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『Have you ever been in love? 』
ウィン・ルクセンブルク1588)&月見里・豪(1552)
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■―――Have you....?
「……あ」
液晶画面に浮かんだ文字に視線を落として、ウィンはしばし息を止めた。
メールは「よう」なんて味も素っ気もないタイトルで、文面も同じようにそっけない。「最近連絡ないけど、元気でやってるか?」という出だしで始まり、「たまにはウチの店にも顔出しや」と結んである。
送信者は「月見里・豪(やまなし・ごう)」となっている。彼が勤める六本木のホストクラブで知り合ってから、付かず離れずの距離を置いて付き合いが続いている青年だ。
以前は頻繁に彼の店を訪れていたのだが、最近は他の事に心を奪われていて足が遠のいていた。豪は、連絡の途絶えたウィンを心配してメールを送ってきたらしい。
文面の端々から窺えるその優しさに、ウィンはわけもなくじんとした。そういう自分を振り返って、やはり気持ちが弱っているのだろうと思う。
精神的な疲労は、およそ半年振りに、彼女が恋した相手が原因である。
ウィンの恋の相手は年下で子どもっぽくて、精神年齢と来たらきっと小学生と変わりなく、つまりおおよそ本来の彼女の好みからかけ離れている。相手がこちらを見ているのに、その瞳が彼女の姿を宿していないのは、思った以上に辛い。それならいっそこちらを振り向かないでいてくれたら、もっと強気になれるのだ。
うまくいかない恋の駆け引きに、ウィンは弱気になっていた。
話を黙って聞いてくれて、なんだかんだといいながら結局彼女を甘やかしてくれていた兄とは、色々あって昔のように馴れ合うこともあまりない。そんな状況に慣れていないウィンは、だから兄に相談するわけにもいかずに、悶々とした日々をすごしているのだった。
わずかにボタンを押す手を止めて、ウィンはもう一度画面を見た。白い背景で、黒字の文字だけが、静かに彼女の返事を待っている。
「今晩、行くわ」と短く打って、彼女は返信ボタンを押した。

□───Have you ever...
「待っとるで」とあのあとすぐに返事が返ってきた豪は、ウィンのために時間を作ってくれたらしい。店の人気ナンバーワンの彼に指名が入らないわけがないのに、「今日はあかん、フラれっぱなしや」と笑いながらウィンを席に案内した。
明るい声は、いつもと変わらないはずなのにどこかぎこちない。それでもドンペリで乾杯したウィンが「今日は飲むわよ〜」と宣言したので、店はたちまち華やいだ雰囲気に包まれた。
「元気でやっとったん?最近全然顔見せんかったやないか」
おきまりのような社交辞令と少しの会話のやり取りの後で、にこやかな笑みを浮かべながら豪はウィンの顔を覗き込んだ。相変わらず商売用の笑顔はそのままだが、瞳の奥には心配そうな色が浮いている。
ウィンが空元気を装っていることを、豪は早いうちから気がついていたらしい。そう思ったら、無理をしてでも頭の外に追いやろうとしていた考えが心に舞い戻ってきて、ウィンは小さくため息をついた。
時々、少し離れた席でどっと笑い声が沸き起こる。店の中は落ち着いた雰囲気で、同時に夢を求めてやってきた誰もが楽しそうだ。そんな周囲とは対照的にウィンの心は沈んで行き、アルコールのせいで身体ばかりが熱くなってくる。
「ちょっと、色々あって」
誰にでも同じように笑ってみせる青年の横顔を思い出して、ウィンはくしゃっと顔を歪ませた。笑おうとしたつもりだったが、中途半端に泣き顔になって、上手く笑えたかどうかもわからない。
酔った人間特有のゆっくりした口調で、ウィンは恋をしてしまったのだと豪に告白した。
それも、かけひきや会話の裏側を楽しむような恋とは違う。右も左もわからなくて、どうしたらいいのかわからずに立ち尽くしてしまう類の恋だ。
「もう子どもじゃないのに、今更何をしてるんだろうって思うの」
98年もののバタール・モンラッシェは、グラスで静かに揺れている。そこに視線を落としながら、ゆっくりした仕草で髪の中に指を差し入れ、ウィンは笑い混じりに髪を掻き上げた。
「頭が良くて、大人の男の人が好きなのよね。学問の話とかにも付き合ってくれたり」
ウィンにとって、理想の男とはそういう人間だったのだ。彼女のひたむきな気持ちをおおらかに受け止め、同時に知的欲求も満たしてくれる……そういう相手と一緒になれたら、といつも思っていた。そして実際、今まで彼女が付き合った相手は、そういうタイプが多かったのだ。
が…………
「そういう人とちゃうんか」
「もう、ぜーんぜん」
大げさに手を振って、ウィンは声を上げて笑う。豪が聞いているのは確かに笑い声のはずなのに、ウィンの笑顔はやはり寂しそうだ。思わず手を伸ばしてウィンの手を取ったが、彼女はそれを振り払おうとはしなかった。
「兄の友達なの」
「ああ。……。あの、……あの兄さんのな」
豪はなんとも言えない表情になった。「あの男の友人ならそれはどんな奇人でも驚かないで」と思ったか、「女性に興味ないとかいうオチかいな?」と思ったかは、本人のみぞ知る話である。どちらにしても、それは面倒な相手だろうな、とちらりと見せた苦り顔に書いてある。
ウィンは、テーブルに視線を落として辛そうに眉を顰めている。
「子どもみたいな人なの。ふらふら〜っとどっかに行っちゃって、人にいいように利用されてもにこにこしてて。放っとくと、崖でも沼地でも、トラがいそうなジャングルでも、蝶を追いかけて入っていっちゃうような人なの」
黙って耳を傾けていた豪は苦笑した。
「好いた惚れたは心が決めるもんや。自分で決められるもんやないとはいえ……そら、面倒な人を好きんなってもうたんやなぁ」
「ホントよ。私の好みからはぜーんぜん、遠いんだから」
苦笑して言ってみせるが、ウィンも本当は知っているのだ。自分がなぜ恋に落ちたか。

ウィンが恋をした青年は、ウィンや兄が、彼らの生い立ちや育ちゆえに向けられてきた差別とか前提とか偏見とか、またそれらから自分の身を守るために双子が築いた心の檻とか、そういったものをすぽんと乗り越えてやってきたのだ。
彼にとってはウィンもウィンの兄も、他の人間と変わらない存在だった。彼女らの特異な事情や秀でた顔立ちも才能も、彼の中では「それぞれの性格と個性」以上の重みを持たない。
きっと「自分たちは他と違っている」という認識を、彼にはいくら言葉を尽くして説明しても、わからないのだろう。まるで異世界から来たエイリアンのように、生い立ちの複雑さとか、人種の違いとか、そういったものを飛び越えたところに彼はいるのだ。
そしてふらふらと幸せそうに、ウィンや兄に笑いかけてくる。
「振り向いて欲しくて、いろんなことをするのよ」
「振り向いてくれへんのか?」
違うの、と首を振って、ウィンは俯いた前髪で表情を隠した。モンラッシェの白ワインもとうとう空になり、もっと飲むと言ったウィンに、豪はグラスを持ってこさせた。赤金色の辛口のコニャックは、口に含めば酔った舌を刺激する。いつもなら楽しむ酒の香りも、今晩はウィンのため息に消えた。
「声をかけたらいつだって振り向いてくれるのよ。呼んだら絶対来てくれるの。……でも彼は私だからそうするわけじゃないわ」
誰にでもそうするのだ。平等に、誰にでも優しい。
でも、それは見られていないのと一緒だ。自分が相手にとって、大したことのない存在だと言われているのと同じなのだ。
だからウィンは、少しだけ兄が羨ましい。
ウィンを含め、女性が何かを頼めば、彼は嫌な顔というものをしない。大抵は「喜んで」と答えて、本当に嬉しそうに頼まれたことを遂行する。
だが、同じ台詞を兄が言った時、彼の反応はまちまちだ。「自分でやれよぅ」と文句を言ったり、「しょうがねぇな〜」と言ってみたり、時には我侭を言ったり拗ねたり甘えたりする。そういう表情の変化を、彼はウィンには見せてくれない。
彼を怒らせたくて意地悪をしてみても、捨てられた子犬のような顔をするだけなので余計に罪悪感が芽生えてしまう。
「……どうしたらいいのかしらね」
彼に等身大の自分を見てもらうには。女の子は天使だからと公言して、女性ならば誰にでも平等に優しい彼を振り向かせるには。
今も彼は、どこかであの明け透けな笑顔で、楽しそうに誰かと話しているのかもしれない。
そう考えると、胸が痛かった。

───いつの間にか、閉店時間が迫っていた。未だに名残惜しげにホストたちを引き止める客を、彼らは愛想良くあしらって少しずつ店を片付けていく。
ウィンと豪との間に、天使が通った。しばらくの間、二人は次の台詞を探しあぐねて、店員が客を見送る声や、カウンターの片付けの音を聞いていた。
「……ほんなら」
「豪」
二人の言葉が重なった。豪に次の台詞を言わせる前に、ウィンは彼の肩に額を押し付けて握り合った手に力を込めた。ゆっくりと、豪の手はウィンの背中に回って、優しく彼女を抱きしめる。優しい彼は、色々なことを承知した上で、ウィンを甘やかしてくれる。お互いに言葉を交わさなくても暗黙の了解があるので、ウィンは安心してその腕に身体を委ねられるのだ。
これはただの逃避なのだと、自覚している。弱い自分は一人でいることに耐えられなくて、目の前で優しく話を聞いてくれるこの男に、全てを委ねてしまいたいだけなのだ。
「……寂しいの」
自分でも驚くほどにその声は弱く頼りなくて、酔いのせいだと言い訳をする。そしてウィンは、滲んだ視界を遮るために目をつぶった。
コロンの香りのする豪の腕が、そっと彼女の身体を抱きしめる。
恋をしているあの青年のように、自分が何も知らない女で居られたら、抱きしめてもらうだけで全てが済んだのにと、ウィンは思った。
それが出来ないのならばいっそ、この夜が全てを流し去ってくれればいい。

■───ever......
夜でも煌々と光を放って人を誘うシティホテルに誘われて、行き着く先は決まっている。
酔いの回った身体をしっかりした男の腕に支えられて、きっちり整えられたベッドに二人で縺れるように倒れこんだ。
「酔ってるかしら、私?」
「ちょっとな」
薄闇で見上げる男の顔は優しい。大きな掌で髪を撫でられて、とても自分が幼くなったような気がして目を閉じた。
「私が、彼と同じくらい何も知らないでいられる子どもだったら良かったのに」
胸にどうしても塞がらない穴が空いている。
いくら色んなものを詰め込もうとしてみても、ピースの欠けたパズルのように埋まらない。そのぽっかりした穴をどうにかする方法はたった二つなのだけれど、欠けたピースを手に入れることも、パズルのことなど忘れることも、今のウィンは出来ないでいる。
だから、代わりに腕を伸ばした。胸に空いた穴のことを考えないように。
奔流に身を任せることで、今だけは寂しい想いをしないですむように。
胸に抱きしめる温もりがあるだけで、胸の痛みは和らいでいくような気がする。
闇の中で、静かに豪が囁いた。
「少しの間忘れさしたるわ。今は俺だけ見とりや…」

□───been in love?
夏も過ぎて、秋も深まる夜明け前の街は静かだ。
朝の訪れを前に夜の闇に埋もれたきらびやかなネオンもライトも払拭されて、足音すらも新しく感じる。
「ここまででいいわ」
まだ電車の通っていない駅と、人の姿もまばらなタクシー乗り場が見えるところまで来て、ウィンは足を止めて豪に言った。豪の帰り道は逆方向なのに、ウィンのためにここまで歩いてきてくれたことを彼女は知っている。
「ここまで来たんや。別に気にせんでええんやで」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと風に当たって待つことにするから。流石に昨日は飲みすぎたわ」
「最後のカミュXOが効いたな。酒は水とちゃうんやで」
言った豪は笑っている。
もう一度「本当に付き合わなくていいのか?」と確認してから、彼はポケットに手を突っ込んだ。
「はい」
「何?」
上向きにされた手のひらに、銀色の硬貨を二枚載せられる。
150円。
「お茶でも買って、待ってたらええやん。あたたか〜いにするんやで。あたたか〜い」
自販機に書かれている「あたたか〜い」を真似して豪が言うので、思わず笑った。
そして笑いながら別れられることに、少しだけ自信を取り戻す。
「奢られておくことにするわ。ごちそうさま」
「おそまつさん」
ひらりと手を振って、豪はウィンに背を向け、来た道を戻っていく。
階段下、タクシー乗り場にある自販機に足を向けながら、ウィンは唇を噛んだ。
してしまったことを悔やんだわけではない。逃避と分かっていて流れに身をおいたのは、他ならぬウィンなのだ。
やはり自分がもっと子どもで、今よりももっと自分の感情の始末のつけ方を知らない少女だったら良かったのにと思う。
身体を重ねる事で楽になることがあるということを知らずに居られたら、自分の弱さに自己嫌悪を感じることもなかったのだろう。
だが現実は、ウィンは自らの気持ちを宥める術を知っている。実際、気持ちは大分楽になっていた。
自販機で買う「あたたか〜い」の缶ジュースは、ぽっかり空いたウィンの心の穴も埋めてくれるだろう。
そうしたら、彼にまた声をかけよう。ついつい苛めてしまったあの青年は、次に会ったらウィンの意地悪など忘れたような顔で、にこにこと笑ってくれるだろうから。


- have you ever been in love? -


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2003年10月20日

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