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『正射必中 』
天樹・昴2093)&矢塚・朱姫(0550)

 まだ思い出に浸るには早過ぎる、そう思う時もあるが、誰でもふとした時に少し過去の事を思い出したり思い返したりするものだ。大抵はこんな昼下がり、誰も店には居ないのに店の外には人通りがある穏やかな午後、そこを歩く見知らぬ人々にも、それぞれひとりひとりに色々な想いや記憶があるのだろうな、そんな事を思う時に、ふと思い出すのだ。だから決して厭な思い出ではなく、こんな暖かな日差しに似たような温もりを持つ思い出。それは、単なる懐古主義で昔の思い出に逃げ込むのではなく、今の幸せを噛み締める為に、自分に言い聞かせるような、そんな思い出の反芻なのだと昴は思った。

 それは確か、こんな麗らかな日差しの午後の事だった……。


 「こんにちは!」
 元気のいい、澄んだ張りのある声が響く。その声に惹かれたよう、店の奥から昴が顔を覗かせると、そこに居たのは一人の少女だった。花屋のエプロンを身につけ、両腕に一抱えもある大きな花篭を抱えた少女、それはバイト中の朱姫の姿であった。
 「あれ、初めての方ですよね。こんにちは。店長の天樹・昴です」
 店の奥から出て来て、花篭を置く場所を指定しながら昴が朱姫を見詰める。花篭を注意しながら棚の上に置き、一息付いた朱姫が、にこりと快活に笑みを向けた。
 「今日はいつもの配達担当のバイトが休みなので、代わりに私が。初めまして、矢塚・朱姫だ。たまには違う仕事をするのもいいものだな。気分が変わってこれはこれで楽しい」
 「あはは、そりゃいつもいつも同じ事の繰り返しでは飽きるでしょう?俺の仕事もあなたの仕事も人と接する仕事だから、本当の意味での繰り返しではないだろうけど」
 「そうなのだが、何故が私には似たような仕事しかさせてくれないのだ…私が役立たずなのだろうか」
 零すように朱姫が呟く。そんな様子を、昴は目を細めて笑みと共に見詰め返した。
 「きっと皆に大事にされているんですよ」
 「まさか、そんな大層な者ではないぞ、私は」
 昴の言葉に、朱姫が可笑しげに笑い声を立てる。その涼やかな声に釣られて、昴も笑った。が、そちらに意識を集中していた所為か、花篭の位置を直していた手を滑らせて、危うく配達したてのアレンジメントを台無しにしてしまう所だった。
 「おっとっと……危ない危ない」
 「見掛けに寄らず、危なっかしい所もあるのだな」
 昴の黒い瞳の中を覗き込むようにして、しみじみと朱姫が言う。昴は、普段はその見掛け通りに頼りがいのある頼もしい男なのだが、ふとした拍子に時折抜けた事をしてしまう事があった。それがまた、昴の魅力の一つでもあったのだが。昴は肩を小さく竦めると、こそりと内緒話をするように自分の口許に片手を宛った。
 「…そう、実はこれで苦労してましてね…昼行灯だのなんだのって、ヒドイ事を言う人もいまして……」
 「昼行灯か、それは言い得て妙な」
 朱姫の、実にあっさりとした返答に、ヒドイなぁと昴は眉尻を下げて笑った。

 「あ、話し込んでしまいましたね。お仕事の邪魔をしてしまいました」
 「とんでもない。邪魔をしたのは私の方だろう。…では、申し訳ないが、清算の方を……」
 そう言いながら朱姫がエプロンの大きめのカンガルーポケットを探る。中でじゃらじゃら音がする所を見ると、小銭が直接その中に入っているらしい。レジでアレンジメントの代金を支払おうとする昴の顔が、ん、と少しだけ困ったような表情になった。
 「どうかしたのか?」
 「…あ、いや……生憎と細かいのがないんですよ。一万円札からでもいいでしょうか?」 
 「構わない。丁度、先の配達先で細かくして貰ったばかりだ。運が良かったな」
 にこりと笑う朱姫の表情に、昴も微笑み返して頷く。レジから出した札を朱姫の方へと差し出した。
 「これが世に言う、日頃の行いが良かった、って奴でしょうか?」
 「そうかも知れないが、自分で言ってしまってはその価値も下がってしまうのでは?」
 ありがとう、と礼を告げながら昴から一万円札を受け取り、まずは千円札での釣りを返す。ついで、小銭を出そうとしたのだが、ポケットに突っ込んだ片手が引っ掛かり、その反動で手の中に握った小銭を景気良く床にばら撒いてしまった。
 「あッ!?」
 「ああっ、大丈夫ですか?」
 二人同時にそう叫び、そして二人同時に、散らばった小銭を拾おうとその場にしゃがみ込む。二人とも視線は床の小銭に向けられていた為、互いの間の距離なぞに気を配る余裕などなく。当然、結果として起こりうる事象はと言えば。

 ごん!

 「ッ!?」
 「い、痛……」
 からから…と十円玉が回転をし、次第に回転は鈍くなって、やがてその動きを止める。目の前に星が散る、と言うのはこう言うのの事を言うのだろう。二人は派手に額同士をぶつけ合い、暫くは向かい合ってしゃがみ込んだまま、自分の額を手で押さえていた。
 「朱姫さん…だ…大丈夫ですか……?」
 顔を顰めたままで、昴は目前の朱姫を見る。半分涙目になりながら、朱姫も潤んだ金色の瞳を昴へと向けた。
 「わ、私は大丈夫…それより、昴こそ…」
 「俺は大丈夫…見掛けに寄らず、石頭なので」
 先程の朱姫の言葉を踏まえてか、そんな事を言って笑う。朱姫もそれに気付いて、しょうがないなと笑い返した。


 その数日後の事。昴は近くの高校の職員室へとコーヒーの配達を頼まれ、シルバートレイの上にカップ等を乗せてやって来た。何度か来た事のある場所なので迷う事もなく、行き過ぎるセーラー服の女子高生に時折視線など向けながら職員室へと真っ直ぐに向かう。仕事を済ませた後、時間に少し余裕があった所為か、少しだけ遠回りをして帰ろうと思い立った。今から思えば、実際は暇な訳ではなかったのに何故そんな気分になったのか。あえて言えば、何となく何かに導かれるように、昴は校舎の裏へと回って行ったのであった。
 校舎裏には人影もなく、しぃんと静まり返ったそこには神聖とも思えるような静寂さが広がっていた。その清らかさはどこから漂ってくるものなのか。それに興味を引かれて昴が歩みを進めると、目前に一つの建物が現われた。それは弓道場のようであった。話には聞いていても、実際に目にする事は余り無いだろう、弓道と言う古式ゆかしいスポーツにも興味を覚え、昴はそっと開いたままの扉から頭を覗かせる。そして、そこに広がる壮言な雰囲気に、そっと息を飲み込んだ。

 最初、昴は射位に立つ人物が朱姫だとは気付かなかった。店で会う時の、綺麗と可愛いの入り交じったような、ある意味自分と似た部分を持つ、天然っぽい魅力の少女とはまるで別人のようだった。だが、こうして見ると、これが彼女の本質であるような気もするのだ。彼女の、内なる秘めた芯の強さ、本当の意味での逞しさ。霞的を見詰めるその視線の方が、構えた矢尻よりもずっと鋭く中央の中白を射貫いていた。
 「………」
 思わず昴は、必要な呼吸さえも潜めて朱姫の動向を見守る。昴が覗いた時には、既に朱姫は弓構えに入っていた。凛と張り詰めた空気、それは緊張感漲るものではあったが、必要以上の重苦しさはなく、仕立てのいい和服をきっちり上手に着こなした時の、背筋が自然にぴんと伸びる、あの楚々たる心地好さに似た感じがあった。打ち起こしから引分け、そして会。一連の動作が淀みなく、滑るように進んでいく。朱姫の視界には目前の霞的しかなく、それに無意識に嫉妬に近い感情を覚えてしまう事に、昴は自分で驚いた。
 やがて暫し無音の間が続く。その間に静かに溜めた心気を、朱姫は矢と共に的に向けて放った。
 ザッ!
 微かな音がして、朱姫の放った矢は中白を真っ直ぐに射貫いていた。残心も凛々しく、朱姫は余韻に身体と心を張り詰めさせたままでいる。ふわり、と柔らかく吹いた風が、彼女の黒髪を少しだけ舞わせた。
 ふぅ、と昴はようやく緊張をといた。そして、朱姫に気付かれぬよう、その場を静かに立ち去る。見つかっても別に疾しい事をしていた訳ではないが、何となく、この場はそっとしておきたいような気分だったのだ。内緒の秘め事、それも自分の中だけの。ようやく手に入れた大切な宝物のように、昴は今見た朱姫の姿を、その胸の内に抱きかかえて帰って行った。


 あれからどれぐらいの時が経ったのだろう。然程過去の話では無い筈だか、とても昔から知っていたような気もすれば、まだついこの間知り合ったばかりのような気もする。それは互いに、少しずつ新たな面を見せたり見せられたりしている所為かもしれない。
 客の居ない喫茶店のカウンターで、頬杖を突いて外を歩く人の姿を眺める昴。そこに、いつものように花屋のエプロンを付け、アレンジメントフラワーを抱えた朱姫が現われた。微笑む昴に、どこか照れ臭そうに、でも凛とした笑みを向ける朱姫。何度逢っても、いつも初対面のような初々しさと、遥か昔からの旧知己のような気安さ。扉が開いて、元気のいい、張りのある澄んだ声が響いた。
 「こんにちは!」
 
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
碧川桜 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月20日

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