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『シンギング・バード 』
葛城・樹1985

 人は斯くありたいと願えば、それがよっぽど突拍子もない願いでない限り、大抵それは叶うものなのだ。

 次回の両親の結婚記念日は晴れて二十五年目、所謂銀婚式と言う記念年である。だからこそ、樹は単なる記念品やプレゼントでは、そのお祝いを済ませたくなかったのだ。
 結婚記念日は、己自身には直接関係無いとは言え、それでもやはり、自分がこの世に生を戴くきっかけとなった出来事なのだから、その感謝の意も篭めたかったのだ。


 今、樹はピアノの前でピアノの蓋を開け、鍵盤へと向かっている。それは今まで使い慣れたグランドピアノではなく、今、樹がバイトをしているジャズ喫茶に置いてある、古いアップライトのピアノである。古いとは言え、ちゃんと定期的に調律師に診て貰っているので、音階は寸部違わず正しく、澄んだ綺麗な音色を奏でる事ができる。今は開店前なので客も当然居ず、テーブルの上に椅子が上げてあるような店内には、樹とピアノしか居なかった。

 ゆっくりと上げた片手、人差し指だけ緩いカーブを描いて伸ばされた右手が、更にゆっくりとした速度で鍵盤の上へと降り、一音だけ静かな店内へと響かせた。それをきっかけにして、樹の両手が鍵盤に誘われ、メロディを奏で出す。が、それは一曲全てがそのまま奏でられる事はなく、時折立ち止まっては少し前まで戻ってもう一度、或いは最初まで戻って一部音を変えてやり直し、そんな事を繰り返し、少しずつ、曲として形を構築していった。
 曲を作る方法は人それぞれである。白紙の五線譜を眺めていれば、やがて音符達がそこに集い、好き勝手に並び始める人もいれば、頭の中で全てのメロディが浮かぶのを、実際に音に出し、音符に書き留める人。メロディは浮かぶが、音符に書き表す事ができないので、音のまま記録して他の人に書き起こして貰う人。頭から少しずつ、ドミノを並べるように作っていく人、全体の骨格を組み上げてから、それに肉付けしていく人。どれが正解でどれが間違いと言う訳では当然無く、その人のイメージや感性等によって使い分ければいいだけの話なのだが、実は樹にとっては、その作曲に仕方さえ五里霧中の中にあり、試行錯誤を繰り返している時期なのであった。
 音楽は、生まれる前から樹の身の回りに当たり前のようにして存在するものであった。多分、僕の遺伝子の螺旋には、所々に音符が巻き付いている、そんな冗談を真面目に思う事も多々あった。父はそう言う意味では普通の男だが、多分母の遺伝子には自分と同じように音符が絡まっているに違いない。余りに高名な声楽家であるが故、生まれた時から己に課せられた期待や義務や妬み・嫉み、そんなものに押し潰されそうになった時期もあったけれど、今は取り敢えず、自分が母から得た財産の事を、落ち着いて考える余裕ぐらいは出来た、と思っていた。
 だから、今回のお祝いの品には、何か音楽と自分自身に関係するものを贈りたかったのだ。


 樹が心と願いを込めて作曲した輪舞曲は、シリンダーのピンに姿を変える。

 オルゴールと一言で言っても本当は幅広く、土産物屋等にあるような、短い曲を演奏する単純で小さな小さなものだけを思い描いてはいけない。大型のディスクを用いて比較的長い曲を、多様な音階でもって表現出来るもの、シリンダーを自動的に、拳銃のリボルバーのように取り替える事で、一台のオルゴールで何曲かを楽しめるようにしたもの、と種類は多岐に渡っている。オルゴール自体の進化は、蓄音機の発明で途絶えこそすれ、その技術自体は今なお残されて細々とだが息衝いているのだ。
 樹は、今回のプレゼントを、フォトプレーム型のシリンダー・オルゴールにしたが、叶う事ならシンギング・バードのようなオルゴールにできればな、と思った。

 シンギング・バード。
 それは、オルゴールと言うよりはオートマタ、ゼンマイとふいごの力を利用して、精巧に作られた極々小さな小鳥の人形を動かし、鳴き声を聞かせるものである。人形と言っても、その極め細やかさは驚くもので、鳥全体が動くのは勿論、嘴や翼までもが実に巧みに動いて表現をする。鳥の鳴き声も人工のものとは思えないぐらい本物らしく、それでいて美しく澄んでいる。元は貴族の贅沢な玩具だったが、今は高価な芸術品としてその技術は残されていた。
 樹が見たのは、リュージュ社のボックスタイプのシンギングバードで、箱型のそれのボタンを押すと、楕円形の蓋がぱかっと開いて、そこから小鳥が飛び出し、美しい音色を奏でた後で自動でまた箱の中へと戻っていくタイプのものである。その美しさ、繊細さ、精巧さにも驚いたが、それ以上にその高額に思わず目を剥いた。さすがに、シンギングバードをオリジナルで等と言う途方もない夢は見る事さえなかったが、だが、あの小鳥があの美しい声で、自分の曲を奏でてくれたらどんなにか素晴らしいだろうか、と想像する事だけは止められなかった。
 それは、自分の中に芽生えた、自分の曲を誰かに奏でて貰う喜び、それと同じ事だったのかもしれない。
 そしてふと、あれが小鳥ではなく己自身であるのもいいな、と思った瞬間、自分の中には確実に母の声楽家の血も流れているんだと思い知らされて苦笑いを浮べたこともある。


 樹の父は多忙な実業家、母は高名な声楽家。それ故、幼い頃の樹は、こう言った家庭に良くありがちな事情として、父や母と離れて暮らす事もままあったが、それでも二人の深い愛情故、然程疎外感や寂寥感を味わう事なく成長する事ができた。日本に居る期間よりも、世界中を飛び回っている間の方が長いような二人だったが、それでも常に樹の事を想い、気に病んでいてくれたお陰か、傍に両親の居ない寂しさを感じることはあっても、愛されていない寂しさを思う事はなかった。今となっては一人暮らしをしている所為もあり、存在自体を感じる事は更になくなったが、それでもやはり両親の愛情は、ひしひしとその身に感じる。勿論、息子の樹に会えないと言う事は、夫婦互いも余り顔を合わせる事ができないと言う事で、擦れ違いの生活が随分長く続いているようだが、それでも変わる事の無い愛情を築き続けている両親は、樹にとっては尊敬に値し、そして深く愛してもいた。そんな気持ちを、今回伝えたかったのだが、生来の性格からか、直接口で伝える事は出来ず、このような形を取ったのである。

 樹の父は、今となっては指折りの裕福な実業家だが、生まれ自体は普通の中流家庭の出身だった。ただ、経済的には豊かでなくとも、堅実な両親に育てられたお陰で、生真面目で心優しい人間に成長し、その性格は、純粋で潔癖症の母との交際を遅々としてしか歩ませなかったと言う弊害もあったが、彼女と釣り合う人間になる為にと弛まぬ努力を惜しまぬ利点もあり、結果的には人も羨むお似合いの夫婦となった訳である。何かの実現の為にその身を捧げてまでも欲しいものを手に入れる、そんな、『アメリカンドリーム』、『サクセスストーリー』なんて簡単な言葉では言い表せない父と母の人生を、何よりも樹は誇りに思っていた。

 そして、その結果としてこの世に生を受けた自分自身を、迷ったまま敷かれたレールの上をただ求められるが侭に走るだけの、下らぬ存在で終わらせてしまう訳にもいかなかったのである。

 それは、音楽家として成功するとか、或いは実業家になって財を成すとか、そう言う事ではない。どんな道を歩もうとも、両親や他の人々には勿論、自分自身にも誇れる人間になる、それが、樹の夢であり願いであり最終目標なのである。


 ガラス製の美しいフォトフレームと、その背面に備え付けられたオルゴール。それはきっと、両親の手に渡れば必ず、二人は揃って最初の一音を聴いてくれる筈である。それこそ、樹の思惑通りなのである。

 音のひとつひとつ、生きた音符達がそれぞれの腕に抱えるおまじない。最初の演奏で、それは音符達の腕から両親へと絶え間なく降り注ぎ、そして願いはひとつの魔法に変わる。両親がその魔法に気付く事はまず有り得なく、気付いたとしてもそれは恐らく両親がその生を終える頃であり、樹に対して感謝の念を現わす事はないだろう。

 それでいいんだ。樹は、そっとピアノの蓋を締める。気恥ずかしいまでの感謝の気持ちは、ナイショのままの方がいい。そう呟いて微笑みを浮べると、樹はバイト先であるジャズ喫茶の開店準備をする為に立ち上がった。厨房へと立ち去って行く樹が、ふと独り言を漏らす。

 「バイト料貰い損ねて、プレゼント買えなくなった、なんて事になったらシャレにならないしね…」
PCシチュエーションノベル(シングル) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月17日

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