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『アフターフォーカス 』
ケーナズ・ルクセンブルク1481)&イヴ・ソマリア(1548)&応仁守・雄二(1787)

 某中堅純音楽雑誌。
 この日、本屋の店頭に並んだこの雑誌の表紙に目を止めた人間は度胆を抜かれただろう。
 そのカバー写真は何と云うことは無い、この手の雑誌には珍しくないアーティスト然とした、モノクロのバストアップである。半ば開いた口唇に音楽への思いで恍惚としたような潤んだ瞳、顔で売るアイドル歌手の作り笑いとは無縁な。が、その女性アーティストの正体は……。
「……、」
 一人の少年がその前を通り、一旦は行き過ぎた後はっとしたように引き返してその雑誌を手に取った。両耳のイヤホンから洩れる音楽は今どきの流行歌、愛らしく、高く良く透き通る少女の歌声が混ざる。秋葉原帰りと思しい少年の背負ったデイパックにくっ付いた缶バッジの中では、水色のふわふわとした髪の美少女アイドルが微笑んでいる。
 インタビュー記事を読みすすめる内、少年の口唇がぽかんと開かれて行った。眼鏡の奥の目は、必死で字面を追っている。

『イヴ・ソマリアの真実 ──トップアイドルからの華麗な転身、セイレーンの歌声

──先日の武道館ライヴは、今までのイヴさんのファンにとっては大分衝撃的だったようですね。
「そうかも知れません。あのコンサートでは、衣装や舞台装置の虚飾を大分削ぎ落としました。MCもこれまでに比べれば少なかったですから、愛想が無いと思われたかも知れません。でも、あれは私なりに、これからは歌手として真剣に音楽に打ち込みたいという決心の現れです。歌に関しても、心を込めて歌いました。雰囲気は大分変わったと感じるかも知れませんけど、ファンの皆への感謝は歌で伝えた積もりです」
──特に、ラストで歌われた新曲は今までとは大分違ったものでしたね。シンプルな旋律で、それだけに誤摩化しが効かない難しい歌だったと思いますけど、逆にイヴさんの歌唱力が活きていたと思います。
「ありがとうございます」
──作詞も、御自分で為さるのは初めてですよね?
「はい。実はあの曲は、或る友人が好意でプレゼントして呉れた曲なんです。歌手でもある人なんですが、その方と一緒に歌う機会があって、プライベートでなんですけど。その時に、私も流行を追うだけでなくて、本格的に歌を勉強して行きたいと思ったんです。ある意味、こうして方向性を変えた切っ掛けです。その時、その友人の他にも沢山の仲間にお世話になりました。言葉じゃ伝えられない程本当に感謝していて、そんな気持を伝えるつもりであの詞は書きました」
──伴奏もギター一本でしたね。因に、あのギタリストはイヴさんが所属して居られる事務所の社長さんと云う噂をお聞きしたのですが……。
「(笑)そうです。とてもユニークで理解のある人で」
──ダンディなおじさまでしたね(笑)。シングル化は来月と云うことですが、それでもやはり彼がギターを?
「いえ、レコーディングに向けては今、作曲者と一緒にアレンジを練っている所です。スタジオは海外で、同時に世界ツアーを予定しています。世界の舞台は厳しいとは思いますけど、日本の中だけで自分を甘やかすのも厭だし、音楽に厳しい海外の聴衆を相手にした試練を乗り越える自信はあります。個人的にはギターが入るなら彼に弾いてもらいたいかも、って思ってるんですけど(笑)。未定です。でも、そのシングルには私もゼロから関わっていますし、本当に良いものが出来そう、って思ってます。プロモーションビデオやジャケット写真も、私が以前からファンの映像作家にお願いしてるんです。今日のフォトセッションではカメラマンもやって呉れました」
──確か、彼はイヴさんのサードシングルも手掛けられた方ですよね? 
「はい。あの映像は特に気に入ってましたから、信用出来ます。楽しみです、私自身」
──それにしても、本当に大人っぽくなられましたよね。何だか18歳とは思えない位。
「え、18ですよ、私?(笑)」
──失礼かも知れませんけど、最近、色々アクシデントがあったようですね。でも、あの時もイヴさんの毅然としたマスコミへの対応は見事でした。あの辺りから変わられたんじゃないですか?
「私は前から変わってないですよ? でも、あの一件で、私もちゃんと自分の意見を云わなきゃ、と思ったのは確かです。ファンの皆を裏切りたくないし、どう云って良いか分からなくて大分悩みもしたんですけど、彼はそんな私を支えてくれた尊敬できる人です。彼、とっても厳しいんです。『誤解を恐れて黙っている方より、正直な気持ちをはっきりと口にするのがファンへの君からの最大の誠意だ』って、勇気付けて呉れました」
──素晴らしいですね。そんな誠実な方であれば、イヴさんのファンも納得しちゃいますよ。
「そうあって欲しいです。……それと、私は構わないんですけど、彼は一般人です。今後はそっとしておいてあげて下さい。マスコミを代表してお願いします」』

「……、」
 トップアイドル、イヴ・ソマリアのファンの少年は記事を立ち読みし終えると暫く呆然としていた。が、平積みになった同じ雑誌の表紙をじっと見詰めた後、そのまま雑誌を手にレジへ向かった。
「680円になります、有り難うございます。お次ぎの御客様どうぞー、」
 
──────……

──もしもし、ケーナズ?
「ああ、イヴか」
──……ごめんなさい、私の所為で。
「いや、完全に私の落ち度だ。私は構わないが、イヴの仕事には大いに差し障っただろう。本当に済まなかった」
──私は平気よ。それより、お姉様やあなたのお母様、叔母様にまで迷惑を掛けてしまったみたい。あんな、酷い事を……。
「叔母達には私から謝って置いた。大丈夫さ、あんな誹謗中傷に挫ける人間では無いし、それに、あんな下品なゴシップ記事など……、ある事ない事、どこまでが公正な真実かは読者に自ずと知れるだろう」
──……。
「ときにイヴ、その事で少し相談があるんだが」
──ケーナズ、実は私もお願いが。

 応仁守・雄二(おにがみ・ゆうじ)は椅子に深く腰掛け、腕を組んで部下の報告を聞いていた。彼の前の重厚なロールトップデスクの上には、一冊の写真週刊誌が置いてある。

『トップアイドル、イヴ・ソマリア(18)お忍びデート、年上の超美形恋人─ポルシェに六本木の超高級マンション─母親はドイツ上流階級ゴシップの女王!?』

「デート……いえ、逢い引きの件は真実のようです。ですが、その内容にせよ彼の家庭事情にせよ、どこまでが本当でどこまで誇張しているのか判断に苦しみます。方々で、この件について大分強引な取材を受けたと云う話も聞きますし」
「……、」
 雄二は腕を組んだまま押し黙っている。
「社長のお怒りはお察ししますが……。然し、これは殆どこの担当記者と、またそれを堂々と記事に掲載した出版者の責任です。よくもまあ、恥ずかし気も無くこんな品の無い事を」
「……、」
「社長……、如何なさいますか」
 出来ればこんな役目は引き受けたくなかった。応仁グループ傘下の当音楽事務所始まって以来のスキャンダル、こんな大問題に際して社長の判断を仰ぐ役目など。彼の額にも掌にもじっとりと汗が滲んでいた。
「……ふむ」
「……、」
 その程度が測れない応仁守社長の怒り、如何なるものか。それがとうとう爆発する瞬間、さてどんな惨事が勃発するか。マネージャーはクビか。或いはアイドル本人がクビか。それとも恋人の青年をドラム缶に詰めてセメントを流し込み、東京湾に沈めるよう指示されるのだろうか。
 それだけは厭だ。自分は、ただ音楽関係の仕事に就きたかっただけなのだ。辛うじてそれが適って喜んでいた時に耳にした噂、──この音楽事務所の応仁守社長、一方では応仁重工の社長だと云うのには納得も行ったが、更には鬼神党とか何とか云う壮大な野望を掲げた秘密結社の総大将だとか何とか。大人しくしていれば、社長のそんな側面は見ずに済むだろうと云う彼の淡く甘い計画は露と散った。悲劇の幕開けの瞬間だ。
 徐ら、雄二は重々しい手付きでロールトップデスクの抽き出しを開け、中へ手を差し入れた。
 さあ、何が出るか?
「──……!?」
 雄二が中から取り出したのは、ギターである。何の変哲も無い、と云えば失礼な某有名メーカーの高級品であるが、ともかく音楽を奏する以外には用途の無さそうなアコースティックギターである。
 問題は、雄二がそれを取り出したのは奥行き20センチに満たないだろうと思われるデスクの抽き出しだった事である。何故!? どうやって!? 然も社長、何時の間に片手にピックを──。
 じゃらん、と美しい虎目の乾いた木の表板を通した響きの良いメジャーコードが大きくかき鳴らされた。
「青春だねえ〜♪」
「……」
「海辺を青いポルシェでドライブするとは中々お洒落だ。……いいねぇ〜♪」
 そして「海は良いねぇ〜♪」とまたメジャーコードが響く。属七のアルペジオを即興で挿んだ後、「なかなか〜、見所のある青年だ〜」と応仁守社長の歌声は完全終止で締めくくられた。ついでに、再び「海は良いねぇ〜♪」と云うおまけがアーメン終止で付いて来た。
 その異様なまでに爽やかな笑顔を呆然と眺めていた部下の全身が脱力した。
「……ときに、イヴ君は?」
 ようやく、真顔に戻った雄二の言葉に縋るように体勢を立て直し、彼は殊更畏まった口調で応えた。
「はい、騒ぎが収まるまでは暫く大人しくしているように、マネージャーを通して伝えてありまして、ここ数日は生放送もスタジオ収録もテレビへの出演はキャンセルさせました。……ですが、」
「が?」
 雄二がまた、何事も無かったかのようにギターを抽き出しへ戻そうとするのを見なかった事にして、彼は言葉を継ぐ。
「先程、ソマリアの自宅から電話がありまして、ルクセンブルク氏……、その、恋人、ですが……彼と一緒に社長に謝罪に伺いたいと」
「おお、それは……」
「宜しいでしょうか……」
 じゃらん、と瞬時に雄二の手に戻ったギターが再び明るい和音を響かせた。
「勿論だとも〜、……きっと〜、今頃マスコミの攻撃と不安に打ちひしがれているだろう彼女、いつでも〜、僕の所へおいで〜♪」
「……、」
 倖い哉、完全に脱力した部下が倒れ込んだ先は入口付近の壁であった。頭が床と逢い引きするよりも先に、背中が壁に支えられて脳震盪を免れた訳である。
「……と、伝えてくれ給え」
 今度こそ何気なくギターをどこか異次元へ通じているとしか思えないデスクの抽き出しへ片して仕舞い、雄二は真顔で告げた。
 了解しました、と悲鳴のような返事を残し、部下は廊下の向こうへ消えた。

「申し訳ありません」
 社長室の中央に立ったケーナズ・ルクセンブルクは静かな声で簡潔に謝罪の言葉を述べ、頭を下げた。
「……私もごめんなさい……、社長……応仁守さん」
 ケーナズの傍らに立つイヴも、小柄な肩を更に小さく強張らせて俯いた。
 彼には特に申し訳が立たない、とイヴは思っていた。どうも普通の人間では無いっぽい自分のような存在を快く引き受け、彼の音楽事務所から一推しのアイドルとして売り出して呉れていた彼のと名前に泥を塗ってしまった事だ。
 一度ちゃんと謝りたいので、どうか一緒に来て呉れないだろうか、彼なら屹度ケーナズの事も認めて呉れるだろうから、とこれがイヴのケーナズへの頼みである。
「いやぁ〜、然しイヴ君も倖せだろう、こんな恋人が居たとは。うん、倖せですか、最高ですか? これはまた中々の美青年じゃないかね、うん、写真より実物の方がずっと良い!」
「……、」
 秘密結社『鬼神党』の総大将としての顔も持つと聞き知っていた雄二の意外すぎる爽やかな笑顔を前にしたケーナズは有り難みや恐縮、と云った事の前にやや面喰らい、思わず関係の無い言葉を口にしかけたのをようやく噤んで、今日はあくまで謝罪に来たのだ、と自らに云い聞かせた。
「あれは、カメラマンの腕が悪かったのよ」
 イヴはやや憮然と呟いた。彼女としては、汚点だらけのあの記事の中でも特に文句を付けたかった部分が写真映りでだったのである。
「うん、そうだねえ、あのカメラマンは良くない。はっはっはっ、安心し給え、イヴ君のプロモーションにはあのカメラマンは間違っても採用しないから」
 雄二の笑い声が秋風のように爽やかに響き渡った。
「そう云う問題じゃ無いんだけど……、……まあ、そうよね、最近はもっとセンスの良い映像作家も専属で付いた事だし……」
 その時、ドア越しの廊下から「退行だ! 無への回帰だ、二十一世紀の芸術は装飾の抹殺だ!」と云う絶叫が聞こえた。そっとドアを開け、様子を伺ったケーナズは「君か」と溜息を吐いた。先日来、イヴと同じく雄二の音楽事務所に身を寄せている問題青年の映像作家である。何のインスピレーションを得たものか、それまで事務所内をうろうろと歩き回っていたらしい彼が突如発した歓声だったのである。
「元気になったようで、何よりだ」
 先日の憔悴振りを思えば現金な程健康らしい様子で、青年はケーナズの言葉が聴こえた風も無く廊下の向こうへと走り去った。それを見送り、ケーナズは再び社長室内へ視線を戻した。
「……失礼、本来ならばこんな事になる前にあなたには挨拶に伺う可きだったのですが、こうなってしまった以上は仕方がありません。私は、イヴを心から愛し、尊敬もしています。彼女の事は、全てを掛けて大切にしたい。どうか、交際を認めて頂けないでしょうか」
「勿論だとも、いやぁ〜、見れば見る程麗しいカップルだ、はっはっはっ、そうそう、君さえ良ければ下に屯しているマスコミ連にもそう伝えてあげると良い、中には一人くらい腕の良いカメラマンも居るだろう」
「自分勝手な云い方ですが、イヴの恋人という立場からも私はマスコミに悪印象は与えたくありません。マイクを向けられれば、堂々と答えたいと思いますが、その点、御了承頂けますか」
「問題無し! まあ、あの雑誌社は特殊だよ。大抵の出版社は事務所ぐるみで付き合いのある所だ、君達さえそういう風にしてくれるならば興味本位で無く友好的な記事に書いて貰うよう頼んでみよう。何故だかね、僕が頼むと大抵の雑誌は云う通り書いて呉れるんだよ」
「何故だか?」
 イヴが苦笑を浮かべたが、鷹揚且つ気楽、器の大きい雄二はそんな些細な事は気にも留めなかった。
「宜しくお願い致します。私としても出来る限りの事は。……それと、もう一つお許し願いたい事があります」
 ケーナズとイヴは目配せを交わし、揃って再び雄二に向き直った。
 以下が、ケーナズとイヴが予め打ち合わせと調査を行って来た「提案」の内容である。

「件の、出版社とカメラマンの事です。みすみすフォーカスされた私達にも落ち度はありますが、例の記事はあまりにも常識に欠けています。今後、このようなゴシップ誌を生かして置いても世間に何の得にもならないと思います。そこで、少々知人を当って彼の社の評判を聞いてみたのですが」
 この際、雄二が話に耳を傾けつつもどこからともなく、否、抽き出しから取り出したギターを抱えて哀愁漂うメロディを小さく爪弾いている事は割愛しよう。
「……思った通りです。売り上げ、基いゴシップをでっち挙げる為には手段を選ばない、中には随分と悪どい、犯罪紛いの行為も見られます」
「ケーナズの話だと、特に大きい事件ではこの週刊誌が独占スクープを取った、7月にあった政治家の汚職事件。これが、彼等によるヤラセだったらしいの。ケーナズの情報網を使えば、この件の証拠が押さえられそうなのよ。それを、『逆激写』してやろうって云う訳」
 雄二はギターを爪弾く手を止め、「ふーむ」と唸った。
「……、」
 返事を待つケーナズとイヴに、底抜けに明るく笑顔を向けた雄二は「それは良い。じゃ、僕も手伝おう」と宣った。

「そこまでして頂かなくとも。我々のけじめは、自分で着けます」
「いやいや、気にしないで呉れ給え。本心を云えば、面白そうなんで首を突っ込みたいのだよ」
「応仁守さん……、」
 感動半分、呆れ半分に目頭を押さえながらイヴは声を詰まらせた。対する雄二は、そんな彼女の感傷にはお構い無しで既に思い極めたものらしく腕を組むと大きく頷き、「うん、それが良い、それが」と独り納得していた。
「どの道、現場に潜り込む人間は必要だろう? 君達は目立つから」
「……応仁守さんもあまり人の事は……、」
 遠慮勝ちなイヴの異論は、「はっはっはっはっ、」と云う異様に爽やかな雄二の笑い声に掻き消された。
「大丈夫、大丈夫! 僕は一応顔が知れていないからね、任せて置きなさい、さあ、そして若人達よ、行け、行きて君達の為す可き事を為せ!」
 そう、一瞬間彼の背後に水平線に沈む夕陽の幻覚を見た気がするような調子で朗々と告げると、雄二は指先を真直ぐにドアへ向けて伸ばした。
「……その台詞は……」
 ケーナズは目眩を感じて軽く眉間を押さえた。そう、少々ニュアンスは自己流だが裏切り者のユダにイエス・キリストが放った言葉である。
「ねえ、応仁守さん、矢っ張り怒ってる!?」
 イヴは焦ってそんな彼の腕に取り縋ったが、雄二の笑顔はあくまでこの季節の微風のように爽やかである。
「はっはっはっ、イヴ君何を云ってるんだ、僕が怒っているように見えるかい」
「だってぇ〜、そんな、裏切り者に対する言葉を……」
「安心し給え、ただ語呂が良いから使ってみただけだ! 心配無用、無問題!」

「トップアイドルとして、ファンへはどう説明なさるお積もりですか、イヴさん!? ちょっと、答えて下さい、」
 (空間移動能力を行使した)行きとは違い、帰りには普通に玄関から事務所を出たケーナズとイヴを砂糖に群がる蟻のように待ち構えて居た報道陣が取り囲んだ。雄二の云っていた「為すべき事」とはこの事だろう。……本当に、語呂だけでなく彼がそこまで見越していたとすれば。
 イヴは顔を背けたりはせず、ケーナズの腕に縋りながら毅然と背筋を伸ばしてフラッシュの嵐には笑顔を、突き出されたマイクには次ぎのような言葉を向けた。
「勿論私はファンの皆の事も、とても大切に思っています。今度の武道館でのライヴに来て下さい。そこで、ファンの人達への私なりの決心が分かって貰えると思います」
「ルクセンブルクさん! あなたがケーナズ・ルクセンブルクさんですね!? あの記事の内容は本当なんですか、彼の声楽家の甥子さんで居らっしゃって、お母様がレスビアンと云うのは本当なんですか!?」
 チッ、と舌打ちして眉を顰めたのは心の中だけである。ケーナズはその云い様にも挑発される事無く、軽く伊達眼鏡を押し上げると穏やかな微笑を浮かべた。イヴの小さな身体を庇うように腕に抱く姿は彼女の忠実な騎士のようである。但し、「家族は関係有りません、これは私の問題ですので、彼女達の事には触れないで頂きたい」と云う一言だけは姦しいマスコミ関係者を一瞬黙らせ得る強い語調で返された。
 その後は紳士的な態度で、真直ぐマイクとカメラに向き合って、こう告げた。
「彼女と交際しているのは本当です。彼女のような人気歌手ともなればその恋愛が取り沙汰されるのは仕方ないかも知れないが、然し彼女とて一人の人間、女性です。彼女には彼女の生活があっても良い筈では? そして、私は本心から、真摯に彼女を愛しています。彼女を慕うファンには申し訳無いが、それだけに彼達を失望させる事の無いよう、誠意を持ってお付き合いさせて頂く積もりです。今後も」
「ごめんなさい、でも私も本当に彼を愛しているの、ケーナズは掛け替えの無い人です。どうか、ファンの皆が私の気持ちを理解して呉れるよう、望みます。そして、人気商売のアイドルが交際を宣言した以上は、今後は音楽へ真摯に取り組む事でけじめを付けたいと思っています。どうか、武道館でのライヴを見ていて下さい」
 二人の言葉は丁寧だったが、マスコミの連中は相手をしていればキリが無い。適当な所で、ケーナズとイヴは「失礼」と彼等の輪を抜け出した。

 同日、深夜間際の東京都内某所。
 とあるスナックバーの店内、長年の不景気の煽りを喰ってか、カウンターに見える人気は客とも思えない怪しい風体の男と美人ではあるがいい加減老け込んだママだけである。
「不景気だ、って云われてもそれはお互い様よ。大体あんたん所の雑誌、この間は大分売れたそうじゃない、何とか云う人気歌手のゴシップを押さえたとかで」
「一回売り上げが伸びた位で、そうそう簡単に大金の『取材協力料』が払える訳じゃ無いんだよ」
 男は安ウィスキーを水割りで飲んでいるが、それにしても二人の会話はスナックのママとその客、という間柄とは到底思えない。お互い、相手へ向けた視線も言葉も剣呑である。男の隣のスツールには、カメラ機器を収納するガゼットケースが放り出すように置いてあった。
「あんたん所の経済状況なんか知ったこっちゃ無いのよ、ウチだって滞納してる店鋪料が払えないと不味いの。何の為に犯罪紛いの片棒担いであんな証言したんだか。分かったらともかく、残りの百万、今月中には支払って貰うわよ」
「がめつい女だな、全く──……」
 その時、不意にドアベルのからん、と云う空しい音が響き、二人ははっと口を噤んで入口を見遣った。
「いらっしゃ……、」
 ママの造り笑顔も、歓迎の挨拶が最後まで終わらない内に掻き消えた。
「……、」
 カウンターの男も、あからさまに眉を顰めて来客をじろじろと眺めている。
 今し方入って来た男は40代半ば程、背が高く体格の良いナイスミドルと云う言葉がぴったり当て嵌まるような人物だったが、如何せん彼の風体が奇抜である。
 その中年男が肩から下げているもの、それはギターであった。それもケースに収まっている訳ではなく裸である。どう見ても、珍問屋としか思えない出で立ちだ。
「ちょっと、何、あんた」
「はっはっはっ、お気に為さらず、ただの流しのギター弾きです」
「気にするわよ」
 中年男は気抜けする程明るい笑顔を浮かべてそう応え、ママの悪態も聞こえない様子でじゃらん、と哀切なマイナーコードを響かせた。
 カウンターの男はただもうぽかんとしてそれを見詰めている。
「……客じゃないならさっさと帰って」
「いやいや、何も投げ銭などと厚かましい事は願いません、ただこのような素敵なバーの片隅で一曲、ギターを弾かせて頂けはしないかと」
「大道芸人はお断りよ」
「……まあ、良いじゃないか。あんたと二人というのも湿気てると思ってた所だ。害は無さそうだし、どうも放置してれば自分の世界に浸ってそうだ、他人の会話まで聞いちゃいないだろう」
 ママが男の言葉に異論を唱える間も無く、流しのギター弾きは「これはこれは有り難い、では遠慮無く」と本当に遠慮も何も無くボックス席の隅に収まると勝手にブルースと思しい曲を弾き語り始めてしまった。
「……一曲だけよ、」
 仕方ない、と云う風に吐き捨てたものの、確かに自らの世界に陶酔していると思しいギター弾きに害は無さそうだと思ったらしい、警戒心を解いた二人は彼を放って再びビジネスの話を始めた。
「……分かったって、……ともかく、あと少し待ってくれ」
「あんまり待たせないでよ、逮捕された代議士だって今はシラを切ってるだけと思われてるけど、あんまりウラが取れないとその内検事だって疑い出すだろうし」
「あ〜、厭んなっちまうぜ〜、こんな世知辛い世の中〜♪」
「然しあんた、この事は誰にも云って無いだろうな」
「当たり前でしょ、犯罪行為のヤラセ証言したなんて、誰に云えるって云うの」
「若人は良いなあ〜、あの日に帰りたい〜♪」
「それなら良い」
「だからってばっくれようなんて思わない事ね、あんまり待たせるようならこっちにも考えがあるのよ」
「……全く、」
「あ〜、彼等に倖あれ〜♪」
「いつ終わるのよ、その一曲!」
 これは失礼、とギター弾きはあっさり手と歌を止め、そそくさとスナックを後にした。
「……何だったの、あの珍問屋」

 応仁守・雄二はスナックのある雑居ビルを出たと同時に携帯電話を取り出した。
「ケーナズ君か。……うん、あっさり追い返された所だが、少々粘っては見た。隠しカメラとレコーダーには、ばっちり」

──────……

 程無くしての事である。
 東京都渋谷区、ボトル缶や菓子の入ったコンビニエンスストアの袋と携帯電話を片手に道端に腰を下ろした女子高生達。
 誰のファッションを真似たものかセミロングの髪をウェーブさせ、ヘアバンドを付けた彼女達の内一人が、ふと目の前に聳える109側壁の巨大モニターに目を遣った。
 画面は丁度、定刻のニュースを伝えている所である。

『本日、出版者、──社の子会社で写真週刊誌、──等を発行する──社の契約カメラマン、──容疑者35歳が、過去に同雑誌紙面においてヤラセ記事を発表していたとして逮捕されました。問題となった記事は今年7月上旬、代議士の──氏が懇意にしていた都内の飲食店経営者の女性の関心を買おうとした際に職権を乱用して取り計らった件で、……同カメラマンはスクープ記事を捏造する為、この飲食店経営者の女性と組み、金を渡して虚偽の証言をするように画策したものと──』

「あ、ねえ、アレさぁ、」
 彼女は仲間に注意を促す。
「ゲンシャのセンセーが何とか云ってたヤツじゃない? 政治家が色恋沙汰にショッケンを持ち出してこくみんのケツゼーをろうひするとはなげかわしいとか何とか、云ってなかった?」
「云ってたっけ? つか、覚えてないし、ゲンシャの授業とか」
「云ってたよー、テストの問題意識がなんたらとか云う記述で出たじゃん。てーゆーかー、あれ、ねつぞーだったみたい。つか、どうなってる訳? 分かんないんだけど、その政治家が悪いとか、カメラマンが悪いとか」
「……あ、あのおっさん……」
「何ぃー、知り合い?」
「てーゆーかー、あたしー、前にこの辺でナンパされてさあ、車とか国産でふざけんなっつー感じだったんだけどぉ、雑誌のカメラマンだとか云ってー、名刺貰ってー、今度雑誌の読者モデルに使ってあげるって云うからぁー。……あのよーぎしゃ、そのおっさん」
「え、駄目じゃんそれ」
「えー、じゃあもう使って貰えないのかなあ、え、出版社ごと犯罪者? 差し押さえ?」
「つか、そんな出版社聞いたことないし。思いっきり騙されてんじゃん」
「えー、超ムカつくんだけど。てーゆーかー、車国産とかあり得ねーって感じじゃな……、」
 散々な悪態を吐いていた彼女の言葉尻は、視線と共に目の前の表通りを軽やかに走り抜ける一台のドイツ車に依って攫われた。
 ポルシェ911カレラ4カブリオレ。車体はメーカー特注カラーの青。排気量3600ccのオープンルーフ車は、女子高生達だけでなく路上の人間の羨望の眼差しを一身に受けながら青い軌道を残して東京を駆け抜ける。
「……良いなあ、やっぱりー、車は左ハンドルだよねー、」
「つか、見た? 運転席の男超美形だったんだけど。パッキン、絶対外人だよ、あれ!」
「横に女乗ってた、超ムカつく。髪とか水色だったんだけど、あり得ねえ」
「……美人は何色でも許されるんだって。……良いよねえ……、」

「……良いのか? 今日はそのままで」
 風に流れる水色の髪を軽く掻き上げたイヴに、ケーナズは苦笑混じりに訊ねた。
「良いの☆ だって、もう公認のカップルでしょ、私とケーナズ。もう隠す必要無いわ。それに、実力派を目指す歌手がクラシックのコンサートにお忍びで行く事は無いでしょう?」
「それもそうだな」
「厭? ケーナズは」
「まさか。光栄だよ。……今度フォーカスされるとすれば、もう少し腕の良いカメラマンを希望するが」
「大丈夫でしょ、もうあの雑誌もカメラマンも、表へ出て来られやしないわ」
 ハンドルを切り、ケーナズは携帯電話を取り出した。──本日の目的地は、もう直ぐだ。
「……叔母様、ケーナズです。本番直前に申し訳ありません。ただ、一言だけお知らせして置きたくて。……ええ、今日のコンサート、私も楽しみにしていますよ。それで、今日は彼女、叔母様も気に入ったと仰って頂いた、イヴ・ソマリアも一緒です。彼女も非常に楽しみにしているようです。歌の実力を磨く為に、叔母様の歌を是非参考にしたいと。……では、成功をお祈りします」
PCシチュエーションノベル(グループ3) -
x_chrysalis クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年11月04日

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