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『渇いた旅人 』
海原・みたま1685


 マサチューセッツに来ている。
 後戻りは出来ない。
 海原みたまはさして危機感も恐怖感も抱かずに、いつもの仕事のつもりで来ていた。夫の助力もあるのだ。助力とは言っても、困ったら開けるように、と茶封筒を手渡されたきりだが。
 封筒はひどく軽く、何も入っていないのではないかと思わせるほどだった。
 夫から渡される道具の大きさや重さで、ミッションの難易度を計ることは難しい。だが、どこかで計ってしまっているのかもしない。みたまはいつもの仕事のつもりで米国はマサチューセッツに来てしまっていた。
 そして、彼女が思っている通りに、今日の仕事もまたいつもの仕事程度のものなのかもしれなかった。


 ボストン郊外の住宅地にある問題の屋敷は、すでに近所では『幽霊屋敷』扱いにされているようだった。周辺地域で1時間ほど聞きこみをしたが、得られた情報は事前に聞かされていた内容と代わり映えしないものだった。
 先月から、屋敷は『幽霊屋敷』になっていた。
 昼夜を問わず聞こえてくる下卑た笑い声から、屋敷に誰かが居ることは確実だった。だが、家主との連絡はつかない。もとより近所付き合いも悪く、屋敷にこもりがちだった男なのだが、玄関口で呼ぶなりインターホンを押すなりすると、ちゃんと出てきて応対してきたというのだ。
 それが今は返事ひとつ聞こえず、ただ狂気に満ちたゲタゲタ笑いだけが訪問者を迎えた。大抵の者は、その笑い声を聞くと恐怖で半狂乱になり、身の毛を逆立てて屋敷前から逃げ出した。だが親戚や、仕事で家主を探す者――警察や探偵はそこで退くわけにもいかず、狂った笑い声に怯えながらも屋敷の玄関に入るより他はなかったのである。
「――で、戻ってこない、と。よくある話だわね。私の周りでは」
 ぎゃははははははは! うひゃはははははは!
 屋敷の前に立ったみたまを、噂に違わぬ哄笑が出迎えた。
 みたまはただ、呆れて首をすくめただけだった。

 屋敷の中は荒れ果てていた。ダイニングの椅子とテーブルはひっくり返っているし、破れたパルプマガジンが床に散らばっている。もともと本や雑誌が多い家だったようで、廊下や部屋の隅には本の山が築かれていたらしかった。それらが全てひっくり返され、破れて、足の踏み場もないような状況だった。みたまは紙片を取り上げてみた。オカルト関係の雑誌記事か、論文のもののようだ。
 血の匂いはなかったが、漂っている死臭はかなりのものだった。この1ヶ月の間に、10人がこの屋敷で消えている。家主を入れると、消えたのは11人。この時点では、家主がまだ生きているのか、はたまたこの死臭をつくりだしているのは家主なのか、判断しかねた。みたまで訪問者は11人目だ。
 居間のソファーはずたずたに引き裂かれ、綿とスプリングが飛び出していた。ソファーの下には、制服姿の警官がふたり横たわっていた。みたまは警官の姿を見下ろして首を傾げた。警官はすでに絶命していたが、聞いた話によると、警官ふたりがこの屋敷を訪問したのは5日前のはずだ。
 警官の死体は、まるでサハラの只中で行き倒れた旅人のもののようだった。
 干からび、皮膚は緑がかった土色に変色している。とても5日前に死んだ人間とは思えない。
 みたまは髪をかき上げ、もう一度首を傾げると、静かに屋敷の探索を再開した。
 誰かがどこかでクスクスと笑っている。


 そしてそれが、ゲタゲタ笑いに変わったとき――
 みたまは軽く悲鳴を上げて転倒した。
 何かが突き飛ばしてきたのだった。
 倒れたみたまの目の前に、干からびた警官の死体があった。喉元にぱっくりと開いた傷痕の奥は、漆黒の深淵。これが死因なのは間違いないが、ここを裂けば、血飛沫は床や壁やパルプマガジン、果ては天井までも汚すはず。
 血痕はどこにもない。
 襲ってきたものの姿もない。
 みたまはまた、軽く悲鳴を上げた。うつ伏せに倒れたのは不幸中の幸いだったか。喉ではなく、うなじを引っ掻かれた。汚らしい音がして、みたまは気が遠くなった。
「いきなり圧し掛かってくるなんて、失礼でしょ!」
 無理矢理立ち上がったみたまの目に、訪問者の姿が映った。
 見なかったことにした。
 下卑た笑い声が追ってきたが、屋敷は広く、みたまは何とか一旦襲撃者をまくことが出来た。逃げている間に、いくつもの死体を見たし、またいだし、跳び越えた。どれもが最近の死者とは思えない、渇いたミイラだった。
 顔をしかめてうなじを押さえるみたまの目の前に、地下へと続く階段があった。


 家主を入れると、この屋敷で消えたのは11人。
 そして――みたまを入れると、訪問者は12人であるようだ。
 家主は地下の書斎らしき部屋で孤独のうちに干からびていた。
 この死体もまた、先月死んだものとは思えなかった。不自然なほどに乾燥した部屋の中で、家主は他の訪問者――みたまを除く――同様に、喉を裂かれて息絶えている。随分深くやられたようで、首は乾いた皮1枚で胴と繋がっており、凄まじい方向に傾いていた。
 みたまは、死体が紙切れを握りしめていることに気がついた。
 誰かが耳元で囁いたような、『啓示』とも言うべきひらめきが、みたまにもたらされた。
 この紙切れが、1人目の訪問者を呼んだのだ。
「私は、死なないよ。12人目なんかになる気はないわ」
 頭上で、笑い声がした。
 まだ床1枚分の余裕がある。
 みたまは困っていた。
 困ったので、夫から渡された封筒を開けた。

 ぎゃははははは! うひひひひひひひ! ひゃははははははは!

 封筒から出てきた黴臭い紙切れは、家主と思しき死体が持っているものによく似ていた。みたまはそれを『使う』前に、壁に取り付けてあった消火器を取ると、狂気に満ちた笑い声に向かって投げつけた。すでに姿は見えなくなっていた。ただ人間のものともこの世のものともつかぬ、末恐ろしい笑い声だけがあった。
 笑い声が唐突に止み、消火器が捻じ曲がった。
 消火器が引き裂かれ、白い消火剤が床に――こぼれることはなく、訪問者が残らずぢゅうぢゅう吸い上げていった。みたまはまた、見たくもないものを見てしまった。吸い取られた白い液の色が、訪問者の姿を露わにした。
 ひひひひひひひひ、
 鋭い鉤爪のついた数本の手が、消火器の残骸を投げ捨てた。
 その頃には、みたまが紙片に書かれていたラテン語を読み上げていた。

 哄笑が止んだ。

 それきり訪問者はけして笑わず、みたまにその鉤爪を向けようとも、吸盤状の口吻で口付けようともしなかった。尻尾を振りながら座りこむ猟犬のように、ただじっとみたまの次の言葉を待っているようだった。
「『目に見えぬ、我が伴侶』」
 ――やだな、私には地球人の伴侶がいるよ。
「『最果の星の彼方へ、己がふるさとへ還るべし』」
 ラテン語はすらすらとみたまの口からこぼれ落ちた。みたまはラテン語を知らないが、紙片が教えてくれている。黴臭いこの紙片が、彼女を救う。
 きひひひ……
 みたまの新しい『伴侶』にして、いまこのときだけの『伴侶』は、最後にこらえきれなくなったのか、かすかに笑いながら立ち去った。
 地下室の天井が歪み、今や再び目に見えぬものとなった異星のものは、みたまの命令に従ったのである。
「もう二度と来るんじゃないわよ」
 天井を睨みながら、みたまはちいさく毒づいた。うなじの仕返しをするのを、忘れていた。
 ――あの人に言ったら、笑うかな? まさか怒りはしないだろうね。伴侶にしたって言っても、ホントに何にもしてないんだから……。
 12人目の訪問者は、うなじを押さえて苦笑しながら、屋敷を出たのであった。




<了>
PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月16日

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