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『宴のあと 』
守崎・啓斗0554)&御崎・月斗(0778)




 さわさわと。
 秋の夜風がそよぐ。
 新宿区の一角。古ぼけたビルディングの屋上。
 茶色の髪を風になぶらせながら、守崎啓斗が溜息をついた。
 惨憺たるありさまである。
「‥‥まったく‥‥騒ぐことは知っていても、片づけることは知らないんだから」
 名月を愛でる宴。
 あとに残る、ゴミの山。
 まあ、べつに驚くような光景ではない。
 後片づけが幹事に押しつけられるのは、洋の東西を問わず、自然の摂理のようなものだ。
「しかたないな‥‥」
 ぼやきながら掃除を始める。
 当たり前の話だが、この「兵どもが夢の跡」を放置しておくというわけにはいかなかった。
 なにしろ、借りた場所なのだ。
 散らかしっぱなしにしておいたら、もちろん所有者に怒られる。
 それだけならまだしも、このビルの中に事務所を構えている貧乏探偵に迷惑をかけるのは、はなはだまずい。
 より正確には、宴会に屋上を使えるように管理会社と交渉してくれた事務員に義理が立たない。
 こうみえても啓斗は義理堅いのだ。
 上空には、たおやかな夜の姫と付き従う無数の眷属たち。
 祭りの後始末をする少年を、無言で見つめている。


 結局、後片づけが終わった頃には夜半近くになっていた。
 なんやかやで、一時間以上も掃除していた計算だ。
「やれやれだな‥‥」
 呟きながら、ゴミ袋をかかえた啓斗が事務所へと入ってくる。
 働き者の事務員も帰宅したのだろう。さすがにもう人は残っていない。
「さてと‥‥このゴミどうするかなぁ」
 独り言だったはずだが、
「台所において置いてくれ。朝、俺が捨てにいくから」
 返答があった。
「なんだ。いたのかよ」
「ここは俺の事務所兼住居だ。いるのが普通だろうが」
 ぼりぼりと頭を掻きつつ、貧乏探偵が奥から現れる。
 寝ようとしていたのだろうか、Tシャツとトランクスという恰好だった。
 とても恋人には見せられないな、と、啓斗は思った。
 だいたい、なんでプーさん柄のパンツなど履いてるのだろう。
 心の底から訊ねたかったが、賢明にも言葉を飲み込む少年。
 肩をすくめて照明のスイッチに手を伸ばす。
「あ、明かりはつけないでくれ」
「どうしてだ? パンツ姿を見られるのが嫌なのか?」
「アホ。起きちなうだろうが」
 からかう少年に苦笑を返し、探偵が顎をしゃくった。
 つられて視線を動かすと、来客用のソファーが緑の瞳に映る。
「月斗か‥‥」
「ああ。騒ぎ疲れたんだろう。降りてきてすぐに眠ってしまった」
「こいつひとり?」
 ソファーで安逸な眠りを満喫している御崎月斗には弟がいて、それも宴会にきていたはずだ。
 事務所にいるのは月斗だけのようだが。
「それなら‥‥」
 探偵がなにか応えようとした時、啓斗の懐が震える。
 携帯電話の着信だ。
 悪い、と、年長の友人を片手で制して発信者を確認する。
 弟からだった。
「もしもし。北斗か」
『兄貴。まだ事務所?』
「そうだけど?」
『いま光夜を送り届けたところなんだ』
「‥‥わかった。月斗は俺が送るから。お前はもう帰ってやすめ」
『りょーかい』
「優しいじゃないか。お兄ちゃん」
 電話を切った啓斗を探偵がからかった。
 意趣返しのつもりなのだろうか。
「べつに。あいつがもう一度こっちに戻ってから送るとなると、時間のロスだから」
 ぶっきらぼうに応える少年。
 もし事務所に明かりが灯っていたら、ごくわずかに染まった頬が見えていただろう。
「ま、そういうことにしておくさ」
「含みのある言い方だな」
「そんなことはないぞ。あ、そうだ。車だしてやろうか?」
 ニヤニヤしながら否定しても、説得力などあるはずがない。
 まあ、この場合は反論しても無益なことはわかり切っているので、啓斗は探偵の言葉の前半部分を無視することにした。
「車なんかつかわくてもいいって。それに、もう寝るところだったんだろ?」
「それはそうだが」
「おぶっていくからさ。アンタは寝てろよ」
「わかったわかった。優しいお兄ちゃん」
「言ってろ」
 奥へと引っ込んでゆく探偵に舌を出す啓斗。
 やや子供っぽい動作だった。


 夢を見た。
 幼い頃の夢。
 修行と修練に明け暮れた日々。
 平安の昔から続く陰陽の家系。
 その桎梏は、少年の肩には重かった。
 逃げたくて逃げたくて逃げ出したくて。
 やっと見つけた安住の地。
 たいして広いともいえない叔父のマンション。
 どれほどそれを大切に思っているか、余人には判るまい。
「‥‥絶対に俺が守る‥‥」
 呟き。
 背中越しに投げかけられた言葉に、啓斗は足を止めた。
「起きたのか? 月斗」
「‥‥‥‥」
 応えは、ない。
「寝言かよ‥‥」
 ふたたび歩き出す。
 月が炯々と輝き、路上にいびつな影を映していた。
 穏やかな夜。
 いまこの瞬間もこの街のどこかで闇が蠢き、深刻な暗闘が繰り広げられているのだろうか。
 だとしても、啓斗にも月斗にもどうにもならないが。
 彼らはスーパーマンではないからだ。
 自分の周囲のことだけで精一杯で、しかもそれだって完璧に処理できるわけでもない。
「多少の特殊能力があっても、事態を変える事なんてできない‥‥」
 胸中、啓斗が自嘲する。
 超能力、霊能力、どう表現しても良いが、それは万能の力ではないのだ。
 現実に存在する力と同じである。
 たとえば、金銭のように。
 金銭で友情を買うことはできない。才能を買うこともできない。信頼を得ることも、老人を若者に戻すことも、友人を作ることも。
 それらは金ではけっしてできないのだ。
 特殊能力だって同様だ。
 能力者と呼ばれる者たちは、一般人より少しだけ戦闘力が高いだけである。
 すべてを救うことなどできるわけがないし、自分自身すら救えないものもいる。
 そんなものより、
「普通の生活をきちんと営んでる人間の方がずっとえらいさ‥‥」
 ごくわずかに啓斗の唇が動いた。
 だが、音波になるには小さすぎる動きだったろう。
 むろん、月斗の耳にも届かなかった。
 黙々と細い路地を歩く。
 陰鬱な葬列のように、影が付き従っていた。
 啓斗は、知り合う以前の月斗のことを知らない。
 過去を根ほり葉ほり訊いたりしないのが、怪奇探偵の流儀だからだ。
 ただ、中学生にもならぬ身で生活費を自分で捻出しているとなれば、相当な苦労をしているということは想像に難くない。
 幼いのにたいしたものだ、と、思う。
 もちろん、そんなことを言えば、月斗は火が着いたように怒るだろうから、口にしたことなどない。
 相手が怒り、傷つくようなことをあえて言う必要など、どこにもないのだ。
 このあたり、たしかに啓斗は「優しいお兄ちゃん」なのである。
 歳のわりには配慮ができて、他人の心を思った行動ができる。
 まあ、長男ゆえなのだろう。
 損な性分だと自分で思わなくもないが、こればかりは仕方のないことであった。
 そういえば、月斗も長男のはずだ。
 もしかしたら、自分と同じような思いをしているのかもしれない。
「‥‥苦労するな。お互い‥‥」
 呟くと、妙に気分が晴れた。
 自分と同じ境遇の人間がいることで、安心したのだろうか。
 少しだけ軽くなった足取りで、家路を辿る。


  エピローグ

 広い背中。
 暖かい。
 まるで、冷たい風から守ってくれているようだ。
 彼らを庇護してくれる、強い背。
 本家に対しても、世間に対しても。
 頼もしく、優しい背中。
「叔父さん‥‥」
 話しかけてみる。
「俺は叔父さんじゃない‥‥だいたい、まだ一七なんだぞ」
 苦笑混じりの若い声を、月斗は夢うつつで聞いていた。
 秋風が二人の髪を撫でてゆく。
 中秋の名月が、白磁のような光を地上に投げかけていた。
 一片のぬくもりすらもなく。











                         終わり

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東京怪談
2003年10月07日

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