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『舞台裏を待ちながら 』
巽・千霞2086

「さようなら」
 私を呼び止めようとした気配を感じて、私は先手を打った。
「あ……またね」
 言葉を変えて返したその人に、にこりと笑みを送る。そのまま講義室をあとにした。
 前の席に座っていた彼女たちが、講義の間ずっと午後からの計画を立てていたことは知っていた。聴こえていたから。そして私を誘うだろうなと思っていた。ちらちらとこちらを見ていたから。
(だから、私は、遮った)
 こうして長時間客観的に思考するのは辛い。早く家に――自分の部屋へ帰りたかったのだ。
 キャンパスに響くサークル勧誘の声を無視して、帰途を急いだ。
(――シンパシー)
 私にはその力がある。精神感応能力。人と感情を同調したり、共有したりできるのだ。
 でもだからといって、周りにいるすべての人に影響を及ぼすわけではない。ちゃんと制御はできている。
(できている、けれど……)
 ありのままの私で生きるにはやはり不安で、無意識のうちに客観的に思考することを覚えていた。
 私が”私”に戻れるのは、自分の部屋でだけだった。



 部屋の真ん中に独り、佇んでいる。
「ただいま帰りました」
 お帰りなさいと、360度から見つめる視線。
「皆さん、いい子にしていましたか?」
「はーい」
 今度は声が聴こえた。
 私は満足して、その場に座りこむ。
(これが、私の友だち)
 壁際に整然と並んでいる、私の能力に影響を受けない人形だち。
 私はこの部屋の中でだけ、不安になることを許されている。興奮することを許されている。極度のそれらは、私には制御できない。この部屋以外でそんな状態に陥ってしまったら、周りの人間や動植物に見境なく影響を及ぼしてしまうのだ。
 だから私が自分に戻るのは、この部屋でだけ。
(といっても……)
 そう決めたところで、現実は甘くない。これまで何度も――特に小さい頃は――外でそんな状態になったことがあった。そしてそのたびに、この部屋の人形が増えていった。
(この人形たちは、私を騙すためのもの)
 私の感情はそこにあるのだと。それに閉じこめられたのだと、騙すためのもの。
 そうすれば私は、自分の感情を抑えることができた。シンパシーの対象をその人形だけに、絞ることができた。
(そして人形は、何も返さない)
 私が初めてその方法を覚えたのは、お母さんの自分に対する感情を読んでしまった時だった。
「後悔」
「諦め」
「恐怖」
 希望に満ちた言葉は、どこにも存在しない。
 私は行き場のない哀しみと想いを、お母さんに貰った人形にぶつけた。これをくれたのは「義務」だったのかと、ぶつけた。
 それから情緒不安定に陥った私は、能力をうまく制御できずに、様々な人と感情を同調させ、いくつもの想いを自分の中に抱えていた。覚えのない感情は私を苦しめ、逃れるように人形の数は増えていった。
(この人形たちがいなければ)
 私はもう生きてはゆけない。
 これまで封じてきた様々な感情が、すべて私の中に戻ってくる気がして。
 私は人形に囚われていたのだ。
「今日は誰とお喋りする?」
 人形の1人が喋った。
 私には喋らせているというつもりはないけれど、ちゃんと自分の腹話術のせいだと知っている。
(だってこの家には、他に誰もいないもの)
 私以外誰も。
 だから喋る人形は、すべて私だ。
 私なのだ。
「ではあなたと、お話させて下さい」
 私は人形を1つ手に取り、自分の膝の上に置いた。
(この人形は私)
 私の感情を閉じこめた人形。
(じゃあ私は……?)
 人形が私なら、私も人形なのではないの?
 私どころか、人間はすべて人形なのではないの?
(感情を持った人形)
 さながらここは人形劇の世界。
 誰かが私たちを、動かしている。
 私がこの人形たちを動かすように。
(でもそれなら――)
 私を動かしてる誰かは、私にどの想いを封じたのだろうか。
 私と同じように思い、私に同じ体験をさせることで、その感情を私に封じようとしているのだろうか。
(そしてきっと)
 その人も。
 誰かに操られているのね。
 そうして終わることのない、滑稽な舞台を演じている。
「どうしたの? 千霞ちゃん」
 手の中の人形が訴える。”早く話をしよう”と。
「――あなたもいつか、誰かを操るのかしら」
 舞台裏に立ち、笑いながら。
(あなたは、私)
 それもいいかもしれないと、私は思った。
(それまでは)
 こうしてこの子たちと、生きていこうと。
 人形は不思議そうな顔をして私を見上げた。
 まるで何も知らなかった頃の、私のように――。





(終)
PCシチュエーションノベル(シングル) -
伊塚和水 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月10日

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