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『時の呼び声 〜『牡丹燈篭』異聞 第二夜 』
常・雲雁1917)&賈・花霞(1651)


「はい、クロガネでございます」
「常といいますが……花霞さんはいらっしゃいますか」
「……少々、お待ち下さい」
 場違いに明るい保留音のメロディが、しばらく流れた。
「もしもし、ユンちゃん? 花霞だよ。どうしたの?」
 明るい声に、雲雁は安堵の息をついた。小さな友人は変わりない様子だ。
(それじゃ、あれはやっぱり――)
 脳裏に、昨夜見た光景がまたたく。
 あやしい燐光に包まれた、古い中国の衣をまとった少女のまぼろし。
「花霞……!」
 雲雁は、思わず叫びだしていた。
 女は、うっすらと微笑んだ――かのように見えた。賈花霞の顔で。
 そして、まるで煙のようにすっと消え失せていったのだ。
(他人のそら似か。でも……)
「ごめんね、突然、電話をしたりして。ねえ、花霞。念のため、聞きたいんだけれど、昨日の夜はどうしてた?」
「えー、昨日の夜?」
 かわいらしく小首を傾げるさまが目に浮かぶようだった。
「昨日は久しぶりにパパさんが早く帰ってきたから、哥々と3人で、お家でごはんを食べたよ。それから、哥々とゲームをして……」
「どこにも出かけていないね? 何も変わったことはなかった?」
「別に。どしたの。ヘンなユンちゃん」
「いや……。そうだ、今日、時間ないかな。見てもらいたいものがあるんだけど」
「いいよ。なに、なに?」
「……ある掛軸なんだけれど」

 そして、いざ、当の少女を目の当たりにしてみると。
(やっぱり、似ている……)
 連れ立って歩きながら、雲雁はあらためてそう思った。
「ふーん」
 賈花霞は面白そうに目を輝かせた。
「そんなに、花霞に似てたの?」
「うん……絵でみたときは、花霞よりもうすこし年上かなと思ったんだけれど……」
 目の前の花霞は七歳――小学生である。けれど、あどけない笑顔の中に、ときどきはっとするほど大人びた表情が垣間見えるときもあって、そんな印象が、例の掛軸の女と、彼女が瓜二つである、と雲雁に思わせたのかもしれなかった。
「花霞は『牡丹燈篭』は知っている?」
「知ってるよ。お露さんでしょー」
「うん。でもそれは日本で書かれたお話でね。もとは中国の物語なんだ。日本で牡丹の燈篭なんて、ちょっとヘンじゃない? 『剪灯新話』っていう明の時代の小説集の中にある一編なんだ」
 そうこうしているうちに、件の美術館に到着する。
 昨日、師とともに門をくぐった建物へ、花霞を連れてふたたび入る。
 もともとが、さして大勢の人が詰め掛けるような催しでもない。客はそこそこの入りだった。そのなかを、傍目には兄妹かに見えるふたりは、奥の『特別展示』へと急ぐ。
「これだ」
 雲雁に促されて、花霞はガラスの向こうの掛軸を見た。
 好奇心に、躍るような気持ちでのぞきこんだ彼女だったが――。
「…………!」
 その目が、驚愕とも恐怖ともつかぬ、そうした言葉であらわされるものをはるかに超える衝撃に見開かれる。
「ユ、ユンちゃん……これ……」
「花……?」
 ごおお――と、なにかのはげしい唸りのようなものを、花霞は聞いたような気がした。
 それは……あるいは、“時”、その流れそのものがたてる、うねりの音であったのかもしれない。
(花霞……花霞……)
 遠い、誰かの呼ばわる声。
 なにかひどくなつかしい……意識の奥底からねっとりとあふれ、からみついてくるあやしい心の昂りがある。
「ああ……」
 ゆらり――と、花霞の、小柄な身体がよろめいた。
「花霞! どうした!?」
「こ、これ――」
 雲雁に、身をあずける。彼の服を、すがるように、ぎゅっと握った。
「これ、花霞だ」
 あおざめたくちびるで、花霞がささやいた言葉に雲雁は耳を疑う。
「な、なんだって」
 掛軸は600年近く昔に描かれたものだ。
 だがしかし――この、今は彼の腕の中でふるえる少女が、見た目通りの、ただの七歳の女の子ではないことは、雲雁とて知っているのだ。だとすれば――。
「落ち着いて。すこし休もう」
「う、うん……」
 彼女をいたわりながら、もういちど、雲雁は、掛軸に目をやった。
 絵の中の少女は、あいかわらず、そこにただ立っているばかり。
 あの夜の出来事が、それではただの夢だったのか――と、絵を見ているかぎりは思えてくる。優雅なうすものに身を包んだ少女は、幼げな面差しをしているようでいて、朱をさしたくちびるや、物憂げな流し目はどこかしら艶かしい。なにかをささやきかけるように、ほころびかけた口元は、雲雁と花霞に、まさしく時を越えた謎かけを、挑んでいるかのようであった。

「……本当に平気?」
「うん、大丈夫。ごめんね、心配かけて」
 雲雁の働く茶館だ。花霞は、温かい茉莉花茶を飲むうちに、頬にも赤みが戻り、気持ちも落ち着いてきたようだった。
「――で、あの掛軸に描かれているのが花霞だっていうのは……」
「うん……」
 それは、暗い深淵からゆっくりとなにか巨大なものが浮上してくるように、記憶の深みからたちあらわれてくる。
(花霞……)
 いずことも知れぬ、暗い宮城のような建物の中だった。
 あきらかに日本の建築物ではない。
 なにかふしぎな香気が花霞の嗅覚をくすぐっていた。
 たたずむ彼女がまとう衣は、まぎれもなく、あの絵の少女が身につけていたうすものである。身じろぎをするたびに、髪の飾りがすずやかな音を立てる。
 花霞の前には、文机が置かれ、そこに広げた紙の上に一心不乱に筆を走らせている男がいた。男の目は正気ではない。寝食も摂っておらぬのであろう、土気色の肌に、ただ煌々と目ばかりがかがやき、筆を動かす手だけは休むことがない。
 どこからか、あやしい読経のような、呪文の詠唱のようものが聞こえてくる。明りとして灯されている燭の火がゆらめき、花霞の横顔に不吉な影を投げかけた。
 狂気の絵師の背後、奥まった暗がりの中で、なにかが身じろぎする気配があった。闇の中で、燃えるような真紅の眼光が、じっと、花霞をねめつけている。
「……そ、それじゃあ……」
 じっと聞き入っていた雲雁は、話が一段落したところで、大きく息をついた。彼もまた、いにしえの大陸の光景や風物を記憶にとどめる身である。それだけに、花霞の話はひどく真に迫ったものに感じられたのである。
「うん……そのときの、花霞のご主人が……あれを描かせたんだよ」
「主人……。人では、ないんだね」
「……狐、なの」
 花霞はかすかに言い淀んだ。なにかを悔やむように、伏目がちに、唇を噛んだ。
 脳裏にひらめく、なめらかな獣の毛並み。耳の奥で、そっと呼び掛けてくるやさしい声音がよみがえった。甘いけれどもその中に毒を含んでいるような、なまめいた響きをともなう声だ。
「妖狐か。……掛軸に、術を施したって……」
「『牡丹燈篭』によく似た術だ、って」
「『牡丹燈篭』に……?」
「それ以上は思い出せないの」
「…………」
 雲雁は思案顔で腕を組んだ。
「よし。今夜も、もういちど張り込んでみよう。また昨晩みたいなことが起こるかもしれないし……」
 そのときだった。
「雲雁、電話だよ」
 店の者が声をかけてくる。
「あ、すいません。……はい、常ですが」
 受話器を取った雲雁の耳に飛び込んでくる切迫した声――
『ユン! 頼む、すぐに来てくれ!』
「どうしたの……!?」
 ただごとでない雰囲気におもてを引き締める。
 花霞も雰囲気を感じ取ったのか、腰を浮かしてなりゆきを見守っている。
『大変なんだ、あの掛軸が――』
 ふいに、電話は途切れた。

 その一秒後には、雲雁は茶館を飛び出していた。
 花霞も後につづく。
(何が……いったい、何が起こっているんだ。花霞……明代に、花霞を描かせた掛軸……妖狐が施した、『牡丹燈篭』を模した術式って、何なんだ……)
 ぐるぐると、頭の中をさまざまな疑問と、焦燥がかけめぐる。
(焦っちゃダメだ。落ち着け雲雁。焦って自分を見失ってはいけない……いつも言われているだろうッ!)
 自身に喝を入れながら、これで何度目になろうかという美術館の入口をくぐると――
「おいっ! 大丈夫か!」
 警備員たちが、揃いも揃って、床の上にひっくりかえっているのである。
「ユンちゃん!」
 するどい、花霞の叫び声。
「掛軸が!」
「何ッ!」
 かけつける。
「あっ――」
 特別展示室。厳重に守られたガラスの向こうで――
 『牡丹燈篭』の女……いや、花霞を描いた掛軸は、忽然と、その姿を消していたのである。


(続)
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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2003年11月06日

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