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『市場経済における奇異なる変動 』
レイベル・ラブ0606
●訪れし理由
「……鍵もかけず、不用心な」
 レイベル・ラブはそうつぶやきながら、高峰心霊学研究所の中へ足を踏み入れていた。
 いやいや、別に誰も居ないから入ってきた訳ではない。ちゃんと玄関の所でしつこいほどに呼び鈴を鳴らし、それでも全く反応がなかったから、仕方なくレイベルは中で待とうとしただけのことである。何しろ、鍵がかかっていなかったのだから。
 研究所の中は、しんと静まり返っていた。人の気配がまるで感じられなかった。
「誰も居ないのか?」
 この状況を訝ったレイベルは、何度か呼びかけを行ってみた。しかし、その呼びかけに返事をする者は居ない。本当に誰も居ないようである。
(少し分析を頼みたいことがあったのだが……)
 ゆっくりと周囲を見回してから、溜息を吐くレイベル。どうやら、誰かしら戻ってくるのを待たねばならないらしい。
 さあ、その辺の椅子に腰かけてじっくりとレイベルが待とうとした時だった。ふとレイベルの視界に入った物があった。それは黒大理石らしき物で作られた、小さな石像だった。
 石像に気付いたレイベルは何となく興味を覚え、そばへと近付いてしげしげと石像を見つめた。石像は高さおよそ50センチ強、幅およそ20センチ弱といった大きさで、ドレスをまとった女性の姿を模した物に見えた。
 だがこの石像の奇妙な点は、その表情にあった。見る角度や距離などによって、表情が異なって見えるのである。ある角度では笑って見え、別の角度から見ると怒っているように見える。それではと少し離れてみると、今度は泣いているようにも見えたり……と。
 そんな不思議な石像の前には、メモが張り付けられていた。そこには女性の物と思われる筆跡で、次のように書かれていた。
『悩みし者、私に語られよ。されば道は開かれん』
 まるで、レイベルが石像のそばへ来ることを分かっていたかのようなメモの内容。これまた不思議である。
(……ただ待つのもあれかもしれない)
 待つ間の暇つぶし……とでも思ったのか、レイベルは椅子をそばまで運び、石像に対して語り始めたのだった。石像に請われるままに――。

●今そこにある奇異
 レイベルが石像に対して語った内容は、自らに起こったちょっとした奇異についてであった。といっても肉体的な奇異ではなく、かといって精神的な奇異でもない。経済的な奇異である。
 その経済的な奇異の詳細を語る前に、ここしばらくのレイベルの行動について触れておく必要があるだろう。
 元来様々な事件の裏で密かに動く嫌いのあるレイベルであるが、つい最近もある事件の裏で色々と動き回っていた。怪し気な薬が売られているという噂を耳にし、調査をしていたのである。もっともその事件は、レイベルが本格的な調査に入る前に一応の解決をみたようだが……。
 さて、その事件の解決の報を聞く前日の夜のことだった。まだ調査中だったレイベルは、真夜中暗闇の中で何者かとぶつかった。その拍子、に相手の手がレイベルの胸に当たったような気もするが……この辺りは少々記憶が曖昧である。
 暗闇のためにはっきりとその姿を見ることが出来なかったが、漂わせていた雰囲気とぶつかった直後の謝りの言葉から察するに、紳士風の男であったろうかと思われる。
 紳士風の男はどこかから逃げてきたようにレイベルには見えた。というのも、紳士風の男はレイベルに謝るのもそこそこに、そそくさと何処かへ走り去ってしまったからだった。妙なことに、立ち去る前に一瞬笑みを浮かべたように見えたけれども。
 まあ、この程度の話であれば、よくある話として片付けられるのかもしれない。ところがここで絡んでくるのが、前述の経済的な奇異だ。
 自慢じゃないが、レイベルは億単位の借金を抱えている。億単位ということは日毎の利息も尋常じゃない金額となっており、秒刻みで借金が増えていると言い換えてもよいくらいだった。
 しかし、だ。そんなレイベルの借金状況に、ここ最近異変が起こっていた――増えていないのだ、借金の額が。いや……むしろ僅かに減っていた。微々たる物であるが、確かに減っていたのである。ちょうど紳士風の男とぶつかった翌日から。
 レイベルにはそうなる心当たりがなかった。別に借金を一気に返した訳でもないし、最近帳消しにされた覚えもない。百歩譲って現状維持ならまだあり得るのかもしれないが、減るというのは最近の活動から考えてもおかしな話であったのだ。
 レイベルもあれこれ考え、調べたりしたのだが、なかなか仮説の域を出ない。そこでこの研究所で話を聞いてもらい、第三者による分析を行ってもらおうとして――現在に至るという訳だ。

●ある仮説
「どうしたものか」
 石像に一通り話し終わり、レイベルはふうっと溜息を吐いた。
(借金の額が減ったのは、支払ってもなく債務放棄の連絡もない以上、他所に付け替わったとしか思えないのだが)
 レイベルは一応そのように分析をしていた。借金が減少に転ずるのは、元金が減るより他にない。支払いをしておらず債務が放棄された様子もないのなら、付け替わったと考えるしかないだろう。
 では、仮にそうだったとしよう。ならば、どこの誰に付け替わったのか?
 実は……1人だけレイベルには心当たりがあった。それはぶつかった紳士風の男。何故なら、借金が減少に転じたのは紳士風の男とぶつかった翌日からであったのだから。
 そうなると、紳士風の男が借金を付け替えたのかという話になってくる。しかし、それは恐らく無理というものだ。レイベルが紳士風の男の素性を知ることが出来なかったように、向こうもレイベルの素性を知ることは出来なかったであろうから。
 だが……こういう考え方も出来る。素性を知ることは出来なかったが、能力を知ることは出来たのだと。
 立ち去る一瞬に、紳士風の男が見せた笑みがその証拠だと言えるかもしれない。レイベルの持つ能力が、非常に興味深い物であったから笑みを浮かべたと考えられるからだ。
 もし紳士風の男に他者の能力をコピーする力があったなら、件の笑みのことを鑑みるにレイベルの能力はまず間違いなくコピーしていることだろう。
 ところが、である。能力は必ずしも認識出来る物ばかりではない。祝福と呪いと運命と――それらを受けし者の精神の形と不可分な物が、全部認識可能であるはずがないのだ。
 言うなれば、表層面はそっくりそのままなぞることが出来ても、深い部分まで事細かに知り得ることはとても難しい訳で……。
 つまり相手にしてみれば、レイベルの身体知識能力や蘇生能力などだけをコピーしたつもりなのかもしれないが、その実は色々な物や者からの色々な借りまでをもコピーしているのだ。認識することもなく。
 さて、この仮説が成り立つのであれば、借金が減ったことも説明はつく。恐らくは相手方に生じた借金が、市場経済の変動などによって、レイベルの抱える借金に影響を及ぼしたのであろう。
 現代の市場経済は、世界中の多種多様な要因によって24時間眠ることなく動いている。例えば日本で株式や為替市場が動いていない時でも、アメリカや欧州では市場は開いている。ゆえにこのようなことが起こっても、別段不思議ではない。
「さて……この仮説は正しいのだろうか」
 レイベルは石像に向かって、話しかけた。
 道が開かれたかどうかは分からないが、改めて考えを整理することは出来た。そういう点では、石像に語りかけたのはよかったのかもしれない。
 とその時、玄関の方から扉が開く音が聞こえてきた。同時に、誰か入ってきた気配をレイベルは感じていた。
(やれやれ、ようやく戻ってきたか)
 これで、今回の奇異を分析してもらえることが出来る。そしてそれは、仮説が正しいか否かを判断する材料となることだろう。随分待った甲斐があったというものだ。
 だが――レイベルは何とはなしに、仮説が裏付けられるような予感を感じていた。

【了】
PCシチュエーションノベル(シングル) -
高原恵 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月17日

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