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『スピード・デモン・アイドル』
イヴ・ソマリア1548)&竜笛・光波(1623)
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「僕にはまだ生まれたばかりの娘がいるんです」
と、断頭台の死刑囚ですらしないだろうという悲哀と恐怖に満ちた顔で、マネージャーはイヴ・ソマリアに向かって土下座した。
芸能人というある意味気まぐれで奔放な人たちの後について、あれやこれやと人並みならぬ苦労を重ねてきた彼だったが、長年培った忍耐はたった15分程度のドライブで吹っ飛んだ。
会社に骨を埋め、仕事に一生をささげるのが美学の日本のサラリーマンにも、出来ることと出来ないことがある。この場合、出来ることとは命を懸ける覚悟を示して会社に尽くすことであり、出来ないこととは実際に命を落とすことである。
仕事への忠誠と自分の命を秤にかけた結果、イヴのマネージャーは土下座までしてドライビングパートナーは勘弁してくれと願い出た。
「あら、そう?もしかして車、弱かった?そういえば降りた時顔が真っ青だったわよね」
土下座したまま身体を震わせているマネージャーを前に、イヴは怪訝そうに首を傾げた。一体何をそんなに怖がっているのか。
自らの運転技術に対する認識を間違っているので、イヴがマネージャーの恐怖を理解することは今後も恐らくないだろう。
「残念だわ。でも、しょうがないわね。なら他に人を探すから気にしなくていいわよ」
イヴの言葉に、再びマネージャーは祈るように両手を揉み締めた。自分の命が救われた安心感と、自分の代わりに犠牲になるであろう見知らぬ誰かへの罪悪感の為に、彼は祈った。


さて、憐れスピード狂アイドルの犠牲者になったのは、竜笛光波(りゅうてき・みつは)、20歳。免許取立て18歳(あくまで自称)のイヴより、二つ年上の大学生である。
一世を風靡する人気歌手とのドライブに大層浮かれた彼だったが、イヴの一言に一抹の不安を覚えたのも確かだった。「マネージャーが、運転に付き合ってくれないのよね、怖いんだって」と、イヴに残念そうなため息をつかれた時には、「俺がいくらでも付き合いますよ!」と思ったものだが、落ち着いて考えてみればハテナマークが浮かんでくる。
(……『怖い』ってなんだ?)
と。
…………その答えを、彼は身をもって知ることになる。

□―――
あと数センチ……いや、数ミリというところで、サイドウィンドウの向こうをワゴン車が走りぬけ、二人の乗った小さな車体は風圧でぐらぐら揺れる。脇を通ったと思ったら、車はまたたく間に小さな点になっていく。
思わず助手席で目を瞑った光波の隣で、チッと恐ろしげな舌打ちが聞こえて、余計にビビった。何しろヤクザも顔負けの舌打ちは、三つ編みおさげに伊達眼鏡の、(よく見ればやはり美人だが)清廉そうな女の子から洩れたものなのである。……言わずと知れたイヴだった。
ボルクスワーゲン社発、綺麗なアーチを描いた車体の黄色のビートルは、可愛らしいイヴにはぴったり似合っていた。可愛いと女性に人気のこの車だが、やはり可愛らしい人が乗ると余計にさまになっている。光波は運転席のドアを開けて、「行きましょ」と言ったイヴを見て、しみじみ有難さを噛み締めたものだった。
だが、今やビートルは都会の暴走車である。ビートルというよりはビースト、美女が操る鉄の野獣だ。
道が混んできて、ちらほらと赤いテールランプが目立つようになる。当然、前を行く車は減速し始め、光波もようやく生きた心地を味わえると胸を撫で下ろしたのだったが……
グィン、と何故か重力が掛かり、光波の体はシートに押し付けられた。ウィィィィ……と順調にエンジンが音を立て、車はぐんぐん加速していく。
光波はシートの上で飛び上がった。シートベルトによって体が引き戻されたので、自分でもシートから腰が浮いたのが自覚できたほどだった。
「い、イヴさんっ。加速ッスか!?減速じゃなくて!?」
「そうよ!何か文句あるッ!?!」
言いたいことはあったけれど言えなかった。イヴの黄色いビートルは、タイヤを鳴らして僅かな隣車線の車間に鼻先を突っ込み、華麗としか言いようのないハンドル捌きで車の間に割り込んだのである。
それだけでは留まらず、イヴは更に隣の車線で行儀良く車間距離を保っていた車の間に割り込まんとスピードを上げ、光波の口を封じた。
まるでミシンの縫い目のように、黄色いビートルは不可能としか思えないような車間を縫っては進み、スピードを落とすことなく爆走する。
イヴ一人の暴走運転で、それなりに秩序を保っていた高速道路の車は、一様に乱れたに違いない。
イヴが再びハンドルを切り、直角九十度の勢いで車は隣車線に突っ込んだ。助手席に座っていた光波は、迫り狂うカローラの鼻先を見、それがすんでのところでビートルを避けて、物凄い勢いで遠ざかっていくのを見た。
遠ざかる視界の向こうで、憐れなカローラはバランスを崩している。
「ったく……どこに目ェつけて走ってんのよ!!!」
「ヒィ!」
ダン!とハンドルを叩いてイライラとイヴが文句を言ったので、光波は思わず竦みあがった。普段ブラウン管で見る美少女アイドルは、目の色が違う。キリリと眦と眉が釣りあがり、それはまさに悪霊に憑かれたのではないかという変貌振りだった。
ビーッと小さい車体に相応しい音をさせ、イヴの運転するビートルは前を行く車に警鐘を鳴らす。むろんそんなのは形だけで、見る見るビートルはスピードを上げた。
ビートルは車体が小さいせいかスピード感も抜群だ。スピードを肌で感じるというのはまさにこのことである。助手席のシートにしがみ付きながら、光波は激しく後悔した。
イヴの口ぶりから、運転があまり得意ではないことはうすうすわかっていたのだ。しかし可愛らしさがウリの天下の若手芸能人が、運転するとここまで人が変わるとは、誰が想像しただろうか。
傷害保険でも掛けておこうかとふと考えた光波だったが、この場合、かける保険は傷害では留まらない。、
傷害保険じゃなくて生命保険をかけてくればよかった。齢20歳にしてアスファルトに血の跡を残して死にたくない。道路の片隅で牛乳ビンにちまちま花とか飾られたくもない。今更思っても後の祭りである。ハンドルに齧り付いたイヴの目は……心なし血走っている。
そういえば彼女はエンジンを吹かしてから、一度だってブレーキを踏んだだろうか。反語的に考えてみる。反語だから、勿論答えは「否」である。
イヴは信号が緑なら突っ走り、黄色ならアクセルを吹かし、赤ならアクセルをさらに踏み込む女であった。
ブォーッと、あまりのビートルの暴走振りに腹を立てたのか、車体に派手な昇り竜の絵柄を載せたトラックがクラクションを鳴らした。
「なんだっていうのよ!!!」
何故かイヴが怒る。まるで向こうが非常識だといわんばかりだ。逆切れだ。
何度も鳴らされる大きな音と共に、トラックは小さなビートルを脅すべく車を寄せてくる。
「あぁぁ……誰でもいいから助けてください!俺はまだ死にたくない……!」
一回りは大きいトラックのタイヤをガラス越しに見て、光波はなんでもいいから祈った。神様でも仏様でも、アッラーの神でもオッケーだ。ここでペカっと神様が現れて彼を救ってくれたら、たとえそれが貧乏神でも崇め奉れる気分であった。無宗教な人間の強みである。
しかしトラックの脅しは、光波にこそ効果があったが、イヴに対しては火に油を注ぐ結果になっただけだった。
「上等じゃないの。デカイ図体してチンタラやってるやつが、偉そうにわたしに指図しようっていうの!?」
プァーっと、トラックに比べればあまりにも間延びして、ビートルがクラクションを鳴らす。
鳴らした途端にイヴの車はスピードを上げた。F1レーサーも真っ青じゃないかと思われるハンドルの切りで、急角度にビートルはトラックの前に捻じ込んだ。

そしてその日はじめて、イヴは車のブレーキを踏んだ。

グンと光波の体は重力で前につんのめり、あわや額がフロントガラスに突っ込みそうになる。
「ヒィィ…!」
バックミラーでは、バックウィンドウを前面占領して、トラックの車体が迫ってきている。
トラックの運転手が慌ててハンドルを握った真っ青な顔を、光波はコマ送りの映像のように視界に捕らえた。
一瞬音が遠ざかる。
光波の脳裏に鮮明にある映像が浮かんだ。
お茶の間の友であるワイドショーで、映し出される高速道。マイクを持ったちょっと化粧のキツいアナウンサーが「こちらが、イヴ・ソマリアさんと、同乗していた大学生・竜笛光波さんの乗った車が事故に遭った現場です」とか言っている。
翌日の新聞は「人気歌手!お忍びデート中に交通事故!」という見出しだ。一躍有名人だよ竜笛光波。女性週刊誌ではきっと「ミッチー違い!?人気歌手イヴ・ソマリアの恋人は都内在住、享年20歳」とか騒がれるのに違いない。
「俺は……俺はせめて研究の成果を世に発表してから死にたかった……」
ビートルはトラックに激突される寸前までスピードを落とし、再びアクセルを踏んで巨大な車体から遠ざかっている。光波の意識も、あまりの刺激的なドライブに現世から離れつつあった。
「ちょっとうるさいわよ!!」
辞世の句らしき光波の言葉すら、イヴにはなんの感慨も与えなかったらしい。思い切り怒られた。
パニックもピークに達した光波が呆然とする中で、イヴは車のパワーウィンドウを下げた。
途端にびゅんびゅん風が吹き込んできて息が苦しい。
光波が見守る中で、スピードを緩めもせず、イヴは窓の外に腕を突き出し、後ろでもう一度クラクションを鳴らしたトラックに向かって……
…………まん中の指を立てていた。


□―――三途の川越え天城越え
「たくさん食べるって聞いてたけど、ミッチーあんまり食が進まなかったみたいね」
と、スピード地獄への一方通行を恐らく逆流して、無事現世に留まった二人は、当初の予定どおり食事を終えて、腹ごなしのカラオケにやってきていた。
「いやぁ……ちょっと、酔っちゃって」
ちょっとどころじゃない。口から魂だって抜けかけていたのだが、そこは深く追求しないことにする。
そうなんだ、と自らの豹変振りを自覚していないアイドルは光波のその言葉にすぐ納得した。美味しいって評判のお蕎麦屋さんだったんだけど、とちょっと残念そうに頬に指を当てる姿は、美少女アイドルの名をほしいままにするだけあって愛らしく、ハンドルを握った時の悪鬼の形相からは想像できない。
ハハハ、と空笑いで誤魔化して、響いてきたイントロに光波は席を立った。
「あら。この歌……」
「そうっ!イヴさんのデビュー曲っす。はじめてブラウン管で見たときからファンでした〜〜ってね!」
ステージに上がってマイクを握った光波は、見事に一部フリ付きでイヴの歌を歌いだした。男だから無論声は低いが、歌詞がユニセックスなためそこまで不自然には聞こえない。単調なようでいで実は難しい歌を難なく歌い上げて、光波はぺこりと一礼した。そんな彼にイヴは拍手を送る。
「すごーい。自分の歌を人が歌うのって、なんだか不思議な感じ」
「本人を前にすると、さすがに緊張するなぁ……。あ、イヴさん、俺からリクエストしていいですか?」
「ん?なぁに?」
「天城越えなんかダメっすか?あの声量、イヴさんが歌ったらカンドーなんだけど」
「んー……ん、いいわよ」
大勢の人間の前で歌うことには慣れているが、少人数ではあまり歌ったことがないイヴである。
(まあ、でも気をつけて歌えば大丈夫…かな)
人を魅了する自分の能力は、こんな場面ではあまり使いたくなかった。
(でもせっかくカラオケにきてるんだしね)
気を取り直して、マイクを取った。そもそも歌は好きなのだ。わくわくしないわけがない。

流石プロという迫力で、見事に歌い上げたイヴを褒めながら、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ光波は別のことを考えていた。
越えるのは天城峠だけで十分だ。三途の川を越えるのはもう少し後がいいなぁ、と。
だからそっと彼は言うのだ。
「イヴさん、疲れません?帰りくらいは俺に運転させてくださいよ」
と。




-Speed Demon Idol-
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
在原飛鳥 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月15日

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