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『悪くない日常 』
羽澄・静夢2116)&双己・獅刃(1981)

 大学の片隅にある、実は最も日当たりのいい部屋。それが俺――羽澄・静夢のラボである。
「さぁて、今日はどんな薬を作るかねぇ」
 大よそ薬の材料にはならなそうな、植物や生物が並んだ棚をぐるりと見回した。
(昨日は過去の記憶を呼び起こす薬を作ったっけ)
 そして一昨日は、飲んだだけで内臓が溶け出す薬だったはずだ。
 俺の作る薬に、限界はない。有益なものからある種の武器となり得るものまで、様々な効果を生む。
(それが――)
 俺がこうして個人のラボを、しかも極秘裏に与えられている理由だった。
 何せ俺は、一学生に過ぎないのだから。
  ――コン コン
 控え目なノックに、俺は常套句を投げる。
「何かご用ですか? 教授」
 何故ノックだけで教授だとわかったかといえば、このラボの存在を知っているのが教授だけだからである。つまり俺にこのラボを与えたのは教授だった。
 ひょっこりと半開きにしたドアから顔だけ覗かせて、禿頭の教授は告げる。
「いやぁ、調子はどうかなと思ってね」
 俺の研究が気になるのだろう。
(いつものことだ)
 俺がこのラボを与えられたのは、もちろん俺の才能が高く評価されているゆえというのもあるが、それ以上に教授自身のためであった。教授の、野心のために。
 俺は当然それをわかっている。そして逆に、利用してやろうと。実際何でも好きなように実験できるこのラボは、俺にとって最も楽しいと思える場所だった。
「おや、どうしたんだい? 棚の前に立ちっぱなしで」
「今日はどんな薬を作ろうかなーと、悩んでいるのですよ」
 俺の答えに、待ってましたと教授の目がキラリと光った。
「ほう……それで?」
「一昨日作った薬だと効果がグロすぎるようなのでね、今度は別の方向から――そう、たとえばシナプスの許容量を2倍にするとか、一時的に左右のシグナルを取り替えるとか、そういう類いのものを作ってみようと思ったのですが――」
「が?」
 腕組みをして、視線を教授から棚に戻した。
「三半規管を麻痺させる薬も面白いかなぁと」
 途端に、教授の気配が揺らぐ。
「面白い……か?」
「ええ、面白いですよ。だって本人は真っ直ぐ歩いているつもりでも、どんどんどんどんずれていってしまうのですから。回転などして無理に三半規管を狂わせたのとはわけが違います。”今三半規管がおかしい”という自覚がありませんからね」
 「くっくっく」と声に出して笑うと、教授は呆れたように返した。
「……まあ、頑張りたまえ」
 そうして何事もなかったように、俺のラボは元通り。
「あっはっはっは」
 防音なのをいいことに、俺は思い切り笑った。
(教授は)
 俺に何の薬を作れなどとは言わない。
 野心を語ったりもしない。
(秘めているからこその、”野心”)
 ただ反応から、なんとなくはわかるのだ。
 俺が遊びで作る薬には、とことん興味を示さないのだから。逆に昨日や一昨日作った薬には、異常に興味を示していた。
(3日連続で喜ばせるのはちょっとな)
 俺の気が済まないので、今日は遊ばせてもらおう。
 棚からいくつかの材料を選び出し、専用の机へと並べ始める。
 作り始める時点での材料は、もちろん俺の予想でしかない。それらを組み合わせて本当に望む効果が表れるのかは、やってみなければわからないのだ。
(もちろんそれなりに自信はあるのだが)
 しかし効果が足りなかった場合は、できた薬の成分を改めて詳細に分析し、化合や相乗効果などの兼ね合いを考えて、新たな成分を加えていかなければならない。
(じゃあとりあえず、調合してみるか)
 液体を取り分けようと、試験管を手に取った時だった。
  ――コツン
 今度は一回だけのノック。
 それは教授の来訪を告げるものではない。
「獅刃? 入りたまえ」
「――お邪魔する」
 静かにドアを開けて、いつものように表情を変えないまま獅刃が入ってくる。
 双己・獅刃。彼は俺の、数少ない友人の1人だ。
 獅刃はまた静かにドアを閉めると、机の脇にあるいつもの席に座った。
(そう)
 獅刃がここへやってくるのは、そう珍しいことではない。このラボを知っているのは教授だけと言ったが、それには”大学内では”という注意書きがつく。俺個人の知り合いの中には、このラボを知っていてたまにこうして訪ねてくれるヤツもいるのだ。――限りなく少ないけれど。
「教授がつまらなそうな顔をしていたぞ」
 ここへ来るたびに教授の顔を見ている獅刃は、よほどつまらなそうに見えたのかそんな報告をした。
 実はこのラボ、教授のラボから出入りするようになっているので、嫌でも教授と顔を合わせなければならないのだった。
「あの人は――いつもそれくらいの顔でいいのさ。俺がMN大放出の薬でも作ってやりたいくらいだよ」
「エムエヌ?」
「ああ、そう略すのは俺だけかもしれないがね。マリジナント・ノルアドレナリンっていう、あらゆる負の感情を呼び起こす脳内物質さ。それが大量に放出されていたら――眉間のしわが一生消えないだろうねぇ。あっはっは」
 思わず笑い出す俺を見て、獅刃は「またか」というようにため息をついた。それでもすぐに帰ろうとしないからこそ、こうして友人関係が続いているのである。
「おっと――何か飲むかね?」
 社交辞令めいた俺の言葉に、獅刃は警戒して答える。
「できれば……そうだな。”普通の”コーヒーでも」
 俺は舌打ちをしてから。
「自分で淹れてくれ」
 コーヒーメーカーを指差した。
「了解」
 苦笑した獅刃は立ち上がると、そちらの方へと向かっていく。
(獅刃……)
 後ろ姿になったのをいいことに、俺は見つめていた。
 ――あの人の、姿を重ねて。



 獅刃は単に、俺の友人というだけではない。俺にとってはそれ以上の、意味を持った存在だった。
 彼がまだ穏やかに笑っていた頃、彼の隣にはいつも1人の女性がいた。彼の双子の姉だ。
(そして俺は――)
 その人に、恋をしていた。
 それはとても幸せな日々だった。
 3人で笑い合い、些細なことでケンカしたり、すぐ仲直りしたり、愚痴を言いあったり、励ましあったり。
 想いを伝える必要などないように思えるほど、楽しい日々だった。
(ずっと)
 続いてゆくのだと、思っていた。
 だがそれは、突然壊された。
 その人は死んでしまった。悪質なストーカーによって、殺されてしまったのだ。
(言葉にしておけばよかった)
 そう思った時初めて、俺は自分が”永遠”を信じていたことを悟った。
 それが酷くおかしくて、何日も笑い続けていた。笑い続ける自分がおかしくて、また笑ってしまう。時々は、声と一緒に涙ももらしていた。
(そんな俺とは対照的に)
 獅刃はどんどんと表情を失くし、瞳は鋭く変わっていった。理不尽なものを許せず、外法に手を染め、以前の獅刃からは考えられないような仕事をこなして。
(俺は)
 それを見守ることしかできなかった。
 それは今でも同じだ。
(変わってゆく獅刃を)
 変わらない俺が見守る。
 そうして距離を広げながらも、俺たちはバランスを保っているのだ。
 間に見えない、人影を抱いて――。

     ★

「――それで、何の薬を作っているんだ?」
 コーヒーを飲みながら俺の手元を見ていた獅刃が、興味なさげにそう訊ねた。どうせろくでもないものだと思っているのだろう。――否定はしないが。
 俺は試験管を振り液体を混ぜながら答える。
「三半規管を麻痺させる薬さ」
「……そんなもの、何に使う?」
「バットを額に当てて10回回らなくても、ビーチフラッグができるのだよ」
「…………」
 目をそらした獅刃を、俺は笑った。
「試せなんて言わないさ」
 実は何度か飲み物に怪しい薬を混ぜたことがあるからこそ、獅刃は”普通の”コーヒーをと言ったのだが。
 ふと何かを思い出したように、もう一度獅刃がこちらを見る。
「――”永遠”は?」
「え?」
「”永遠”を現実にする薬を、作るのが夢なんだろう?」
「!」
 それはあの人が死んだ時、俺が衝動的に口にしていた言葉だった。
「よく、覚えてるじゃないか」
 できあがった薬を、小瓶に移して机の上に置いた。
 無意識のうちに信じていた”永遠”。それがあっさりと失われたことが、その時の俺には酷く辛いことのように思えていたのだ。
(今の俺は――)
 あの時よりも成長して、それがどこにも存在しないことを知っている。しかしだからこそ作りたいという思いも、心の奥にはあった。
「……まだまだ、時間がかかりそうだがね」
 声に出さずに笑いながら、答える。
 俺の目指している”永遠”は、不老不死などといった類いのものではない。たとえば箱に閉じこめた空気が何年経っても変わらないような、そんな雰囲気ごと永遠にしたいのだ。
(自分でもうまく説明できないんだ)
 とてつもなく非現実的なことを言っている自覚はある。
(それでも)
 それでもいつか――
「そうか……」
 獅刃はそれだけ応えると、コーヒーカップを置き席を立った。
「帰るのか?」
「ああ」
 スタスタと歩いてドアの所まで行くと、くるりと振り返り。
「じゃあ……コーヒーごちそうさま」
 ノブに手をかける。
「獅刃」
 こちらを見た獅刃に、できたばかりの薬の瓶を投げつけた。
「お土産だ」
 ナイスキャッチした獅刃は、心底困ったような表情をつくる。
「何に使えと……」
「そりゃあもちろん、仕事に」
「…………」
 しばらく瓶を見つめていた獅刃は、諦めたのかそれを胸ポケットにしまいこんだ。
「あとで瓶、返しに来るんだぞ」
(待っといてやるよ)
 背中に告げた言葉に。
「了解」
 後ろ向きのまま片手を上げて、獅刃はラボを出て行った。
(――見守ることしかできない)
 俺は。
 それでもそれで満足していた。
 時折こうしてやってくる獅刃と、日当たりのいいこのラボで、他愛ない会話をしながら過ごすのも。
(俺にとってこのラボが)
 ”最も楽しいと思える場所”
 そう思う原因の1つになっている……かもしれなかった。





(終)
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東京怪談
2003年11月10日

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