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『『面影』 』
守久・龍樹1967

 俺の前には綺麗な女の子が立っていた。いや、綺麗というより、凛々しいといった方が、より相応しいか。
 意志の強そうな眼差しでこちらを睨み据え、柔らかそうな唇もきつく結ぶ。好い顔をしているが、これは俺に対する臨戦警告なのだろう。

「たくっ、お前も相当しつこいよな…?」
 感心と呆れ半々に、俺は言う。
 ここは何処にでもあるような、都会の片隅に影を落とす路地裏。
 お世辞にも清潔という言葉からは程遠い、そんな場所で俺は一体何をしているのか。

 理由は――目の前の存在に尽きる。
 しつこく追われて、とうとう追い詰められたといった状況。

「ついてねぇぜ…」

(おまけに雨まで降りそうだし…)
 耳朶を打つ遠雷に見上げた空。
 建物の間から覗けた空には、夕暮れ時を暗く覆う灰色雲。そろそろ雨模様って警鐘らしい。
 と、ぽつりぽつりと頬に冷たい雫の洗礼。本当についてない。
 溜息を吐きながらもう一度、少女――凛々しい雰囲気を漂わせた女の子を見る。
 少女の瞳には明らかな敵意が宿っており。どうも穏かに済みそうには無かった。

(昔の俺は…あんな眼をしていたかな?)
 遠い過去。
 今となっては薄く淡い、霞のようなあの幼い頃の記憶。
 大抵は幼い日の出来事など、何時の間にか忘れ去ってしまう筈だろうが、俺はあの時のことを今でもはっきりと覚えている。

(あの時は…こんな湿気た天気じゃなかったよな…)
 鮮明に思い出せる記憶とは、必ずしも幸せな想い出ばかりとは限らない。
 少女の瞳がそうさせたのか、俺はあの時のことを想い出してしまった…。
 無意識に、辛い回想が始まる。

***『叢原火』***

 陽が西の彼方へと沈む矢先。
 色彩鮮やかな橙色が世界一面を染めていた。
 その世界で、かさかさと草叢を掻き分け、駆ける子供が一人。

「はあ、はあ…」
 と、息絶え絶えに、それでも必死に、迫り来る恐怖から逃げ延びようと試みる。
 背後を振り返る暇もなく、心もその余裕を失い、ただ只管に草掻き分けて走る少年。
 追い立てるような、駆り立てるような足音。
 さくさくさく、と。直ぐ後ろから響くそれはただ恐ろしかった。
 あの人たちだと想った。大人達が酷く憎んで、恐れていた人たち。
 
 確か――『たいまし』。
 
 その名は子供、少年にとって今まさに忌々しい、『死』の言葉。
 綴りの存在は少年を、その仲間を、容赦無い滅びへと追い立てる。
 何処かで誰かの悲鳴が上がる。

「―――っ!?」
 女の人の声だった。
 全身に奔る冷たい悪寒、恐怖、動揺、混乱…それでも子供は草叢を走り続けた。止まってはいけないと誰かが教えてくれたから。それを自分に教えたのは女の人、いまの悲鳴の主ではなかったろうか。

(どうして?)

 止まり掛けた足を、それでも止めずに心の中で泣く。
 まるで燃えている様な鮮やかな草叢。果てしなく長い道であり、何処までも続く絶望への悪路に想えた。
 また、悲鳴が上がる。
 今度は良く知っている声。幼馴染の子。
 自分同様、年の頃は十にも満たない痛々しいもので。
 徐々に近く、背後で、たて続けに駆り立てられる――仲間達。
 少年の友達も、親類も、好きだった子も、皆…。

(どうして?)

 どれだけ時が流れたか、少年は漸く身を覆う草叢から脱して、開けた場所へと辿り着いた。
 黄昏時は過ぎたのか…。
 其処は夕闇に影を落とし始めた竹林。
 疲労を物語る汗が一陣の風にさらわれると、梢の音もまた、ザワザワと少年を取り囲んでは脅かす。
 不意に、少年の不安は増大した。
 悲鳴は何処からも聞こえてこないし、背後からの足音も熄んでいる。
 それでも助かったとは思えなかった。
 まだ幼い少年の身に紛れも無く「異能」の力がある故か、理由は定かではないが、少年は身に近づく危険を確信していた。
 ふと、静寂の中に草を踏む足音。

「―――?」
 おそるおそる背後の茂みを振り返る少年。

「だ、…誰?」
 声は震えを帯びていた。
 草叢を割るようにして姿を現したのは、何のことは無い…僕と同じぐらいの年頃の女の子。
 きょろきょろと周りの様子を確認し、背後をそっと振り返りながら、前から掛けられた言葉にびくっと立ち止まる。

「ひっ…!?」
 長い髪の女の子が僕の姿を見て一瞬竦み上がった。
 少女の肌も頬も、火事場から抜け出してきたような有様で煤けていた。

「あっ…」
 知ってる子だった。確かお互いに何度か一緒に遊んだことがある。
 向こうも直ぐにそれに気付き、はっとすると、これも煤けた素足でとてとてと駆け寄ってきた。胸に重い衝撃を受ける。
 女の子が抱き付いて来ていきなり泣き出したのだ。

「あ、え、えーと!?」
 瞬時にしてさっきまでの不安と恐怖が止み、変わって戸惑いと動揺が少年を襲う。
 少女は静寂の中で一人無事な少年を認めて、逃げ切ったと判断したらしい。安堵を覚えたせいで、それまで張り詰めていた緊張が解けた様子だった。

「大丈夫だから…」
 僕はそう声をかける。
 本当は大丈夫なんかじゃないのに。
 それでも少女は胸の中で泣き続けた。
 暫くの間、嗚咽と風の音だけが、夕闇の影落とす竹林にひっそりと響く。

(どうして?)

 三度胸の内で反芻する少年。
 この少女も、自分も…何故こんな目に遭うのだろう。
 焼き払われる里の光景、自分達を守ろうとして殺されていく大人たち、傷付く仲間達の姿が目に浮かんでは、瞳から一筋の涙が流れ落ちた。
 込上げるのは悲しみよりも、不条理な暴力に対しての言い様の無い怒り。

 ―――ぱきりっ
 不意に小枝を踏んだような音が響いた。
 いや、まさに誰かが小枝を踏んだ音だった。
 厭にわざとらしい響き。

「―――!?」
 はっ、として音のする方へ眼を向ける。
 女の子も様子に気付いて同様に顔を上げると、また恐怖が湧いたのか両肩を震わせて其方を見た。

「誰っ!?」
 声は先ほどのように頼りなくは無かった。
 応えが無い代わりに、竹林から姿を現したのは三人の大人たちだった。
 一様に物々しい出で立ち、其々が槍、刀と物騒な得物を握っている。

「たいまし…?」
 少年は自然と絶望的な表情を浮かべる。
 それを見て返り血を浴びて真っ赤に染まる男の一人が、哂った様子だった。

(やっぱり、逃げられないんだ)
 
 が、不思議と先ほどまで感じていた恐怖は薄れていた。
 助からないと悟ったからか? とにかく、笑われたことがとても悔しく、いいようのない怒りを駆り立てた。

「あ、うぁ…」
 少女の方は少年に縋り付き、怯えた様子でしゃくりあげ、此方は運命を悟っての絶望の表情。

「―――っ!」
 ゆっくりと囲むように此方に近づく大人たち。
 煤けた少女を後ろに庇いながら想う。
 力が欲しいと。

 ―――ヒュ、

 鋭く風を切る音色が、直ぐ近くで鳴った。
 血煙で僕の視界が僅かに曇る…。
 庇った筈の後ろから、女の子の泣き声。そして多分、赤い色をした生暖かい水が女の子から漏れる音。
 
 祈る。
 僕等を襲う何者にも屈しない力を持ちたいと。

 ざくり――、

 そんな厭な音がお腹から聞こえた。
 熱くて、身体が重くて、痛くて、立っているのも辛かった。

(どうして?)
 
 がくがくと震える小さな両足。やがて土の上に膝をつく少年。
 純真な黒瞳が自らを見下ろす「敵」を眺める。
 否、睨んでいた。恐らく本気で憎しみと殺意を覚えた瞬間、それがこの時だったのだろう。

 僕は―――強く願った。
 
 痛みよりも怒りがもたらした涙を流す瞳、それは黒から金色の輝きを発して。
 みるみる痛みが失せていき、徐々に体中が別の感覚で満たされていく。
 僕は目の前の「敵」を殴った。そいつは身体に刃を突き刺した奴だった。
 とるに足らない死に損ないの子供が無造作に振るった拳。
 それが正面にいた男の身体に減り込むとは、誰も考えなかったのだろう。
 ぐしゅ、と不気味な音が響き渡ると、男は信じられないといった表情で自分の体を見下ろした。鍛え上げられた胸筋にはぽっかりと穴が開いていた。少年が無造作に己の心臓を引き抜くのを見ながら、男は息絶える。
 残った大人たち、「敵」が一斉に目を剥いた。
 驚愕と動揺の為に。
 生々しい鮮血に塗れた腕をそのままに、少年は背後を振り返った。
 女の子は…?

「……………」
 眼を向けた其処はもっと血に塗れていた。
 心なしか自分の手に付着する赤色よりも綺麗な気がした。

(どうして?)

 相変わらず涙は止まらない僕の近くで、残った「敵」が煩く吼えていた。
 ありえないとか、化け物め、とか。

 その時、僕は――
 あの時、俺は――

 「鬼」と為った。

***『鬼』***
  
 モノトーン色に彩られた世界で、また一つ厭に眩しく鮮やかな赤が跳ぶ。
 赤は血――其れは俺にとって正統な復讐の印。
 鈍い音をたてながら古臭い土間に崩れ落ちたのは和服を着た中年の男。
 里でも由緒ある屋敷は、既に血の匂いに溢れた凄惨な殺戮現場に過ぎなかった。土間、廊下、縁側、居間…併せればそれぞれ軽く十名を越す骸がある。


 ――此処は退魔師の隠れ里。
 俺たち異能を狩り立てた憎むべき宿敵の里。

 地図にも載っていない小さな集落は、四方を小高い崖に囲まれたように隠されて、一見して堅固な要塞を想わせる。恐らく俺のような奴を含めて色々と敵が多かったのだろう。
 御丁寧に退魔師特有の結界も張り巡らされており、それを破るのは少々苦労した。
 結局はどんな防御策も俺を止めるには至らなかったが。

 
 里の入り口から此処に来るまでに屠った数は二十を越す。
 無論、女子供を含めての数。
 素手で打ち掛かってきた大男しかり。
 井戸の傍で妙な棒を振るい、退魔の術を編んだ老婆しかり。
 入り口付近で弓を射掛けてきた妙齢の女は、脅すつもりだったのか鏑矢を使っていた。丁寧に最初の狙いを外してくれたが、俺は容赦しない――耳から数センチ、唸りを上げて、横切るはずの鏑矢を素手で掴むと、倍のスピードで女の胸元に返してやる。心臓を狙ったのは一応の慈悲。
 順番に、かつ迅速に全ての家を巡り、独りも漏らさず敵を討っていく俺、つまらない感傷などあるはずも無く。
 そして里に滅びへの道を辿らせる時間は、さしたる障害や苦労も無く短く済んだ。もともと古臭い茅葺屋根の家が数件と、規模の小さな集落に過ぎなかった故に。
 もうこの里での残りは…、今、俺の眼前に立ち尽くす二人の男と、庇われる様に佇む老爺だけだろう。

(俺たちは、こんな連中に好いように狩られていたのか…)
 
 二人の男が刀を手にし、青褪めた表情で俺を見ながらも同時に撃ちかかってくる。

(無駄だぜ…?)
 鯉口を切った刹那、左右から袈裟、逆袈裟と閃く刃。
 鋭さは、剣道からは程遠い、殺意に満ちた剣術の其れだった。が、殺るか殺られるかの斬撃が身に迫るも、当然俺はやられる訳には行かないし、また殺る気は相手以上に強かった。
 退魔師――、己が尤も憎むべき相手故に。

「はっ、甘ぇよ?」
 洗練された切込みを鼻で笑う余裕。
 錬気により研ぎ澄まされた五感は、決して生温くは無い相手の斬撃をスローモーションに見せる。
 避けるでもなく逆に自ら飛び込んで。

「ふっ!!」
 鋭く短い気合は凄愴な殺気と成り変わり大気を冷却し、稲妻の様に動く俺の五体が、刹那の影のみを床板に映す。
 守久流古武術の『闘』。
 素手であるにもかかわらずいとも容易く人を滅ぼす業は、凶刃の下を潜り抜ける一瞬のみで、二人の敵を他愛なく屠る。
 相手方の先の先、更にその先を奪う常識を逸した体捌き。
 心臓を抉られた二つの屍は、互いに赤い華を咲かせながら崩れ落ち。

(余りにも、他愛ねぇよ…) 

 『異能』の力を揮う俺は退魔師の天敵。まさに天敵に相応しい圧倒的な力の差を持つものであり。
 然し、まだ少年の名残りを宿す風貌ゆえに、却って一層の妖気をも周囲に撒き散らす。

「これでこの里は――あんたで最後か。まあ悪く思うなよ…先に殺らなきゃ、後でこっちが殺られるんでね?」
 残された一人は身に寸鉄も帯びていない小さな老人。
 眉間に刻まれた皺の数は長い人生での苦労の証か、恐らくはこの里の長老であろう…。普通ならば哀れを誘う存在。
 
 ――だが俺に躊躇いはねぇ。

 床に目を投じると先ほど己を襲った日本刀。
 丁度良い、退魔師の武器でその里の長を葬ってやるか。億劫そうに身を屈めて其の柄を握ると、ゆっくり老人に歩み寄った。

「鬼めっ!!」
 老人が俺に、怯む事なく吐き棄てる。
 ぎしり、と柄を握る腕が軋んだ。

(………………)
 今でも脳裏に焼付いて離れ無いあの時の光景が、其の言葉が引鉄になり浮かび上がる。
 『鬼』…否定は出来ない。
 俺が殺し、滅ぼした中には女も、子供も、老人も居たのだから。
 然し、

「ああ、鬼だよ…、だけどそれは手前ぇらもだろう?」
 迫害され、抹殺されてきた多くの仲間達もまた、女子供の容赦はされなかったのだ。
 此方を、震える指で指差し、まるで狂ったかのように罵倒を続ける老爺。
 静かに刀を握りじっと聴き入る俺。
 蘇る過去の記憶に湧き上がる苦しみ、怒りと苛立ち。ゆっくりと頭を振った…。何よりも、

(こいつ等を殺らなければ俺たちが殺られる…)
 老人の言葉と仕草はいちいち癇に障った。

「躊躇いはねぇよ」
 言葉は自らに言い聞かせるような響きを持ち、握った刃は左から右へと一薙ぎされた。
 嫌な音が鳴った割りに、酷く手応えがない。
 跳ぶ首に、飛沫く鮮血。
 頬に求んで来た赤い雫は、すぅーと糸のように流れた。
 指先で掬い取った退魔師の血に醒めた一瞥。
 首から上を失ったそれが、ゆらり傾く前に俺は醒めた表情で踵を返す。

「躊躇いはねぇ」
 一族を守る為にと、言い聞かせるように零して。

***『面影』****

 あの時と同様に頬を濡らす雫を指先でそっと掬いとる。
 無論――色は赤ではないが。

(何時からだったかな、俺が里を襲わなくなったのは)
 振り返ってみれば色々あった。
 餓鬼の頃は平然と、躊躇いもせずにこなして来た忌々しい所業。それも思春期後半には、煩わしくも有り難い疑問など覚えるようになったし。

(そして高校に入った頃に「あの人」に出会っちまった。散々打ちのめされたっけな…俺も。今想うとまだまだ餓鬼だった…あの頃は)

 自らの罪を実感し、認識できた時の絶望感。贖罪を求めるように喘いでいた俺が、闇に堕ちず、狂わなかったのは偏に「あの人」のお陰である。
 そして今の俺へと導くきっかけとなった、比較的新しい想い出である、あの事件―――。

「―――――」
 まるで夢でも見るように深い回想に浸っていた俺だったが、突如鼓膜に轟いた甲高い女の声に我に返る。

「あん?」
 些か間抜けに声のする方へ眼差しを向けると、其処には激しく此方を睨んで文句を並べる女の子。

「き、貴様―――っ!!」 

「ああ、すまねぇ…ちょっと過去に浸ってた、悪ぃな。…で、お前誰だっけ?」
 そう言えば俺は襲われている立場だったか。
 いけしゃあしゃあと片手を上げて謝罪&さり気無く名前を聞く俺に、女の子はマジ切れモード突入っぽく。

「くっ、お、お、おのれーーー」
 華奢な両肩を震わせて激昂。
 といって彼女はそのまま怒り任せに突っ掛かって来ることはせずに、激した自分を器用にも諌めると、冷静沈着な様子を取り戻す。眼鏡のフレームをトンっと一突きして深呼吸する少女の様子を見れば、偉いなと意味も無く感心する俺。

「ふん、まあ良い、冥土の土産よの…」
 黒髪を舞わせ、黒瞳に攻撃的な光を燃やす少女は冷厳に、しかし些か気負ったように自らの名を名乗った。古めかしい言葉遣いは無意識。

 不思議と好い名前だと想った。
 俺の胸にそれと無く刻まれた気がする。
 そして――続けざまに彼女の唇は、

「一族の恨み、晴らさせてもらう」
 …と、紡ぐ。
 路地裏をさながら舞うように跳躍した少女。
 この場での決闘は避けられそうになかった。
 龍樹は面倒臭そうに頭を掻くと、
「手加減すっか…」、小さく愚痴をこぼした。
 胸中――困惑と自嘲、複雑な溜息。
 感じた面影のせいだろうか?
 
 雨は何時の間にか小降りに変わっていた。


―終―
PCシチュエーションノベル(シングル) -
皐月時雨 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月14日

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