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『日々これ好日 』
天波・慎霰1928)&伍宮・春華(1892)

 そこは管理する人間が居るのかどうかも分からないような、寂れた神社だった。元より小さな小さな神社であったし、特に守るべき歴史的価値のある建造物などが無い為だろうか、誰も手を加える事も保つ努力もされた事がないようなこの場所は、いかにも鬱蒼と怪しげで滅多に人が立ち入ったりはしない。夏になると、物好きがそこで細やかな肝試しをする程度の物寂しい場所だった。
 「…だからか、いかにも慎霰らしいよなー」
 「どう言う意味だ、そりゃ」
 むー。と口を尖らせた慎霰が寝床代わりにしている社の軒下で横に寝そべった。その傍ら、張り出した縁側に腰を下ろし、春華が笑う。
 「怒るなよ。悪い意味で言ったんじゃないんだぜ?ここは静かだし人目に付かないし、のんびり過ごすにはイイんじゃないかって思っただけさ。野宿すんのに、目立ってもしょうがないだろ?」
 「おお、物音はしねェし誰も殆ど通り掛からねェ、もし俺が通り魔に遭遇して、憐れブッ殺されても、誰にも気付いて貰えねェで数日過ごして腐乱しちまうかもなァ」
 「んな、黙ってヤられるような殊勝なタマかってーの」
 からからと景気良く笑う春華に釣られてか、慎霰も笑い声を立てた。ふと、春華が笑い声を潜めて慎霰の方を見る。
 「まぁそれはいいとしてさ。慎霰、俺んちに来ないか?」
 「おまえんち?っつうか、おまえもどっかに居候してんじゃなかったっけ?」
 訝しげに眉を顰めながら、よいしょと身体を起こした慎霰が、春華と並んで縁側に足を投げ出した。距離の近くなった慎霰の黒い瞳を春華の赤い瞳が捉え、ニッと口許で勇ましく笑う。
 「そうだよ。だから別にもう一人ぐらい増えたってヘイキだろ?一人も二人も変わらねぇって!」
 にこやかにそう言い切る春華のその自信に根拠などある訳もなく。だが、それに対して慎霰が異議をとなえる訳もなく。いずれにしても同居人の意向は最初からあって無いようなものだから、一向に構わないらしいのであった。


 「…へぇ、イイトコ住んでんだなぁ、春華」
 「だろ?まぁ狭いとこだけど、住めば都っつうし。さ、上がれよ、遠慮しなくていいって!」
 勝手知ったる他人の家…と言うか今は一応春華の家でもあるし…と言うか、そうでなくても我が物顔なのはいつものことなので、同居人も既に見て見ぬ振りである。新聞を広げたまま、友達を連れて帰宅した春華に『おかえり』とは言ったものの、その後の会話は聞かない振り聞かない振り…。そんな同居人の態度の理由を理解し切っている春華なので、まずは何も言わないで慎霰を案内してマンションの広いベランダへと出て行った。勿論、窓は開けっ放しである。天狗の二人を慕ってか、吹き込んでくる風が同居人の広げた新聞をばさばさと煽った。
 「うお、イイ眺めだなー!さすが、高い位置にあるマンションだ、ここなら空気も多少は澄んでる。キモチイイなー」
 「マンションってヤツは、どうやら階が上になればなる程高価なんだってよ?」
 「へェ、じゃあココは最上階だし、このマンションで一番豪華なんだな。春華、おまえの家主は金持ちなんだなー!」
 「まぁな、それに結構イイヤツなんだぜ?」
 さてはヨイショ作戦か。同居人が、顔の前に広げた新聞がさっきから全然次のページに捲れてない事に、春華はちゃっかり気付いていた。
 「やっぱさ、アレじゃん。俺達みたいなチト境遇の特殊なヤツらはさ、そう言うのを分かってくれるヤツんとこにいるのがいいと思わないか?」
 「ああ、それは俺も思うね。家に帰って来てまで気ィ遣うのはヤだもんなー。俺達だって安らぎたいっつうかね?」
 「そう言う意味では、ここは条件ばっちぐーなんだよなあ」
 なんだよなあ…の辺りで春華がちらりと背後を盗み見る。その視線に気付いたか、同居人の広げた新聞がぎくっと微かに震えた。
 「なあ、慎霰」
 「ん?」
 春華の呼び掛けに、ベランダの手摺りの上に乗っかって外側に足を降ろし、空を見上げていた慎霰がやや下方になる春華の顔を見降ろす。春華が手摺りの上に頬杖を突いて、マンションに程近い、ネオンも眩い繁華街の辺りを指差した。
 「あの辺…人も家も車も多そうだよな……あの辺りに竜巻とか起こしたら、面白いかなあ」
 「ああ、そりゃもう、木の葉みてーに散り散りに舞い飛ぶ様子なんか、面白いと思うぜ。風の力っつうのは思ったよりも強力だからな。ヒトもクルマもひとたまりもねェぜ?」
 なぁ…の辺りで春華と慎霰がちらりと同時に背後に視線を向ける。と、同居人の新聞が何やらふるふると震えているように見えた。それは何かに打ち拉がれているようでもあり…諦めに悲観するようでもあり…。
 勝った。がしっと片手同士を握り合って勝利を確信する二人であった。


 ちゃぷん。雲一つなく、星が綺麗に見える夜空に、どこからか白い湯気がもうもうと立ち昇る。その湯気に見え隠れする星を見上げながら、慎霰がドラム缶の縁に片肘を掛け、頭の上のタオルで顔を拭った。
 「…にしてもさっきのメシ、美味かったなぁ!おまえ、いつもあんな豪華なモン食ってんの?」
 「ん、まぁな。ま、豪華っつっても大した事ねえけどなー」
 慎霰の感動の元は、先程済ませた夕食である。人間界での生活に慣れてない訳ではないが、それ程深くも関わっていなかった慎霰にとって、今夜の食卓は今までなかなかお目に掛かれなかったぐらい豪華なものだったらしい。テーブルに並んだ料理の数々に、その黒い瞳をキラキラとさせて表情を緩めた。
 「すげェ……美味そう……」
 「や、それ程でもねぇけどさ、ささ、遠慮しないで食えよ!」
 と、言ったのは勿論同居人ではなく、春華である。作ったのも当然春華ではなく同居人で、元よりマメな性格なのか、何のかんの言いながらさっきから甲斐甲斐しく給仕して回っている。春華には逆らえない、振り回されていると言いながらも、根本では春華の憎めない愛嬌に、ついうっかり全て許してしまう状態なのだろう。そこに慎霰が加わった事で、更に振り回される事必須なような気もするが、それは取り敢えず意識の片隅に追いやって…。
 そんな楽しい夕餉も終わり、ここは先の同居人のマンションの屋上である。最上階の部屋であるので、屋上もプライベートスペースなのだ。ここに、慎霰が野宿先で作り掛けていたドラム缶風呂を持ち込み、食後の露天の星見風呂と洒落込んだのである。
 二つ並べたドラム缶風呂からは温かそうな湯気が舞い昇り、外気のひんやりとした涼しさが丁度いい具合で顔の火照りを冷ましてくれる。瞬く星を一緒に見上げ、しばし二人は漆黒の天空を黙って見詰めた。
 「何か、…楽しいなぁ」
 ぽつりと慎霰が呟く。同居が決まった事でこれから始まる春華(と同居人)との共同生活には、困難とかトラブルとか諍いとか、そんな事は一切思い浮かばなかったのだ。想像するのは楽しく愉快な日々ばかり。それは、春華とて同じ事だったのだろう。慎霰の呟きに、隣のドラム缶風呂に浸かったままで勢いよく頷いて、頭の上に乗せたタオルを落とし掛けた。
 「楽しいに決まってるさ。俺と一緒なんだからな!」


 4LDKのうちの一室が二人に割り当てられ、そこに今夜は二組布団を並べて敷いた。寝間着代わりの浴衣を着た春華が、長風呂で火照った身体を布団の上に投げ出していると。
 「はーるか」
 「ん?」
 名を呼ばれ、春華が薄目を開けると、その顔の上に慎霰がふざけて枕をぼふッと覆い被せた。息苦しくてじたばたと暴れる春華を見て笑い声を上げる。隙を見て枕の下敷きから抜け出た春華が、報復とばかりにもう一つの枕を慎霰の顔面目掛けて投げ付けた。クリティカルヒットした枕に目をぎゅっと閉じた慎霰が、片目だけ眇めて春華を睨む。
 「ッぷ!なにすんだよ!」
 「っざけんなよッ、先に手を出して来たのはそっちだろーがよ!」
 喧嘩しているような遣り取りだが、その声には笑みが混じっている。笑い声と共に狭い空間で二人が吹き上げる突風が、枕を巻き上げては敵(?)に向かってすっ飛んで行く。風は当然、枕や布団、シーツだけでなく、室内の装飾品や何かも巻き込んでそりゃもうとんでもない状況に……だが二人にとってはそれさえも笑いのネタでしかなく、舞い飛ぶ枕の羽毛に塗れて、夜半過ぎの星空に、二人の楽しげな笑い声が吸い込まれていった。


 次の朝、二人を起こしに行った同居人が見たものは、確かにきっちり並べて敷いた筈の二組の布団は、天地が逆転どころの騒ぎでなく、見る影もなくくちゃくちゃに、後は中身の抜けた羽毛枕に部屋中に舞い飛んだガチョウの羽根。割れた花瓶や凹んだ壁、そしてそんな中で騒ぎ疲れたか、折り重なるようにして熟睡する春華と慎霰。その惨劇を見た同居人は、思わずよろめく身体を壁に手を突いて支える。がっくりと項垂れる同居人の肩が小刻みに震えているのは、こみ上げてくる笑いの所為か、はたまた涙の為か。いずれにしても、同居人にとって受難の日々は、終わりを告げる事はなさそうな事だけは確かであった……。
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
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東京怪談
2003年10月20日

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