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『嵐の夜に 』
ゼファー・タウィル2137)&影山・軍司郎(1996)


 雨が降っている。
 うろんな目つきで、ゼファー・タウィルは空を見上げた。だが確かめるまでもなく、墨を流したような空からははげしい雨がふりそそぎ、アスファルトを打っているのである。
 彼は無言で、ウィンドブレーカーのフードを目深にかぶったが、
「おい、ゼフ。この雨の中を走って帰ろうっていうんじゃねえだろうな。身体冷やすんじゃねえぞ」
 後ろから、トレーナーが釘を刺してくる。
「…………」
 放り投げられたビニール傘を掴んだ。
「国道で車拾え。アシ代くらい出るんだからよ。領収証とっとけな」
 そうして――
 ジムを出た彼はビニール傘をさしてすこし歩き、ちょうど通りがかったタクシーを止めたのだった。
 190センチ超の身体をかがめて、窮屈そうに車に乗り込む。
 強い雨のせいで、あたりは霧に包まれたようになっていた。国道を走る車もまばらで、灰色の雨のカーテンの向こうから、その車のヘッドライトと、アンドンが浮かび上がるようにあらわれたのは、ちょうどいい絶妙なタイミングだったというべきだった。
 いや――むしろそれは、待ち構えていたように、といったほうが適切であった。
 だがゼファー・タウィルは気がつくことなく、その黒い車に乗ってしまったのだ。

 その日もみっちりとトレーニングを終えたゼファーである。
 自宅まで車なら十数分といった距離であったが、シートの揺れは疲労した肉体をまどろみに誘った。
 やがてうとうとと舟を漕ぎはじめた彼を慮ってか、運転手は一切、話かけてはこなかった。それどころか、ゼファーが行き先を告げたときもろくに返事ひとつしなかったのだが。
 わずかなうたた寝のひとときにも、人間は夢を見るものである。そのときゼファーは、なにか、茫洋とした、しかし気味の悪いものが、原始の海の軟泥の中でのたうっているような、曖昧模糊として荒唐無稽な夢を、見たような気がした。
 だがそれも、車が止まった気配に、目を醒ますまでのことだ。
(――――?)
 ワイパーが左右に振れる音だけが、メトロノームのように空を刻んでいる。
 信号待ちか、と、最初、彼は思った。だが……雨が窓を叩いていないのだ。雨がやんだか、それとも屋内なのか……だが、屋内というのはいったい……。
 いよいよ頭がさえてくる。窓の外は暗い。時計を見れば、ジムを出てから一時間近く経っているではないか。混乱が彼を襲った。
「おい」
 微動だにせず、ハンドルに手をかけたままでいる運転手に、声をかける。
「ここは何処だ」
 とん、とん、と、黒い手袋につつまれた指が、ワイパーのリズムとシンクロし、ハンドルを叩いた。
「……さて、な」
 陰気な声だ。ゼファーは、馬鹿にされたような気がして食ってかかる。
「なんだそりゃ。道に迷ったなんて言うなよ。タクシーの運転手が」
「…………」
 車内の空気はよどんでいる。尋常ではなかった。
「……何なんだ、おまえは」
 かすかに、運転手は顎をしゃくった。ゼファーはダッシュボードの上に目を遣る。
『ありがとうございます 本日も安全運転です
 運転手は    影山 軍司郎    です』
 ――だが、名を知ったところで、どうなるという話でもないのだ。業を煮やして、ゼファーは乱暴にドアを開けようとした。
「無賃乗車か、ゼファー・タウィル」
「……おれの名を?」
「貴君は、有名人らしいな。……わたしはテレビはあまり好かないので知らないが」
「サインをやろうか」
「結構。わたしは『禁忌』を守ることをなりわいとしている。『禁忌』は人の耳目に触れてはならない。……テレビに映じるなど言語道断」
「さっきから何を言ってやがる」
「わからんのか。『禁忌』とは貴君だ。正確には――その血だな。タウィルの血統だ」
「おまえ……」
 サングラスの奥で、ゼファーの赤い目がすっと細められた。
「……何を知っている」
「人がふれるべからざる暗黒の秘密を」
 殺気!
 まろびでるように、ゼファーは車を脱した。冷たく、堅い、コンクリートの床の感触。そして、騒々しいはばたきと耳障りな声とを、彼は聞いた。
 だがそこは、流石というべきだった。格闘家の鍛え抜かれた身体は刹那に体勢を立て直すと、生ける凶器ともいうべき脚で、襲い掛かってきたものを蹴り落していた。
「何だ……これは」
 だが驚いたのはゼファーのほうだ。ぎゃあぎゃあと喚きながら、床の上でうごめいているのは、コウモリに似た生物だった。その皮膜は透明で、銀色の金属の骨が透けて見え――
 くわッと牙を向き、再度、躍りかかってきたソレを、ゼファは体重を乗せて踏み潰した。不快な断末魔を最期に、ソレはおとなしくなったが、その屍体に、彼の目はぎょっと見開かれる。
 それは――出がけにトレーナーから投げて寄越されたビニール傘だったのだ。もはや、ゼファーの足のしたで骨が折れ、穴が開いてしまっているが。
「…………」
 慎重に、周囲に気を配る。
 耳をすませば遠くに雨音が聞こえた。そこは――かつては工場だったのだろう。だが今は、埃の積もった無人の廃墟である。
 彼を運んできたタクシーは、まだそこに静かに停車しているが、いつのまにか運転席が空であるのが見てとれた。さて、どうする――ゼファーは自問する。
「姿を見せやがれ!」
 やがれ、やがれ、やがれ……声が反響した。
「金は払う。領収証がいるんだよ!」
 いるんだよ、んだよ、だよ……。
 闇はこだま以外の何も返そうとはしない。空間は広いのに、それが迫ってきて押しつぶされるような、胸苦しさをゼファーは感じた。
「『タウィル』が、いかに危険な名か――」
 暗い声が、響く。
「知らないのか」
「それがおまえと何の関係がある」
「わたしは『禁忌の番人』だからだ」
 カツン、と、聞こえた足音にはっと振り向く。
 ばさり、と翻った黒い外套。そのすがたはタクシーの運転手などではなかった。一見、似たような帽子をかぶってはいたが……それは軍帽だった。五芒星のしるしがひらめく。
「おい……」
 影山軍司郎は、軍刀を抜き放った。
「どうでもよい話だな。……貴君は今ここで生命の時間を終えるのだから」
「クレイジーな真似はよせ!」
「問答無用。邪悪なる血をひくものよ、ただ今ここでその血統を絶やすがいい!」
 黒い軍人のサーベルが闇を裂いた。
 次の瞬間!

 ゼファーの眼前で、すべてのものが静止した。
 あと一呼吸遅ければ、刃はまともに、ゼファーの頭を割っていたに違いない。
「冗談じゃねえぞ」
 冷汗が背中を伝った。
「これはなんのホラー映画だ、オイ?」

 白刃が、したたかに、コンクリートの地面を打ち付けている。金属音が空気を震わす。
 軍司郎の顔に、かすかに驚きの色あいがさした。
 ゼファーの姿はない。だが今の間合いで避けられるはずもなかったのだ。第一、避けたのだとしても、見える範囲にいないはずがない。
「……成程」
 呟くように軍司郎は言った。
「時を統べるタウィルの力か。……悪しき力だ」
 コツ、コツと軍靴が、音を立てた。サーベルを抜いたまま、油断なく歩く。
 ふいに歩みを止めた。彼の足元に、かつて使われていたものが遺棄されたのだろう、ゴムホースが転がっていたのだ。
 ぐっ、と、軍靴の爪先がそれを踏んだと思えば、たしかにゴムホースであったそれは蛇のようにのたうち、まっしぐらに、壁のくぼみの暗がりへと這ってゆくではないか。
「おわっ!」
 声をあげて、影の中から、足元をゴムホースに絡めとられたゼファーの身体が転がり出てきた。
「愚かものめ。いかに時を止めて逃れようと、埃の積もった床に足跡を残しては意味があるまい!」
 ふたたびサーベルを振りかぶる。
 だが。
「おまえこそ頭の上に気をつけたほうがいいぜ」
「……!?」
 ゼファーをとらえたゴムホースは、そのときすでにちぎれていた。それがちぎられるところを、軍司郎は見なかった。誰も見たものはいないのだ。おそらく、止まった時の中で起こった出来事だったのだから。
 ――そして、時は動きだした。
 しまった、と思った瞬間にはもう、軍司郎の上に石つぶてが降り注いでいる。崩れたコンクリートの塊だ。そのうちのひとつがまともに軍司郎の頭に命中する。彼は悲鳴こそあげなかったものの――いや、そんないとまさえなかったのだろうか――どうと地面に倒れ伏したのだった。むろん、コンクリート片が投げられるのも、軍司郎は見ることがかなわなかった。
「付き合っていられるか」
 ゼファーは、倒れた男を捨て置いて、放置されたままのタクシーへ急いだ。背に腹は変えられない。家に――帰らなければ。
 運転席に身体をかがめてもぐりこみ、アクセルを踏んだ。車は、運転手が変わっても、問題なく動くようだった。
 車が発進すると、土埃が舞った。ヘッドライトが照らし出す廃工場の入口からは、四角く切り取られた、いまだ雨のカーテンに閉ざされた街並が見てとれる。人の住む世界へ、とにかく脱出したい一心で、ゼファーは車を走らせる。
「……!」
 なにげなくバックミラーに目をやり、ぎくりとした。
 確かに倒れていたはずの、影山軍司郎の姿がそこになかったからである。
(…………)
 だが、迷っている場合ではなかった。
 雨の降りしきる夜の中へ、車は走りだしてゆく――。
 雷鳴がとどろいた。
 フロントグラスを叩く雨の束。
 嵐が、その黒い車を抱き締める。それは不吉な預言のように、この危険な夜がまだ終わっていないことを、饒舌に物語っているのだった。


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東京怪談
2003年11月13日

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