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『青空と牡丹 』
氷女杜・冬華2053

「あっ…そう言えば『ボノム・ド・ネージュ』って、どういう意味なの?」
 彼女は振り返って、今思い出したように付け加えた。
「え…ああ、店の名前ね。雪だるま――ていう意味よ」
 私の開いているフルーツパーラーの店先、彼女は「なるほど…」と頷いて手を振る。心を暖めてくれる満面の笑顔を残して、彼女は路地を曲がって行った。背中が消えるまで見送って、空色と白で統一された私の店を見上げた。
 秋も終わりの空は、灰色の雲を横たえている。もうそろそろ冬。
 ライトを灯した立看板には『ボノム・ド・ネージュ』のアルファベット。私は文字にそっと触れ、遠い昔の想い出にゆっくりと身を浸していった。

                        +

 ――雪女郎の血を継ぐ者。
 周囲の人間と異質であることに気づき、その境遇に苛立ちを感じ始めていた十二の頃。
 私は人との接触を避け、ひとりでいることが多かった。人々の好奇の目にも反劣の目にも晒されたくはない。今思えば、笑うことなどほとんどなく、ずいぶんと笑顔のない少女時代を送っていたように思う。
「なぜ、私はこんな能力を持っているの!? 普通で良かった…何もいらない、何も欲しくないのに……」

 そんな折、私はひとりの少年に出会った。
 隣村から『しゅぎょう』に来たと、くったくのない笑顔で告げた少年。春には小学校に上がるという。
 知られたくないと思った。
「お姉ちゃん! 一緒に遊ぼうよ」
 そんな言葉を掛けられたことなど、あったかどうかさえ思い出すことができない。彼の大きな瞳はまっすぐ私を見つめている。私を取り巻いていた人間が持っていた、あの黒く歪んだ部分をまったく感じさせない表情。そして、優しい態度に私は心が開かれるのを感じ始めていた。
 それは、日を追うごとに大きく広く開け放たれていく。
「ここってさ、粉雪ばっかりだよね」
「そうね…でも、ほらサラサラして綺麗」
 雪の降った日は村中の氷柱を落して回ったり、小川に雪を落して消えて行く様を眺めたりした。楽しかった。どんな遊びよりも彼といることが本当に嬉しく、笑顔をつくることすら忘れていた私を笑い上戸に変えていた。
 一方で、彼が素直な心で接してくれればくれるほどに、秘密を抱えたままの自分が切なく苦しかった。

「僕、東京で暮らすことになったんだ……」
 それは突然の言葉だった。耳から入って脳に辿りつき、私がその意味を理解するまでにかなりの時間を要した。
「――い、いつ…なの?」
 ようやく声にして見つめた。彼は少し背が低いから、俯き加減の私とどうしても目が合ってしまう。言い出しにくそうに視線を外して、
「三日後なんだ……」
 私は逃げ出したかった。信じたくなかったから、涙が零れてしまうから……。
 ようやく手にした暖かな笑顔。それが遠くに行ってしまう、もう逢えないかもしれない――泣き出しそうな空が私の上で困っていた。
 頷くこともできないでいると彼は言った。
「そうだ!! 最後に一緒に雪だるまを作ろうよ!」
 明るい声。沈んでいる私を勇気づけようとしてくれている声。私は精一杯それに答えなければと思った。
 でも――この地方は粉雪の降る土地柄。今、降り積もっている雪もサラサラと崩れて形にはならない。雪だるまを作るなど、到底無理なことなのだ。
 私は意を決した。想い出が欲しい、彼の心にしっかりと残る想い出。だから、しなければならない――嫌われてもいいから。
 両手を空にかざすと、身体全体から冷気が溢れ白いモヤが私を覆っていった。彼をも飲み込んで一面に広がる。一度これ以上にないほど濃密になり、やがて緩やかにモヤは薄くなった。彼の姿が視界に戻ってきた時、空から白い結晶が降り始めた。
 それはこの土地では初めての現象。
「これ、牡丹雪……。――お姉ちゃんが降らせたんだよね?」
 使ってしまった雪女郎の力。あれだけ拒絶していた力なのに。彼が以前と変わらぬ笑顔を向けてくれている、その事実が胸の中を暖かくしていくのを感じた。
「僕、初めて見たよ! ありがとう……」
 はっきりと告げられた感謝の言葉。私は堪えようのない嬉しさの中で、彼と一緒に雪だるまをつくった。
 力を使うことで、誰かを…自分を幸せにできるのだと初めて知った日。

 そして、彼の旅立つ時がくる。
 泣くまいと心に決めていたのに、彼を前にすると涙が浮かぶ。零れ落ちないように、僅かに視線を上げ空を見ていた。
「僕、あの牡丹雪を忘れないから」
 雪だるまはまだ、作りたてのままにそこに立っている。そっと差し出された小さな手。
「……あ、ありがとう。元気…でね」
 両手で握り締めた。堪え切れなくなった涙が一粒、頬を伝う。
 それをそっと彼の指が拭いて、
「やっぱりお姉ちゃんは笑っているほうがすてきだよ」
 と手を振った。
 私は彼が見えなくなるまで手を振り続けた。
 粉雪がまた、雪だるまの上に降り積もるのを見つめながら――。

                     +

 灯り始めるネオンサイン。
 見上げた空には、あの時の青空から降った牡丹雪と同じ、大きな結晶が光り舞っていた。
 あの時の「雪だるま」はここにいるわ。
 私の心と、私の大好きな人が集まる――この『ボノム・ド・ネージュ』に。


□END□

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初めまして、ライターの杜野天音です。
この度は、依頼ありがとうございました。雪女郎というのは、なんだか雪女よりも知的な感じがしますね。
大事な想い出を書かせてもらえて光栄です。お気に召されたら良いのですが。
それではまたお会いできることを祈っております。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
杜野天音 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月23日

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