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『鍵はこの手に 』
八雲・純華1660

 無い無いと思っていた、あの頃。掴もうともがいている、今。そうして、きっと未来は。

(まただわ)
 八雲・純華(やくも すみか)は赤く澄んだ目を大きく開いた。何処からか舞い込んだ風が、ふわりと純華の茶色の髪を揺らす。純華のいる教室内は、しんと静まり返っていた。たまたま忘れ物をして取りに来たのだ。既に、生徒達は皆帰っているか、クラブ活動に勤しんでいる。かくゆう純華も占術部で活動に勤しんでいたのだが。
(ああ、どうしても見えるのね)
 ただ、鞄に入れ忘れた数学のノートを取りに来ただけだ。明日はテストがあるから、机の中に入れっぱなしではいけないと感じて。ただそれだけだった。
 脳に入ってきた情報。それに基づいて生まれる『未来』。万能じゃないかもしれないけれども、だからと言って逃れる事を許されぬ映像。それは純華の中で確固たるものとして流れる。
(……ううん、見えてもいいの。だってこれは)
 映像は純華の思考はお構いなしに流れる。今いる教室のドアが、開かれる。ドアの向こうには担任教師。担任もどうやら忘れ物をしたらしい。教壇の中に置き忘れられた、担任の筆箱。
「……うん」
 純華は目を一度だけ閉じ、落ち着きを取り戻してから教壇に近付いた。中をひょいっと覗くと、中には先程見た通りの筆箱が入っていた。その瞬間、ガラリと教室のドアが開いた。担任教師だ。
「まだいたのか、八雲」
「忘れ物しちゃったんです。……先生も、でしょ?」
 純華は悪戯っぽく言って、笑った。担任は苦笑しながら頷き、筆箱に手を伸ばす。純華は担任が筆箱を取る前にひょいっと取りあげ、担任に手渡した。担任は少しだけ恥ずかしそうに頭を掻き、口を開いた。
「よく分かったな、八雲」
「ええと。まあ、それはあれですよ」
 純華はにっこりと笑う。「乙女の勘、っていうやつですよ」


 忘れた訳ではない。きっと忘れようとしても忘れられない。

 あれはいつの事だったか。ランドセルをまだ背負っていた時だ。純華は学校から帰宅中、横断歩道で信号が青になるのを待っていた。
(ここの信号、長いんだよね)
 純華は小さく苦笑する。友達と遊ぶ約束をしているのだ。早く帰って、ランドセルを置いて、待ち合わせの公園に急ぎたい。だが、信号はまだ変わらない。
(時々、飛び出してやりたくなるんだよね……)
 目を車道に向けた、その瞬間だった。純華は大きく目を見開く。否、開かずにはいられなかったのだ。頭に直接響いてきた、映像。遠慮と言うものは何も無い。ただただ純華に向かい、不躾に映像を送り込んでくるのだ。
(また、か)
 純華は苦笑する。特に嫌なものでもないので、気にしないようにしていたのだ。寧ろ、今から起こりうることが分かるなんて素敵、とまで思っていた。ただし、この映像を見るまでは。
 信号を、少女が待っていた。純華と同じくらいの年の、少女。
(智ちゃん?)
 純華は小さく笑う。友達だ。友人も純華と同じく、信号を待っているのだ。そわそわとして、信号が変わるのを待っている。ランドセルは背負っていない。待ち合わせの公園に行くつもりなのだ。
(何だ。智ちゃんも焦ってるんだ)
 純華は何だか嬉しくなった。自分と同じく、友人も遊ぶのを楽しみにしている。それだけで嬉しい。そうして、信号は青に変わった。途端、友人は走り出す。一分でも、一秒でも早く公園へと辿り着く為。
(……あ!)
 車、だった。友人に気付かず、突っ走ってくる。友人も気付かず、飛び出していく。次に何が起こるかなど、聞かなくても分かる。
「駄目……!」
 純華は思わず叫び、はっとした。恐る恐るあたりを見回すが、特に変わった様子は無い。幸いにして回りに人もいない。純華はぎゅっと手を握った。額から汗がつう、と滴り落ちる。
(……助けないと)
 純華はぎゅっと唇を結ぶ。顔は、限りなく青い。
(絶対に、助けないと!)
 信号は、青に変わっていた。純華は走って家へと向かう。先程までの、公園に急いで行きたいからではない。友人を、見てしまった未来の映像に登場させない為に。はあはあ、と息切れするのも構わず、それでも立ち止まってしまいながらも走り続けた。汗だくになりながら家に辿り着き、ランドセルを放り投げた後、再び純華は走り出す。時々足がもつれ、こけそうになった。実際、何度かこけてしまった。その度、泣きそうになる自分を励ます。
(擦り傷くらい!)
 ぎゅっと唇を結び、件の横断歩道まで走った。あと少しで横断歩道に辿り着く、というところでもの凄い音が響いてきた。キキキキ、というブレーキ音。きゃああ、という叫び声。
(まさか)
 純華は一瞬呆然となり、それから自分を奮い立たせて再び走った。
(嫌よ)
 走る足に、力が入る。
(絶対に、嫌よ!)
 手は固く固く、握られる。
 そうして辿り着いた時、純華は肩で息をしながらも目撃してしまう。現実、というものに。ついさっき、純華が見てしまった映像の続きだった。遠くの方から救急車が近付いてきていた。音を聞きつけて、たくさんに人間が集まってきていた。純華はよろよろと近付き、そうして口を抑えた。
「智ちゃん!」
 大人の一人が「見てはいけない」と言って、近付こうとする純華を引き止めた。「動かさない方がいいんだ」とも言っていた。だが、純華の耳には一つも入ってこなかった。ただただ目の前で起きてしまった出来事だけが、事実として体の隅々まで行き渡っていた。
「智ちゃん、智ちゃん!」
 純華は叫び続けた。制止をしてくる大人達の声も聞こえない。騒音の中、静寂だけが純華の中を支配するのだった。

 純華は公園で、呆然とブランコをこいでいた。事故があったあの日以来、公園で遊ぶのを避けるようになってしまった。
(私、知っていたのに)
 純華は小さく呟く。幸い、友人は命を取り留めた。今月末には退院も出来ると言われた。お見舞いに行ったとき、そう嬉しそうに友人は笑っていた。
(ちゃんと、知っていたのに)
 誰が知らなくても、純華は知っていた。純華はあの事故が起こることを知っていたのだ。もしもあの時、家に一度帰らなかったら。公園で遊ぶのをやめようと言っていたら。青信号になったからといって、飛び出すのはいけないと言っていたら!考え出すと切りの無い『もしも』の世界。それは留まる事なく、純華を苛む。
(……ただ流れてくる映像に、何も力は無いんだわ)
 ぼんやりと理解する、自らの力。
(ただ、押し付けられるだけ。何も出来ない自分を笑っているみたい)
 ぎゅっと、純華はブランコの鎖を握る。
(こんな力なんて、無ければよかったのに……!)
 純華がそう思った瞬間、再び映像が純華を襲った。純華は眉をひそめ、目を閉じた。もう、何も見たくなかった。見なければ、何が起こるかなんて分からない。こんなに苦しい思いもしなくていい。だが、映像は容赦なく純華に突きつける。目を閉じても、映像として純華の頭に映し出すのだ。
(嫌……)
 公園の中、盲目の老人が呆然と立っていた。そっと手探りで何かを探している。彼は、彼の足元から少し離れた所に飛ばされた帽子を探しているのだ。ただ、それだけだった。純華は目を開き、ブランコから立ち上がった。がしゃん、とブランコが揺れる。暫く呆然と立っていると、先程見たのと同じ老人がやってきた。びゅう、という風に帽子が飛ばされる。彼はしゃがみ込み、手探りで帽子を探し始めた。純華は小走りで近寄り、帽子を手渡した。老人は嬉しそうに笑い、頭を下げる。
「有難う。助かったよ」
 老人は再び帽子をかぶり直し、純華に飴を手渡して去って行った。純華は手の中の飴をじっと見つめる。
(お礼を、言われた)
 映像を見ていたからすぐに動けたというさっきの出来事に対して。
(私の力が、お礼を言わせた)
 純華はぎゅっと飴を握り締め、その場にしゃがみ込んで泣き始めた。何と無力なのだろうか、何と無駄な能力なのだろうかと、何度も思っていた。だが、この瞬間にその思いは少しだけ薄れた。役に立たない能力など、無いのだと。全てを上手くいかせる事などは出来なくても、出来る事はあるのだと。そう、言われたような気がしたのだった。


 受け止める。許容する。全ては無理でも、ほんの少しでも。

「……うん」
 誰に言うでもなく、純華は呟いた。忘れ物を取りに来た担任は、もういない。「早く帰れよ」とだけいい、職員室へと去っていったのだから。純華はただ一人残された教室で、小さく笑う。
(怖くない訳じゃないわ)
 ランダムに見せられる、未来の映像。選択肢など存在せず、ただ見せられるだけ。それに対して何が出来るのかと問われても、何が出来るのかを考える所からしなければならない。もしかしたら、何も出来ないのかもしれない。望んで映像を見たいとは、決して思わない。だが。
(でも、全てが嫌な訳じゃない)
 逃げたいけど逃げられないのならば、受け止めるしかない。純華はこの力に『乙女の勘』と名づけた。その方が、親しみが湧くような気がした。
(嫌ってばかりじゃ、何も出来ないもの)
 今でも戸惑う。それは事実だ。突きつけられる未来の映像に、何度恐れたか数え切れない。それでも、純華は決めたのだ。真正面から付き合おうと。全てをやろうとするのではなく、自分の出来る事からやればいいのだと。
(今も迷うよ。今も怖いよ。今も……あの時と変わらない。だけど)
「純華、ノート見つかった?」
 占術部の仲間が、ひょいっと顔を出した。純華はにっこりと笑って頷き、鞄を持って教室を後にする。
(きっと、ずっとある筈だから)
 純華は心の中で呟く。あの日貰った飴は、純華の心の中で未だに甘い香りを漂わせているのだった。

<飴は心を光らす鍵へと変わり・了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月06日

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