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『幻想世界その他の諸事情 』
シュライン・エマ0086)&ケーナズ・ルクセンブルク(1481)

「あら」
 草間興信所へ到着早々、此処の調査員達の連絡用掲示板──基い、冷蔵庫に貼付けたメモをチェックしていたシュラインは、果たして自分宛のメモを見付けて視線を止めた。

『届けものです。それぞれ2個ずつ。中身は各自確認して下さい ZERO』

 そして彼女の横に名前を連ねた彼の長身の探偵は、既にその上に受け取り印を押している。
 ……で、その届けものは一体何処に?
 若しや、とシュラインは冷蔵庫を開ける。
「……、」
 随分イイ性格の娘だとは思ったが、遣る事為す事滅茶苦茶と云うか、怠慢である。
 仮にもメッセンジャーを営んで居ながら、配達伝票とも思えないメモだけを冷蔵庫に貼って(それに受け取り印を押す某氏も某氏だが)、──あまつさえ、こんな大金と貴重な物を冷蔵庫に放置して行くとは。
 一つは、今を時めくトップアイドルからシュラインへコンサートへの招待状、普通なら入手さえ困難なチケットの特等席だ。
「……、」
 中を見たシュラインは莞爾と微笑み、そしてこっそりと背後の草間の様子を肩越しに伺った。──草間にこんな稀少価値の高い物を見せたが最後、「売れ(興信所の財政の為、犠牲になってくれ)」と云われそうである。
──せいぜい、突発的な用事が入らない事を祈って楽しみにして置こう。
 そして、問題はもう一つの方である。
 冷暗所に放置されて冷たくなってしまった長3封筒。
 中身は現金。──そう、話には聞いていたが、先日の調査で何故か依頼者でも無い彼が支払う事になったと云う報酬だ。出入りの激しい此処にあって、この封筒がシュラインの手に渡るまで無事だったのは単えにその形状のお陰だろう。
 大きさはともかく、厚み。
 きっちりとした立体の形状を取ったその中身が、まさか紙幣だとは誰も思うまい。
「……、」
 シュラインの笑顔が、見る見る呆れの為に崩れて行く。
「……規定分は喜んで頂くけど、……これは、ちょっとね」
 ──彼には色々と云いたい事もあるし、直接会いに行こうか。
 シュラインは草間のデスクから一枚の書類を引き出し、某自称メッセンジャーの携帯電話へ回線を繋いだ。

「ケーナズさん」
 足を留め、ゆっくりと振り返ったケーナズ・ルクセンブルクの表情は何時に無く強張っていた。
 実際、その時の彼の驚きようはかなりのものだったのである。然しそこはケーナズの事、声の主、シュライン・エマのような若く美しい女性を相手に如何にも驚きました、と云うような無礼な態度は取らない。不意を突かれた驚きや何故、という疑問は抱きつつも抜群の演技力で以て社交的で礼儀正しい笑顔を浮かべた。
「……これはエマ嬢、御機嫌麗しく」
「あら」 
 シュラインは苦笑した。相変わらずな事だ。1年だけだが年上のシュラインに向けてさえ、この態度。それが嫌味も態とらしさも無いのは流石である。不自然に見えないのは、元々がドイツ貴族として育ち、優雅な言動が身に付いているからとしても。
「時に、何故ここが?」
 ケーナズは平静を装いつつ、触り気なく探りを入れた。
 現在、午前11時。現在地は港区六本木にあるケーナズの自宅マンションの前である。彼は今から、愛車のポルシェを取りに駐車場へ向かう所だった。
 草間にでも訪ねればケーナズの自宅は知れるだろう。偶然と云えばそれまでだが、……あまりにもタイミングが良過ぎる。
「……あの娘。随分イイ性格の情報屋さんに聞いたのよ。今日、今くらいの時間にここへ行けば丁度家を出る所だろうって」
 くす、と笑いながらシュラインは答えた。彼女の云う「イイ性格の情報屋」の正体に思い当たったケーナズは軽い溜息を吐いた。……あの日以来、何を勘違いしているか知らないがケーナズを敵視している自称メッセンジャーの嫌がらせだろう。本当に、良い性格だ。
 これから、恋人を迎えに行く積もりで上機嫌だったケーナズを困らせてやろうとわざわざ指定したに違い無い。ケーナズがシュラインをある事情で苦手にしているのを知っていて。本日のデートの件が情報屋に知れた理由は分からないが、恐らくはお年頃の女性同士、仲良くしている彼の恋人が洩してしまったのだろう。
「大丈夫よ、お時間を取らせる気は無いから安心して。用が済んだら邪魔者はさっさと消えるわ」
 笑顔でそう嘯くシュラインもかなりの愉快犯である。
「邪魔者? ……こんなに美しい女性を邪険に扱う男が居る筈は無いだろう。遠慮なく、どうせ少し余裕を見て出たんだ。──立ち話も何だ、良ければ珈琲でも」
「気を遣わないで。駄目よ、デートの前に他の女を喫茶店に誘うなんて」
 それに、とシュラインはバッグから取り出した物を片手にケーナズに歩み寄った。
「大した用ではないのよ」
 シュラインが掲げているのは、ケーナズに見覚えのある封筒だ。彼女は立ち止まると、ぺこりと頭を下げた。
「幻想世界調査の報酬、確かに受け取りました。有難うございます。何故ケーナズさんから頂く事になったのか、大体の所は聞いたけど……」
 シュラインは口唇の端を持ち上げて軽く首を傾ぎ、封筒をケーナズに差し出した。
 結果的に、危険度、難易度共に最高レベルの依頼だったので短期とは云え素行調査などに比べても高額の報酬だったが、それを差し引いても大分厚みがある。彼の妹が見れば呆れそうな額が、その封筒には収まっていた。
 生活の為に本職の文筆業では仕事を選ばないが、ゴーストライターの印税は2乃至4%程度である。それもシュラインの手掛けた著作の多くは専門職の強い語学書や雑誌の記事等で、安定した収入は見込めない。草間興信所でのアルバイトも最近はほぼボランティア化しているし、たまに(では無いか)調査に参加しても報酬は定額どころか支払い不可能な場合も多々ある。
 だから、正規料金がきっちりと支払われるだけでもシュライン及び金運の無い草間を所長に据えた興信所には有り難い。……だと云うのに、──ドイツ貴族の金銭感覚など、自分達には一生理解出来まい。
「いくら何でも、この額は法外よ。基本料金から外れた金額は受け取れないわ。お返しします」

──ケーナズ・ルクセンブルク──

「いや、あなた達のお陰で本当に助かった。感謝の気持ちとして、どうか気にしないでくれ」
 ──……怒っているか?
 ケーナズは口ではそう云いながら、心の声では先ずそう呟いていた。
「それに私、……あの人を追い詰めた事で結果的に幻想世界の中へ居た方達に負担を掛けてしまったみたいで。そんな積もりは無かったのだけど、申し訳ないわ」
「とんでもない」
 ケーナズは軽く伊達眼鏡を押し上げ、微笑した。
「あなたの声帯模写による音声データがどれ程役立ったか。幻想世界の中では私も大人気が無かった。反省している。あのデータが無ければ、奴の事で延々揉めて悲惨な結果になっていたかも知れない。追加報酬は当然だ」
「そうは行かないわよ。あんまり甘い目を見させると、武彦さんの為にならないもの。けじめが付かないわ」
 端正な顔に知的な微笑を浮かべたままのシュラインからは、そう簡単に本心が読めない。
 勿論、彼女を相手に読心能力を行使はしない。それこそ、ケーナズがけじめとして厳しく自制している所だ。今、シュラインの意図を量ろうとしているのはケーナズの対人向け洞察能力のみである。
 ある程度の観察力と注意力があれば、何も心を覗いたりしなくともシュライン、──この端正な美貌と知性、気立ての良さまで兼ね備えた彼女が何をどう間違ってしまったか草間武彦、シュラインと零が居なければ生きてさえ行けないと思しい、怪奇探偵の異名を冠されて日々をただ嘆いて過ごしている彼に想いを寄せている事は知れる。
 そして、その草間を相手にやや性質の悪い悪戯をしている自覚が、ケーナズにはあるのだ。
 実の事を云えば、今回の依頼報酬を何故ケーナズが支払ったのかと云う事も、妹を殺されたショックやその他諸々の事情で精神的に参ってしまい、報酬の支払いどころか会社すら辞めてしまった依頼者の代わりに「ケーナズがいくらでも出す」と彼の恋人が公約してしまったと云うのもあるが、本人が気前良くその言葉に従ったのも、恋人可愛さからと云うよりもこれをネタに草間を揶揄かって遊べる、と思ったからである。
 多少の事には動じないケーナズだが、シュラインに先手を打たれるとそうそう頭が上がるものではない。彼女を苦手としているのも、ただその一点に尽きる。さて、この聡明な女性がそうした複雑な人間関係をどこまで把握しているか、だ。シュラインに非は無くそれはケーナズ自身の問題なので、ある意味自業自得であるが。
「ね? 武彦さんの教育の為と思って。それに、私は他にも良い物を貰ったから。『彼女』にはくれぐれもお礼申し上げていたと伝えてくれる? 普通なら中々チケットの手に入らないトップアイドルのコンサート、楽しみにしてるって」 
 一体どこ迄喋ったのだか、彼女。ケーナズは苦笑しながら封筒を受け取った。その際、ついシュラインから視線を反らせたのを鋭く見咎めたらしい彼女は言葉を継ぐ。
「……ところで、ケーナズさん」
 何か、とケーナズは愛想良く答えた。今度は真直ぐシュラインの目を見ていたが、その笑顔は非常に空々しかった。
「何だか、私の事避けてない?」

──シュライン・エマ──

「──、」
 ケーナズが言葉が詰まらせた音を、シュラインの鋭い聴覚が捉えた。
──矢っ張りね……。
 以前から、薄々感じては居たのだ。ケーナズとは色んな場所で顔を合わせる事も多く、彼の双児の妹とは良い友人だ。が、何故か、特に草間興信所で会った時などにケーナズが意図的に自分の視線を避けている事を。
 ケーナズの人間は信頼している。彼がエスパーであり、悪用しようと思えばいくらでも出来る能力──例えば読心だとか記憶操作だとか──を持ち合わせている事も大体は分かっているが、同時にケーナズがそれを厳しく自制し得る意思と常識の持ち主である事も知っている。だからこそ、彼が他人に対して後ろ暗い感情を抱く事など何も無いと思うのだが……。
 好い機会だ。シュラインとしても貴族の金銭感覚に甘えずきっちりけじめを付けついでに、この際だから彼にもはっきりして貰おうと。
「まさか」
 ケーナズは慎重に否定したが、何分空々しい造り笑顔を浮かべたままなので信憑性ゼロである。
「そう? とても私にはそう思えないんだけど。……幻想事件の事はともかくとして、以前にでも、私、何か失礼な事したかしら?」
「──とんでもない……、」
 否定すればする程、ボロが出る。そうは云いながらも、ケーナズの表情が「もう誤摩化し切れないな」と観念した風に変化して行くのにシュラインは気付いた。
 もうひと押し。
「本当? だったら良いんだけど。……だとしたら、何か後ろめたい事があるのは、ケーナズさんの方かしら」
 端正なドイツ貴族の青年から、溜息が洩れた。とうとう観念したらしい。
「君も人が悪いな。……怒っているんだろう、」
「……何を?」
 シュラインは本心から、きょとんと目を見開いて首を傾いだ。
 ……私、彼に何かされた事があったかしら。それとも、彼を恐がらせるような事、したかしら?
 一生懸命記憶を辿ってみても、思い当たる節は無い。一部で「草間興信所の財務大臣」と敬意を持って称されているシュラインに対し、怪奇探偵やその他極貧生活を送る調査員の面々が頭が上がらないのは仕方無いとして、金銭に困ること無く、また礼儀正しいケーナズが、何をそんなに自分を畏れる事があるだろう。
 一見色男に見えて、実際には相手へ敬意を払い、心から愛する恋人一人を大事にするケーナズがシュラインの美貌に吊られた、という可能性も却下。何より、今から彼はその恋人とのデートを楽しみに家を出た所では無いか。
 ……だとすれば?
「済まない」
 急に、ケーナズは謝罪の言葉を述べた。

「……ちょっと、訳が分からないわよ。一体何が済まないんですって?」
「皆迄云わせる事無いだろう。ほんの冗談だ。あなたから草間君を取り上げる気などさらさら無い、知っているだろう、私はこれからデートだ、勿論相手は草間君じゃないぞ。多少度が過ぎたかも知れないが、悪意は無い、それだけは確かだ」
 男女が向き合って相手から恋人を取り上げるの取り上げないのと揉めているのも妙な図である。
 だが、草間、という名前と、電話で報酬などの届けものについて自称メッセンジャーに問い合わせた時に彼女が洩したケーナズへの評価を思い出した時、シュラインはああ、とようやく気付いて苦笑した。
 嫌がらせのようにデート直前の彼を押さえるよう自宅住所をバラして日時を指定した上で、何とも姦しく「最低ー最低ー! 彼ってば女の敵よ、ついでに男の敵よ! 私のペットを取り上げようとするのよ、男の癖に! 然もルクセンブルク氏が私の弟に何したと思う!? ああ、口にするのも厭だわ、元々どうしようもない根性捻じ曲がった人間の屑だったのに、この上更に汚点を増やされるなんて思いもしなかったわ!」と嘘泣きせんばかりの勢いでシュラインに訴えていたではないか。そう云えば、そんな彼女を適当に宥めて回線を切り掛けたシュラインに「懲らしめてやって! 私の代わりに成敗して!」とか何とか叫んでいた気もする。
「成る程、そういう事なのね」
 シュラインは途端に可笑しくなって、腕を組むと余裕のある笑みを口許に浮かべて大袈裟に頷いた。ケーナズは一層余所々々しく在らぬ方向を向いてまた伊達眼鏡を押し上げている。
「ケーナズさん、彼女の弟君にまで何かやったそうね。電話口で嘆いてたわよ、あの娘」
「誤解だ。私はただ彼に説教しただけだよ。身内にまでおイタをされたものでね」
「お説教ですって? 一体、どんな風にしたものか知りたいわね」
「未成年の煙草を注意しただけだ」
 よくもまあ、ぬけぬけと。
「煙草の注意ね……。どういう態度で叱ったのか困った事に何となく想像が付いてしまうんだけど、同じような事、過去に武彦さんにしたのかしら?」
「草間君はもう成人だ。そんな訳は無いだろう?」
 問題点の微妙にずれた返事だ。が、勿論ケーナズの勘が鈍い訳ではない。
 
 ──結局。
 シュラインには適わない辺り、ケーナズもその他大勢の男性と変わる所は無いのだ。
 但し、その理由は草間のように生命線としてではなく、彼女と擦れ違い様その美貌に目を奪われるそこいらの男共とも違う。
 何だか、悪戯を咎められた子供のような表情が、ドイツ貴族の青年の美貌に浮かんだ。

「程々にね」
 莞爾と華やかな笑顔を残して手を振りながら遠離って行くシュラインを見送るケーナズの手には突っ跳ね切れなかった基本料金超過分の大金を収めた例の封筒が在る。
 不意に、シュラインは立ち止まって「そうそう、」とケーナズを振り返った。
「……、」
 シュラインは片手の親指をぐっ、と立て、悪戯っぽく片目を瞑って見せた。

「Gute Reise !(行ってらっしゃい)」

 適わない。ケーナズは苦笑しながら溜息を吐き、シュラインの姿が見えなくなると気分を取り直した。
 こうきっちりと法外な報酬を突き返されてしまってはそうそう草間を苛めて遊ぶ訳にも行かないが、──まあいい。
 今から、デートだ。
 完全に遅刻だ。早く、彼女を迎えに行かなくては。

「──……、」
 表通りを独り歩くシュラインを、青い車体が追い越した。
 シュラインは追い抜き様、オープンルーフのポルシェから軽く手を振った金髪の青年へ苦笑を投げる。
──お忍びデートだと云うのに、また随分と派手な……。
 それでも、とシュラインは軽く前髪を掻き上げた。
 既にケーナズを疑う気は無い。
──ただ、少し羨ましい。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
x_chrysalis クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月24日

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