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『■真心■ 』
ウィルフレッド・ベイトン0415)&アリーチェ・ニノン(0395)
 近くマジョルカ島へ転居すると知らせたのは、週末に二人で過ごしていた時だった。
「プラハで研究を続けられるのではなかったのですか」
 コーヒーを煎れるウィルフレッド・ベイトンを見つめるアリーチェ・ニノンの声に、意外な響きが混ざる。
「設備はこちらの方が整っているが、マジョルカで出来ないものではない。必要な時だけこちらに来るか、プラハ研に依頼すれば良いだろう」
 プラハにいると、研究以外の雑事が煩わしい。苦笑を浮かべつつ、ウィルフレッドはアリーチェの前にコーヒーカップを置く。
「いつマジョルカへ?」
「住居の目処も大体ついたからな。今の仕事が一段落すれば、すぐにでも」
「‥‥そうですか」
 カップに目を落とし、随分急ですねとアリーチェは付け加えた。
「君はどうする」
 問われて上げたアリーチェの顔には、疑問が浮かぶ。
「マジョルカの開発事業をメインにするなら、向こうへ行った方が都合が良くはないのかね」
「ええ、それは、まあ」
 彼女が今後どうするつもりか聞いていなかったが、当分はプラハに残るつもりだろう。別に進めていた事業もあり、今、マジョルカへ行かなければどうしても不便な状況では無い。それは、ウィルフレッドも知っていた。
「移る気があるなら、君も来るか?」
「そうですね」
 カップを手に乗せたまま、アリーチェは黙り込んだ。広がっては消える湯気を、互いに見るともなく眺めていたが、やがて残ったコーヒーを飲み込んで彼女は静かにカップを置いた。
「何も準備をしていませんでしたから、すぐには無理ですけれど。なるべく早く、こちらでの仕事にきりをつけます」
「仕事の引き継ぎはともかく、準備が必要か?」
「ええ、住む場所も何も決めていませんし」
 開発途上のマジョルカでは、とりあえず引っ越してから後の事を考えるという訳にはいかない。
「うちに来れば良いだろう」
 ウィルフレッドは、淡々と言う。
(さて、どう答えるか)
 アリーチェも表情を変えないが、どう取ったものかと困惑しているに違いない。
「もう一人住むくらいの余裕はある。共に暮らすのは嫌かね」
「共同生活ですか」
 慎重に、言葉を選んだ答えにウィルフレッドは薄く笑う。
「そうだな。私は、君となら構わないが」
 その言葉に、アレーチェも嫣然と微笑み返した。
「あなたにそう言っていただけるなんて、光栄ですわ」


 新しい生活はつつましく始まった。以前と何ら変わらないとすら言えた。仕事や日常の生活で、小さな山や谷はつきものだが、ウィルフレッド自身の研究も、パートナーの事業も大過なく進んでいる。
 強いて変わった所と言えば、毎日共に食事を取るようになったくらいだろうか。
 特に独身主義だったのでもなく、パートナーを得た後の暮らしに何らかの理想像を持ってもいなかったが、今の状態には満足していた。
 仕事の上でもプライベートでも、パートナーと認め合える女性と、共にいる。公私における私の部分では、最も満ち足りた事だ。だからといって、甘い幸福感に浸り切るほど、若くはなかったが。
 結局、正式には夫婦にならなかったのも、それで不満がなかったからで、相手が望めば結婚も考えた。「形にこだわる必要は無い」と力んだのでもなく、自然に今の形に落ちついた。
 前々からマジョルカでの暮らしを多少は思い描いていた自分とは異なり、彼女はまだ戸惑いを覚える所があるようだ。時折何か考え込んでいたりするが、いずれは慣れるだろう。
 そうして、新生活のちょっとした慌しさが収まった頃に、小包が一つ届いたのだった。


 荷物を受け取ったのはアリーチェだ。発送元を確認すると、馴染みのある店の名が目に止まった。
(イスタンブールの本店から?)
 最近、プラハにも支店を出した衣料品の専門店だ。仕立てが良いので、アリーチェも何度か利用している。
 だが、ここ暫く注文を出した覚えは無い。先月プラハへ行っていた同居人の方だろうかと考えて、首を傾げた。
(紳士服は扱っていたかしら)
 婦人物のスーツ以外で覚えがあるのは、ネコ耳付き衣装や、メイド服や巫女服と呼ばれる特殊な服装で‥‥。
(まさか、彼が?)
 ちょっと怖い想像になってしまった。
 気付かなかったふりをして、さりげなく玄関脇にでも置くべきだろうかと悩みつつ、ウィルフレッドに確かめてみる。
「それは、君のものだから」
「私にですか?」
 恋人から贈り物をもらうのはそんなに驚く事ではないが、誕生日ではないし、近くに何かの記念日も無い。それに、スーツ一着にしては嵩張る気がする。
 先刻の怪しい想像も手伝って、期待よりも不安を覚えながら、包みを解く。
「これは」
 思わず息を飲んだ。
 出て来たのは、白いドレスに薄いショールと手袋のセットだった。ウエディングドレスのような華やかさは無いものの、質の良い生地を上品なデザインで丁寧に仕立ててある。
「ウィル」
 部屋の入口からおずおずと声をかけると、ウィルフレッドはペンを置いた。
「サイズはあれで良かった筈だが」
「ええ。ありがとうございます。でも、どうして」
 膝の上で手を組んで、椅子ごとウィルフレッドは向き直る。
「私は一緒にいるだけで十分だと思うが、君はそうでも無いのかと思ってね」
「そんな」
 言葉を詰まらせて、アリーチェは暫く俯いていた。
「不満は感じていませんでした。ただ、できれば何か記念になるような事をしてみたいとは」
 あまり大袈裟にならないように、かといって一人だけで何かをしても、二人の記念にはならない。
 一緒にいるだけでは不服なのかと問われれば、それは違う。不足の有無ではなく、気持ちの区切りをつけたかったのだ。
 とはいえ、無邪気に「ドレスくらい着てみたい」と言うほど幼くもなく、こんなものかと次第に諦め始めていた。
「次の週末は、外でディナーを取ろう。君はあのドレスを着て」
「はい」
 アリーチェが自室に戻った後で、ウィルフレッドは微かに苦笑を浮かべた。
(もっと喜ぶかと思ったが)
 がっかりしたというよりは、してやったりとの思いを滲ませた表情は、すぐに消える。
 予想外のプレゼントに対する驚きが、まだ冷めなかったのか、デートの返事は半ば上の空だった。そんなアリーチェを見たのは、初めてだ。
 自室に戻ってから、次第にこみあげてきた喜びに、彼女がどれだけ嬉しそうな顔をしていたか。目にしていなくても、驚きぶりから察しはついた。
 そして当日。
 せっかく記念に特別な装いをするのならと、アリーチェは髪も化粧も専門家に委ねた。
 普段は年齢より若く見えるが、今日はドレスも髪型も歳より落ち着いた雰囲気で、別人のように見える。勿論、印象が違う最大の原因は、今日が特別な日だと思う気持ちだ。
 時間を合わせて迎えに来たウィルフレッドは、一度家に戻ると言う。
「忘れ物ですか」
「まあ、そんなものかな」
 戻るとアリーチェも車から降りるように促された。
「何ですの?」
「ちゃんと前を見て」
 ドレッサーの前に座らされて、アリーチェは相手を見上げたが、言われるままに姿勢を正す。ウィルフレッドが後ろから回した拳を彼女の胸元で開くと、赤い石が煌いた。
 ネックレスを留め、花束を持たせるとそのまますっと屈み込み、ウィルフレッドは耳元で囁く。
「今日は格別に綺麗だ」
 さっとアリーチェの頬が赤くなったが、そのまま気圧されはせずにゆるやかに振り返った。
「ありがとう、ウィル。あなたのおかげよ」
 手の込んだ贈り物への驚きも喜びも、やっと胸の内の然るべき位置に収まったというように。ウィルフレッドの言葉通りに、輝くばかりの笑顔が広がった。
 軽いキスを交わすと、手を重ねて立ち上がる。
 日没までは、最近修復された荘厳なカテドラルを巡りながら、ゆったりと時を過ごし、ディナーの予約を入れたレストランへ向かう。そこは、老舗のホテルに比べれば随分と質素だが、暖かな空気が満ちていた。
「ベルリンまで出ても良かったが、今後はずっとここで過ごすのだから」
 思い出の場所も、二人で生きていく土地で築いていこう。言外のメッセージに、アリーチェも頷いた。

 記念の1日が終わり、自宅の扉を潜る前に、アリーチェはウィルフレッドの腕に手を添えた。
「今日は、ありがとうございました。とても素敵な1日でしたわ」
 頬へのキスの後、互いの気持ちを確かめ合うように見つめ合う。
 覚悟を決める。そんな意味では、儀式めいた事も時には必要なのかもしれない。それで信頼や愛情が変わるものでは無いが、自分の心も相手の心も、とらえ直すきっかけになる。
 だから、今日は普段よりも特別な気持ちを込めて唇を重ねた。
 長いキスの間に、アリーチェは改めてウィルフレッドから贈られたものをかみしめていた。
 本人は認めないに違いないが、不器用なのだ。
 彼がマジョルカ行きを決めたのは、幾分かはアリーチェの為でもあっただろう。いずれマジョルカへ移る必然が出てくるのは、むしろアリーチェの方だった。
 ウィルフレッドがプラハで研究を続けると考えていたから、アリーチェはプラハに残っていた。そうでなければ、もっと早くに彼女自身が、マジョルカへ行こうと計画していただろう。
 それなら素直に「一緒に行こう」と言えば良いのに、言えないのだ。アリーチェが、彼と別れて残るとは言わないと、自信もあったのだろうけれど。
 ドレスをオーダーするのも、宝石を選ぶのも。以前に利用している店ならサイズくらいは分かるだろうが、本人を連れずにどのようにしてデザインを決めたのか。
 恋人の瞳がどんな色か、イメージくらいは覚えていても、微妙な色合いをどう説明したのか。
 単に驚く様子を見たいだけなら、そんな面倒な事は出来ない。アリーチェが喜ぶ顔を見ようと、贈られた心が嬉しかった。

 後日、それぞれの私室にその日の写真が飾られた。アリーチェは勿論、幸せそうなパートナーの側に立つウィルフレッドも、やはり格別な顔をしていたのだった。

■コメント■
 ご発注ありがとうございました。
 リプレイの時より、本物の迫力に負けました。




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なにわのみやこ クリエイターズルームへ
PSYCHO MASTERS アナザー・レポート
2003年10月07日

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