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『透明な青』
ウィン・ルクセンブルク1588
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左手の中指に嵌められているガラス製の指輪を、ウィンはことのほか大事にしている。
リングの部分まで透き通った指輪は、つるりと丸いガラス玉の中に、あぶくのように金箔が浮いている。デザインは小洒落ているけれど、高価なわけでも、ブランド品でもない。それが彼女の宝物だった。
初めてのデートでウィンの代わりにクラゲに見惚れていた彼女の想い人が、その時だけは真剣な横顔を見せて、彼女のために選んでくれた指輪である。
当時は妹程度にしか思われていなくて、ウィンは何度も彼を好きになったことを後悔した。相手にしてみれば妹へプレゼントをあげるような気軽な贈り物でも、ウィンにとっては好きな人から貰った指輪である。一人で買い物に出かける時や青い瞳をした青年に会う時、彼女は大切にそれを身に付けた。
それに、最近になってようやく、出口の見えなかった彼女の恋は、急展開を見せ始めているのだ。

土曜の昼下がり。
弱くなった日差しの下で、立ち並ぶ店は冬の装いだ。多くがウィンドウディスプレイに雪や赤い服を着た老人を飾って、これから来る季節に備えている。チカチカ瞬くクリスマスライトは、この季節だけは幻想的に人の目に映った。
時折吹き付ける冷たい風に混じって、甘く暖かいクレープの匂いや珈琲の香りが、通行人の気をひきつけた。センスのいい店が並ぶ通りには、圧倒的にカップルが多い。他の女性たちに頭一つ分は優に差をつけたウィンは、そんな中を一人で歩いているせいもあってよく目立つ。普段なら誰かと来ればよかったと後悔するところだったが、今日は通り過ぎる人の視線も気にならなかった。
ウィンには目指すところがあるのである。
週末に出かけることを、ウィンは平日から計画していた。一人で行くことも予定のうちである。普段ならば女友達でも誘って賑やかに行くところだが、今日の買い物は少しだけ調子が違った。
何しろ今日は、彼女が嵌めている指輪のお返しを探しに来たのだ。
(さて、何をあげたら喜んでくれるかしら)
具体的にプレゼントが決まっているわけではない。何でも有難がる彼の事だから、何をあげても喜んでくれそうではあるのだ。だがせっかくなら、いつも以上に喜んでくれる何かを贈りたい。
そんなことを考えながらウィンが立ち寄ったのは、クリスマスの飾りつけをしていない、小さなカジュアルショップだった。
季節感を感じさせるものといえば、店内に静かに流れるクリスマスソングと、カウンタの脇にある数種のカードだけである。
小ぶりなピアスや指輪。整然と配置された小物が照明の白い光に反射して、きらきらと人目を引く。
ゆっくりと通路を歩きながら、ウィンはきれいに並べられたアクセサリの中に、彼女の想い人にふさわしいものがないかと、視線を流した。飾られている多くは女物なのか、華奢なデザインだ。男性が付けても大丈夫そうなデザインもあるにはあるが、それもどうもしっくりこない。
(他の店に行かないとダメかな)
ときびすを返しかけたところで、一角にあったアクセサリがウィンの気を引いた。彼女は足を止める。
目を凝らすと、そこにあるのは銀のペンダントヘッドだった。薄く伸ばされたプレートの中心には、くっきりと形が彫りこまれている。稲妻のようだったり、砂時計を倒したようだったりするそれを見て、ウィンはすぐにぴんときた。ルーン文字だ。彼女と彼女の兄の名前は、ルーンにちなんでつけられている。
ルーンは北欧地方で昔使われていた文字で、その一言一言に意味がある。
たとえばウィンは、幸運や喜び、くつろぎや光を意味する言葉だ。兄の名前は、たいまつや火、希望を象徴している。
「あ……」
思わず声が洩れた。
(これにしよう)
奇遇にも、彼女の想い人の名前は、北欧神話に出てくる神様の名前なのだ。雷を司る神でもある。
手を伸ばしてペンダントヘッドを取り上げると、台紙の裏に、ルーン文字の説明が記してあった。
「トール」の意味は、偉大な精神、熟考、期待、保護、愛の魔術、波乱……忍耐の必要性という意味もあって、思わず笑いがこみ上げた。
ウィンの手のひらに丁度収まるサイズのプレートは、ますます彼にぴったりな気がする。
読み進んでいくと、トール神のエピソードも載せてあった。
『大食らいで生命力と力に満ちている。盗まれてしまった自分の武器を奪回するために、花嫁姿になって敵地に乗り込んだ話は有名』
「ふふっ……。よりにもよって花嫁なのね」
呑気な顔と青い瞳の青年が、白いウェディングドレス姿でブーケを持ってにこにこしている姿を想像してしまって、思わず噴き出した。似合うというほどには似合わないが、笑い飛ばせるほど不恰好でもない、中途半端な姿である。そこがまた、彼「らしい」といえば彼らしい。
ますます気に入って、ウィンは他の文字にも手を伸ばした。不等号のような文字は、兄の象徴だ。それに自分の名前であるウィンを取り上げ、ふと思い立って、稲妻のような記号のペンダントヘッドも取り上げた。調和や創造を意味する「シゲル」は、従兄弟のためのものである。
「この三つは、プレゼント用にしてもらえますか?」
快く承知した店員は、紺と緑とダークブラウンの三色に分けて、それぞれのペンダントヘッドをラッピングしてくれた。
代金を払って品物を受け取りながら、心が浮き立つ。
彼は、どんな顔をするだろう―――?


「すいません、こっちにいるはずだって聞いたんですけど……」
理系の学部など、ウィンは未だに縁がない。リノリウムの床と、どこへ行っても鼻を掠める匂いに少し怖気づきながら、閉まっている研究室の扉を叩いた。
顔を覗かせたのは、黒い髪に眼鏡の青年である。青年が羽織っている白衣を見て、きっと「彼」も、こんな格好をしているのだと始めて思い当たった。彼に白衣は似合うのだろうか。白衣姿は、あまり想像がつかなかった。
無口そうだが、物静かで知的な雰囲気を漂わせている青年は、少し前まではウィンの好みだったに違いない。
「おい、お客さんだぞ」
と内側に向かって呼びかけている低い声も、確かに彼女の好みだ。なのに心は震えない。目の前にいる青年よりも、彼が放つ声が向かう先に、意識は集中していく。
彼の学校を訪ねるのは初めてだった。ましてや研究室である。恐る恐る覗き込んだが、まばらに散らばっている学生たちの中に、彼女の目指す姿は見ることができなかった。
怪訝に思っているウィンの前で、青年は「ちょっと、待ってて下さい」と言い置いて、奥へと歩いていった。机の向こう側に回って、しゃがみこむ。
「起きろって、人がきてるんだよ」
う〜んと、部屋の隅で誰かが唸った。寝ぼけている声だ。聞き逃してしまいそうな小さな声だったのに、ウィンは人の話し声に混じったそれを、しっかりと聞き取ることが出来た。
やがて、ようやく起きたか、と呆れ声に見送られて、明るい色の髪をした青年がこちらにやってきた。
「ウィンちゃん」
眠そうにしていた顔が、彼女の姿を捉えて笑顔に変わる。まるで夜が明ける瞬間のようだと、ウィンは思った。一瞬で光が射す。
研究室で寝泊りしているというウワサが本当なのか、それとも今回に限って一眠りしていたのかは分からないが、頭にくっきり寝癖を付けた男は、ウィンを見て「どうしたの?」と微笑んだ。黒いTシャツ姿に、やっぱり彼の白衣はしっくり来ない。
友人を起こすという用件を果たした青年は、使命を終えて、機材が載ったテーブルの試験管に手を伸ばしている。自分でも少し顔が熱くなった気がしていたので、彼がこちらに気づかないでくれて良かったと、密かに思った。
「プレゼントがあるのよ」
クリスマス用なのか、渋い深緑にラッピングされた包みを差し出す。「えっ、なに?」と気楽に受け取って、青年は視線を落とした。
「開けてみていい?」
「もちろん」
ウィンの許しを得て、不器用な手つきで青年は包みを開けた。おお!と子どもみたいに声を上げる。ウィンのそれより一回り大きな手のひらにペンダントヘッドを載せて、彼は台紙に書かれた説明書きを読んでいる。
「ホントだ。オレの名前だ」
二人で出かけた時に、ウィンは彼と、ルーン文字の話をした。そのことを彼も覚えていたのか、
「オレのとウィンちゃんのって、文字も似てない?」
と、アルファベットでいえばPとDのようなルーンを示してにこにこしている。ウィンが居心地が悪くなるほどしげしげと台紙を読み返し、プレートを見つめた青年は、彼女の視線を捕らえて満面で笑った。
「大事にする。ありがと」
「いいえ。こないだのお礼がしたかったの」
お礼?と首を傾げた青年に苦笑し、ウィンはそれと、と背筋を正した。
「私、来月には叔母のマンションを出ようと思ってるの。お兄様も従兄弟も独立しているのに、私だけ叔母様のお世話になっているわけにもいかないと思って」
「へえ、いいね!引越しとか、物件見て回るのとか、助けが必要だったらいつでも言ってよ。時間作るからさ」
と、これには彼は思っていた以上に喜んだ。まるで自分のことのように喜んでいる彼を見ると、ウィンも嬉しくなる。
「あと」
と、思わず緩んだ頬を引き締めて、ウィンはほんの少しだけ視線の高い青年の、青くすき透った瞳を見つめた。
「一般教養の単位、いっぱい落としてるんでしょう?あなたに言わせると、世界にはヨーロッパ大陸とパンゲア大陸と日本大陸があるんだってお兄様が嘆いていたわよ」
「……あー」
途端に、彼は視線を逸らした。嘘の付けない性格である。
「ルイ14世の前にルイ16世が生まれてたこともあったわよね」
「……」
「1823年に長崎にやってきて、日本人の医師の指導に貢献した人物を、シーラカンスって書いてたわよね。シーボルトよ。アメリカの初代大統領も、リンゴーンではなくてリンカーンなの」
「……似てるじゃんね?」
「似てないわ。……とにかく」
相手のわずかばかりの反抗を一言のもとに切り捨てて、ウィンは逸らされて落ちた彼の視線を掬い上げた。
「卒業できなかったら困るでしょう?これから、貴方の大学卒業のために、専属家庭教師になるから、よろしくね」
「えーっ」
立場を弁えているので、面と向かって「嫌だ」とは言わない。それでも言葉より雄弁にしょげた顔をした。
「ちゃんと卒業、してもらいたいの」
とウィンに言われてしまえば、彼も返す言葉は見つからない。諦めは良く、「うんわかった」と言った時にはもうあっさりしたものである。
「今日は、ずっと大学にいるの?」
背後を気にした青年に、ウィンは気を使って声を掛けた。後ろを気にしたままで、彼は返事を返す。
「そのつもりだったけど、まあいいや。ずっと寝てたし」
言った途端にウィンの顔を見る。彼はすばやく手を伸ばして、彼女の左手を持ち上げた。指輪が嵌っている方の手である。
唇を少し突き出す仕草でしげしげとウィンの指を眺めた後で、
「ちょっと大きいね」
と呟いた。
「え?そうかしら。そんなことないと思うけど……」
ガラスの指輪は、中指にぴったりと収まっている。きつい感じもしないし、逆にゆるい気もしない。怪訝な顔をしたウィンに、青年は子どもみたいな顔をして笑った。
「今度買う時は、もうちょっとちっちゃいのにしようね」
行こう、と繋いだ手を引いて彼が促すので、ウィンは肝心のことを聞き損ねてしまった。
次に買う指輪は、もうちょっと小ぶりだという意味なのか。
それとも、その隣の指に嵌るサイズの指輪を買うということなのか、と。


数日後、彼はペンダントヘッドをわざわざウィンに見せに来た。てっきり首からさげるのかと思っていたら、彼は黒い革紐を幾何学模様に編みこんでペンダントヘッドに通し、それを左手首に嵌めている。これからは寒い季節だから、ペンダントにすれば服の下に隠れてしまう。袖口からちらりとトールの文字が覗くのはウィンも嬉しかった。
それ以来、さりげなく腕を撫でる時に手のひらでプレートを触るのが彼のクセになり、今でも時々、彼女の隣で彼は同じようにトールのプレートを腕とまとめて撫でたりする。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
在原飛鳥 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月14日

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