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『安心するにはまだ早い 』
瀬水月・隼0072)&瀬水月・蘭(1534)&千菊・苳一朗(1255)

 その日隼は胸を撫で下ろしていた。信じていたのだ、逃げ切れたと。
(まあ、どうしたって結婚披露宴だけは逃げ切れねーだろうが。婚約披露宴をやった直後に結婚式もあるまいし、しばらくは絶対安全だ)
 姉の婚約披露宴を迫る納期を盾に断り、開始時間を過ぎて漸く安心した。あの姉の事だと当日に迎えの一つも来るかもとも散々警戒した挙句の事である。時計を見てよっしゃと握りこぶしを固めた少年に不審げな視線が同居人から寄せられたが彼は気にしなかった。
 姉の蘭と隼には血の繋がりがない。他にも年上の女性などいくらでも世の中に存在していると言うのに何故よりのもよって蘭が自分の姉なのか、恨み言を言える誰かがいれば隼は喜び勇んで文句を付けに行く事だろう。
 養父母とはそこまで不仲ではないし、適度な距離を保っている。しかし蘭とはそうもいかなかった。彼女は姉という権利でもって隼の静かな生活に踏み込み、不健康な生活をしていれば指導し、医者としての技能で彼の健康を管理し――感謝するべきかもしれないが、未成年にあるまじき行動までしっかりと暴かれては立つ瀬がない――、さらに彼の技能に目をつけて身内価格と身内期間で厄介な仕事を押し付けていく。無茶苦茶だと思えどそれが彼の姉だった。
 そんな姉の婚約を聞いてまず最初に思ったのは物好きなの一言に尽きる。婚約披露宴まで催すと聞いて本気なのだと唖然とした。そんな堅苦しい席に同席せよと言われて更に頭を抱える。
 散々悩んでプレゼントと電報を送り、仕事を盾に欠席を決め込んだ訳だが、始まる直前まで本当に欠席できるかのかと戦々恐々としていたのだからガッツポーズも致し方ないだろう。
 隼は知らない。姉とその婚約者が交わしていた会話の事を。


「全くあの子ったら。ごめんなさいね」
 控え室に送られた大きな花束とプレゼントの箱を見て蘭は小さなため息を付いた。
「こんな大切な日も仕事だなんて……本当に困った子」
「一度引き受けた事をやり遂げようとする姿勢は良い事だよ、まあ残念だけど仕方ないだろうね」
 だからそんな沈んだ顔をしないで。そう優しく話し掛ける婚約者に弟の欠席を嘆く本日の主役の片割れはそっと目を上げて婚約者を見上げた。信頼しきった眼差しに応える誠実な眼差し。どこからどう見ても似合いの夫婦であった――否、現在はまだ婚約者であるが。
 彼らの両親は二人の幸せな結婚後の姿を確信し、そして披露宴に先立って集まる客に挨拶する為に部屋を辞した。今日は忙しい、二人に少しでも静かに過ごせる時間を与えようという親心であったやもしれない。
 しかし二人きりの部屋で新たな門出を向かえる準備をする若き婚約者達は、しかし彼らが想像するほど甘やかな幸せな時間を過ごしている訳ではなかった。
「本当にごめんなさいね、隼ったら」
「いや。まあ会えるのを期待していたから、残念だけどね」
 交わす言葉は変わらない。しかし雰囲気がどこか違っていた。しばし瞑目して苳一朗は何かを思いついたようだった。
「そうだ」
「苳一朗?」
「別の機会を作ろうか、どこかで食事でもしながら」
「あら」
 それは良い考えだと蘭は頷いた。馴染みの店の幾つかがすぐに候補として脳裏に浮んだ。
「兄弟になる相手を披露宴の短い時間だけしか話せないのも逆に問題だ。結果的に欠席してもらってよかったのかもしれないな」
「ええ、確かにそうね。どのお店が良いかしら」
「この間の店はどうだろう? 湯豆腐もそろそろ美味しい季節だし」
 隼が聞いたらひっくり返りそうな事をにこやかに語り合う苳一朗と蘭。その光景を知る者はなく、そして予想できるものもいなかった。――とうの隼さえも。


 それはコンビニのバイトの時間がそろそろ終る頃だった。昼間のバイトが急遽休んだ為のピンチヒッターだったが、まあ、捕まってしまったものは仕方がないと務めながらちらちらと時計に目をやる。
(ダリィなー……、あと五分か)
 外は晴れ渡った空が広がっている。いい天気だ。夏場の晴れにはうんざりするが、この季節なら暖かくてちょうど良い。
 一台の車が滑り込むようにコンビニの駐車スペースに止まった。黒塗りの3ナンバー。所謂高級車に属する車である。運転席に男性。その隣には女性――しかも見覚えのある。
 隼の背中を冷や汗が流れ落ちた。
(待て、落ち着け、俺。気のせいかもしれないし。たまたまかもしれないし)
 当然だが期待は崩れ去る。車から降り立ったのは紛れもなく彼女だった。
 脚線美を惜しげもなくさらした姉はひらひらとにこやかに隼に向かって手を振る。患者を安心させるその笑みは隼を不安に追いやる。
「瀬水月くんどうしたの?」
 交代にやってきたパートのおばちゃんの声も耳に入らない。視線は既に釘付けだった。
「隼、元気にしていた? この間は来てくれなくて悲しかったわ」
 浮ぶのは慈母の微笑み。優しい優しいお姉様の来襲に隼は冗談事ではなく目の前が暗くなった。


 和室にいるのは二人の男と一人の女性。弟と姉とその婚約者。或いは少年と二人の目上の身内。
 強制的に着替えさせられたスーツのネクタイが鬱陶しい。こんな事なら素直に行っておくべきだったと隼は後悔した。床の間に飾られた花を眺めても一向に心は休まらない。
「萩だよ、気になるのかい?」
「……え、あ、いえ。先日は失礼しました」
「そりゃあ、隼の予定を聞かなかったのは悪かったけど、来てくれないなんて思わなかったわ」
 悲しそうな姉の言葉に隼は返す言葉を失った。悲しげに目を伏せる姉など、更衣室まで踏み込んでスーツを押し付けていった人物と同じにすら見えない。
「まあまあ、蘭。そんな風に言うものじゃないよ。こうして会えたんだしね」
「ええ、そうね。苳一朗」
 見上げる視線は信頼に満ちていて、居た堪れなくなる。姉を奪われるからでは決してない。出来ればのしつけるから貰ってくださいってなものだ。問題は、この姉の風情が全て演技だという事にある。
「それに隼くんも親に頼らずに頑張ろうとしているんだ、応援してあげないとね」
「そうね、まあ、私達からしたらまだまだ甘えて欲しいのだけれど……」
「隼くんも男なんだから早めの自立を目指したいじゃないかな、きっと」
「はあ、まあ迷惑は出来るだけかけたくないですし」
(騙されてンだろうなあ……気の毒に)
 適齢期は過ぎてかけているものの姉は美しい、スタイルも抜群だ。ついでに素晴らしい技術を誇る名医である。
 兄になるという男性は能楽師であり、家柄もよろしく、眉目秀麗、そして優しくて誠実そうに見える。姉が選んだからには頭脳明晰とか学歴優秀とかいう単語もつくに違いないと思う。
 傍から見れば似合いの二人は仲睦まじく笑いあっている。騙され通しならいっそ幸せなんだろうかとか、いやまさかと思うけど万が一姉がベタ惚れで真面目にあの態度が素になったらどうしよう怖すぎるとか、そんな埒もない事を考えながら、機械的に箸を進める。早く食べ終る以外この場を逃げる手段がない。
「ねえ、隼?」
「……え?」
 姉の声に我に返る。姉はしょうがないわねといわんばかりの笑みを浮かべた。
「聞えない程、湯豆腐が美味しかった?」
「あー、……うん。美味いデス」
「湯豆腐はここの評判の一品なんだ」
「へえ、そうなんですか」
「あ、それでね。犬と猫どっちが好きって聞いたの」
「は? どっちって言われても……猫?」
 脳裏に浮んだのは猫のように気ままな恋人だった。何気なく答えた言葉に蘭が嬉しげに手を叩いた。
「あら良かったわ。新居には猫を飼おうと思っているの。隼も遊びに来てね」
「……似てますね」
 対する婚約者の言葉は低く聞き取り辛かった。だが、隼は身を強張らせた。
「……何か?」
「ああ、いや、たいした事じゃない。茶色い毛並みの猫を飼うのも良いなと思って」
「あら、それも素敵ね」
(アイツの髪の色と同じ色なのは、偶然……だよな?)
「やんちゃな雌の仔猫がいいと思わないかい?」
「……いいですねぇ」
 強張る顔の筋肉を宥めつつ隼は相槌を打つ。
「あら、じゃあ、あまり可愛がると私妬いてしまうかもしれないわ」
「参ったな。一匹だけだと淋しいから他にも飼うとしよう」
「どんな子が良いかしらね。茶虎とか三毛とか……」
 指折り数える姉の様子を見て姉が気付いていないと安堵しつつ、何故この男がそれを知っているのかと隼は悩んだ。
「あ、そうそう。そう言えばこの間のニュースを見たかい?」
 苳一朗が蘭に声をかける。首を傾げる婚約者にあるデータバンクの倒産の話題を持ち出した。
「急な事だったし、事件だったのかと噂になったんだよ」
「まあ、怖い」
 怖い、確かに怖い。密かに少年は姉に同意した。それは俺のやった仕事だ。誰も知らない筈だ、痕跡も残してない。なのに何故。隼は警戒を深めた。
「隼も情報関係のお仕事目指しているのなら、こういう事って気になるものなの?」
「……そーだな。そりゃあやっぱり多少は気になりはするケド」
(多少どころじゃねえ。かなりだ。かなり)
 ――口が裂けても言えないが。
「ああ、隼くんは情報系を目指してるんだね。俺の場合、趣味の域をでないのだけど」
「あら、よかったわ。それなら同じ話題で盛り上がれそうね」
「俺が教わる事の方が多いかもしれないけどね」
「まあ、苳一朗ったら」
 返される邪気のない笑み――否、そう見える笑み。うっかり騙される所だった。流石姉の選んだ男。一筋縄では行きやしない。そう思って隼は体勢を立て直す。
 即座に第二撃は来た。とある会社のインサイダー取引の件で。
「やはり身内からの告発なんだろうね。まさか外部からどうにか出来る訳もないし」
(それは俺が情報を引き出したから……そうか!)
 ピースがかちりとはまった。どちらも同じクライアントからの仕事だ。つまり。
(クライアントに舐められてたまるか! 足元見られる訳にはいかねーんだよ!)
 自然と背筋が伸びた。
「そうでしょうね。まあ、便利な機器ほど気を付けなきゃいけません。ほら、街頭カメラだって結構問題になりますから」
 例えばとある店での不正取引の現場の時みたいな事もあるしな。そう内心付け加える。苳一朗が笑みを閃かせた。人の良さそうなそれではなく肉食獣のような危険なそれを。
「ああ、やはりこの情報社会、便利な機器に頼るばかりではいけないんだね」
「ええ。コンピュータに入れてるから安心なんてのは世の中の誤解ですよね」
「まあ、コンピュータに入れてないからといって安全でもないけれどね」
「信頼できる相手に預けるのが一番かもしれませんね」
「それでも人目につけば噂になるものだよ。隠し立てすればする程ね」
「……っそ、それも注意次第じゃないですか?」
「あと相手次第かな?」
 苳一朗の笑顔が深くなり、隼の口元が震える。蘭はその様子を面白そうに眺めた。兄になる男と仲良く話す弟を微笑ましく見守る姉の優しい笑顔を浮かべる事を忘れない。
 弟の恨みがましい眼差しに気が付いて蘭は優しく問い掛けた。
「どうかしたの?」
「……別に、なんでもねーよ」
 ――ふて腐れた弟の言葉が耳に心地良かった。

 すっかり日の暮れたコンビニで隼が漸く解放されたのは、八時を回った頃だった。
「本当にいいの? 家まで送るのに」
「……服、コンビニの更衣室に置きっぱなしだから」
「着替えるまで待っててもいいんだよ?」
「いえ、デートの続きをどうぞ。今日はご馳走様でした。姉をよろしくお願いします」
 頭を下げる少年に姉がおっとりと声をかける。
「人見知りするかと思ってたけど……隼が苳一朗と仲良くなれそうでよかった」
 また三人で会いましょうねと姉はちっとも嬉しくない言葉をかけた。兄となる男が優しげな笑みを浮かべて彼に告げる。
「これからもよろしく、隼くん」
 何をよろしくするかはあまり聞きたくなかった。
(身内価格適用とか身内納期適用とかじゃねーだろうな?)
 聞ける訳がない。肯定されても否定されても怖い。隼は辛うじて笑顔を作った。
「……ドウモヨロシクオネガイシマス」
 他にどう答えろというのだ。誰かベストな答えを教えてくれ。
 ――無論誰も教えてはくれなかった。


 待ちくたびれていた同居人に抱きつかれて彼が僅かに安堵したのは別の話だ。
 そして、二人きりになった蘭と苳一朗の会話はあえて秘しておくべきであろう。少年の心の平安の為に。


fin.
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
小夜曲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月25日

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