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『秋のある日の希世 』
葛西・朝幸1294)&花房・翠(0523)&神島・聖(1295)


 呆然と、彼らはそれぞれまったく別の場所で、けれども一様にまったく同じ感想をその胸に抱いていた。
 な……、
「なんで!?」「なぜだ?!」「なんでや?!」
 別々の場所にありながらも、言葉は違えどまったく同じ意味合いの言葉を同時に発した所からして、もしかしたら彼ら、相当気が合う三人組なのかもしれない。
 ……が。
 今はそんなことを言っている場合ではなかった。
 絵の中に取り込まれる、という、常識では考えられない異常事態にあっては。

 ――そもそも、事の始まりは神島聖(かみしま・ひじり)の持っていた美術館のチケットにある。


■事の始まり■

 空は抜けるように青い。
 天高く、馬肥ゆる秋。
 まさしくそんな言葉がピッタリと当てはまるようないい天気に恵まれた、その日。
 澄み切った空とは正反対に、なにやら背中の辺りに暗雲を背負った男が一人。
「なぁぁぁんでせっかくの休みの日に、男ばっかで雁首揃えてお出かけせなあかんねん〜」
 言葉だけでなく、全身、そして声音にまで不平不満を色濃く滲ませ、ぶつくさと文句を並べてながら街中を歩いているのは、すらりと背の高い、非常に秀麗な容貌を持つ青年だった。銀色の髪の先が、少し冷たくなってきた秋の風にゆるく弄られている。掛けている眼鏡のせいかひどく知的な印象を受けるが――何故か、今その銀色の髪の上にはワインレッドのベレー帽が乗っかっていた。
 ちょっと、その容姿端麗な青年にはそぐわない印象があるそのベレー帽。けれども本人は気に入っているのか、何度も風に飛ばされそうになるたびにそれをいちいち神経質に被りなおしている。
 彼――名を神島聖(かみしま・ひじり)という。
「ったく、せっかくの芸術の秋やで? なんでお前らみたいな芸術なんかと縁なさそうな連中と一緒に行かなあかんねんな」
「よく言うなあ。聖だって大概だろ。ねえ翠くん?」
「まったくだ。大体、タダで手に入れた券なんだろ? だったらケチケチするなよ」
 言って、息を合わせたように「なー?」と仲良く顔を見合わせてにこにこと笑いあっているのは、葛西朝幸(かさい・ともゆき)と花房翠(はなぶさ・すい)。不機嫌の真っ只中にいる聖とは違い、朝幸と翠はえらくご機嫌である。
 そんな2人の様子に、さらに聖の不機嫌さがゲージを上げる。
「何が『なー?』や、アホらし。タダ券やからゆーてもな、別に男と一緒に行かなあかん道理はないんやで」
「だったら誰と行くつもりだったんだよ、聖」
 縁石の上を器用に歩きながら、朝幸がちらと聖を見やる。美少年――というよりは美少女と言ったほうが合いそうなほどの愛らしさを持つ朝幸のその顔を、けれどもなんの感銘もなく見返し、フンッと聖は鼻を鳴らして空を見上げる。ついでにその両腕を、天に向かって伸ばし。
「そんなん愚問やろ。数多の美女が俺のことを待っとるんやで!」
「だったらさっさと誘えばいいのに、いつまでもモタモタして俺たちにそんなチケットなんか見せるから悪いんだろ?」
 翠が言って、笑う。短くこざっぱりと切られた黒髪が少し冷たい秋風に揺れた。その言葉に朝幸が大きく頷く。
「そうだー。俺たちが悪いみたいに言うけど、聖が悪いんだよねー」
「アホかっ! 今から誘いに行こかなーて思てたとこにお前らが来たんやろがっ!」
「だって日曜だったら聖休みかなーって思ったからさー。なんだよ、せっかく遊びに行こうって誘ってやったのに」
「恩着せがましぃ言い方すなっ」
 ぴしりと朝幸の頭にツッコミを入れ、聖は大きく溜息をついた。
 人間、諦めが肝心とも言う。それに、まあ、確かに今日いきなり「美術館行かへん?」と言い出しても乗ってくれる女性が…確かにいるにはいるだろうが、すでに彼ら2人に捕まった以上、逃げようがない。
 聖の溜息を諦観の境地に至ったと見た翠が、穏やかに笑う。
「退屈しないですみそうだな、トモ」
 その言葉ににっこり笑って答えようとした朝幸のその口許を手で覆い、聖が代わりに口を開いた。
「お前らみたいな芸術なんか理解できんヤツらが行ったトコで、退屈するに決まっとるやろ!」
「そんなこと分かるかよ! すっごい面白い事起きるかもしれないだろ!」
 聖の手を払いのけ、ベーと軽く舌を突き出す朝幸。
 ……その時点で彼に特別何か予感のようなものがあったわけではないのだが――結果から見れば、その言葉はこれから起こる事をまるで予測していたかのようなものだった。


■到着するが?■

「うあ、なんだよココ」
 顔をしかめて思いきり怪訝そうな声を上げたのは、朝幸だった。そしてその表情のまま、後ろにいる二人を振り返る。目は聖を捕らえている。
「本当にココなのかよ?」
「なんやねん、無理矢理ついて来といてからに文句までぬかすやなんて」
「……神島、お前本当に地図、ちゃんと頭に入れて来たのか?」
 聖の隣に立っていた翠も、怪訝な眼差しで彼を見る。
 彼らの目の前にある建物。それが、朝幸と翠に怪訝な顔をさせている原因である。
 美術館と聞いた二人は、てっきり落ち着いた雰囲気の美麗な建物を想像していたのだが……今彼らが眼前にしているのは、今にも何かこの世のものではないモノが出てきそうな雰囲気漂う、古びた洋館だったのだ。
「これって誰かの家じゃない? 聖、どっかで道間違えたんじゃないのかー?」
「これじゃあ美術館っていうよりは廃屋って言う方があってる気がするな」
「まったくもう、これだから聖はー……」
「人なんかいなさそうだぞ。美術館っていうにはちょっと無理がないか?」
「ほーんと、肝心なとこでトボケてるんだから、聖はさー」
「まったくだな」
「だよねえ」
 代わる代わるにケチをつける二人。しばし黙って聞いていた聖は、ピクピクとこめかみの辺りに怒筋を浮かばせて奥歯を噛み締めながら歯の隙間から言葉をつむぎ出した。
「黙って聞いときゃガタガタと……! 俺が道間違えるはずあらへんやろが!」
 言い、懐からチケット三枚を取り出し、くるりとひっくり返してその裏面に描かれている美術館近辺の地図を見やる。その手元を、朝幸と翠も覗き込む。
 ――しばし流れる沈黙。
 ややして。
「……で?」
「誰が間違えるはずないって?」
 冷たい視線が聖に注がれる。そのあまりの冷たさに、思わずじとりと嫌な汗をかいてしまう聖。
「い、いやあ……ほら、言うやんか昔から。猿も筆の誤りーってそんなわけあるかい! ってねー、ははは、あはは、はは……」
「くっだらねー……」
「サイテー……」
 乾いた笑いを発しながらも、なんとかその場を取り成そうとする聖の努力をあっさりと一蹴する言葉を吐き、翠は大きな溜息をついて目を逸らせ、朝幸は半眼にした目で聖を見ている。その顔に張り付いているのは、容赦なく人を小馬鹿にする表情。
 地図によると、聖が自信満々に二人を引き連れて歩いてきた道。
 実は駅を下りた直後から間違えていたようなのである。
 で、辿り着いたのが、ココ。
 物凄く怪しげな、洋館。
「……で、どうすんの? もっかい駅まで戻る?」
「そうするより仕方ないだろ。こんなところに居てもどうにかなるわけでもなし」
 言って、朝幸と翠の二人がくるりと踵を返した。
 その時。
 ギィ、と酷く軋んだ音を立てて洋館の扉が開いた。
「……あら、お客様?」
 現れたのは、黒のパンツスーツを纏った年の頃25歳くらいの女性だった。三人の姿を見て、優美に微笑む。
「外で話し声がするから出て来てみたら……珍しいわね。わざわさこんな外れにある美術館まで足を運んでくださる方がいるなんて」
 その言葉に、三人が顔を見合わせた。
 ……美術館って、今、言わなかったか?
 三人の眼差しは、同じ事を語っていた。そしていち早く彼女のその言葉に反応を示したのは、聖だった。
 ずいと一歩踏み出し、好青年っぽい微笑をその端麗な容貌に浮かべてみせる。さすがに千人斬り(?)を目標にしているだけのことはあり、女性に向けるその微笑には格別の魅力が備わっていた。
「そうなんです、ここに素敵な美術館があることを知っていてやってきたんですよ僕たち」
「誰が"僕"だよ」
「なんでいきなり標準語なんだよ」
「やかましわ! とにかく美術館に来たことには違いないんやさかい、文句ないやろが!」
 しらーっとした顔で入れられた二人のツッコミに速攻で言い返し、またにこりと優しげな微笑で女性を見つめる聖。
「チケットないんですけど構いませんか? いやあ、やはり秋と言ったら芸術ですよね、それ以外には考えられませんよね」
「えー、食欲の秋もアリだよねー翠くん」
「それはもちろん。まあそれもいいけど読書の秋もアリだな。本は学生の内に読んどけよ?」
「社会人になったら忙しいから読めないか? んー……じゃあ翠くんの書いた記事読もうかな」
「ああ、それなら近々――…」
「っだーっ!! さっきからごちゃごちゃやかましなお前らっ! 芸術的な美術品見る気ないんやったらとっとと帰れ!!」
 どんどんと話をずらして行っている二人に今度は聖がツッコミを入れる。そんな聖を、朝幸がじろりと見やった。
「券ないのに入れてもらえるのか? んー?」
「大体、道を間違えたのは神島だろう? 俺たちに当り散らされても困るよなあ?」
 肩をすくめて、翠が言う。それを言われると、と聖が言葉を詰まらせた時、黙って彼らの様子を眺めていた女性がクスクスと笑い出した。
「あ、券なくても入ってもらって結構ですよ? 美術品は、人に見られてこそ価値があるというものですし。せっかくの芸術の秋、ですものね?」
 聖の言葉を受けてのものなのだろう。芸術の秋、にやたら力を込めて女性は言い、どうぞと三人を館内へと導く。
 とりあえず、翠は「どうする?」と言うような顔で二人を見やったのだが、朝幸も聖も軽い足取りでさっさと入り口に向かって移動しはじめている。
「ほらっ、翠くんも早く!」
 子犬のように元気にはしゃぐ朝幸のその声に小さく苦笑を浮かべると、翠もまた洋館に向けて歩き出した。


■一枚の、絵■

 邸内――いや、仮にも美術館というのなら館内というべきか――は、人の姿が全くなかった。外観からして美術館には見えないせいか……それとも「迷わなければ辿り着けない」ような場所にあるせいか。それは分からない。
 だが、外観はともかく、内装は至って普通の美術館だった。一室一室がやたらと広いため、十分に展示ホールとしての役目を果たしているのである。
 外から見るとかなり古びた洋館だったのに、中は壁など真新しいのではないかと思えるくらい真っ白だった。
 ……にしても。
 多数の美術品――絵画はもとより、彫像、宝石の類いまで展示されているのだが、どれもこれも、皆ひどく個性的な作品ばかりだった。というか……個性的といえば聞こえはいいが、ようするに有名どころの作品が1つもないのである。
「美女のうたたね……。鼻ちょうちん作ってマヌケな顔して寝てるよ、美女が」
 一つの絵の前で立ち止まった朝幸がなんとも言えない表情で呟く。別の場所では翠が、これまた微妙な表情で一つの絵の前に立ち尽くしている。
 掲げられている絵のタイトルは『眠りのイモリ』。
「……な、なんというか……斬新というか、うーん……」
「なあなあこれ見てみー」
 部屋の隅の方で何かの絵に見入っていた聖が、二人に向かって声を上げてひょいひょいと手招きをする。人が全く居ないので、大声を出してもそれを咎める者もいない。それどころか、入り口で会ったあの女性ですら、いつのまにやら彼らの前から姿を消していた。
 聖の声に呼ばれた二人は彼の元に歩み寄り、そしてその前に展示されている絵を見た。
 古びた西洋風の城を背景に、男女で手を取り踊る人々が描かれている。タイトルは、見たそのまんまの「古城とその前で踊る人々」。
 ただ、その踊っている人たちの顔がどうも、ちっとも楽しくなさげなのである。描かれている花々は枯れ、色彩もなんだかひどく暗く……楽しそうというよりは、見ていると胸が重苦しくなってくる感じだ。踊っているのも半ば誰かに強制されてのことなのではなかろうかと思えてくる。
「一体どういうつもりでこんな絵を描いたんだ作者は……」
 翠が眉をひそめて呟く。その言葉に、ニヤと聖が笑った。
「お前、触ってみたらどないや? なんやオモロイ事分かるかもしれへんで? アトラス編集部辺りに持っていける記事になるかもしれへんし」
「けど、勝手に触ったりしたら怒られるんじゃない?」
 やめたほうがいいという言葉を言外に置き、朝幸が翠の手を引く。が、気になったものは徹底的に調べないと気がすまないタチの翠は、小さく笑って朝幸の頭に手を置いた。
「大丈夫だ、何か起こるわけもないだろうし。少し見てみるだけだって」
「でも」
「本人がええっちゅーとんやからええやないか。ほれ、見るんやったら今のうちやで。係員もおらへんし」
 聖としても、なにかこの絵に引っ掛かるものがあるのだろう。だからこそわざわざ二人を呼んだりしたのだが。
 す、と翠が手を伸ばす。
 指先が、絵に触れるか触れないか、と言うところで……。
「……え……?」
「あれ?」
「あ?」
 刹那、体に違和感を覚える三人。
 一瞬のことだった。
 パレットの上で絵の具をかき混ぜるかのように、周囲の景色が奇妙に歪んだ。と思ったら。
 次の瞬間。

「「「?!」」」

 三人は、まったく見たこともない場所に放り出されていた。
 自分の周りには、ついさっきまで一緒に居たはずの奴らが居ない。
 さらに、今彼らの目の前にある光景は――西洋風の古城。枯れた花々。
 見ている角度は違えども、三人が三人、同じ場所を見ているようだった。
 それは、さっき「絵」として見ていたはずの景色。
 それが今は、現実感を伴って眼前に広がっている。
 そして。
 状況を理解するにつれて彼らは別々の混乱の極みに追い込まれ……ついに、別の場所にありながらも完全に同時に叫んだのである。

「なんで!?」「なぜだ?!」「なんでや?!」……と。


■踊りましょう■

 一体何が起きたのだろう?
 さっぱり分からないままに――けれどもあっさりと、まあ入ってしまったものは仕方ない、そのうち出られるだろうなどと思いながら歩き出した翠は、ふと、聞こえてきた奇妙な音楽に耳を済ませた。
 聞いた事のない、奇妙な音楽。
 何が奇妙かというと、すべてが微妙な不協和音で構成されている点だ。
 聞いていれば聞いているほど、なんだか背筋が薄ら寒くなるような感覚を覚えてしまう。
「なんだこの音痴な音楽は……」
 言い得て妙な事を口にしながらこめかみを押さえ、翠は音の聞こえる方へと歩き出す。
 と。
 その目の前に、いきなり誰かが立ちはだかった。
 なんだ? と言う顔でその障害物を見――翠は目を瞠った。
 そこにいたのは、さっき美術館の入り口で出会った女性だった。
 聖を見、女性はにっこりと笑った。
「せっかくの芸術の秋ですもの。芸術に食べられるのも一興でしょう?」
「……よく分からない理屈だが」
 頭をかりかりかいて、翠は肩をすくめた。
「なんで俺たちがこんなところに入れられたのかは分からないが、何か用があったんだろ? 聞くだけ聞くから言ってみろ」
 その言葉に、彼女は微笑んだ。
「私と踊りましょうよ? 私が満足したら、帰らせてあげる」

 踊るも何も、と思いながらも、とりあえず翠は彼女に連れられて、古城の前へと移動した。そこには、あの美術館で見た絵画そのままの光景があった。
 楽しくなさそうに踊る人々。自分と踊っている相手に対してもなんの興味もなさそうな無表情で、やる気なさそうにほろほろと踊り続けているその連中。
 ……確かにこの音楽じゃちょっとな、と翠は眉をしかめた。ずっと聞いていると確かにやる気などなくなりそうだし……何より頭が痛くなりそうだ。
「で? まさかこの曲にあわせて踊れというわけじゃないだろうな?」
「貴方が得意とする踊りでいいわよ?」
 優しげな微笑みとともに言われるが、得意な踊りって……と言葉を詰まらせる翠である。
 よほどクラブなどに通っていたり社交ダンスなどを嗜んでいる人でない限り、「得意な踊り」などないと思うのだが……。
 しかし今この相手にそれを言ったところで何の役にも立たないのだろう。彼女はにこにこと翠を見ている。
(まあ、なんとかしなきゃ帰れない訳だし)
 思い、翠は差し出された彼女の手をそっと取った。
(こういう役回りは俺より神島の方が向いてそうなものなのに、どこ行ったんだアイツは)
 ふとその脳裏に、赤く長い髪をポニーテールにして束ねた、優しげな女性の顔が浮かんだ。
「っ!」
 今ここで彼女の事を思い出してしまい、う、と思わず掴んだ女性の手を放してしまいそうになるが……ここで放したら帰る事ができなくなるかもしれないという冷静な思考が、なんとか彼を思いとどまらせた。
(落ち着け落ち着け。とりあえず、相手を満足させる踊りを踊れば帰れるんだ……。それなら)
 女性と繋がっている手に、意識を込める。凪ぐ心に浮かぶ、情景。
 手を取り合って踊る男女、彼らの発する明るい笑い声、楽しげに弾む曲、柔らかな太陽の光……。
 その、浮かぶ情景そのままに、真似るように翠は彼女をリードして踊り始める。
 チャルダーシュ、だ。
 そんな踊り、やったことなどない翠だが、脳裏に浮かぶ映像をなぞるように、女性をリードして器用に踊りを続ける。もしかしたら、ここが現実ではなく絵の中だということで、そんな器用な芸当も可能なのかもしれないとちらりと思うが、またすぐに踊りの方へと意識を集中させる。
 その場に流れている不気味な音楽は耳に入らない。聞こえるのは、女性の記憶の中で今流れているメロディ。
 翠が見ている映像は、すべて彼女の記憶の中の物だ。翠の能力が見せているものである。
 サイコメトリーという、力が。

 ふっと、踊り始めて数分が経った頃。
 脳裏に見ていた映像が、ノイズが入ったかのようにブレた。
 はっと意識をその場へと戻す翠。けれど戻した直後、視界がぐにゃりと歪んだ。
(あ、これは……)
 さっきも味わった現象だ。この場に紛れ込む前に見たのと同じように、またいびつに崩れだす世界。
 けれどさっきとは違い、なんだか徐々に意識が遠のいていく。それでも踊りを続けていた翠の足がついに絡まり、力なくその場に体が崩れ落ちた。
 帰れるのか、それとも――…
 思った所、耳元に優しげな声が聞こえた。
 ――ありがとう、と。
 それきり、翠の意識は闇の中へと落ちた。


■本物はどれでしょう■

 さて。一体何が起きたのやら。
 周囲を見渡していた聖は、大きく溜息をついた。
「おーい、誰もおらんのかー?」
 一応は呼んでみる。呼んで返事があればそれでいいし、なければないでそれならばその時。
 そう思ったのだが。
「おーい」
「おーい」
 聞き覚えのある二つの返事が聞こえた。それに、ふっとまた吐息をつく。
「なんやお前ら、そこにおったんかいなー」
 言いながら、聖は声のした方へ移動する。が、彼らの姿はない。
「おい、朝幸?」
 声はするのに、姿がない。
「こっちだよー」
「せやからどこやねんって」
 ブツブツ言いながらも、声に誘われるように歩き――聖はいつしか、古城の中へ入り込んでいた。それでも声がするのだから、と思いさらに歩いていく事数分。
「ここかいな?」
 一つのドアの前に辿り着いた。声はその中から聞こえる。
 まあとりあえず迷っていてもしゃあないわな、と胸の内で呟き、あっさりと扉を開けて中へ踏み込み……聖は目を見開いた。
 その部屋は、何故か一面鏡張りだったのである。あちこちに映る自分の姿にキョロキョロと周囲を見回す。
「おいっ、お前らおらんのか?!」
「いるよーここにっ」
 声と共に、聖の胸に何かがぶつかった。ぎょっとしてみると、いつの間にいたのか、そこには朝幸がしがみついていた。
 が、なにやら様子がおかしい。ぎゅーっと強く聖にしがみついたかと思うと、今度はうるうると潤んだ瞳で顔を見上げてきた。
「ひじりぃ〜、どこ言ってたの〜? 俺寂しかったよ〜?」
「はあ?」
「だってぇ、やっぱり俺はぁ、聖がいないと寂しくてぇ〜」
 甘ったるく語尾を伸ばしまくって喋り、朝幸は人差し指で聖の胸元でのの字を書いている。
「……お前、なんや変なもんでも食うたんか?」
「そんなんじゃないよぅ〜」
「……ついに頭の線全部切れてもーたんか?」
「だから違うよぅ〜。ねえ翠くん〜?」
 ちらと朝幸が視線を向けた先。そこには鏡に背を預け、ニヒルな笑みを浮かべた翠がいた。
「おらおらっ、テメエがモタモタしてやがるからっ! いつまで経ってもココから出られねえじゃねえか! ったく、このグズっ、ノロマっ!」
「あ〜、翠くん、聖にそんな酷い事いわないでよう〜」
「うるせえっ、だらだら喋ってんじゃねえよ、このアンポンタン!」
「アンポンタンって……聖ィ、翠くんがあんなこと言うよう〜」
 ぐすっと鼻を鳴らして聖の胸元にしがみつく朝幸。そんな朝幸に向かってどこから取り出したのか分からないが、石ころを投げつける翠。
「気持ち悪ィんだよ、このバカっ」
「はう〜、聖ィ、なんとか言ってやってよ〜う」
 ぐすぐすとさらに聖に強くしがみつく朝幸を見ていた聖は、やがてべしりとその頭を叩いた。ぎょっと朝幸が聖を見上げる。
「聖ぃっ?」
「アホさらせ、このアホども。一体何のつもりやねんこれは。新しい漫才でも開発しとるんかい」
「誰がこんなアンポンタンと漫才なんかするかよっ」
 コツン、と聖の額に翠の投げた小石が当たる。それに対して文句をつけようとした聖の出鼻をくじくように、またしてもアンポンタンと言われて朝幸がぐすっと鼻を鳴らした。
「聖ぃ、なんとか言ってよ〜、翠くん俺に酷い事ばっかり言うよう〜」
「大体男のくせにそんなに男にベタベタくっついてんじゃねーよ、アンポンタン!」
「いいじゃないか〜、俺は聖が好きなんだもん〜」
 言って、ぺたりと聖の胸にくっつく朝幸。
 ……もはや呆れ果ててしまい、何からツッコんでいいのか分からなくなっている聖である。が、とりあえず。
 もう一発朝幸の頭にべしりと平手を落としておいて、翠を見やって青い双眸を細める。
「一体何のつもりやて聞いてるんや俺は。大体こんなバレバレなニセモン出してこられたかて、どこからツッコんでええかわからんやろが! それとも何か? こっから出るためにはお前らと漫才トリオ組んで、この世界を牛耳っとる大魔王でも笑かしにいけっちゅーんか?!」
 おそらくは、何かをしなければここから出ることができないとかいうことであろうとは思うのだが、だったらさっさとそのお題を教えてもらいたいものだ。
 と思ったのだが。
 聖が一気に紡ぎだした言葉に何かの威力がこもっていたかのように、それまでそこにいた朝幸と翠が、まるで幻のようにふっとその場から消え去ってしまった。ぎょっとする聖。
「なんやコラお前らっ、俺と漫才するんとちゃうんか?!」
 だが叫べたのもそこまで。
 ぐにゃりと周囲にある鏡に映った自分の姿が歪んだかと思うと、聖の意識は急速に闇の中へと落ちていった。
 ……つまり、聖はその気もない内に「ニセモノを見破れ」というミッションをクリアしてしまったのである。


■キレイにしましょう■

 とりあえず、その場でいつまでも驚愕に任せてぼんやりしていても何の解決にもならない。
 そう思い、自己をさっさと取り戻した朝幸は、ぎゅっと胸の前で右の拳を握り締めて空を見上げた。
「まあ、中に入れたってことは外に出る方法も何かはあるんだろうし……」
 と、呟いた朝幸のその目の前に、何かがひらりと舞い落ちてきた。
「?」
 なんとなく、ひょいとそれをキャッチする。
 それは一枚の紙切れだった。何かと目を通すと、そこにはデカデカと。
 ――城をキレイにしたら解放。
 と書かれていた。
「……城をキレイに?」
 一体この紙はどこから降ってきたのだろうと空を見上げるが、そこには灰色の空が広がっているだけで何もないし誰もいない。
 しかし、この状態でこんなものがタイミングよく降って来るとは……。
 あまりにも、出来すぎではないか?
 とは思うが、逆に、こんな状況だからこそタイミングよく解放の条件が提示されたのだとも考えられるのではないだろうか?
 むー、としばらく腕組みをしてその紙に書かれた事について吟味していた朝幸だが、それも数秒の事。
「ま、これしか分かんないんだったらしょうがない。とりあえずはコレやってみるかー」
 あっけらかんと言い放つと、両腕を空に向け、大きく1つ伸びをし、シャツの袖を捲り上げた。
 と、その時、歩き出そうとした朝幸の目の前に突如、空からバケツが降ってきた。
「うあっ?!」
 鼻先掠めて地面に落下したバケツに驚いて思わず飛びのくと、さっきまで朝幸が立っていた場所に、またしても空から降ってきたホウキとモップの柄が突き刺さった。ついでに、チリトリも降って来る。
「こ、殺す気か?!」
 手で頭を庇うようにしながら空を見上げるが、あとはひらひらと雑巾が一枚、風に舞いながら落ちてきただけだった。ぱさりと顔の上に落ちてきたそれを手で引っつかみ、ホウキとモップを地面から引っこ抜いて、バケツを手に提げ。
「これで掃除しろってことだよなきっと……」
 呟いて、古城を見上げる。
 どうみても、部屋が一部屋二部屋程度ですみそうではなさそうだが……。
「ま、やるしかないよなっ」
 うしっ、と気合を入れ、朝幸は古城の城門目掛けて歩き出した。

 時は流れて――。
 額に浮いた汗を手の甲でぐいと拭い、ふーと朝幸は腰を伸ばした。
「はあああ……つーかーれーたー……」
 なんと彼は、気合と根性で古城内の大小あわせて約30部屋もの掃除を、すべてやりきってしまったのである。最上階から順に、下へ下へと移動し――後は今いる一階大広間の円卓を綺麗に拭けば終わりだ。
 全部屋、ほこりまみれだわ蜘蛛の巣は張りまくっているわで、本当に大仕事だった。16年間生きてきて、今までこんなに掃除をしまくったことはない。
 キュッキュッと力を込めて、円卓上を拭き終えた朝幸は、最後にその雑巾をバケツに放り込んでガッツポーズを決めた。
「終わったああっ! うしっ、これでどうだっ!」
 嬉々とした色を滲ませて叫んでみるが……どこからも返答はないし、周囲の景色が変わることもない。
 シー……ン。
 虚しい沈黙だけが朝幸に返される。
「って、ちょっと待て! ちゃんと俺は掃除しただろっ! ほれっ、ホコリ1つないぞっ!」
 指先で円卓の上をなぞって何処へともなく叫ぶが……やはり返事はなく。
 やはりアレはただのイタズラか何かだったんだろうか。
 ガクリとその場に崩れ落ちそうになる。どれだけ必死こいてここまで掃除したんだー…とまた叫びそうになり。
 ふと、目を上げた先にあった花瓶に視線が止まった。
 そうだ、せっかくなんだから花でも生けてやったらどうだろう。
 あの絵の花は確か全て枯れてて……なんだかとても寂しかったから。
 思い立つと、朝幸は近くにあった窓枠に手をかけ、ひょいと外に飛び出した。だが外に出たところでやはり花の類いのものは全て枯れている。土も固く、乾ききっている。これでは花など咲きようもないだろう。
 けれど朝幸は構わず、何か気合を入れるかのように1つ大きく息を吐くと、大きく両手を広げて空を仰ぎ見た。
 流れる風。大気。その全てを身のうちで感じ取るように。
 ゆうらりと、朝幸の纏っている白いシャツが揺らぎだす。あちこちピンで留めている髪も、毛先が揺れだした。
 風が、奔る。
 いつもはあどけない表情を浮かべているその容貌が、凛とした色をたたえる。その身の回りに、風の流れが発生している。
 それは朝幸の能力。
 上空で大気が揺れる。すると、空を覆っていた厚い雲が割れた。かと思うと、どこかで雷鳴が響きだす。
 掲げた両腕で雲の動きを操るかのように――正確には、操っているのは風なのだが――腕を動かしながら、朝幸はわずかに眉宇を寄せた。
 いつもより、力が強まっている気がする。
 本当なら、もっと集中が必要だし、こんなに早く結果を呼ぶことはできないはずなのだが――。
 ここが、いつもの世界とは違う所だからだろうか?
(……ま、いっか)
 あっさりと片付けた朝幸の鼻先に、ぽたりと雫が落ちてくる。やがてそれは激しく断続的なものになっていく。
 雨、だった。
 それはまさしくバケツをひっくり返したという表現がピッタリくるほどの激しさだった。すぐさまあちこちに水溜りができていく。乾ききっていた大地に染み込むそれは、まぎれもなく恵みの雨だろう。
 そのまま、朝幸はさらに天候を操り、灰色の雨雲を強引に払いのけると、今度はその雲の隙間から太陽を空に覗かせた。雨雲を追いやる作業に使っていた手を、今度は緩い風を呼ぶ作業へと移行させて。
 水と、光と、風と。
 本来なら、できるはずのない事も今ならば余裕で出来そうな気がして――朝幸は意識を集中し続ける。風は、春を髣髴とさせる柔らかさ。光に熱されたその風は、土の中で眠る植物に発芽を促す目覚めの風。
 濡れた大地から、するすると、まるでビデオを早送りで再生させながら見ているかのように、次々と芽が吹いて来る。
 後はもう、朝幸の思い通りで。
 数分後には、その場は色とりどりの花で埋め尽くされていた。
「絵の中だからなんでもできるのかな?」
 自分の両手を見下ろしながら呟く。
 と。
 ぐらりと。
 その目の前が歪んだ。
 それはあの、絵の中に取り込まれた時と同じ揺らぎ。
 あ、と思う間もなく、朝幸の視界はぐにゃりと歪み――そして、暗転した。


■そして、得たものは■

 気がつくと、三人は例の絵の前に何事もなかったかのように、立っていた。
「?」
 立ったまま気絶していたかのようなお互いの姿に、顔を見合わせる。翠に至っては、絵に手を伸ばした姿勢のままだった。
「……あれ? 夢か?」
 手を引き戻しながら、翠が呟く。が、その伸ばしていた手の中に、何かがあることに気づいて手のひらを見る。
 と、そこには、なくしたはずの物があった。
「……これ……」
 それは、翠が姉から貰い、そしていつのまにか失くしてしまっていた、精霊の力の宿る小さな石だった。どうして今それが自分の手の中にあるのか分からず、何度も瞬きする翠を見ていた朝幸は、ふとその視線を絵の方へと向け――目を見開いた。
「あ……っ、ちょっと、コレ見て!」
 指差された先にある、問題の絵。
 だが、それはさっきまでとは明らかに違っていた。
「……どないなってんねん?」
 さっきまではあんなに暗い印象だった絵が、今は。
 楽しげな表情で踊る人々。
 その周囲に咲き乱れる、色とりどりの花。
 そして、その絵の端っこの方にいる、三人の男性の姿。
 それは紛れもなく、今ここにいるこの三人だった。
「あは、これって俺たちだよなあ?」
「アホ抜かせ。俺はもっと男前や」
「だってこのベレー帽、間違いなく聖だろ?」
 確かに、三人の男のうちの1人、銀髪の青年はその頭にワインレッドのベレー帽をしっかりと被っている。
 ふっと、翠はその口許に笑みを浮かべた。
「やっとこの人たちも楽しげに踊ることができるようになったってことだな」
「あれ? 翠くん、もしかして何か見てきたの?」
「ああ、いや……ただ、この絵自体に何かの力とか呪いとかがかかっていたのかも……それを解かせるために、もしかしたら俺たちが招きいれられたのかも、と思っただけだ」
「ホンマ、どないなるか思たわ」
 肩をひょいとすくめて言う聖。が、ふと何かに気づいたように、上着のポケットに手を突っ込む。
 そこには、美しい細工の施された手鏡が入っていた。
「なんや? こんなん俺持ってへんかったけど……」
「ん? もしかしてそれってお土産? じゃあ俺もなんか持ってんのかな?」
 言って、ごそごそと朝幸も自分のポケットを探り――引っ張り出したのは、いちご味の飴玉ひとつだった。
「なっ、なんで俺だけこんなの?!」
「ま、分相応っちゅーやっちゃな」
「一番トモが喜ぶものだと思ったんじゃないのか、それが」
「えええっ、聖と翠くんはそんなにいいもの貰ったのに、俺はあんな大変な目して掃除しまくったのにたったこれっぽっちかよ!」
「まあまあ、善行の後にそんなこと言いなや、な?」
 朝幸の手から飴玉を取り上げてしゅるりとその包みを解き、まだ何かを叫ぼうとするその口にひょいとピンク色の中身を放り込む。と、朝幸はあっさりと表情を変え、
「あ、コレおいしーっ」
 ……どうやらそれで満足したようだ。
 やはり分相応、ということなのだろうかと翠は小さく笑うと、持っていた石をポケットに入れて歩き出す。
「さ、そろそろ帰ろう。これ以上ここにいてまた変なことに巻き込まれても困るしな」
「あーせやな。まったく、難儀な美術鑑賞やったで」
「それはそもそも聖が道間違えたからだろー?」
「確かに、言えてるなそれは」
「なんやてー? 元はといえばお前らがやなー……」
 にぎやかに騒ぎながら、三人はその美術館を後にした。


 後日。
 一応、面白い経験をしたことを記事にでもしてみようかと再度その美術館を訪れようとした翠だったが……。
 何度駅から同じ道を辿ってみても、その美術館にたどり着く事はできなかったという。
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
逢咲 琳 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月14日

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