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『菊慈童 』
十桐・朔羅0579)&沙倉・唯為(0733)

 秋の日は短い。
 昼も過ぎたばかりだというのに、高い塗り壁を越えて差し込む陽はほのやかに赤みをおびていた。
 黄緑から橙、やがて紅へとうつろぐ楓の葉は冷たい風が吹くたびに揺れ、かすかに葉擦れの音を漏らす。
 朔羅はぼう、とそれらの庭の風景を眺めていたがやがて頭をふって室内の……板張りの練習場へと目を向ける。
 乱雑に神作りの菊の花壇や、竹篭のように編まれた門が置かれている。
 こういうことに関して几帳面な朔羅にしてはめずらしい、雑多ぶりだ。
 だが気にならない程何かに集中しているのか、唇を引き結んで目をほそめると、練習場の舞台へと向かう。
 磨き上げられた床に、足袋がすれてきゅっ、と心地よい音を立てる。
 幼いころから聞きなれているいつもの音だが、今日はなぜか気に障る。
 訳のわからない焦燥感のまま、舞台の脇にあるCDラジカセの再生ボタンをおした。
 ――否。
 訳がわからないのではない。理由はわかっている。
 納得がいかないのだ。舞に。
 新祇園能楽堂のこけら落としが近いというのに、その演目である「菊慈童」が舞えない。
 いや、舞えているはずなのだ。だが、何かが足りない。
 藁屋に一畳台と作り物が多く舞う場所が狭いという事も、理由であった。
 和曲が多い能に珍しく、楽という中国風の演目で調子がいつもと違うことも理由であった。
 だが、そうではない、まったく別の根本的な「何か」が無い。
 音が流れる。
 節は覚えている。
 つい、と白鷺が翼を伸ばすように、まっすぐに腕を前に差し向ける。
 夜の闇色の左眼と、四季のごとく色をうつすあやかしの右眼が、ゆっくりと細められ半眼になる。
 朔羅は自己を抑制して顔から表情を消す。
 そう、まるで能面さながらに。
 音の流れに沿い、空中に無形の風景を示し描く。
 しかし何かが足りない。何かが。

 もみじが日本庭園を舞う。
 水をふくんだ苔のじゅうたんの上に、紅の模様を描く為。
 ビルだの雑踏だのとはまったくかけ離れた十桐の庭をみながら唯為はかすかに微笑んだ。
 誰が手入れしているのか、庭の端にある菊の鉢植えが、大輪を今まさにほころばせようとしていた。
(明日には咲くか)
 渡り廊下を歩きながら、離れの練習場から流れてくる『菊慈童』の音楽に眼をとじる。
 ――さて、もう一つの菊はどう咲き誇るやら。
 筋金が入っている分、丹精するのも大変だろう。
 くっ、と喉をならして唯為は足音を潜め、能楽師というよりむしろ間者のごとき足さばきで音を潜めて練習場へと近づいた。
 朔羅からみえない位置に立って、様子をうかがう。
(もっとも、あの様子じゃ気づきもせんか)
 白い、作り物のような顔を見て苦笑する。
 人ではなく、どこか神がかった、冷たく、澄んだ顔をみる。
 見るものの心一つで、冷たくも美しくも感じられるその表情は、まるで一輪の白百合のようだ。
 肩にまいおりた紅葉の一枚をつかんで指先でまわす。
 作り物に囲われた、狭い範囲のなかで朔羅が舞う。
 それは閉じ込められた蝶にどことなく似ていた。
 閉じ込められ、飛びつかれた蝶が最後に羽を震わせて命を手放すように、朔羅の舞がとまった。
「蝶だな」
 想ったままを口にする。
 と、やはり唯為の存在に気づいていなかったのか、その眼を見開き、そして動揺をさとられないようにCDをとめる振りをしてわざと目をそらせた。
 だが、よほどばつが悪く感じたのか、ほほが夕日によってではなく、自らの血脈によって上気しているのがわかる。
「編み籠に閉じ込められた、蝶のような舞だな」
 唯為はもう一度、はっきりと。そして容赦なくいい放った。

 顔をそらせた。
 だが、ほほが上気するのだけは止められない。
「編み籠に閉じ込められた、蝶のような舞だな」
 唯為の辛辣な言葉が、小さな氷の棘のように胸にわだかまると同時に、どこか安心した気もした。
 ああ、やはりそうか。と腑に落ちた。
 性格的にはともかく、能楽師としては唯為は確かな腕が、技量がある。
 人間的にはともかく、能を見る眼だけは掛け値なしに信用してよい。
 朔羅は夕日の紅が透けた前髪を指先で払い、唯為の方を向く。
 編み籠に閉じ込められた、蝶のような舞。
 美しいが、それだけの。
 閉じ込められた限定された美。
 そういいたいのだ。
 しかし、この作り物の多さと場所の狭さでは、どうしても型は窮屈になる。
「考えるな」
「え?」
 ずかずかと近寄って、足で作り物の一つである菊の花壇を蹴りのける。
「何も手本どおりにおくこともないだろうが」
 これはこの位置ぐらいで良い。というと、図々しくもあたりまえのように、舞台の正面に立てひざをたてて座った。
 こうなっては、てこでも火事でも動かない。
 いつものことだが、呆れる。
 ――呆れるだけか?
 あやかしがささやいたように、誰かが朔羅の心中に問い掛ける。
 それを振り払うように、CDをもう一度再生する。
 音が流れる。
 どことなく中華の戯曲ににた明るい調子で。
 腕で空中を凪いでとめる。と、とたんに唯為の指図が入る。
「型どおりに舞うな、そこはもっと広くうでを広げてもかまわんだろうが」
「歩幅が小さい。狭いところで舞っているのを悟らせるな」
「だから型はいい」
 とうとう見かねたのか、立ち上がって指図しはじめた。
(型はいいといっても)
 型どおりでなければ、それは能ではない。
 型があるから演目がある。そうではないか?
 だが、どこかで納得していない自分がいるのも確かだった。
 ぐらぐらと、揺れる意志のまま型をなぞり舞っていると、不意に鴉のように黒い影が視界をよぎり、腕が自分のものでない力で型よりもさらに大きく開かれた。
「なっ」
 いつの間に背後に回っていたのか、肩越しに唯為の黒髪が見えた。
「だから型どおりはいい。この方が客席からみたら見栄えがいいだろうが」
 動くこともできず、ただ音楽が流れるままに、立ち尽くす。
 だが、型を超えれば。
 ――どう動けばよいのだ?
「それは、媚だとおもうが」
 かすれそうになる声を律しながらいう、と、いつもより一段低い、そしていつも以上にまじめで硬い声が耳元で答えを返す。
「甘えるなよ」
 かすかに指先が震えた。
 見抜かれた、と心底思い知った。
 型じゃないから嫌なのではない。型どおりでないことを批判されるのが怖いと無意識的に想っていたことを。
 型どおりなら大きく誉められることもないが、また批判されることもない。
 だが、型破りであれば、それがうまくかみ合わなかった時、どうなる?
 そんなおびえを見抜かれた気がした。
 かなわない、といっそ笑い出したいぐらいの賞賛が起こる。唯為の能に対する審美眼に対して。
「何を演じてもおまえはおまえだ。籠の中だろうと外だろうと蝶は蝶に変わりは無い。だったらわざわざ才能を籠の中に限定する必要もないだろうが」
 一息に言い放つと、唯為が朔羅の手を離した。
「菊慈童は仙人とはいえたかがだガキの舞だろう。大人らしく型にはまってるほうがこっけいだ」
 意識するより、制御するより早く、喉がなった。
 笑いが漏れた。
 名曲も唯為に言わせればその程度の言葉になりさがる。
 だが、根本を抑えていなければまたそうも言えまい。
 もう一度、CDを再生する。
 何かが「落ちた」。まるで憑き物が落ちるように。
 型など体が覚えている。頭では何も考えない。
 ただ、菊の花と、目の前に居座るこの傲慢で子供のような男の言葉のみを繰り返し連想する。
 先ほどまで取りにくいとおもっていた中華的な節も、子供の形外れな舞と思えば、面白く、楽しく感じられた。
 日が、最後の光を地になげかける。
 藍色の空が降りてくる。
 そして曲がとまる。
 と。硬い表情で見ていた唯為がただでさえ細い目を、さらにほそめてみせた。
「まあ、こんなものだろう。何せ教え手の腕がいいからな」
 自慢げに言い放つ。
「生徒の飲み込みが早いだけだ」
 子供っぽい唯為の自尊心をたしなめるように、そっけなく言うと道具を手早く片付ける。
 と、煮物でもしているのか、台所のほうから食欲をそそるしょうゆのにおいがかすかに流れる。
「栗をもらったらしいな。弟子の実家から」
「……」
 なぜこの男は自分の家の台所事情までしってるのだ、とめまいがするのを我慢しつつ、無視して練習場の電気をけす。
 と、当然のように立ち上がり、唯為がついてこようとする。
 三秒もたたないうちに、山盛りの栗ご飯と、取れたてのかぼちゃなどの煮物。まつたけの土瓶蒸しを遠慮仮借なくお変わりする唯為の姿が想像できた。
「……唯為」
 出口の障子。その敷居をはさんで振り返る。
「ん?」
 かすかに高い位置にある顔を、じっと見上げる。
 沈黙。
 鈴虫がながれる音だけが聞こえる。
「唯為」
 もういちど名前をよんで、かすかに唇をうごかす。
「何だ? 虫の鳴き声でよく聞こえない」
 顔が、朔羅の顔に近づく。
 唇をもういちど、かすかにうごかす。
 そして。
 力いっぱい障子を両手で、唯為の顔をはさむようにしてたたき閉めた。
「うわっ」
 ぱんっ、と乾いた音がすると同時に、声をあげて、唯為は練習場の中へと身を引いた。
 鼻ぐらいははさんだかもしれない。
 そう思うと笑いが湧き上がってきた。
「ウチには食客はいらん! 用がすんだらとっとと帰れ!」
 笑いながら逃げるように身をひるがえして廊下を走り、本宅へと向かった。

「……っ」
 朔羅が去り、電気の消えた練習所の中で、鼻に手をあてたまま唯為は顔をしかめた。
 障子越しに影が遠のいていく。
 軽やかな足音をひびかせながら、まるで子供のように走りさっていく。
 彼にしては珍しい笑い声を響かせながら。
「……まったく」
 みとれて、だまされて、このザマか。
 自分に対して毒づくと、障子に手をかけて苦笑した。
 手におえない、頑固な、だけど丹精すればするほど美しい舞という華を咲かせる青年が先ほどまでいたその場所を、障子越しに感じ取る。
「まったく、手に負えない菊慈童さまだ」
 暗闇の中、虫の声を聞きながら眼を閉じた。
 遠く過ぎ去った日を、しばし思い出すために。
 
 


 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
立神勇樹 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月11日

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