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『輝ける魔法<刻の温もり> 』
大矢野・さやか0846)&露樹・故(0604)

 今、自分が存在しているという事。今、自分が存在し得るという事。今、自分が……。幾千もの言葉も、どんなに分厚い辞書も、何も意味を為さない。ただ確かな事は、今、自分が、あなたの傍にいるという事。

 九月十日。長い長い昼食が、漸く区切られる事となった。机の上に並べられた料理達は、全ては無くなっていないものの、大半は失われてしまっている。
「たくさん、食べて下さったんですね」
 栗色の髪を揺らし、青の目でじっと大矢野・さやか(おおやの さやか)は目の前で微笑んで座っている露樹・故(つゆき ゆえ)を見つめた。故は黒髪の奥にある緑の目で優しくさやかを見つめながら頷く。
「さやかさんの料理が、余りにも美味しかったものですから」
「有難うございます」
 さやかは思わず頬を紅潮させる。それを見て故は嬉しそうに微笑む。そして、残っている料理達に目を移して不満そうに溜息をつく。
「本当は、全て食べようと思ったんですけどね」
「無理しないでください。本当に、作りすぎてしまったんですから」
 さやかは慌てて言った。料理が完成した時、到底二人では食べきれないほどの量が机の上に乗っていたのだ。四人前はあったであろう。それを、話しながらちょこちょこつまみながら食べていたいたとは言え、三分の二はなくなっているのだ。
「さやかさん、残ったものは……これに入れますから」
 故はそう言ってパチン、と指を鳴らした。途端にタッパーが出てきて、故の手に落ちた。
「故さん」
 さやかが嬉しそうに見つめると、故は小さく照れ笑いをする。
「なんだかみみっちい感じはしますけど」
「いえ。嬉しいです」
 全て食べてくれようとする、故の気持ちが堪らなく嬉しかった。さやかはタッパーに残った料理を詰めながら、ふと気付く。
(先に取り分けておけば、他の人にもあげる事ができたのに……)
 さやかは小さく溜息をつく。目の前の事が何もかも嬉しくて、大事な事に気付かないでいる。冷静に考えれば、すぐに分かった事なのに。
「どうしました?さやかさん」
「あ、いえ。……先に取り分けておけば良かったなって」
「何故です?」
「だって、そうしたら他の人にも分けられたじゃないですか」
「他の人に?」
 故は心底不思議そうな顔をした。
「私、作りすぎちゃって。故さん、ずっと同じものを食べる事になってしまって」
(上手く言えない……)
 故の目が優しくて、故の行動が優しくて。つい胸の鼓動が早まってしまう。そんなさやかに、やはり故は優しい眼差しで見つめる。
「いいんですよ。さやかさんが作った料理は、全て俺が食べるんですから」
「でも」
「良いんです。だから、先に取り分ける必要など何処にもなかったんですよ」
 正論だと言わんばかりの故の言葉に、さやかはほっとして微笑む。故は優しく、いつも穏やかに、冷静に諭してくれる。
(考えられない)
 さやかは片付けをしながら、ふと思う。
(私が故さんの傍にいないなんて、考えられない)
 我侭な事だと、思われてしまうかもしれない。だが、さやかの中には確固たる思いがあった。今自分がいたいと思う場所が、ただ一つだという事に。
(考えたくも、無い)
「さやかさん」
 大体の片付けが終わった所を見計らってか、故がさやかに声をかける。さやかは考えを見透かされたのかと頬を染めながら振り向く。
「何ですか?」
「出かけませんか?これから」
「はい」
 さやかが答えると、故は嬉しそうに微笑んだ。穏やかに、優しく。さやかは鼓動が再び撥ねるのを感じるのだった。

 着いた先は、とある洋服店だった。
「さやかさん」
 故がさやかをディスプレイウインドウの前で呼んだ。
「綺麗……」
 そこには、薔薇と共に飾られた桜色のワンピースがあった。淡い薄紅色のワンピースは、穏やかに優しく空間を彩っていた。
「本当に、綺麗ですね」
 暫しじっと見入ってしまったさやかを、故は微笑みなが見つめた後、そっとさやかの手を引いた。
「故さん?」
 店内に入ろうとする故に、さやかは思わず尋ねた。故は何も言わず、ただ微笑む。
「いらっしゃいませ」
 店員が声をかけると、故は笑顔を絶やさぬまま、口を開く。
「あのウインドウに飾ってあるワンピース、試着させていただきたいんですけど」
「え?」
 不思議そうに見つめるさやかに、故はそっと目線を移してから続ける。
「勿論、彼女に」
「故さん?」
「畏まりました」
 店員はディスプレイを外しにウインドウに向かう。戸惑うさやかに、故はにっこりと微笑む。安心させる笑顔だ。
「この間、偶然見つけましてね」
「でも、故さん」
「是非ともさやかさんに着て頂きたかったんです」
「今日は、故さんの誕生日ですし」
 店員が、桜色のワンピースを持ってくる。故はさやかの言葉にはあえて微笑みだけ返した。
「これは一点ものなんですよ。世界に二つと無い、デザインで」
「さやかさん、着てみて下さい」
 店内の光に優しく彩られるワンピースに、再びさやかは見入った。デザインといい、色といい。何もかもが、綺麗だ。さやかは言われるままに試着室に入る。そっとワンピースに袖を通すと、あつらえたようにぴったりだった。まるで、このワンピースがさやかの為だけに作られたかのように。
(偶然見つけまして)
 故の言葉が反芻される。偶然見つけたというワンピース。きっとこれを見た瞬間から、故は思っていたのだ。さやかの為に存在しているワンピースなのかもしれないと。
(故さん……)
 さやかは頬が紅潮するのを感じた。それはつまり、このワンピースを見つけた瞬間にはさやかの事を故が考えていたという事で。このワンピースの事を思うたびに、さやかの事を思っていたという事で。
(本当に、凄い)
 さやかはワンピースを着ていると、故に包まれているような気分になった。全身を、優しく温かく抱きしめられているように。
「……さやかさん、着られましたか?」
「あ、はい」
 故に声をかけられ、さやかははっとして現実に引き戻される。そっと試着室のドアを開ける。さやかを見た途端、故の顔がはっとしたようになり、それからゆっくりと微笑んだ。
「……良く似合ってますね」
「本当に良くお似合いですね」
 店員が相槌を打つ。故はそっとさやかに近付き、微笑む。
「良く似合ってますよ。さやかさん」
「有難うございます」
 故は店員の方を向き直り、すっとカードを取り出した。
「今着ていたものを包んで頂けますか?このまま着ていくので」
「畏まりました」
 店員は深々と礼をし、さやかが来ていた服を包む。綺麗に包んで貰い、手渡されると故はさやかの手をそっと引いて店を後にした。
「故さん、良いんですか?」
 さやかは店を出て暫くし、故に尋ねる。
「今日は、故さんの誕生日なのに」
(これじゃ、立場が逆だわ)
 心配そうなさやかに、故は小さく笑う。
「良いんですよ。俺の誕生日だから、俺は俺が見たいものを見せていただいているんです」
「故さんが、見たいもの?」
「ええ。さやかさんの、素敵な姿とか」
 さらりと言う故に、さやかは思わず頬を紅潮させる。
(故さん……)
 熱く見つめてしまうさやかに、故は微笑みながら目線を返す。
「ちょっとだけ、寄り道しましょうか?」
 故はそう言って川縁を指差した。夕暮れの近い川縁は、夕日が反射してきらきらと赤く光っているであろう。さやかはこっくりと頷く。それを見て故は嬉しそうに川縁へと向かうのだった。

 川縁をゆっくりと歩きながら、さやかはそっと故の腕に手をかけた。故は一瞬頬を赤らめたものの、すぐに微笑んでそのままにした。
(故さんは、優しい……)
 さやかは思う。否、思い続けている。この優しさに永遠に触れておきたいとも思う。永遠、というのはいつまでかは分からないけれども。
(できる事ならば……)
 さやかは知っている。故が自分とは違う存在である事を。
(私の命は、恐ろしく短い)
 故に比べて、何とも短く儚い。本来交わる事の無い時間の羅列。
(我侭かしら?それでも、一緒にいたいだなんて)
「……故さん」
「何でしょう?」
 夕日が、赤い空間が。思っている事を口にださせる。少なくとも、さやかにはそう思えた。
「十年後、私は大人になるけど……故さんはそのままなんですよね?」
(夕日が、酔わせる)
 さやかの言葉に、故は驚いたようにはっとしてさやかを見つめる。
「もしも、私が死んだ後に自分で行き先を決めれるのなら」
(赤い空間が)
「さやかさん、死ぬだなんて」
 困ったような故の言葉に、さやかは「言わせてください」と言ってから続ける。
「故さんの傍にいても、いいですか?ずっとずっといても、いいですか?」
(酔わせて口を軽くする……!)
 故は目を見開いたまま、歩を止めた。じっとさやかを見ている。さやかはそこで漸くはっとする。
(今……私は何と言ったの?)
 驚いた顔のままの故。さやかはそっと俯く。
(馬鹿な事を言ってしまったわ。……本当に、馬鹿な事を)
 俯いたままのさやかに、故は小さく「良いんですか?」と呟く。
「俺の傍になんて言っても、良いんですか?」
 故の言葉に、はっとしてさやかは顔を上げた。故はさやかが馬鹿な事を言ったとは思っていないのだ。ちゃんと受け止めて考えてくれているのだ。
「良いんです」
「後悔するような事になるかもしれませんよ?」
「後悔しません。……故さん以外の人の傍にいる自分なんて嫌です」
 まっすぐにさやかは故を見つめた。はっきりとした意思。譲れない思い。
「ずっと、俺の傍に……?」
「故さんの傍にいない自分なんて、考えられないんです。……いえ、恐ろしくて考えたくもないんです」
 ふわり、と風が吹いた。さやかの着ている桜色のワンピースがゆらゆらと揺れる。さやかの意志に同調するかのように。
「……知りませんよ?」
 故は微笑む。いつもの、さやかの好きなあの全てを包み込むような笑顔で。
「今更聞かなかった事にはしませんからね……!」
 故はそう言ってさやかをぎゅっと抱きしめた。愛しいものを全身で守るかのように。さやかはその腕に身を任せ、そして自らも腕を故の背に回した。どくんどくん、と心臓が撥ねる。
(故さん……!)
 さやかは思い切り抱きしめる。この胸の鼓動を、少しでも故に届けたくて。少しでも知って欲しくて。
「有難うございます。故さん」
 さやかはそう言って故の胸に顔をうずめて耳を澄ます。故の心臓も、さやかと同じように撥ねていた。さやかよりも力強く。
(ずっと、傍に)
 思いは溶けてゆく。沈み行く夕日に、やがて来る闇に。だが、それでもさやかの胸には変らぬ鼓動が刻み付けられていくのだろう。故の鼓動と重なっていくかのように。

<温もりに包まれながら・了>
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年10月02日

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