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『荊の棘 』
一ノ瀬・羽叶1613)&御堂・譲(0588)

いつも、欲しいものがあった。
けれど決して手には入らないとも知っているから、夢に見る。
夢に見て、その先は。
――虚しさが待つだけと知っていても。


                        ***

図書室。
何故だか6間目が自習となったため一ノ瀬羽叶は此処に居た。
本の匂い。
好きだったセピア色の空間。

(好き"だった"、なんてそういう言い方は好きじゃないけどね、けど)

何もかももう面倒で、どうだって良くなってしまっているから。
全てを捨ててしまいたい、と考えて、考えて――もう、キリが無い。
いつも枕代わりにしていた、とある本をめくる。
そこにはさして珍しいことが書いてあるわけでもなかったが、ある一つの文が羽叶の目を引いた。

『人は忘れるから、生きていける』

辛いこと、嬉しいこと様々なこと。記憶に残るのは大概が強烈なものばかりだが、それもやがて薄れてしまう。だからこそ人は生きていけるのだと、その本は伝えているらしく……その一文だけを繰り返し繰り返し羽叶は目で追い続け――その行為を遮断するかのように肩を叩かれる。
ふ、と、顔をあげると。
後輩であり「似た者同士」である御堂譲が立っていた。

「今日もまたサボリ、ですか? 一ノ瀬先輩」
「心外な。今日は自習のため自主的に図書室へ来たんだよ、私は。……でも、まあ……うん、そうだねえ」
「何ですか、その曖昧な最後の言葉の濁しは」
「期待されてるようだからサボるのも良いかなあと♪ てなわけで御堂君、遊びに行こうか」
「"てなわけ"で、遊びに行くんですか? まあ良いですけどね……」
「じゃ、出発♪ 先生に見つからないように裏ルートで学校脱出しようっ」

苦笑交じりの譲の腕に自分の腕をするりと絡ませ、羽叶は歩き出す。
今日と言う時間に譲に逢えた事を居もしない誰かに感謝しながら。



                        ***

鈍い色、輝きを放つ鋭利な色……様々な銀が店先にも店内にも溢れている。
学校を抜け出した二人が来たのはシルバーアクセサリーを扱う、とある店。
明るい羽叶の声が譲から少し離れた場所で、響く。
「御堂君、こういうのはどう? 肌白いから似合うって!」
「…ちょ、ちょっと待ってください。何でさっきから僕にばっか勧めるんですか!」
色々なシルバーのアクセサリーを羽叶から勧められ、考える暇もなく譲は叫ぶ。
実際、こういうのを見るのは嫌いではないし友人にやはりシルバーアクセサリーに詳しいのが居るから知識もそれなりにはある。
しかも、こういうのはゆっくり見るのが楽しいのに「あれも、これも」と勧められてはどうして良いかわからなくなってしまう。
「え、だって御堂君、似合うし!」
ずずいっとピアスやらリングやら持ってきた羽叶に苦笑を投げるべきかどうしようか悩むが、
「そういう問題なんですか」
どうにか、これだけ言うと羽叶の手から様々なものを拾い上げていく。
「そうだよ? 第一私はこういう飾りは…あんまりつけたことないから解らないし」
「…じゃあ、選んであげますよ。シンプルなのとか、好みはありますか?」
「え? うーん、解んないし私のは良いよ」
何故か頑なに自分自身のものは見ようともしない羽叶を奇妙だと思いながらも「じゃあ、そろそろ出ますか?」と譲は問う。
自分のものだけを見繕うのなら一人で買いに来ても良いのだし……。
何より、奇妙に明るい羽叶の行動が、気にもなっていた。
(――無理をしては居ないか?)
本意が見えない彼女ゆえにそれらは解りにくい、けれど。
何かが譲へ告げていた――危険、だと。
「ん……。じゃあさ、ちょっと観覧車乗りに行かない?」
「えっと…聞いて良いですか? 何故観覧車なんですか……?」
「此処から見えたから!」
がっくり、譲はうな垂れながら、
「そーですか…じゃあ行きましょうか、観覧車……」そう呟く。
店内から、明るい空に向かって回り続ける観覧車が嫌に眩しく見えて。
譲は心の中で舌を打つ。

(駄目だ――陽の光が強すぎる)

今すぐにでも暗闇が訪れれば良い。
そうすれば――。
――そう、すれば?

……譲の問いに誰も答えられるものはなく、羽叶が再び譲の腕を掴む。
柔らかな感触が近くにあるのに、以前触れたときと同じように…いいやそれ以上に遠く感じるのは。
やはり、陽が明るすぎるからなのだろうと譲は考えた――否、考えるようにつとめるようにした。
でなければ――。
考えたくもないことを考えてしまいそうな気が、していた




                        ***

「でね、その人が言うには……」
観覧車を目指して歩く折に、譲が「無理してないか」と言う事を決定付けるかのように羽叶はよく話をした。
他愛もない話から、夜の仕事の話まで様々なことを。
そうしてシャツの袖をまくり腕を譲へと見せ「ほら、見て。もう薄くなりつつある…凄いよね、人は」と言葉をしめた。
譲は傷を見て様々なことを思い返し微笑み――、一瞬傷に触れそうになって手を引いた。
…奇妙な沈黙と同時に、ふわりと柔らかな香りが辺りを包むように漂う。
「…金木犀の季節なんですね」
「え、ああ…この匂い、金木犀って言うんだ…初めて知った」
「中国じゃ金木犀のことを丹桂(たんけい)と言うんだそうですよ…桂は月にあるといわれる樹。…金木犀ももしかしたらそう、なのかもしれません」
だが、それはもしかしたら金木犀より銀木犀のほうが近いかもしれない。
ぽつりと呟いた言葉に羽叶は驚いたような瞳を向けている。
何か、考えることがあったのかもしれない。
「御堂君は物知りだね…」
「…金木犀が月にあるかもしれないと言うのは間違いかもしれませんから鵜呑みにしないでくださいね?」
「うん。あ、入り口こっちみたいだよ、早く行こう?」
既にもう腕を放す気はないのか羽叶はずっと譲の腕を掴んだまま。
が、駆け出すのと同時に羽叶の掌が譲の掌を握りしめた――強く、強く。
料金を早速払うと二人は観覧車へと、向かい合わせに座るようにして乗り込んだ。

ガタンッ。
大きな音をたて観覧車は回り始めた――まるで歯車のようにゆっくりと。
ゆっくり音をたて地上から、上へ、上へと回り……空が――近くなる。

「ごめんね我が儘で此処まで来てもらって…でも、乗りたかったんだ。どうしても」
言葉を探していた様に呟く羽叶。
にっこりと笑んで譲は「どういたしまして」と答え……何度か考えた末、
「無理、していませんか?」
と、聞いた――答えは一つしか返ってこないと解っているのに。
(無駄な問いだ……けれど、もしかしたら)
言ってくれるかもしれないと言う僅かな期待もあったから。
だが。
「ううん? 無理なんてするわけないじゃない。御堂君、気にしすぎだよ」
にこにこ、にこにこと。
満面の笑みを浮かべシラを切る羽叶に譲は「やはり」と思う。
本意は決して解る事はない、聞いたって教えるような人ではないのだ。
だから、こう言うしかなかった。
「もし、何か自分の手に余るような事があるのなら…僕の手が必要なら頼ってください」
――羽叶を追い詰めるかもしれないと解っていても。
優しさが、酷になることも知っていても、尚。
だが頼ってほしかった、誰でもない羽叶に、彼女自身に。
じっと譲は彼女を見つめた。
羽叶の顔に、微笑が広がってゆく。花が咲くように、ゆっくりスローモーションの如く。
「……本当にどうもありがとう……ちょっと、いい?」
立ち上がり譲の方へと来ようとする羽叶。
危ない、とは言えぬまま触れる唇。
追いかけるように譲も再び触れ――溶けるような瞬時の熱さが唇に残った。
「ふふ、こういうところでするのもいいものだね」
「そうですね、まるで普通の恋人同士の様で」
「…んー、私たちは一応傍から見たら恋人同士に見えるんだろうし……ね」
「まあ、そう…ですね。ああ、じきに終わりみたいですね…一ノ瀬先輩、これからどうします?」
「今日はこれで帰るよ。夜に仕事があるから着替えてこないと」
「じゃあ、また明日」
「うん、また明日」

他愛のない、明日への言葉。
「また」と言う次の日への期待の言葉。
いつもその言葉を呪文のように私たちは唱え続けて逢って来たね。
学校で、または「仕事」で。

観覧車を降り遠ざかる御堂君の背を見送る。
――何も考えないようにしていた、せめて一緒に過ごしている時間くらいは迷惑をかけてしまった償いもこめて。
私の我が儘で私に触れてくれた人、だったから。

いつも欲しい物があった。
でも、それは「独り」じゃあ手には入らないから。
いつでも誰かを呼ぼうとして――呼びきれなかった。
中途半端な私、私の中にある小さな私が泣いている。

触れたかった、いつでも、いつだって自分から。
人の体温に。
周りに誰も居ないから得られるわけもないと知っていて。
だからこそ、夢に見た。

"もう――どうだっていいんだ"

自分が見続けた夢へと羽叶は譲に触れたことで決別する。
面倒に、なっていたから。
自分自身の思考に、自分がこうして息を吐き、吸う事にさえ。

自分を消したいと思っていたときに譲に逢えた。
それは誰かからの褒美なのだろう――最後の晩餐、という名前の。
だから、もう夢は見ない。
瞳を瞑り、ただ――暗闇を焦がれる。眠いとむずがる子供のように。


『忘れるから、生きていける』
ならば。
全てを忘れない、為にも。
羽叶に突き刺さる……それは消えない荊の棘。



―End―
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
秋月 奏 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月07日

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