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『正しいティータイムの過ごし方 』
藤井・百合枝1873)&藤井・葛(1312)


『これからシュークリームを作りにいくから』
 藤井葛のもとへ、仕事帰りの姉、百合枝から突然の連絡が入ったのは土曜日の午後12時45分。
 その瞬間、葛の脳裏に過ぎったのは、先週末のベークドチーズケーキ、先々週末の苺の生クリームケーキに起きた目を覆うばかりの惨劇だった。
「…………えっと、さ……」
 本気かどうか…いや、むしろ正気かどうかを問い掛けそうになる。
『これから材料を買っていく。じゃあ後で』
「あのさっ」
 電話は切られてしまった。
 時計を確認する。
 姉が到着するまで、おそらく後55分程度か。
 せめて気持ちを落ち着かせよう。
「……………」
 とりあえず葛はパソコンの電源を入れ、ネットゲームに繋げてみたりした。
 相変わらず進まない論文を机の上に放置し、そしてこれから起こる悲劇からも逃避するために。
 人間、目の前に差し迫ったものがあるとどこまでも『別のこと』がはかどるものなのかもしれない。



 妹への連絡を終えた百合枝は、その場でぐるりと周囲を見回した。
 最近すっかり常連となりつつあるこの大型食品専門店で『シュークリーム』のための材料を物色。
 まずは粉関係。この間は強力粉を買って失敗したのだ。今度は間違えないようにしなくちゃいけない。
 そうして百合枝が手に取ったのは片栗粉とうどん粉だった。もちろん薄力粉も忘れてはいない。
 彼女の中で前回の失敗は強力粉だけを使ったせいということになっていた。
「やっぱり粉から凝らなくちゃね」
 2週間前、百合枝はとある事件の調査に当たっていた。
 純白のドレスを纏った彼女たちの連鎖する悲劇。それを断ち切るために、人の心の中を覗き込む特殊な瞳を使って関わった。
 揺らめく炎が見えるはずのない心を形に変える。
 だが、そこで百合枝は見てしまったのだ。
 普通の人間ならば見ずに済んだはずの光景が目に焼きついて離れない。
「……………」
 鮮烈な闇色の炎は、一週間経った今も、網膜の裏で時折揺らめいては百合枝の不安感をあおる。
「………忘れるんだ。もう、何も起こらない」
 頭を振って、意識的に思考を事件から今現在へと向けなおす。
「シュークリームなら、やっぱり中のクリームに独創性を求めるべきだね」
 気合を入れなおし、お菓子作りのリベンジに燃える百合枝の足が、製菓材料のコーナーから微妙に外れ始めた。
「彩りも大事だね。ふむ。ネットで見たあれはなかなかキレイだったような………」
 一度は落ち込んでしまった気持ちも、材料選びを進めていく内にどんどん上向きになっていく。
 それと比例して、買い物カゴの中身もどんどん増えていく。
 ただし、それはどれほど頑張って想像力を掻き立てようとも、シュークリームはおろか、およそお菓子の材料とはなりえない代物ばかりである。

 藤井姉妹におけるティータイムの悲劇は、こうして過去数回に渡り繰り返されたのだ。



 チャイムが一度、気の抜けた電子音で来客を告げる。
「邪魔するよ」
「いらっしゃい」
 正確な時間の読みでネット・ゲームを終え、パソコンの電源を落としていた葛は、大荷物を抱えた百合枝を玄関で出迎える。
「持つよ」
 彼女が僅かに持ち上げて見せた荷物の半分を引き取ると、葛は姉を待たずにキッチンへそれを運び込んだ。
 一見姉思いと思われたこの行動は、けして仕事後にここへ来てくれた彼女に対する労りなどではない。
 ビニールから透けて見えた材料に経験から来る不吉な予感を覚えた葛は、お菓子作りが始まる前に徹底的に危険物の排除を行うつもりでいたのである。
「さ、はじめようか」
「あ」
 だが、中身全てをチェックする前に姉は靴を脱ぎ終えてしまった。
 事前チェック失敗。
「あのさ、百合姉」
 おずおずと姉を見上げる。
「あのさ、リベンジするならシュークリームよりは」
「もう材料買ったんだから、これで行くよ」
「…………………うん」
 覚悟を決めるしかなかった。
 軌道修正第一段階失敗。
「準備するよ、葛。ボウルと篩を出して」
「ああ」
 てきぱきと指示だけは的確な彼女の言うままに、葛はキッチンから必要な器具を手際よく引っ張り出してはテーブルに並べた。
 ただし作業の間も意識は百合枝に向けられたままだ。
 姉の手がビニール袋からテーブルの上に次々と並べていく『製菓材料』を目で追いながら、それをひとつひとつ頭の中でうろ覚えのレシピと照らし合わせていく葛。
 卵1パック。上白糖1キロ。薄力粉1袋。片栗粉、うどん粉、タイカレー・ペースト、コーンスターチ、牛乳、トマトピューレ、バター、ガラムマサラ、バニラエッセンス……
「は?」
 今、何か自分はおかしなものを見た気がした。
「百合姉……俺、確認しときたいんだけど………これからシュークリーム作るんだよね?」
「当たり前じゃない。電話でもそう言ったよ」
「……………」
 一瞬の沈黙。
「じゃあ、これとこれは間違いなくいらないよな!」
 既に百合枝が手にしていたうどん粉を取り上げ、次いで片栗粉も机の上からひっさらう。
「普通のお菓子作りに片栗粉とうどん粉の出る幕ってないじゃん」
 葛のツッコミに、そんなことないと思うんだけどと残念そうに呟く百合枝。
 ともあれ、第二段階での軌道修正は何とか成功した。
 そう思った葛の安堵は、すぐに打ち砕かれる。
「私はシュー皮作るから、あんたはカスタードクリーム作って」
 はい。
 手渡されたのはタイカレーペースト、そしてガラムマサラと卵だった。なぜか食紅も一緒に並べられている。
 一体どこから食紅を出したのだろうか。
「……………あのさ、百合姉。俺、これからカスタードクリームを作るんだよね?」
「当たり前じゃない。今そう言ったよ」
 顔も上げずに百合枝は答える。
 うどん粉と片栗粉を妹の手によって奪われた彼女は、今、薄力粉だけを篩に掛けていた。
 その表情は真剣そのものである。
 粉雪のような白い粉は、ボウルを中心に周囲20センチほどに降り積もっているが、とりあえずは許容範囲と呼べるレベルだろう。この辺は他でもよく見る光景だ。
 葛は明らかにおかしいと思われる材料(主に美味しいカレーを作る手助けにはなりそうなもの諸々)を後ろ手に隠し、百合枝に気付かれないようにそうっとキッチン下の戸棚に押し込んだ。
 自分は、カレー味のシュークリームを食べるつもりはない。
 真っ赤に染まったクリームもイヤだ。
 悲劇は三度繰り返されてはならないのだ。
「さてと、これで安心だ」
 残りの薄力粉をコンスターチと一緒に耐熱容器に篩い、レンジへ入れて設定ボタンを押す。
 1分間の空白を得てふと横を見ると、今まさに姉の手が、篩い終わったボウルの中に、砂糖を袋から直接注ぎ込もうとしていた。
「うわ!ちょっと待って!」
 寸前で何とか阻止。ぱらぱらと入ってしまった分についてはとりあえず諦めることにする。
「ひとつ聞いてもいいかな、百合姉」
「なに?」
「レシピ、見なくていいわけ?初めて作るんだよな?」
「ああ。ちゃんとネットで作り方は確認してきたよ。大丈夫さ。プリントアウトするの忘れちゃったんだけどね、頭には入ってる」
「いや……イヤ、だめだよ!お菓子作りはやっぱり分量の正確な数字で決まるものだからさ!ちょっと待ってて。今プリントするよ。うん。ええと、どこのサイトを参照にしたんだ?すぐ出来るって。俺がやるよ。うん!」
 普段は寡黙で通っているはずの葛の口から、立て板に水の勢いで次々言葉が出てくる。
 自己防衛本能のなせる業だろうか。
「ちょ、ちょっと待ちなよ、葛!?」
 ぐいぐいと姉を引っ張り、パソコンの前に無理矢理座らせる。
 インターネットと言うものが便利で素晴らしい文明の利器だということを、今この瞬間、葛は世界中の誰よりも強く実感しているかもしれない。

 ともあれ、全てを百合枝の勘だけで進行する危機だけは何とか免れることが出来た。
 天性のセンスか、もしくは職人技を有していないものがみだりに勘でお菓子など作ってはいけないのだ。
 もし万が一にもそんなことをすれば、待っているのは良くて『シュークリームのようなもの』、最悪『かつてシュークリームになる予定だったものの成れの果て(=味覚破壊物質)』である。
 ぎりぎりでそれを回避した姉妹は、色鮮やかな手技の写真が満載のレシピを机に大きく広げ、再びシュークリーム作りへと果敢な挑戦を開始する。

 ボウルでバターを練り、砂糖、牛乳、卵黄を手際よく混ぜ合わせた後はレンジで数分暖める。
 葛の仕事は確実においしそうなクリームを作り上げていた。
「バニラの香りっていいよな」
 数滴たらせば甘い香りがふわりと鼻腔をつく。
 ブランデーも合わせれば、心地よい香りがさらにあたりを満たす。
「もっと入れたら、もっと美味しくなるんじゃないかい?ああ、そうだ。香辛料、他にも買ってきてるんだけど」
 液状のシュー生地を木ベラで掻き混ぜ、自分の両手とボウルの周りを少々ダイナミックに汚していた姉が、隣から覗き込んでくる。
「これだけで丁度いいんだよ!俺、オーソドックスな味の方がいいから!」
 慌てて葛は頭を振った。
「ふうん」
 一瞬何かを問いたげに百合枝の目が細められたが、
「まあいいか」
 にっこりと笑い、姉はすぐに自分の作業に没頭し始めた。
 『危機一髪』と『一心不乱』というふたつの四文字熟語が葛の脳裏を過ぎる。
 自分の領分であるカスタードクリームはなんとしても死守しなくてはいけない。
 なおかつ、シュー皮も監督するのだ。
 自分と姉の過ごす3時のティータイムを平和に過ごすために。

 いくつもの危機を回避する度に葛の精神は少しずつ消耗していたが、それでも、姉と一緒にこうしてお菓子を作るのは楽しい。
 先週から少し、姉は様子が変だった。
 時折ひどく煩わしそうに、そして不安そうに眉を寄せ、頭を振る。
 だが、いま目の前でお菓子と格闘している姿は、真剣そのものではあるが、どこか楽しげでもあった。
 これは悪くないと思う。

 カスタードの完成と共に、今度は2人で天板にシュー生地を搾り出す作業に取り掛かる。
 レシピでは3〜4センチの大きさにせよという指示になっているが、まあ、細かいことは気にしないことにした。

 焼きあがりまで29分の待機。

「あのさ、百合姉」
「ん?」
「……出来上がり、楽しみだね」
「ん、そうだねぇ。今度こそうまく行く気がしてるんだけど」
「今回は上手く行きそうな気が俺もしてる」
「じゃあ、大丈夫だ」
 顔を見合わせ、互いにくすっと笑いあう。

 焼き上がりを知らせる、オーブンレンジのチンっという高い音。
 
 早速鍋つかみを嵌めた手で、百合枝がオーブンから天板を引き出した。
 シュー皮は熱いうちに剥がさなければならないのだ。
「あつっ」
「うわ?えっ!?」
 ガシャンガシャンガランッ――――
 隣近所に大変な御迷惑をお掛けする勢いで盛大な金属音が響いたが、こぼれ落ちたシュー皮は、姉妹の素晴らしい反射神経によってひとつ残らず救われていた。
 真夜中でなくて良かったのかもしれない。
「百合姉、大丈夫?」
「何とか……あんたも無事みたいだね」
 その後オーブンレンジで天板を出し入れすること数回。
 シューにクリームを詰める段階で、いくつか『成れの果て』や『らしきもの』が発生したが、その辺は手作りにおける愛嬌ということで目を瞑ってもいいのではないだろうか。
 明らかに消炭状態となっているもの、うまく膨らまずに煎餅状態になってしまったものなども出てきたが、これらは速やかにダストシュートして証拠隠滅を図ったので大丈夫だ。
 今回は正規の材料しか入っていない。
 分量もちゃんと量った。
 見た目は悪くとも、味は保証されているはず。
「…………じゃあ、頂きます」
「頂きます」
 何故シュークリームを一口食べるだけでここまで緊張しなくてはならないのか。
 じっと自分に注がれる姉の真剣な眼差しを受けつつ、葛は少々分厚く固いシューにおそるおそる歯を立てた。
 かしゅ。
 葛が口に含んだのを確認後、百合枝もかじりつく。
 かしゅ。
 むぐむぐむぐ。
 むぐむぐ。
 しばし咀嚼音だけが2人の間の沈黙を埋める。
 むぐむぐ。
 ごくん。
「……………………あ」
「…………………………おや」
 固い。確かにシュー皮はメチャクチャ固い。さっくり感とか、その後の歯ざわりとか、そういうものを楽しむようなレベルからは程遠いくらいに固い。
 店で買ったり友人がおすそ分けしてくれたものと比べてはいけない。
 だが、それでも、
「いけるんじゃないか?」
「いけるね」
 普通に飲み込むことが出来る。
 その事実に2人はなぜか感動すら覚えてしまった。
 姉がお菓子作りに熱を入れてからはじめて、葛は一口食べたその直後に洗面台へ走らなくてすむという夢のようなティータイムを過ごすことが出来そうだった。 
「よし!じゃあ来週はクリスマスにちなんでブッシュ・ド・ノエルに挑戦だね。飾りも手作りしてさ」
「――――っ!?」
 それはやめておいた方がいいんじゃないだろうか。
 だが、葛のその一言は、口に含んだ固いシュークリームに塞がれて伝えることは出来なかった。

 ティータイムの受難はまだまだ続きそうである。




END
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東京怪談
2003年11月25日

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