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『破滅に至る病 〜或る道楽〜 』
九耀・魅咲1943


 ちりん――
 からん――
 ころん――
 ちいん――

 その音だけは涼しげなのである。
 とても、刹那前に命を奪ったばかりとは思えぬ。
 ひび割れからは雑草がたくましく生えているアスファルトの車道に、くすんだ金色の薬莢が落ちる。
 ちいん、ちいん、ちいん――
 男たちは贅沢だった。
 豊かなこの日本でも、いや日本だからこそなのか、ある種の人間は殺戮衝動をスプラッター・ムービーや洋物のアクションゲームでしか紛らわせることが出来ない。飛び散る血潮や脳が炸裂する音を、実際に浴びることはない。平面の世界に映し出された赤と音で、しかし、人間ならば満足することが出来るのだ。
 だが、この男たちは違っていた。
 彼らはこの日本で、血と音に触れることが出来た。
 彼らは自分たちが神であると信じて疑わなかった。人を操り、欲する物すべてを手に入れる。そう、この国では神になることが出来るのだ。金さえあれば、誰でも神になれる。
 漆黒の軍服と軍帽は、このゲームに参加出来る人間のユニフォームであり、彼らはすすんで身につけた。義務ではなかった。だが、誰もが身につけたがった。軍帽や軍服に縫いつけられているのは、あの忌まわしい第三帝国の親衛隊を彷彿とさせる髑髏であった。彼らは、髑髏とともに在ることで、神は神でも――死神になることができた。
 いまリヴォルバーの弾倉から薬莢を排したこの男がゲームに参加するのは、これで4度目だった。彼は他の参加者同様に、すでに病みつきになっていた。日本では実物を拝むことすら叶わない、『ダーティーハリー』のS&WM29を、触るどころか撃つことが出来るのだ。しかも標的は烏や鹿ではない。
 人間だった。
 彼はスピードローダーを使わずに、勿体ぶった緩慢さで、弾薬をひとつずつ弾倉に詰めていく。
 残り時間はまだあるのだ。たっぷり、あと1時間はある。
 安くはない参加料を支払って、90分コースを選んだのだ。まだ30分しか経っていないのだ。まだ4人しか殺していないのだ。まだ標的は20人以上いるはずなのだ。
 かかか、と男は喉の奥で笑った。
 窓が落ちた廃屋の中を、さっと動いた影があった。同じゲーム参加者だという証も見えなかった。男は廃屋の中へと飛びこんだ。
 くぐもった銃声が響き渡った。
 動くことはないメリーゴーラウンドの馬が、うつろな目をしていた。


 破滅のゲームを考案し、立ち上げた本人は、必ず自らもゲームに参加していた。
 不景気のために廃墟となったテーマパークやリゾート地が、彼らのフィールドであった。彼らが買い叩いたこの廃墟は、廃墟のままで再利用されていた。月のない夜に、いくつかの照明が灯された。
 銃にはサイレンサーをつけることが義務づけられていたが、これはやむを得ないことだった。銃声は悲鳴をかき消すほど大きいのだ。
 参加者は常に偶数であり、2つのチームに分けられた。勝敗を分かつのは仕留めた獲物の数という、至極単純なルールであった。誤射を防ぐために、参加者の胸と背にはチームカラーのランプが点されていた。
 得物を集めるのも造作なかった。主に、ホームレスや家出した若者だった。眠らせた上でフィールドにばら撒いた得物たちが目覚めたとき、ゲームは始まる。


 かかか、と男は喉の奥で笑った。
 始めのうちは恐る恐る、ガバメントの引鉄を引いていたこの男も、今では44マグナムかデザートイーグルでしか満足感を得られなくなっていた。肩の骨が外れそうなほどの衝撃がもたらすのは、脳髄がとろけてしまいそうなほどの快楽だ。得物の脳髄と脳漿が飛び散る様が面白おかしくて、男はいつも頭を狙った。
 何が何だかわからずに廃屋の奥へ奥へと逃げる獲物を、追いつめ、恐怖させ、頭を吹き飛ばすのは、この上ない快感だった。
 かかか、と男は喉の奥で笑いながら、
 錆びついたドアの向こう側へ逃げた人影を追った。

 がつん、
 こうしてドアを蹴り破るのも、日常生活では成し得ない行為だ。
 弾薬を補充したリヴォルバーを突き出し、ゲシュタポさながらの勢いと表情で得物を追いつめる。
 しかし、そこで男は一瞬戸惑った。
 みつけた得物は、ここへ逃げ込んだ獲物は、薄汚い格好をしたホームレスのように見えたが――今、男の目の前で命乞いをしているのは、まだ年端も行かぬ少女であった。獲物の顔に、懐中電灯の光を当てた。獲物は眩しそうに光を手で遮って、声を絞り出した。
「御主らが、身寄りの無い者、家を捨てた者を集むるは――」
 その声は嗤っているようだった。だが、恐怖に震える子供のものにも聞こえた。
「殺めても、哀しむ者が無いからか。無け無しの良心が咎むるためか」
 男は、ひいっと息を呑む。
 なぜ、恐ろしくなったのかはわからなかった。
 ただ、明かりを避けても、少女の目は赤く輝いているようだった。
 その言葉が、悦楽で痺れたこころを抉るようであった。
 少女が――赤い目が――近づいてくる。相手チームのランプの色は何色だったろう――赤か――青か――緑か――
 バス、パス、バス、パス、パス、パスッ!

 獲物の身体が、のろのろと崩れ落ちた。
 獲物はすがるように手を伸ばしていて、男の頬を引っ掻いていった。獲物の頭はきれいに吹き飛んでしまっていたが、少なくとも、獲物は少女ではなかった。中年の、薄汚いホームレスであった。
 か、か、か……
 男はよろめきながら笑い、リヴォルバーの弾倉から薬莢を落とす。
 ちいんちいん、
 からん、
 ころん、
 ちいんちいん――
 男は、ひいっと息を呑む。
 鈴の音が聞こえてくるようだ。薬莢が落ちる音に混じって、小さな鈴の音が紛れ込んでいる。男は初めてスピードローダーを使い、手早く弾丸を装填した。輝く赤い目が、闇の向こうから近づいてきていることに気がついたのだ。
 からん、
 ころん、
 ちいんちいん、
 鈴の音もゆっくりと近づいてきているようだった。
 残り時間はまだあるらしい。たっぷり、あと30分はある――獲物もまだ、残っているはずだ。
 赤い目がウインクをした。


 風が吹いてはいなかったが、メリーゴーラウンドのうつろな馬が、確かにそのとき、軋みながら前進した。
 赤いランプと青いランプは点いたままだ。
 頬や手の甲に引っ掻き傷をこさえた男たちは、揃って同じ服を着て、仲良く血の海に沈んでいる。鼻から上が吹き飛んだ屍も、胸と腹がぐさぐさに潰れた屍も、一見愉しそうに笑っているのだった。だがよく見れば、その笑みはただ唇の端が引きつっているだけだとわかるのだ。
 脳漿と臓物にまみれながら、かかかと笑っている男がいた。
 彼は片足を失って、右の耳を削ぎ落とされていたが、まだ生きていた。器用にも泣きながら笑いつつ、彼は取り落としたS&WM29を拾い上げた。
 いつからルールが変更になったのだろう。
 だがとりあえず、ゲームは終わった。自分が生き残ったということは、自分が勝ちなのだ。たぶん。
 片方しかなくなった耳に届いたのは、サイレンだった。
 救急車のものではない――警察だ。
 そう言えば、主催者は今晩のゲームの獲物が全部で32体だと言っていた。残り時間はまだあるのだ。32体全てを狩り尽くしただろうか。どれほどの数の獲物が逃げ延びたのだろう。
 ああ、赤と青のパトランプが見える。
 赤が。

 男はリヴォルバーの銃口をこめかみに当てて、引鉄を引いた。
 かちっ、
 かちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっかちっ、
 かちっ――

 その音だけは乾いているのである。
 とても、湿度53%の夜とは思えぬ。
 とても、血の海の中の音とは思えぬ。
 しかし、まこと、今宵に相応しい音である。


<了>

PCシチュエーションノベル(シングル) -
モロクっち クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月14日

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