぽつりと一人ごちた。
「さて、と。ミカとの待ち合わせ、何処にするかなぁ……」
 今予約の確認をした店は目黒にあるが、まあ少しばかり離れた所にいても早めに向かえば間に合うか。
 あそこに行ってあれをして……などと、デートプランを立てる時のようにすっかり真剣になっている自分に思わず笑いそうになるが、せっかく今回はいつものあの小憎らしい裏人格・ルシフェルではなく主人格・ミカエルの方を誘うのだから、やはりそれなりに楽しめるコースを考えてやりたいと思う。
 最近送られてくるルシフェルからのメールの量を考えると、ここのところ、ほとんど意識を支配しているのはルシフェルなのではないかと思うのだ。
 ならば、たまにはしっかり主人格に戻らせ、息抜きくらいさせてやりたい。楽しませてやりたい。
 本当のその体の所有者はお前なのだとわからせてやりたい。
「……まったく、一体俺はどこまでお人よしなんだか」
 苦笑し、虎之助はとりあえず当日の待ち合わせ場所と待ち合わせ時間をメールで送信する。送信しながら……ふと、思う。
 ……彼、七星真王(ななほし・まお)は、その日が何の日なのか覚えているのだろうか?


■meet again■

 驚いた。
 一応、念のために虎之助はシャツの袖から覗く腕時計に視線を落とす。
 待ち合わせは、午後3時。
 現在の時刻は、午後2時30分。
 相手を絶対に待たせないようにと、予定時間より30分早めに来て相手を待っているつもりだった虎之助は、すでにその待ち合わせの場所にいる者の姿を見て目を見開いていた。
 襟のない白いシャツの上に、ボタンを開けたままの、太腿辺りまで丈がある白いスタンドカラーのシャツを纏った青年。
 乱れのない姿で凛と、土曜日の休暇を楽しむ人々の波の中に立つその姿はどこか……彼の兄の雰囲気に似ていた。
 ふっと、その青年の白いキャスケットを被った頭が動く。
 青い瞳が、虎之助を見た。
「あ」
 唇が動く。そして柔らかい微笑を浮かべて小さく会釈する。
 その姿、仕草までもが、あの兄に似ていた。
 妙な既視感を覚えてしばしその場で固まっていた虎之助だが、すぐにハッと我を取り戻し、慌てて人波をすり抜けて彼に駆け寄る。
「ごめん、待たせたかな」
「いいえ、僕も今ついたところです」
「まさか先に来てるとは思わなかったよ。絶対俺が先だと思ってた」
「あ……急に仕事が入って、慌てて片付けてきたらこんな時間で……あ、僕の仕事、言ってませんでしたっけ? それとも、ルシフェルが言ってるかな?」
 怪訝な顔をした虎之助の反応に、彼――真王は緩く首を傾げる。しかし、その口からさらりと紡がれた「ルシフェル」という言葉に、虎之助がさらに目を見開いた。
「ルシフェルと話せるようになったのか?」
「いえ。ほら、前に僕の依頼を請けて来て下さった時、日記に書けってルシフェルに言ってくださったでしょう? 彼、あれから自分が表に出ている時はメモに書いてくれているんです、自分の事を」
「アイツが表に出てる時の事、全部?」
「え? さあ……多分全部ではないとは思いますが」
 口許に手を当てて首を傾げている真王を見、ほっと思わず虎之助は吐息を漏らした。
 この様子だと、兄の身に起きた事はまだ知らないようだ。
「どうかされましたか?」
「あ、いや。キミの仕事の事は知ってるよ。陰陽師、だろ? お仕事ご苦労様でした」
 声を落としてその耳元に囁きかける。そしてそのまま真王の肩を促して、その人ごみの中から歩き出す。
 ふと、なされるがままになりながらもその肩越しに真王が振り返った。
「あの、今日は僕に一体どのようなご用だったんですか?」
「え? だからデートだって言ったじゃないか」
「えっ。あれって本当のことだったんですか?」
「俺は嘘はつかないよ。あ、でも今日は一日俺に付き合ってくれるよね? そういう約束だったしね?」
 無論、そう問いかければきっと、彼なら否とは言わないであろう事は予測済みの虎之助である。
 いつもはルシフェルにしてやられてばかりの彼だが、今日はどうやら自分のペースで物事が運べそうである。
 ……もっとも、このまま最後まで、ヤツがミカの意識を乗っ取りさえしなければ、の話だが。


■glasswork■

 黒い靴以外は全身が白尽くめの青年と、派手にならない程度にセンス良くアクセサリを身につけ、黒いシャツに黒いチノパンという背の高さがさらに際立つような服を身に纏った秀麗な顔の青年。
 しかもその長身の青年というのはモデルの湖影虎之助である。
 そんな2人が一体こんなところで何をやっているのだろうと遠巻きに見守っているのは、某デパート内にあるファンシーショップの女性店員たちだった。
 結構長い間ガラス細工が置かれたコーナーで何か言葉を交わしながら立ち止まったままなので、誰かへのプレゼントの選定中なのかと思いさりげなく近づいていった店員は……やがて聞こえてきた2人の会話に目を瞬かせた。
 小声で、囁くようにかわされるその言葉。
「本当に、何でも好きな物言っていいんだよ?」
「えっ。でもやっぱりそれは……申し訳ないですし……」
「遠慮しなくていいんだって。ね? 欲しい物、言ってごらん?」
「いえ、あの……本当に、困ります……っ」
「んー分かった、じゃあ買わないから。どういうのが好きなのか教えてよ。それならいいだろ?」
 どうやら誰かへのプレゼントではなく、今ここにいる白尽くめの青年へのプレゼントらしい。
 一体どういう関係なのだろう……などと思われていることなど露知らず、虎之助と真王は棚に綺麗に並べられている様々なガラス細工を肩を並べて眺めていた。
 動物や乗り物の形をした小物や、ペーパーウェイト、ルミグラスディスプレー、ティファニーランプ、携帯電話のストラップ、アクセサリーなどが、その棚にはずらりと置かれている。屈折率などを計算して設置された照明が、商品の美しさを一段と引き出していた。
「何かご希望のものがあったらお気軽にお申し付けくださいね」
 ふと、不意に背後から声を掛けられ、虎之助が振り返った。彼らが気づかない内にすぐ傍まで歩み寄り、しばし話を聞いていた女性店員である。
「あー……」
 まだ決めてないからと言おうとした虎之助は、その傍らで真王がじっと何かを見ていることに気づいた。その視線を追う。
 と、その先にはティファニーランプとは違う形のランプがあった。傘がある電灯ではなく、中に火を入れるタイプのものだ。火を灯す部分を囲うガラスは丸みを帯びた真っ青なもので、その下につや消しでもしてあるのか鈍い色合いの金具があり、さらにその下には透明なガラスに模様を彫り込んでところどころに青い色を入れた土台がついていた。
 どこかアンティークな雰囲気の漂う美麗なランプである。高さは約20センチといったところか。
 こそりと、虎之助は店員に声をかける。
「アレ、売り物ですか?」
「え? あれ、実際に火は入れられませんけど、それでもよろしければ」
「じゃあプレゼント用にラッピングしてもらえますか。彼に気づかれないように」
「ええ、分かりました」
 微笑んで答える店員とともに一旦その場を離れて会計を済ませてから、虎之助はまた真王の傍に戻った。
「真王くん、ちょっとこっち来て」
「え?」
 ランプに見入っていた真王は、呼ばれてくるりと振り返った。虎之助が少し離れた場所で手招きしている。緩く首を傾げてそちらへ歩み寄る。
「はい?」
「これ、どうかな」
 虎之助が指差した先にあったのは、ネックレスだった。銀鎖の先に小指の先ほどの大きさの花のつぼみを模った透明なガラスがついていた。いや、透明なだけではなく、中には虹色の輝きがある。ダイクロガラスというキラキラ光るガラスを埋め込んであるようだ。
「こないだルシフェルにこれ貰ったから、真王くん今何もつけてないだろ?」
 言いながら、虎之助が首にかけていた艶を消した細いシルバーチェーンを親指に引っ掛けて引っ張り出す。トップにあるのは、丸い黒曜石だ。
「あ……」
 小さく呟き、真王は自分の胸元に手を当てる。
「コレの代わりになるかどうかはわからないけど、お返しっていうかね。貰ってくれるかな」
「えっ、でも……いいんですか?」
「お守りの代わりになるならね?」
「それは、呪を入れればいいだけなので媒体は何でも構わないんですが……」
「なら、決まりだ」
 言って、虎之助がそのネックレスの鎖を持ち上げる。と、その隣にあった同じデザインのピアスがずるずると引きずられてついてきた。
「あれ?」
「ああ、それもセットなんですよ、ネックレスと」
 近くにいた店員が答える。
 言われて、虎之助は真王の耳元の髪を指先で持ち上げて耳朶を確認した。
 そこに孔は、ない。
 そういえば、彼の兄にも同じような事をしたことがあるなと思い、かすかに苦笑しながら真王に言う。
「……開けてないね、ピアスホール」
「ええ、つけようと思ったことないので」
「どうしようか」
 せっかくセットでついているのなら、使わなければ勿体無い気はする。だが穴がないのなら仕方ない。まあ使わなくてもセットでついてるのならこっちは持っておいてもらえばそれでいいかと思いかけた時。
「じゃあ開けます、今から」
 あっさりと真王が言ったので、それには虎之助の方が目を瞬かせた。
「え? 今から?」
「はい。安全ピンか何かお持ちですか?」
 針で開けるというのか? 今ココで? アイシングもせずに?
 かすかな瞠目を持ってしばし真王を眺めていると、さっきの店員が微笑みながら近くにあった箱を手に取り、こちらに差し出した。
「これなら一瞬で終わりますよ? あまり痛みも感じないですし」
 差し出されたのはピアサー(ピアス穿孔器)だった。それにセットされているピアスは先端が鋭く尖っているので耳朶に穴を開けることができるのだ。だがそれだと、そのピアスを当面つけていなくてはならないので買った物をすぐにはつけられない。まあ別に急いでつけなくてもいいんだが……。
「じゃあそれで開けてから、引き抜いて入れなおしてもらえますか?」
 これまたあっさりと真王が言う。その言葉に虎之助が自分を指差した。
「俺が?」
「え? あ……自分では上手くできないと思うので、できればお願いしたいんですが……」
「真王くんが痛くてもいいって言うならやるけど」
「構いません」
「そう? じゃあそうしようか」
 ネックレスとピアス、ピアサーと、先ほど店員にこっそり頼んでおいたランプを入れたプレゼント仕様の箱が入った紙袋を受け取ると、2人はフロア隅にある自販機などが置いてある休憩所の一角に足を運んだ。
「んー……これを押し込んだら中に内蔵されてるピアスが刺さるのか……本当に俺がやってもいいの、真王くん?」
 ベンチに腰掛けてピアサーの説明書に目を落としながら虎之助は尋ねた。その隣に腰を下ろしている真王は、被っていたキャスケットを脱いでにこりと微笑んで頷く。何の迷いもためらいもなく。
「そう、……じゃ、やろうか。痛かったら言ってね?」
 取り出した器具を耳朶に当て、一つ呼吸してから、一気に引き金を引いてピアスを押し込む。ガシャンという、中のスプリングがピアスを押し出す音が上がる。
 同じ事をもう一方の耳朶にもしてから、虎之助は真王の様子を伺った。
「痛くない?」
「平気です。……抜いて、入れなおしてもらえます?」
「……触っていいのかな」
「抜いたら多分、血が出ると思いますが……」
「いいの?」
「あ、湖影さんの手が汚れてしまいますけど……」
「いや、俺じゃなくて真王くんが。血、出てもかまわないのかって」
「僕は構いません」
「……君、意外と強いんだね」
 感心しながらピアサーを外し、現れた耳朶に刺さっている金色のピアスを見る。なんだかさっきまでそこになかったものが存在しているということに奇妙な感覚を覚えるが、それはさておき。買ったピアスを手の中に握ってから、ポケットからハンカチを出して真王の肩の上に置いた。彼の白い服が血で汚れないようにとの配慮である。
 しっかりと装着されているピアスキャッチの方をやや緊張する指先でつまみ、ピアス本体の方を引き抜く。
「っ」
 ピクッと真王が肩を震わせた。
「あっ、ごめん、痛かった?」
「あ……いえ、平気です」
「じゃあ、入れるからね?」
「はい」
 手の中にある新しいピアスを、血が滲んでいる孔へと素早く挿し入れる。指先に血がつくのも構わず、キャッチをスタッドにはめ込む。
 思ったより、出血は少ない方だった。ハンカチでその耳朶についている血をぬぐってやりながら再び真王の様子を伺う。
「よし、こっちはできた。大丈夫?」
「はい、大丈夫です。すみません、なんだか……」
「ああ構わないって俺は。じゃあそっちもやろうか」
 同じ要領でもう片方のピアスも入れ直し、ふっと安堵の息をつく。
「結構人の耳にピアス入れるのって怖いね。体貫通させるってのがなんか変な感じ」
「……すみません」
 申し訳なさそうに視線を伏せる真王に、虎之助は苦笑する。そして軽くその頭に手を置いた。
「俺のワガママ聞いてもらったわけだから君が謝ることじゃないだろ?」
 自分がピアス付きのネックレスなど買わなければ彼は孔を開けようとは思わなかったはずだ。なのに全てを自分のせいであるかのように言うその様は……。
(本当に、ルシフェルとは正反対だよなあ)
 抱いた感想を表に出すことはない。胸の奥深くに沈めて、穏やかに笑みを浮かべる。
「ちょっと手洗ってくるよ。待ってて」
 言って、ひらりと手を振りその場を後にした。


■question■

 真王の血がついた指先を化粧室に入り、水で洗い流していた、その時。
 ポケットの中で何かが振動し始めた。
 この振動は、携帯電話だ。
「誰だよ……」
 手についた水を振って払い、ハンカチで軽く拭いてから面倒臭げに携帯を引っ張り出す。そして誰からの着信かを見て目を見開いた。
 ――やられた!
 慌てて通話ボタンを押して電話を耳に押し当てる。
「お前……っ!」
『やあ虎ちゃん。よくもミカを傷物にしてくれたなお前。責任取れるのかこの色男?』
 着信名は「M」。だがミカエルなら用事があったら直接ここに来るだろうと思ったのだ。
 案の定、電話口にいるのはどうやらルシフェルのようだった。相手を小馬鹿にしたような口調……間違えようもなくルシフェルである。
「お前なあ……遠慮しろよ今日くらい。っていうか傷物ってなんだよ一体」
『心配しなくてもお前が戻る前には引っ込むさ。それより虎ちゃん』
 クスクスと楽しげに笑うルシフェル。その笑い方に、嫌な予感が湧き上がる。
 返事もせずに黙り込んでいると、虎之助の反応に構わず彼が言を継いだ。
『花のつぼみのネックレスとピアス。その意味するところは?』
「は? 意味? ……そんなもの別にないが」
『なんだ。てっきり「花開いたらキミを摘ませてくれるかな?」とかいうアヤシイ意味があるのかと思ったんだが、違うのか』
「…………」
 思わず、携帯電話をその場に投げつけそうになった。
 が、どうにかそれを思いとどまり、足早に化粧室から出て真王の元へと向かいながら携帯に向かって低く声を紡ぐ。
「おい、もうすぐそっちにつくぞ。ちゃんと入れ替わっとけよ?」
『あーわかったわかった。ところでお前夕飯、ミカに和食以外のもの食わせる予定とか……ああもうっ、お前歩くの速すぎるんだよ!』
 言うなり、いきなりぶつりと通話が切れた。
 わざわざ茶化すためだけにミカエルと入れ替わり電話をかけてくるとは……何を考えているのか。しかも、最後に言いかけた言葉は一体なんだったのか?
 額を押さえて虎之助は低く唸った。
 ……まったく、一体アイツはなんなんだ?


■sweetness■

 それから本屋とCDショップなどで真王が好きな本や曲について聞いてみたり(彼は自然の写真集が好きらしく、家には森林や月、海などの本が数十冊あるのだと苦笑していた。音楽は滅多に聞かないらしい)して適当に時間を潰し、夕刻、先日予約していたフレンチの店へと移動した。
 が、入り口前に設えられた優美な白い階段の前で、真王は足を止めてしまった。
「? どうしたの?」
「あ……いえ、ここ……」
 眼前にある建物を見、困ったような戸惑ったような表情になる。
 ライトアップされたその建物は、まるで西洋の城か何かのようで――。
 あまりにも高級そうに見えるし、なおかつ気品がありすぎて、自分には敷居が高い。
 そんな風に思えたのである。
 だがそんな真王の思いを読み取ったかのように、虎之助は優しい笑みを浮かべてその肩にぽんと手を置いた。
「気にしない気にしない、ね? 俺も一緒なんだから」

 案内されたのは、個室だった。
 ルイ16世王朝時代のインテリアで統一したと謳っているその部屋は、その部屋を予約するだけで相当な金額を取られそうな気がする。
 眩暈を覚えて、真王は隣にいる虎之助を見た。
「あの、本当にいいんですか……」
「気にしない気にしない」
「お荷物お預かりしましょうか?」
 虎之助が持っていた紙袋が気になったのだろう。そうウェイターに声を掛けられたが、虎之助は軽く手を上げて制した。
「いえ、これは結構です」
「そうですか、では失礼いたします」
 丁寧に挨拶をし、下がるウェイター。ぱたりとドアが閉まってから、虎之助は顔をわずかにこわばらせている真王を見て笑った。
「心配ないって。別に個室だからって特別に料金取られたりしないし」
 少しでも気を軽くしてやろうと思ってそう言ったが、やはり雰囲気自体が高級すぎて気が引けまくっているのだろう。とりあえず椅子の一つを引いて座るように促すが、今すぐにでも逃げ出したそうな雰囲気を纏う彼に、思わず苦笑してしまう。
「全然気にしないでいいんだって、本当に。楽しんで一緒に食事してくれたほうが嬉しいし。そんな顔してたらせっかくの美味しい料理も勿体無いしね」
 その言葉に、はっとしたように真王が顔を上げる。そしてなんだか酷く悪い事をしたかのような顔になった。
「す、すみません、せっかく連れてきてくださったのに……」
「ああだから、もう気にしないでって。ほら、座って」
 優しい微笑でもって促されて、真王は大人しく、従うようにすとんと椅子に腰を下ろした。
 その目の前に、持っていた紙袋を差し出す。
「はい。誕生日、おめでとう。真王君」
 言われて、はたと真王は目を瞬かせた。しばしぼんやりとその紙袋を眺め、そして。
「あっ、今日、27日! ……忘れてました」
「じゃないかと思った。開けてごらん?」
 言われて、失礼しますと断ってから真王は包みを開けた。中からはあの、青い硝子のランプが現れる。
「あ……これ」
「気に入った? 火は灯せないらしいんだけどね」
「火は別にかまわないんです。すごく……すごく嬉しいですっ。ありがとうございます」
 真王が本当に嬉しそうに笑ったその時、ドアがノックされた。失礼しますという声の後、店の者がワイン片手に現れた。が、特に説明もなしに栓だけ開けると、それを置いて退室する。
「1983年、モンラッシェ。飲めるかな? 確か、今日で二十歳だよね? ちょうど君が生まれた年に作られたワインだよ」
 言いながら虎之助が手ずからグラスに注いでやり、差し出す。やや濃い目の白ワインだ。
 これは虎之助がわざわざネットで探して購入し、先もって店に預けておいたのである。オールドヴィンテージなだけあって値はかなり張ったが、まあそれはよしとして。
 グラスを受け取り、真王はちらりと虎之助を見てから、少し視線を伏せて微笑んだ。
「ありがとうございます。ワイン、初めてなんで味とかよくわからないと思いますけど……」
「ああ、いいのいいの俺の自己満足だから」
「僕が生まれた年のワイン……。……すみません、頂きます」
 何やら感慨深そうに呟き、真王はゆっくりとグラスに口をつけた。

 他愛ない会話を交わしながら、食事は進んでいた。
 が、運ばれてきた肉料理を前にし、困ったような顔で動きを止めている真王に、虎之助が動かしていたフォークとナイフを持つ手を止める。
「あ、もしかして肉苦手?」
「えっ。あ、いや、そうではなく……」
 言って、真王は苦笑を浮かべた。
「気づいておられるかもしれませんけど……僕、フォークとナイフ上手く使えなくて……どこから手をつけていいのかわからなくて」
 確かに、何だか妙にぎこちない手つきで食べているなぁとは思っていた虎之助である。
 ふと、デパートにいる時にルシフェルからかかってきた電話を思い出した。
 あの時、奴は「ミカに和食以外のものを食わせる予定」がなんとかと言っていた。
 ……もしかしてアイツは、こうなることを予測していたのではないか?
 しくった、とわずかに舌打ちしたいような気持ちになったが、すぐに虎之助は真王の方へと手を伸ばした。
「かしてごらん、皿」
「え? あ、はい」
 言われるがままに、真王は自分の前にある皿を虎之助に渡す。
「俺が使った後だけどいいよね?」
 手にしたフォークとナイフを少しだけ持ち上げて、真王が頷くのを見ると、虎之助は固まった肉をばらしはじめた。
「ごめん、気が回らなくて」
 洗練された手つきで食べやすいように崩してやりながらぽつりと虎之助が言う。それに慌てて真王が首を振った。
「いえ、いいえっ。あの、でも美味しいです、すごくっ」
「優しいな、君は」
 真王の言葉から感じ取れる気遣いと精一杯の優しさに、皿を差し出して笑いかける。それを受け取り、真王は緩く頭を振る。
「ごめんなさい、本当に……気を使わせてしまってばかりで……」
「いいんだよ、俺が好きでやってることだから。君がそんなに気にしなくてもね」
 答えて、虎之助は恐縮してばかりの真王の気持ちを少しでもやわらげようとするように、穏やかに微笑んだ。



■a conclusion■

 食後のコーヒーまでしっかりと堪能して、彼らが店を後にしたのはもう午後9時前だった。
 帰り際、店員から渡された箱をそのまま虎之助は真王へと差し出した。首を傾げて不思議そうな顔をする真王に、微妙な色合いの苦笑を浮かべる。
「それは、もう一人の君に、ね。中、ケーキだから」
「もう一人の……あ、ルシフェルですね。ありがとうございます、彼の事までお気遣いいただいて」
「いや、まあ……なんと言うか、腐れ縁だからね」
 こちらの意思はまったく無視してヤツにはペットだの愛人だのと言われているが、それは口にはせず曖昧に微笑んで。
「今度誘う時はもっと気楽に食べられるものにするよ。ああ、俺の手料理とかどうかな?」
 笑いながら言う虎之助に、真王は目を瞬かせる。
「湖影さん、料理されるんですか?」
「これが結構イケるんだって、信じられないだろうけど。……だから」
 真王の青い双眸を覗き込み。
「また、誘ってもいいかな?」
 その言葉に真王はわずかに目を瞠ったが、すぐに微笑んで頷いた。
「はい、僕でよければ喜んで」
「そう、よかった。じゃあ……そろそろ送ろうか?」
「あ、いえ、平気です一人で」
「本当に? でも結構ワイン飲んでたし」
「あ、初めてアルコール飲んだんですけど、それも平気みたいです」
 確かに、まったく酔っ払っているようには見えない。まあ、これなら一人で帰しても大丈夫だろう。女の子でもないし、それほど心配しなくてもいいか。
「それじゃ、気をつけてね。今日は一日ありがとう、真王君」
「いえ、こちらこそ本当にありがとうございました。楽しかったです」
 折り目正しくお辞儀して、それじゃあと手を振り、真王は歩いていく。その後姿を暫し見送り、さて、と虎之助もまた、踵を返して歩き出す。
 と、その時ポケットからまたしても携帯電話が発する微震が伝わってきた。なんなんだと引っ張り出して見ると、メールが一件着いている。
 まさか。
 思いながら、慌てて確認し――虎之助はがくりと肩を落とした。
「まったくアイツは……」

 ――今日のデートは80点。まだまだだな虎ちゃん。

 振り返ってみるが、すでにそこには真王の姿はない。多分、この着信の早さからすると、虎之助が背を向けて歩き出した時点でミカエルとルシフェルが入れ替わったのだろう。
 やれやれと溜息を漏らして苦笑を浮かべながら、虎之助は手馴れた指使いでメールへ返信を返す。そして送信ボタンを押し……唇の端を歪めて笑い、また歩き出す。
 ――まあ次は余裕で100点行くさ。
 そう答えて……まったく、一体自分はどこまで彼らに付き合い続ける気なのだろう? と溜息をつく。
 けれど、すぐに自分の中に答えがあることに気づく。
 それは、きっと。
 きっと、自分の気が済むまで、だろう。
「……まあ、仕方ないか……」
 諦めたように呟き、虎之助は空を見上げた。
 少し雲が出てはいるが、わずかばかり星が見える。
 ……自分と共有した時間が、少しでも彼の安らぎになっていればいいのだが。
 そう思うが、それは真王本人にしか分からないことだ。
 それでもいい。
(せめて……)
 せめて今日だけは、真王に少しでも安らぎが与えられますように。

 今日は、ミカエルやルシフェルなどではなく、紛れもなく一人の「七星真王」という者が生まれた日なのだから。

PCシチュエーションノベル(ツイン) -
逢咲 琳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月25日

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