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『風に咲く花 』
御母衣・今朝美1662

 四季が花や木々の色移りによって流れる国に生まれた――感謝すべきこの身の上。
 喧騒の街を歩いてすら、ほのかに香る花の存在。私はこうして長い時間を過ごしてきたけれど、私自身は何も変わらず生きてきた。ただ、周囲の自然が形や色を変え、そして空気の味さえも変えて取り巻いている。

「御母衣さん、ここですよ」
 顧客管理をしている女性の声に我に返った。
 ――そうだった。私はメイクの依頼でスタジオに向かっている最中だったのだ。
 一番好きな季節、秋だからだろうか?
 心が自然へ美しいものへと向かう。今に始まったことではないが、こうも心を奪われていては仕事にならない。気づかれぬようにため息をついた。

 部屋に入るとひとりの女性。
 私は鏡に姿を映し、長い白銀の髪をかき上げた。白と青を基調とした和風の仕事着。袖を通すと気分が引き締った。
 尖った耳を女性が不思議そうに見ている。これもいつものことだ。森の人と呼ばれるには、現代は幻想の世界から遠すぎるのだろう。
 手を動かしながら、またしてもテーブルに飾られた薄紫が美しい桔梗に、心を過去へと飛ばされてしまう自分に気づいた。

 ――ヒトとは違う。時間の流れも価値観も。
 何よりその違いによってもたらされる別れが恐かったのかもしれない。
 だからなのか、相手と恋という心を通わせたことは、遥々と長い軌跡を思い出しても存在しなかった。例え、私の中に愛しいという感情が溢れていたとしても……。
 窓もなく、自然の風と友人であった平安時代には、歌を詠み平穏な日々を暮らしていた。内裏に上がって絵師としての仕事をこなした時期もあったが、ヒトとの関わりの煩わしさや裏に渦巻く腹黒い陰謀などに嫌気がさして、結局森へと帰ってしまった。当時を思い出せば、想いを寄せてくれるヒトもある。無論、ヒトでない私には、実態のない亡霊や物の怪、鬼からも心を告げてくれていたが。
 21世紀という新しい時代になって、恋愛――といえばいつも思い出すのは淡い初めての恋のことだった。

                            +

「今朝美さん! この花の名前は何?」
 長い黒髪をふたつに分け、頬を赤らめて訊ねる少女。白い衣は土で汚れている。
「名前は自分でつけたらいいよ」
「え? つけていいの? ……じゃあ、メグルソウにするね」
 私がその意味を尋ねると、視線を逸らして俯いた。彼女の足元には小さな空色の花。輪郭を表すような白い線を持つ4つの花弁、茎は白い柔毛に覆われている。
 現代名では「忘れな草」。大和の時代には名のある花など少なかった。
 花売りをしている少女は、籠いっぱいに色鮮やかな花を積め込んでいる。これから都へ行くのだ。私が彼女と出会ったのは、やはり商売用の生花を摘みに来たときのことだった。

 ひと目見て動けなくなった。
 ――なんて美しい花なのだろう。

 目を凝らし、それが少女だと気づき私は動揺してしまった。胸が熱くて痛い――そんな感覚に陥ったのは初めてだったのだ。
 言葉を交わしたわけでもなく、ましてや視線さえ交わってはいないのに。
 柔らかな印象の肢体。艶やかに光る黒髪と瞳。大地の花々、ひとつひとつに眉を下げ微笑んでいる。手折る前には謝罪の言葉を、摘んだ後には感謝の言葉を呟いて……。
 風が流れて、香りを運ぶ。
 振り向いた横顔と目が合った。恥ずかしそうに俯く少女。
 私は自分が初めて恋をしたのだと、鳴り響く心臓の鼓動で知った。
 心を思うように律することが出来ない。体から理性がすべて解放される。
 知れば知るほど、かき抱きたい衝動にかられ、私は困り果てた。手を伸ばせばすぐに胸のなかに仕舞い込めそうな位置に立つ少女。安心しきった笑顔を向けていというのに、私はそれにまっすぐ視線を返すことすらできないでいたのだから。

 そんな折だった。いつもの草原で上目遣いに少女が告げのは。
 少し遠方の都に商売口を紹介されたのだ――と。
 離れなくてはならない。たった数日姿を見ないだけで、心は迷い暗転していくというのに。

 困惑している私に、小さな手からあの「メグルソウ」を渡された。
「子供の頃から世話をしてくれた人の親切なの。だから――」
「行ってしまうのか……?」
「いいえ」
 少女は首を振ると言った。
「巡り巡って、あなたの元に帰ってきていい? その花は私の願いよ」
 私は背を向けた。
 うなづくことは出来ない。永遠を約束することなど、生きる時間の違う私には出来はしない。その苦しさを知っているから……。
 足音が遠ざかっていくのを感じた。
「祈ってるから、あなたがここにいてくれること! 祈ってるから……」

 振り向いた時、草原には誰もいない。ただ、風が静かに舞っているだけ。
 あれから、私は後悔に背を蹴られながら待ち続けた。
 そして得たもの。
 ――それは少女の命の光が失われたという訃報だった。痛すぎる現実、誰も胸に住まわせないと誓うほどに。

                     +

「すごく素敵に仕上げて下さってありがとうございます!!」
 急速に現実感が戻る。指先が手馴れた仕事を済ませていた。
「またご用命下さると光栄です」
 一礼して、私は片付けを始めた。机で揺れる一輪の桔梗。野に咲く忘れな草の淡い空色。
 少女の最後の言葉が蘇った。

 忘れないで、命は巡りふたたび出会う。

 いつか私も出会うのかもしれない。
 永遠を預けてもいいと思える、心焦がれる相手に――。

 
□END□

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 初めまして、ライターの杜野天音ですvv
 ヒトと生きる時間軸を異とする森の人というのは、色んな意味で切ないものなのでしょうね。初めての恋物語を書かせてもらえてありがとうございますvv
 今朝美さんの迷う心が表現できていればいいのですが。これから素敵な人に出会えることをお祈りしています。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
杜野天音 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月17日

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