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『手鞠唄が知っている 』
九耀・魅咲1943)&シュライン・エマ(0086)


 それはシュライン・エマにとってはただ小耳に挟んでしまったようなものでも、どこか盗聴してそれをしっか記録しているようなものだと思ってしまう節もあって、彼女は少しばかり後ろめたい気持ちにもさせられるのだった。
 だが、世の中というのは音が多い――言葉も溢れ返っている。言葉によって紡がれる物語は、すでに単なる音としてではなく、シュラインの記憶の中に刻みつけられてしまうのだった。
 控えめなジャズが流れるバーの中には、物語が錯綜している。シュラインの脳裏に入り込んでくるのは、主に恋愛の話で、その夜シュラインは実に様々なかたちの愛を知った。かさこそと飛び交う愛の物語を聞く彼女は、今夜は独りで飲んでいる。シュラインには恋人なのか恋人未満友達以上なのかよくわからない男がいるにはいるのだが、こうして独りで飲んでいるときにそんな話ばかり耳にしてしまうと、自然と微妙な気持ちになった。
「……いやぁ、参ったよ、マジで」
 ふと、シュラインの耳は恋愛とは一見無関係な話を捕らえた。彼女が意識していたせいもあるのだろうか、『怪奇探偵』のもとで働いているうちにその手の噂話に敏感になってしまったのか――ともかく、シュラインはふたつの空席を置いた席でバーテンに話している男の話に、ぴくりと眉を寄せたのだった。
「映画とかドラマの中の話だけだと思ってたよ」
「警察には相談を?」
「いや、1発殴ったら『もうしません』だってさ」
「私は警察に行くのをおすすめしますけれどね。ストーカーというのは、殴られたくらいで諦める程度の執念ではなれないものですよ」
「そういうもんかな」
「そういうものです」
 これも結局、ひとつの愛の物語だろうか。微笑ましくも羨ましくもない愛だが、ストーカーが一方的にではあれ、人を愛しているということは紛れもない事実だ。
 シュラインは話の続きをずっと聞いていた。
 男はこの辺りに住んでいるようで、ストーカーの被害に遭っていた女性は男の友人以上恋人未満。女性とストーカーは奇しくも、シュラインの自宅の近所に住んでいるらしかった。男がストーカーと大立ち回りを繰り広げたのは、つい昨夜のことらしい。昨夜シュラインは自宅にいて、深夜2時頃まで仕事をしていたが――近所でそんなドラマじみた事件が起きていようとは、全く知る由もないことだった。
 ――あらら……私の知らないところでも、世界は動いているのね。
 シュラインは微かな苦笑を湛え、レッド・アイを飲み干した。

 ちりん、
 からん、
 ころん、

 レッド・アイに続いてブラッディ・メアリーを飲み、シュラインはバーを出た。
 ストーカーの話をしていた男も、ほぼ同時に店を出た。
 シュラインは確かにそのとき鈴の音を聞いて、足を止めた。

 ちりん……

「……飲みすぎたわね」
 シュラインは軽く頬を叩いて、溜息をついた。アルコールはどうやら耳にまで達しているらしい――そう信じたかったのだが、ふと、脳裏に蘇ってくる記憶があった。
 鈴の音だ、
 シュラインの記憶に、知らぬうちに刻みつけられていた音だった。
 ――そう言えば、前にも聞いたような……。
 時刻は午後11時半。

 てん、てん、てん、
 ちりん、


  あんたがた どこさ
  ひごさ
  ひごどこさ
  くまもとさ
  くまもとどこさ
  せんばさ……


 手鞠唄までは、きっと聞こえなかった。シュラインが聞いたのは、鞠が跳ねる音と鈴の音、下駄の音。
 シュラインは思い出した。
 前にもここで、聞いたことがあるのだ。こんな夜遅くに手鞠で遊ぶ子供などいるはずがないと、そのときもアルコールのせいにした。
 鈴の音と手鞠の音が止み、ちいさな笑い声が聞こえたような気がした。
「……帰ろ帰ろ。今度からは1杯にしないと。私ももう若くないのかしら」
 ブラッディ・メアリーはきっと余計だったのだ。レッド・アイの味と存在感は大したものだった。シュラインは静まりかえった夜道を、酔ってはいない足取りで歩き始めた。
 レッド・アイが――闇夜で瞬いたような気がする。



 シュラインの自宅周辺は、深夜0時だというのに色めき立っていた。パトカーが1台マンションの入口に停まっていて、周辺の住民が窓からちらちらと顔を出している。シュラインは目を細めてマンションを見た。警察官ふたりの前で、パジャマ姿の女性が泣き喚いていた。
 よく見ると、マンションの2階の一室が――真っ赤になっている。
 血ではないようだが、末恐ろしいものがあった。
 窓に口紅で文字がびっしりと書きこまれているのだ。
 どうやら誰かがベランダによじ登って、外から窓ガラスにせっせと書き連ねたらしい。
 愛だの死だの殺だの、ぞっとするような文字が――いや、愛という文字は通常うつくしいものだろうが、緋色で書かれたいびつなその『愛』は、ぞっとするものであったのだ――窓ガラスを覆い尽くしていた。
 シュラインは、バーで聞いた話を思い出した。
 あの女性が、例のストーカーにつきまとわれているのだろうか。恐らくそうだろう。
 調べてみるのも良さそうだが、今は警察がいるし、赤の他人がでしゃばるべきではない。シュラインはそう考えて、帰宅した。


 しかしそれから2日ほど、急に入った仕事があって、シュライン・エマは近所で起きた他人の事件に割ける時間を持てなかった。


 ちりん、
 からん、ころん、

 夢の中に、あの音と手鞠が現れたことはあったけれども。
 手鞠、
 ゴム製ではない、れっきとした『手鞠』。糸で巻かれた昔の手鞠。錦のように美しい、刺繍が施されていて――
 焔と鬼と血が縫いつけられているのだ。
 手鞠には、何千もの死があった。
 その中に、どこかで見たような男の姿があったのだ。



 浅い眠りは、いやに大きなサイレンに打ち砕かれた。シュラインははッと頭を上げる。パソコンだけが低い唸りを上げながら、まだ起きていたようだった。原稿は上書き保存された直後の状態のままだ。夜明けまで仕事に追われていたが、終わった途端に力尽きてしまったのだ。シュラインはデスクに突っ伏して、1時間ほど眠っていた。
 コーヒーを淹れ、あくびをしながら朝のワイドショーでもとテレビをつけたシュラインは、飲んだコーヒーを気管に入れてしまった。涙さえ浮かべながら、彼女は咳込み、よろめきながらテレビの音量を上げる。
『この男は実に半年以上前から、Aさんに対してストーカー行為をはたらいていたというんですねぇ』
『死因は何なんですか?』
『口紅を喉に詰まらせての窒息というのが、警察の見解です』
『く、口紅……』
『キスしてる気持ちにでもなってたんでしょうかね』
『口紅は誰のものなんです?』
『Aさんのものです。Aさんの自宅からは他にも何点か盗まれていたものがあったそうで』
『警察は動かなかったんですか、そんな、家宅侵入までされてるのに』
『Aさんが1週間前まで警察には相談していなかったようです』
『1週間前まで?』
『ええ。この男は1週間前、警察の他にもAさんの友人――男性なんですが――彼に注意を受けたりもしているのですね。しかしストーカー行為は逆にエスカレートしてしまったと』
『あー』
『3日前にもAさんに嫌がらせをしています』
『一見ふつうのサラリーマンですねぇ……』
『そうですね、逆に締まってていい男かもしれないです』
『締まってるって、ちょっと』
 コメンテーターたちはいつもの調子で事件について語っているのだが、シュラインはどうしてもいつもの気分で聞き流すことは出来なかったし、見たものを忘れることも出来なかった。
 シュラインの家のすぐ傍で口紅を喉に詰まらせて死んだらしいストーカー男は、あの夜バーでバーテンに愚痴をこぼしていた男だったのだ。そう言えば、あの男は、唇の端に痣があったような気もするし、ジンが沁みると顔をしかめていたような気もする。
 いい加減にしろと殴られたのは、たぶん、あの男の方だったのだ――
 最低な愛のひとつが、最悪の結末を迎えていた。
 シュラインの知らない世界が、シュラインも知らないうちに終わっていた。

 ちりりん、
 からん、
 てん・てん・てん……


  ……しがてっぽうでうってさ
  にてさ
  やいてさ

  喰ってさ


 シュラインはカーテンを開けて、外を見た。
 手鞠をついて遊ぶ、紅色の振袖の少女など居ない。
 レッド・アイも……ありはしないのだ。

 シュラインがカーテンを開けた瞬間に、鞠と鈴の音は止んだ。
 シュラインの碧眼が見たものは、パトカー、警察官、人の形のマーキング。
 ああ、そろそろ警察が来る。
 シュラインはきっと、何日か前にあるバーで死んだ男を見たと言うだろう。いくつか逆に警察に尋ねもするだろう。そして手鞠の音と鈴の音が聞こえたことは、きっと誰にも話さないのだろう――
 だがその前に、顔を洗って化粧をしたい。
「ちょっと待ってよ、まだ来ないでね」
 シュラインはカーテンを閉めて、ばたばたと洗面所に向かった。


  それをこのはで


「でも、誰かがあの人を助けたのよ」
 シュラインは鏡に向かって呟き、目を細める。
「いえ、『何か』が、かもね」
 ひょっとすると、女性を助けようという目的もなかったのかもしれない。ただ、ひとつの愛に相応しい結末をもたらしただけ――
 シュラインはその考えを振り切ることもできず、また、忘れることもできそうになかった。
 パソコンはまだ電源を落としていない。
 興信所に行くまでに、まだ時間はある。一眠りする時間も、この不可解な事件の覚え書きをまとめる時間もあるはずだ。

 シュラインがパソコンを見やったとき、インターホンが鳴った。


  ちょいとかぶせ……



<了>
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2003年10月29日

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