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『3冊目の裏表紙 』
ラクス・コスミオン1963


 尻尾をゆるやかに振りながら、彼女は奮闘している。
 彼女は、自分がひどく集中しているときに尻尾が揺れていることをよく知らなかった。誰かが気づいて、指摘したとしても、これは性なのかもしれないために――改善しそうな癖ではなかった。ラクス・コスミオンの尾は、カタカタという音とともに揺れている。
 カタカタと――音を立てているのは、キーボードだ。
 ラクスの手は手ではなく、脚である。屈強なライオンのものだ。キーボードもそれに見合って――いるとは言えないが、一般的なものよりもキーが大きく、また丈夫に出来ていた。ヨドバシカメラで980円のキーボードとは及びもつかぬ。それはラクスの鋭い爪にかかっても、傷がつくだけでキーは飛ばなかった。だがその傷が曲者で、今では練習の功罪か、キーに振られたアルファベットがすっかり掻き消されている始末だった。ラクスのキー入力速度は遅くなっていた。自分の意のままに動くギミックの5本指を拵えていたのだが、つい最近居眠りをして寝返りを打ったときに巻き込んでしまい、破壊してしまったのだった。
 あのギミックはよく出来ていて、重宝したのだが――作り直すのが面倒で、ラクスは自分の脚で久し振りにキーボードを叩いていたのだった。
 友人が、ラクス宛の封書を持ってきたのはそのときだ。
「また……ですか……」
 ラクスに郵便物が来るのは異例なのだが、差出人はいつもどうやらきまっているようで、最近は彼女も驚かなくなっていた。相変わらず、リターンアドレスはない。
 手紙は挨拶もなく、唐突に本文が始まり、終わっていた。

『 3冊目は海に流した
  黒と緑の海だ    』

「……?」
 ラクスは1行目と2行目で首を傾げたが、3行目を読んでどっと汗を噴いた。
 3行目には、http://www.で始まる見慣れ始めた文字列。
 『いんたーねっと』の世界は、しばしば『海』と称される。母なるナイルよりも新しく、広く、深いものだという。
 『ぶらうざ』の『あどれす』に、この3行目のような英文を打ち込めば、色々な世界と情報に飛べることぐらいは――ラクスは学習していた。それは面白かったが、難しくもあった。
 ――3冊目。
 だが、3冊目だ。
 全部で何冊消えたかもわからない禁書たち。そのうちの3冊目が、電子の海の中に流された。ラクスは、本をデータに変えることが出来るということは知らなかったが、出来ることなのだと理解した。彼女ははやる気持ちを賢明に抑えながら、のろのろと慎重にキーを打っていった。
 h・t・t・p・:・/・/・w・w・w・.・……
 やっとのことで「l」に辿りつき、ラクスはいささか強くエンターキーを押した。
 アドレスが一瞬青くなり、ブラウザは真っ白に。ステータスバーの右側にあるメーターが、ぐんぐんと伸びて……

 ぱっ、と画面が暗転した。
 ラクスはぎくりとした。
 いやな汗が背中にどっと吹き出してきた。
 ――『ぶらくら』でしょうか、だとしたらどうしましょう、ああ、アメン・ラーよ、お助けください!
 ラクスはは真っ黒になった画面を前にして、目をつぶり、10篇は祈りを捧げてから、目を開けた。マラカイトの如き瞳が見たものは、マラカイトのごとき文字群であった。ひとつひとつが生きているかのようだ。文字で構成された擬似の感情、パターン、思考が、流れては消え、また生み出されている。黒い画面の中に、あらゆる法則と命令があった。
 ラテン、ヘブライ、ヒエログリフ。
 アルファベット、漢字、仮名文字。
 まだ名もない文字。
 無秩序で手当たり次第な文字群。歴史も国もそこにはない。神の罰が下った翌朝の、バベルの塔の内部を見たようだ。ラクスはそれでも息を呑み、呟いた。
「『神聖なる憤怒』!」
 それは、ある古い図書館から消えた1冊の『本』の銘。
 過去・現在・未来の地球上に存在する、すべての文字を集めた『本』だ。文字そのものが力を持つ、そんな文字も収録されているために、『神聖なる憤怒』が持っている力は凄まじいものだった。
 その『本』が現代科学によってデータ化され、このネットの海の中に放り込まれている。ラクスは慌てたが――回収には、骨が折れそうだった。すでに『本』は、『本』という形を捨てていた。手紙の主が、そうさせたのだろうか。だとしたら、一体何を考えているのだろう? あの『本』に、新たな身体、新たな世界を与えるとは!
 まばたきをするウジャトの眼の視線をかわし、こちらを見ようとしているコウノトリの視線をかわして、ラクスは目を細めた。
「あ」
 黒と緑の中に、一瞬『青』を見た。
「大変!」
 あの、いつも見ている少女の姿。
 緑の文字の中に埋もれていく。
 音もなく。
 生命もない。
 ラクスは慌てふためいたが、キーボードに脚を伸ばしはした。この無味乾燥なマシンに、自分の術と技は通用するのか、それは考えもしなかった。とにかく、いつものように――青い髪の少女を救いたかったのだ。
 消えていく。
 流れていく。
 左から右へ、上から下へ。
 間に合わない、今回は間に合わない、自分は無力だ、もっと勉強しておくべきだった!
 ぱきっ、と音がして――
 『T』のキーが飛んだ。

「!」

 そのとき、ラクスはどういうわけか――気がついた。
 封書の中身は、ただ1枚の便箋であり、たった3行が書かれていただけのはず。
 広げた1枚の便箋の下に、それはまさにいつの間にか現れていた。誰かがラクスの背後に忍び寄り、そっと手紙の2枚目を置いて行ったかのようだ。
 ラクスは便箋を引き寄せた。

『 悪かった
  海の底はさらっておく
  これは有るべきではない処であり、物なのだ 』

 またしても、3行。
 ラクスはモニタに目をやった。
 マラカイトの目が、刹那、反射的に閉じられた。モニタが焼けつきそうなほどに明るく、短く、白い光を放ったのだった。

 青い髪の少女は、消えていた。
 緑の文字も、黒背景も消えている。
 ブラウザが表示されていて――

『 ページが見つかりません

  検索中のページは、削除された、名前が変更された、
  または現在利用できない可能性があります。 』

 次のことを試して下さい、に続く。
 おそらく、試したところで何も解決はされないだろう。
 消えたのだ。ラクスは溜息をついた。熱心に勉強したおかげで、ブラウザがこう言ってきたときは、何もかもが手遅れであるということを既に知っている。
 ラクスはまた深く溜息をつき、飛んでしまった『T』のキーを直した。余程ひどい割れかたをしない限りは、こうしてはめ込むことでまた元通りになることも学んでいた。彼女は、ひどく勤勉なのだ。
 勤勉だからこそ、『3冊目』を回収できなかったことを、長老たちにどう言い訳しようか――ラクスはぐるぐると重く暗く考えて、ふてくされた犬のように寝そべるのだった。
 だが、
 あの青い髪――
「助かったのでしょうか?」
 ラクスはぽつりと呟いた。
 文字になりつつあったあの少女、文字に喰われていたあの少女は……今頃どこで何をしているだろう。その心はまだ、肉と血の中に息づいているだろうか。魔の書の力に、書き換えられてはいないだろうか。
 答えの出ない自問を繰り返しながら、ラクスは遅くまでHTTP 404未検出の表示を眺めていた。

 彼女の尻尾が、ゆるやかに揺れていた。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月14日

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