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『追憶の刻に差す影は。 』
ライ・ベーゼ1697

[ESSA]
 冷たい雨が振り続く、東京の街。
 全てが光を失って灰色に見える‥‥‥そんな感覚。
 降り頻る雨はやがて強くなり、人々は家路に急ぐ。
 そんな中、一人の男が傘も差さずに路を歩いていた。
 奇異の視線を向ける者もいたが、今さらそんな物を嫌う訳でも無い。
 当て?
 特に無い。
 ただ、こうして誰でもいる誰もいない雑踏を歩くのも、たまには気分
転換になる、と言うだけの話だ。普段であればただ、うざったいだけの
人込みも疎らで、冷たい雨もなぜか心地良い。
 やがてその歩を公園のほうへと向けていた。
 なかなか大きな森林を抱える公園だが、あまり設備が整っていないせ
いか、あまり好んで人が来るような場所でもない。
 そうであるのに、この公園にはホームレスと言う物がまったくいない
珍しい公園だった。これだけの森林があれば、彼らの住まいを立てるの
に、土地は選び放題だろうに。
 雨の日の大地の感触。しかも、落葉樹の腐葉土独特の沈み込む感覚は
足にも、そして心にもとても優しかった。
 ‥‥‥。
 そうして、暫く歩いていったろうか。
 公園内だというのに人が余り入ってこないのだろう。
 下草が高くなっていて、入っていくのにはあまり望ましくない環境で
ある。
 もともと、特に目的があった訳でもない。
 引き返そうと思ったその時、地面に不自然な陥没があるのが見て取れ
た。何気にその陥没を除きこんでみると。地面から覗く茶色と緑、そし
て微かに白。
「人間の骨だな。脊椎‥‥‥のようだが」
 見つけた物の、特に恐怖に慄く訳でも無く。
 その近くに落ちていた何かを拾い上げてしげしげと見つめる。そして。
 一つ、小さな溜息をついて顔を上げると‥‥‥そこには一人の女性が
立っていた。正確に言うならば、女性の霊が。
「何か用かい?」
『‥‥‥あなた、私が見えるの!?』
 ぼやけている足から顔まで一度見てやって、肩をすくめて苦笑する。
「特に術で身を隠している訳でも無いのに、見えるのって言われてもな」
『ごめんなさい。人が来るのも珍しいのに、その人が能力者だなんて思
わなくて』
 ひどく慌てた様子で女はそう言って、無理に笑顔を作って見せた‥‥
‥ような感じを受ける。
 地に縛られている割には、負の波動は然程強くない。
 何せ、そこにいる事すら気づかなかったのだから。
 奇妙な住人に、奇妙な侵入者。
 自分で奇妙と言っていれば世話は無いが、こんな雨の日に森の中にい
るのは世間的な常識から言ったらやはり奇妙と言う事になろう。
「なあ、一つ聞いていいか? 物言わぬ躯になった今、何故にそのよう
に静かに立っていられる?」
『‥‥‥質問の意味が判りません』
 縛鎖を受けた霊は、その鎖の源となる固執により不浄霊となる事が極
めて多い‥‥‥と言うか普通はそうなる。
 が、目の前の女の霊は実に静かに立っているではないか。
「埋められている、と言う事は自殺でも無いだろう。自分を殺した者が
憎くは無いのか?」
『ああ‥‥‥そう言う事ですか』
 問われて、微笑を浮かべて虚空をに視線を向ける女。
『憎くも思いませんし、怒りもありません。ただ、信じられていなかっ
た事だけが‥‥‥寂しいですけれど』
 ポツリポツリと女が語り出す。
 自分が死んだのはちょうど10年前のこの日。
 同じ、雨の降り頻る日だった事。
 当時付き合っていた男に、社長令嬢との結婚話が持ち上がった事で幸
せだった筈の二人の関係が一気に崩壊の道を辿って行った事。
 彼の幸せを考えたら、別れるのはやぶさかでもなかった事。
 ‥‥‥ただ、お腹の中に彼の子供がいる事を知っておいて欲しかった。
『全ては、信じて貰えなかった‥‥‥それだけなんです。子供が出来たっ
てだけで、騒ごうなんて思わなかったし‥‥‥この仔と一緒に生きてい
くって事だけ、伝えたかった。それだけなんですけれど。あはは、人生っ
て上手く行かない物ですね』
 霊体が涙を流す。
 生前の事象を映すだけならば、そう珍しい事ではないのだが。
 雫が一つ、地面に落ちた。
 それは木々より垂れた雨粒なのかもしれない。
 ‥‥‥‥‥‥いや。
「憎くも、怒りも無い‥‥‥か。なら、どうして此世に縛られ続ける? 
とうに血肉は大地に返り、魂の器は失われて久しいと言うのに」
『‥‥‥』
 一つ、大きな溜息。
『知りたいのかもしれません。私とお腹の子供が犠牲になって得た、彼
の幸せを。けれど、何故かここから動けないんです。動けない? 動け
ないのかもしれませんけれど』
 知りたいけれど、知るのが怖い。
 そう言う表情を女はしている。
 ‥‥‥楽しかった日々。
 頭の中に流れこんでくる彼女の記憶。
 移ろい行く季節の中、女は繰り返し繰り返しそれに縋ってここにある
のだろう。
「‥‥‥もし、望むのであれば。見せてやろうか? その男の今を」
『出来るんですかっ!? そんなこ‥‥‥と』
「望むのであれば」
 気紛れ。
 他愛の無いお遊び。
 救おうとか、そんな大層な気持ちはさらさら無い。
 ただ‥‥‥。
 そろそろ終りにしてやってもいいんじゃないか。
 そんな気はする。
『お願いします。私の止まった刻の続きを見せて‥‥‥ください』
 
 周辺の空気の色を変え、高き霊圧の塔を造られる。
 呼びし魔のSealが頭上に浮かび上がり‥‥‥Sigilが眼前へと描かれ
て、その漆黒の瞳の中に吸い込まれていく。
 頭上のSealが降りて体を包み込んで、足元まで達した時‥‥‥。
 右手に分厚い本を抱える、務め人風の男がそこに立っていた。
『‥‥‥!』
 声が詰まり、声にならない。
 名前を呼んだのであろうか、それにはゆっくりとした笑顔で答えて
見せる。
 そして、開かれた本の中から情景は映し出される。
 小さな女の子を抱き上げて、肩車して辺りを歩き回るその男。微笑
を浮かべてそれを見守る女性。
 一転して、今度は‥‥‥夕食だろうか。ぐつぐつと煮えるおでん鍋
を囲んで、三人が楽しげに食事している光景。
 まるで、ビデオを取るのが趣味の者のアルバム的映像のように、普
段そのままのそれ。だが、女が望んで果たし得なかったささやかな、
夢。幸せな家庭。
『良かった‥‥‥本当に‥‥‥‥‥‥。彼はこうして幸せに生きてい
るのが判ったなら、私は、こうしてここに‥‥‥と‥‥‥どまる理‥
‥‥う』
 だんだんと、女を構成する霊子が収束を始め、発せられる声も掠れ
て‥‥‥そのまま、風船のように舞いあがり、木々の間から覗く空に
吸いこまれて行き‥‥‥消えた。
 偽善、だな。
 自分の行為が溜まらなくおかしくなり、つい声をあげて笑う。
 女に見せたのは、偽りの光景。
 どうせ確認する術を持たぬのであれば、せめてもの冥途の土産を持
たせてやりたくなった。
 記憶から、姿を手にして‥‥‥サーチして判った男の今。
「偽善者なら、もう一つ偽善ついでに、かな」
 男の姿のまま、踵を返す。
 雨は何時の間にか上がり、雲間から薄日が差していた。
‥‥‥‥‥‥たまにはあちらさんも気を聞かせてくれるもんだ、と
声を立てずに笑い、空を仰いでいた。
 
[ISH]
 雨に濡れた体を暖かいシャワーが包み込む。
 全身の血が目を覚まして動き出すような、そんな感覚。
 先程の光景を思い、思わず小首をかしげる。
「俺らしくない‥‥‥かな」
 とは言う物の、それで手を止めるつもりは、今の所無かった。
 湯を止めてバスルームを出ると、掛けてあったバスタオルで流れる
滴を拭き取って、それを洗濯籠の中に放りこむ。
 そして、衣服を整え髪を乾かして、一つ大きく息を吐いた。
「さて‥‥‥行こうかね。追憶からの影を届けに、さ」
 

        巡る季節に、全き時間。
     永久に帰らぬ刻は‥‥‥無かった物?
 

 ふん。
 ベッドに横たわる若い女性を見て、鼻でせせら笑う男が一人。
 近頃の娘は、金、金、金。
 そろそろコイツも飽きて来たし、別なのを探すか‥‥‥。
 煙草に火をつける。
 薄暗いラブホテルの部屋の中、ぼおっとライターの火が光を放ち、
紫煙が空に揺らめいた。
「つまらないな‥‥‥本当に」
 そう漏らしたとその時、携帯電話が取るように催促をする。
「私だ‥‥‥ああ。そうか‥‥‥やはり浮気をしていたか。うん? 
ああ。結果は会社の私宛に郵送してくれ。前に渡した封筒でな」
 それだけ言って、通話を終える。
 封筒は取引先の物だ。
 あいつにはバレよう筈も無いだろう。
 入り婿の俺がクーデターを起こす為のカードの一枚。
 この時期、彼がこうして遊んでいるのは、自分の周りの警護も
その探偵社に依頼してあるからだ。
 息抜きぐらいしなきゃ死んでしまう。
 ‥‥‥最初から、愛情なんか欠片も無い結婚だったんだから。
 始めはかわいいお嬢さんと思っていた。
 けれど、我侭放題で、無能なくせに経営に口を出す。
 正直もう、うんざりだ。
 
 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。

 あの時、もしこの手であいつを殺さなかったら。
 一体今ごろどうしていたんだろう。
 そう考えて、男は苦笑する。
 過去にはもう戻れないんだ。
 やりなおしの聞かない人生なら‥‥‥こうなったらとことんま
でやってやるさ。
 汚れた手で、何を迷う事がある?
 残り少なくなった煙草を灰皿に押しつけるとスーツの中の財布
から十万程だして、眠る女の枕許に置く。
「終る時は、何時もの倍‥‥‥か。コイツも判りやすい合図を考
えてくれてたものだよ」
 音を立てないように部屋を後にすると、夜の闇の中に歩を踏み
出す。冬の足音が高く聞こえるようになってきたこの頃、風がだ
んだんと身に染みるようになってきた。
「‥‥‥きみは?」
 目の前に立つ、黒衣の男。それは‥‥‥。

 森の中で拾ったそれを、目の前の男に差し出して見せる。 
「御届物です」
 大地に抱かれたそれは、緑色の錆を帯びてそこにあった誓いの
MarriageRing。
「‥‥‥‥‥‥それがどうかしたのか?」
 気づいているのかいないのか。
 取りあえず、手渡して反応を見る。
 じんわりと額に浮かぶ汗。微妙に荒くなる呼吸。さ迷う視線。
「貴様‥‥‥何者だ。今更、俺を脅すつもりか?」
 如何にかこうにか声を押さえてそう吐き出す男。
 苦笑して、軽く首を振って答える。
「物事には代償が必要な事を教えに来ただけさ。あんたが人を殺
してまで得た物‥‥‥その代償に何を差し出す?」
「代償だと!? やっぱり脅しに‥‥‥!!」
 そこまで言った瞬間、頭上にSealが浮かび上がったのを見て男
は絶句する。
「命の代償はそう軽くは無い。永遠に苦しみ抜けばいい。その魂
朽ち果てるまで」
「や、やめろっ、やめてくれ‥‥‥!!」
 今度はsealが体を覆っても肉体的には何ら変化を見せる事は無
かった。
 だが、強烈なまでの霊圧を放ち、能力を持たぬ人の身ですら硬
直させるのに十分な威力を持っていた。
 恐怖の余り、口をパクパクとさせて声を出そうとする男の眼前
にSigilを描いて見せた。
「受け取るといい、契約の証を」
 緑錆帯びた指輪をずぶずぶと男の左胸に埋めこんでいく。
 痛みを感じているのか、恐怖を感じているのか、声にならない
絶叫を挙げて、失禁して白目を剥く。
「くだらない‥‥‥‥‥‥たまには、それもいい‥‥‥か」
 

 そして、男の前から去ってから暫くして‥‥‥目を覚ます。


「!?」
 慌てて、自分の左胸を見て、触って確かめる。
「死んでない‥‥‥俺は死んでない! あはっ、あはははははっ
‥‥‥随分とリアルな夢‥‥‥あ、あれ!?」
 突然双眸から涙が溢れ出して、止まらなくなる。
 フラッシュバックする、あの瞬間。
 自ら最も愛した女性を手に掛けた、その感触。
「くそっ、今更何だって言うんだっ‥‥‥!!」
 時間が逆行するかのように、幸せだった時の思い出が蘇って。
 やわらかな感触。
 優しげな声。
 そして、自分だけに向けられた笑顔。
「あ、ああああ‥‥‥ああああああっっ!!!」
 戻れぬ時への絶望と犯してしまった罪への後悔。
 女の名を叫ぶ男の声が‥‥‥夜のその街に響き渡った。

------------------------------------------------------[shalom]
「随分と、気紛れな真似をするな」
 使い魔がそう言って下卑な笑い声を上げる。
「趣味が悪いな‥‥‥見てたのか」
「趣味‥‥‥お前ほどじゃないさ、ライ。甘っちょろくて虫歯になり
そうだ」
 何を期待していたのか。
 魂を八ツ裂きにするとか、肉体を焼き尽くすとか‥‥‥多分そう言
う方向だろう。
「あんたほど、下品じゃないって事。まあ、気紛れなのは認めるさ。
ちょっとした暇潰しにはなったしな」
 男と女。
 恐らく、種が絶滅するまで結び付き、裏切られ、貶めあって、高め
あう。そんな矛盾した物語が幾つも紡がれるのだろう。
「哲学者ぶって黄昏てるんじゃねぇよ」
「相も変わらず、減らない口だな。人が黙ってるんだから、そっちも
黙っとけ」
「ははーん、感傷に引き釣られてメランコリーな気分ってヤツか?
うわっ、似合わねぇっ!! ぎゃーっはっはっは!!」
「あんたこそ相手にしてもらえないと一人で寂しいからチョッカイ出し
たくなるおこちゃま気分なんだろ? そっちは似合ってる」
 ‥‥‥ぴくぴくっ。
 御互い口元を引きつらせつつ、笑い合う。
 ったく、いい加減成長無いな、と思いながら頭を掻く。
 つまらない世の中。さて、次は何がありますか‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
 
 
PCシチュエーションノベル(シングル) -
戌野足往(あゆきいぬ) クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月05日

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